この世に潜む亡霊たち⑦
「さぁさぁ、腕によりをかけた料理をご堪能しちゃってねぇ?」
そういいながら、男は食事を次々と差し込み口から独房内へと入れていく。
この間も留置所内にいた先輩諸兄は皆一様に待機姿勢を崩すことなく時が過ぎ去るのを待つような表情をしていた。
オーレリウスといえば鉄柵に寄りかかるようにその様子を見ている。
今更ながらこの独房は三方を石壁に囲まれ、正面に鉄の扉。
その左右を鉄柵で内部を囲っている構図となっている。
オーレリウスの様子を先輩虜囚がちらちらと見ているが、その目は皆恐怖と何かが入り混じったようなものとなっていた。
何があったらここまでビビりあがれるものなのだろうか、オーレリウスにとってはそっちのほうが興味の対象であった。
灰色の髪を持つ男がオーレリウスの独房前までやってくると、そのだらけた虜囚を一瞥している。
そして、声を上げる。
「整列姿勢はどうしたぁ!!」
ビリビリと周囲を揺るがすほどの、まるで咆哮のような怒号にオーレリウス以外はみな思わず耳を塞いでしまう。
そんな隣人にオーレリウスは声をかける。
「待機姿勢を解いたな?減点もんだぜ」
そういうが早いか、オーレリウスは鉄柵をものともせず伸びてきた手に胸ぐらをつかまれ、鉄柵へと叩きつけられる。
「なら、アナタは減点じゃ済まなそうねぇ?」
ギリギリと鉄柵へと押し付けようとする腕の力はその鉄柵すらわずかに歪曲させている。
その腕を左手で握るオーレリウス。その顔には笑みがこぼれる。
「カッカすんじゃねぇよ、紳士殿。まだ挨拶すらしてないってのに」
オーレリウスは左手に力を入れる。
その肉を押しつぶさんとするようにギリギリと力が入る。
オーレリウスの左腕は、自身が持つ右腕の…鍛え上げられ、長い年月の間禍つ獣と戦いの中で傷付きながらも鍛え上げられてきた人間の腕よりもはるかに強大な膂力を誇る。
契約の際、オーレリウスはその左腕を捧げた。その余りあるデメリットの中で数少ないメリットの一つに、ストルムの膂力を左腕が再現できる。というものがある。
これまでの旅の中でその左腕はマナへの干渉を行う際の、道標。スクールでいえばあの杖であり、人間であるのなら紙に文字を記入する際に使用するペンのような役割を果たす機能と同じくらい、これは時にオーレリウスを助けてきた。
その力で、腕を握りつぶそうとする。
(……やっぱ、こいつぁ…)
オーレリウスは感嘆するしかなかった。
割と、本気で握っているはずだ。本来なら並大抵の物質を握りつぶせる力がこの手の内側より生じている中で、眼前の男がこちらをつかむその腕はミチミチと肉がきしむ音を立て、身体という大陸を流れる大河のごとき太さの血管がその流れをせき止められ隆起してなお、その力に屈することなくオーレリウスの…竜の膂力に抗っている。
お互いの額に、僅かに汗がにじみ始める。
「…ヘイ、紳士殿。先に降りてもいいんだぜ?」
そのオーレリウスの問いかけに、紳士殿は屈託のない笑みを浮かべる。
「あらあら。そろそろブレーキを踏みたいのかしら?チキンレースだって我慢しなくてもいいのよ?」
そういう紳士殿がオーレリウスを掴んでいる胸ぐらの布が、プチプチと音を立て始める。
双方、笑っている。
案外、屈託のない笑みで笑っている。
そして、先に手を離したのはオーレリウスであった。
そのまま、紳士殿の強烈な力で再びめり込むほどに鉄柵へ押し付けられた。
紳士殿は、灰色の髪を額の汗を拭うように前から後ろへと梳くと微笑みを浮かべながらオーレリウスの耳元で囁く。
「最高ねぇ、アナタ。本当に最高。どんな状況でも自分であり続けようと、曲げないその心。その癖…私を労わって自分から負けに行くなんて…そんな生意気なところもそそられる」
それは、きっと讃辞なのだろうとオーレリウスは思った。
「どうだろうな?紳士殿。単純に、俺が先にブレーキを踏んだだけかもしれないぜ?」
讃辞へ僅かに息を上げながら紳士殿へ返礼する。
紳士殿はオーレリウスを背後の石壁へ腕のスナップだけで突き飛ばすと食器の擦れる音がわずかに響く。
そうして食事が差し込まれた。
「気に入ったわ。あなた名前は?」
その問いに、オーレリウスは笑って答えた。
― ただの、旅人さ。
紳士殿は屈託のない笑いを飛ばす。その声は再び留置所内を反響し、すべてを震わせた。
「レーヴァ。私の名前よ?一回で覚えられるでしょ…旅人さん」
そういってウインクをしながら去っていった。
その様子を眺めたオーレリウスは相棒と念話を行う。
⦅お前さ、なんでああいう手合いにああいう態度とっちゃうわけ?あれお気に入り確定じゃん⦆
(相棒、おまえ…)
⦅なんだよ⦆
(嫉妬か?)
