この世に潜む亡霊たち②
ドロツゴは、メルカッタ南西部に広がる砂漠地帯、「ヘルウェス砂漠」の門前町として存在する七大連合直轄都市の一つである。元々は帝国軍がヘルウェス砂漠を生み出した原因ともなった禍つ獣である「アングリッドの砂亀」とそのあとに発生した獣「メリッサの女王蟻」へ対抗するために建造した前線基地である。それらの獣を掃討した後は長きにわたって刑務所としての機能を担ってきたが、帝国崩壊後、虜囚たちによって都市として再建された経緯を持つ。
オーレリウスがドロツゴへやってきたときには、すでに夜であった。
錆にまみれた鋼鉄の外壁と色とりどりのネオンが看板や外装として喧伝逞しく光を発している。
立体映像投影機では兎属の女性が煽情的な衣類を身に纏い、蛇のようにくねくねと踊っている。
かと思えば、熊属の男性が下着一枚で店先に立ち、客寄せをしている。
つまるところ、そういう都市なのだ。
そういう連中が、そういう場所にするために、そういう風にここを再構築したのだ。
今のオーレリウスには、それを否定する権利なぞ持ち合わせる道理もなくネオンの光を避けるように、その場所へと向かっていった。
そこは、テラス付きのカフェバーであった。屋上には小綺麗なテーブルとイスが並べられ、パラソルの下にランタンが吊り下げられている。
そこから見た街の景色は、色とりどりのネオンの光で彩られている。
欲望を包み隠すような淡くも強い光であった。
手すりの寄りかかるようにして、一人の男が煙草を吸っている。
その手には金属製のペストマスクを持っている。金属板をビスで留めているそれは想像し得るものよりもずっと軽いことを、オーレリウスは知っている。
灰色の髪と、髭を蓄えた紫色の双眸はオーレリウスと同じ渡り人であることを表している。見た目の年齢は、オーレリウスよりも一回りほど上という印象だ。
その隣で手すりに寄りかかり、煙草へ火をつける。
ゆっくりと夜空へ紫煙を溶かし込むように吐き出すと、オーレリウスは口を開く。
「久しぶりだな」
そういわれた男は、笑みをこぼす。
「息災のようだな。その口の悪さも相変わらずだ」
そういって、男は煙草をオーレリウスの顔面へと突きつけながら返答する。
オーレリウスの眼前に、タバコの火が草を食み、煙を吐いている。
「…煙草の銘柄、変わったな」
そう返すと男は満足そうに再び煙草を口にくわえる。
「オルマトン・スウェイはいい煙草だった。数十年前に産地が禍つ獣の襲撃と野党の簒奪にあったがために畑と農家もダメになったらしい。もう二度とあの香りが楽しめないと思うと拷問を受けるかのような気分だ」
男は名残惜しそうに、今吸っている「ドロツゴ・アウェイク」が発する紫煙の奥でその香りを思い出すかのように、吸い込んだ。
この男の名前は、ウェンリー・ギルベルトjr准将。
帝国軍参謀次長であり、帝国軍竜騎兵大隊の総指揮官である。
つまり、オーレリウスにとっては果てしないく上にいる上司となる。
「ところで、今仕事は何をしてるんだ?」
そうウェンリーに問われたオーレリウスは、口を開く。
「今は砂漠で土竜釣りですかね」
そう冗談めかして答えるオーレリウスに、ウェンリーは肩をすくめる。
「マタギの真似事か?悪くはないな」
「そういうそっちは?」というオーレリウスの返しに、わざとらしく服をはためかせてウェンリーは答えた。
「初めまして、マタギさん。私、砂鼠商会の事務長を務めさせていただいております。アダマス・エルスタンと申します」
そう恭しくお辞儀をする様子に、変わらねぇなこの人。とオーレリウスとストルムは思った。