⦅アレに嫉妬するくらいなら、俺はお前にいい嫁さんを娶れって言ってやるさ⦆
(ホント、ああいう手合いには好かれるよな。俺)
皿の上に乗せられた夕食をトレイごと引き寄せる。
バターの乗ったパン、鶏ささみのトマトシチュー、サワ―クラフトサラダ。
そして見事な、メロウパイクの焼き物であった。香りからしてこの近くに生育しているフキの葉を使用した包み焼きだろう。
「虜囚の食いもんじゃねぇな」
そう呟きながら舌鼓を打つのであった。
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慣れない草原を、狼は駆け抜けている。
元々、あの砂漠の大地が自分の住処であった。多くいた仲間は今や散り散りとなった時アイツと「契約」をした。
今や散ってしまった仲間を探すために。
そのはずなのだが…。
⦅な、なんで…⦆
困惑が狼を襲う。黄土色の体毛を持つサバクオオカミが、今この現状に困惑をしていた。
自分が何をしたっていうんだ。
自分は逃げているだけだろうに。
なんで、なんで
⦅なんで、憎悪の念を浮かべた竜に追いかけられないといけないんですかあぁぁぁ!?⦆
理由は知らないが、あの竜は怒っている。
ものすごく怒りながら、追いかけてくる。
⦅なにやった、なにやった、なにやったんだ?⦆
思い当たりそうな節をいくら考えても出てこない。当たり前だ。
何もやってないのだから。
竜はこちらへ何度も急降下しながら狼の頭上へと迫りくる。
その動きを攪乱するようにジグザグに走り、頭上より迫りくる一撃を躱していく。
そんな追いかけっこを、かれこれ30分もぶっ続けで行っている。
いくら砂漠を数日間は駆け抜けることができるサバクオオカミとは言えども慣れないことばかりの状況が続いたため余計な疲労が蓄積しているところに、とどめにこの事態だ。
オオカミは、賭けに出た。
近くにあった森の中へ、飛び込んだのだ。
茂みの中に隠れ、自分の体を土へとこすりつけていく。
そのまま別の茂みに移動し、同じように土をつけていく。
体に土がこびりついていく不快感に思わず体を震わせたい本能に抗いながらこれを感度も繰り返す。
オオカミはこの森の中に、自分を溶け込ませようとしているのだ。
周囲の土の匂いを自分にまとわせ、地面に残った自分の匂いを対象がたどるように誘導しながら、自分は周囲の土の匂いに紛れ移動し、難を逃れようとしていた。
改めて隠れる場所を決めたオオカミは、その茂みの伏せるように隠れた。
竜が、森の中へと降り立つ。
周囲をきょきょろと見やりこちらを探している様子であった。
その黒い外殻をまとう巨体に思わず気圧される。
竜はスカイブルーの瞳で周囲を見やる。
オオカミは不意に、眼があったような気がした。
その瞳に、見据えられたような気がした。
だがオオカミは耐えた。
生来の本能、生存本能による逃走を。
今ここで動けば、きっと狩られるだろう。
僅かな時間が、流れた時だった。
竜がため息をつくように感じた、そんなときであった。
森を、風が流れた。さらりと体をなぞるような風がオオカミをなぞった時であった。
風が、オオカミを捕まえた。
風の流れが急に狼の体を天高く突き上げられるように吹き込み、オオカミはそのまま竜の眼前に吹き飛ばされた。
竜の瞳が、こちらを見る。
スカイブルーの、瞳がこちらを見る。
オオカミの行動は、即座に行われた。
その場に、腹を出すようにぐるんと転がる。
黄土色の体毛は腹側だとわずかに白みを帯びている。
こうなればやけくそだ。恥を忍んで屈服してやる!オオカミはそう考えた。
契約したアイツと合流さえできればまだ活路を見出せるのだ。
こんなところで、死んでたまるか!
相当の覚悟と半比例するようにこの状況は非常に滑稽なものであるのだが。
そんな覚悟を、ストルムは笑ってしまった。
割と大きな声で笑う。
思わずきょとんとしたオオカミはそのまま固まってしまう。
そうして、その黒い竜 ― ストルムはオオカミへと顔を近づける。
「降伏するのは大いに結構だがよ。俺は無謀に挑んでくれるくらいの蛮勇があるほうが好きなんだがな」
オオカミはそのまま、思考が止まる。
一瞬世界が止まったように感じた。眼を真ん丸に見開き、腹部をさらした屈辱的な格好で。
きょとんとしたまま、遠くの果てに思考が飛んで行った。
夜の闇の中で、ミュレは手帳の前で頬杖をついていた。
この一文を、ずっと考えていた。
『道中で見たあの軍用車両。何があった?』
何故この質問を自分へと問いかけたのか。
この質問こそ、オーレリウスが言うところの口を滑らせたものであることは明白だ。
私へと探りを入れた質問。
私しか知りえないであろう、何かへの質問であった。
だが、それがまだふんわりとしている。
なんだか釈然としない。
そんな様子を周囲の生徒が一瞥しては視線を外す。
「また、あの子何かやってる」
「今度は、何をしているのかしら」
「関わらないほうがいいわよ。猪の時だって…」
その言葉は、ミュレにとって心の奥にあるものを刺激されたように感じるものであった。
オーレリウス、契約者とともにあの猪を討伐した際当然真偽を問われた。
死亡してしまった仲間に関しては、当然猪のせいなのでミュレ自身の過失ではない。
問題は、猪の倒し方であった。
土属性に秀でた猪のマナを樹木へ…風属性に変換、吸収させ弱らせた後討伐する。
これ自体は実にスクール的な戦術だ。
だが、そこに雷属性のマナ粒子と複数の銃弾が出てきたことが問題であった。
雷属性の魔法を扱える種族は、今のところ竜と一部の禍つ獣しか確認されていない。
そのうえ、使用された銃弾は七大連合が採用しているどの携行可能な銃器にも使用されていない未知の銃弾であったのだ。
ミュレは説明を求められた。
彼女の返答は、こうだ。
― 猪の討伐中、竜の背に乗る契約者の襲撃により撤退を余儀なくされた。その後確認にて猪の死亡を確認した。おそらく竜に猪を食べさせることが目的だったのだろう…と。
というものであった。オーレリウスのやつがそれを察知してか知らずかあの後南方へ急速で飛翔する竜を確認した飛竜兵の証言もあり、ミュレは猪討伐の功績をはく奪される代わり、これ以上の問責は行わない。という処分が下った。
だが、それでもミュレに対する嫌疑…契約者との関係を疑わないものがいないわけではなかった。
何なら地位向上を狙い契約者と共謀したとまで嘯く者もいる。
ミュレはため息をついた。その理由は、それが本当のことだからである。
スクールは現在、「貴賓派」と「平民派」という2つのグループに区分されている。
貴賓派は現状スクールの実質上位派閥と化し、生徒会をはじめとしたほとんどの役職を握っており、ミュレたち「平民派」たちを掌握している。
これでも、スクール創設当時はそういう派閥すらない本物の実力による平等と区別があったとされているが、帝国崩壊以降の長い平穏がそれを蝕んでいたのだ。
貴賓派、貴族階級の者たちにのみ存在する休暇もそれによるところである。
スクールを卒業すれば、それぞれ各都市への「魔法兵」として派遣されたり、教職や飛竜の飼育を担うものなど将来がある程度確約されてはいるものの、その中でも特に「実入りのいいもの」はすべてこの貴賓派に持っていかれてしまう。
つまり、平民はどこまで努力と鍛錬を積んだとしても貴族の下であり続けるシステムが今のスクールには確立してしまっているのだ。
ミュレは、それを嫌った。
結局前線に行くのも、戦うのも、全部自分たちだ。
裏方の裏方、そんなところでスクールという殻で常に守られながらもいいところだけはすべて持っていく、そんな今のスクールのシステムに食らいつき自分ももっと上に上り詰めたい。
せっかく、実力と才能を認められスクールという舞台に立つことができたのにそれに蓋をされたような気分がしているのだ。
だからほしかった、実績が。
猪退治は実績の足掛かりとしては、十分なものであった。仲間を失ったという状況とはいえ、幸か不幸かあの時オーレリウスに出会ったからこそ。
平民派がスクール内で要職に就くためには、相応の実績を納めることが絶対条件だった。
契約者を利用できたからこそ、成せた。だが結局、その契約者が足を引っ張ってしまっている。
ミュレは小さく舌打ちをして、手帳を閉じようとしたとき。不意に自分の中で何かがつながった。
契約者。
そう、契約者だ。
そういえば、竜に乗る契約者なんてミュレは初めて見た。大昔には大勢いたとされるそれら契約者は今ではほとんど見かけない。というよりもおそらく見ないまま死にゆく者さえ出ているだろう程その姿を見かけないのだ。
数が減った、それもあり得るだろう。だがオーレリウス以上に表に出てこないよう徹底している契約者も相当数いるだろう。
亡霊と揶揄され、「いるだろう」というおとぎ話のような扱いをされるほどだ。
今どきの契約者といえば、大体が禍つ獣との…それも中型以下のものと契約するものばかりだ。
竜のような大規模な対象と契約することはほとんどしないという。
あの軍事車両に乗っていた対象のことはミュレも聞き及んでいる。
契約者が、3人搭乗していた。というものだ。
だんだんと、ミュレの中でつながった糸が答えを手繰り寄せていく。そんな感じがしていた。
(今日は、眠れそうにないわね)
手帳を前に、ミュレはそう感じてしまった。