「これはどうも、事務長様」とわざとらしく答えると、ウェンリーは笑ってオーレリウスを席に案内する。
注文を受けた女性のウェイトレスをまじまじと見やるウェンリーの視線の先には、ウェイトレスの尻があった。
「ホント、変わんねぇなアンタ」
頬杖を突きながらその様子を呆れながら見ていると、ウェンリーはオーレリウスへと視線を向ける。
「この世が生み出した至宝は、なんだと思う?」
大昔から何度も聞かされてきたことだが、これをわざわざこっちに言わせて来るのだからたまったもんじゃない。
ため息をつくオーレリウスは大昔の記憶からそれに関する文言を引き出す。
「ルゴウェスト・ウィスキーと、女の尻」
その答えにチ、チ、チ。と指をひりながら舌を鳴らすウェンリー
「ルゴウェスト・ウィスキーと、アズマ産の桃の如き麗しいヒップを持つ美女、だろ?」
オーレリウスは頭が痛くなりそうであった。
「だから来たくなかったんだよ。あんたと飲むなんざロクな目にあわされないからな」
運ばれてきた酒を口に運ぶ。
ほのかなサトウキビの甘さと鼻腔を突き抜けるパンチのある香り。舌を躍らせ全身の血が奮い立つような濃厚なラム酒であった。
「ラム・オヴ・ジェネラルの15年だ。ここ数十年の間で最も完成されたとされる一杯だ。ウェルカムドリンクとしてはお前にはもったいないだろうがね」
そういい、笑うウェンリーに対し、もはや諦めるようにため息をつくオーレリウス。
「なら今度、相棒の分も頼むよ」
そういわれたウェンリーは苦笑を浮かべる。
「勘弁してくれ。この世からラム酒が消えてなくなっちまう」
そこで初めて、お互いに笑いあった。
テーブルの上にはいくつものドロツゴ料理が並べられている。
砂潜りエビ(どう見てもザリガニだが)のグリル。
牛の肩肉を塩釜焼したもの。
ヘルウェス・サボティ・サラダ(ヘルウェス・サボテンとスイカの内皮を使用したビネガー・ドレッシングをかけて食べるサラダ)
などを2人で食べる。
「そういえば、ガラティアは元気にしているか?」
オーレリウスは、ぽつりとウェンリーに尋ねる。
ガラティア、というのはウェンリーと契約をした飛竜である。高貴に連なる白金百合種と呼ばれる「高貴なるフレーズ」を始祖とした白竜の血筋で、輝くような白金の外殻と金色の瞳は飛竜大隊の指揮官が跨る飛竜としてこれ以上とない存在であった。
「あぁ、アイツも元気にしている。だが最近食が細くなったかな」
そういうウェンリーは遠くの空を眺めている。
「年か?」とオーレリウスが尋ねると、ウェンリーは笑いながら被りを振る。
「そんなわけあるか。あれで繊細な奴なんだよ」
「で、結局なんで呼んだんだ」
口を開いたのは、オーレリウスからだった。
「タダ飯にありつけるのはいいんだが、あんたが同じテーブルを囲む相手に困る様子なんて想像すらできないんだが」
酒を静かに飲むウェンリーをよそに、サラダを食べるオーレリウス。その質問に返すわけでもなく、静かに酒を口に運んでいた。
ビネガーの酸味をチェイサーとして頼んだぬるいエールで流し込む。
牛の肩肉にはしっかりと塩で味付けがされており、ウィスキーが進む。
それを確認したウェンリーもまた、手に持っていたグラスを一気に傾け酒をあおった。
「俺たちがわざわざこうやって顔を突き合わせる理由なんて、数えるほどしかないだろ」
ウェンリーは煙草に火をつけ、紫煙を吹かす。
「上司への不遜な態度と、仕事中の独断専行なら今更だぞ?」
そういうオーレリウスの言葉をウェンリーは鼻で笑う。
「それでお前は何度、私の部屋に突き出されたことかねぇ。今更数える気もないよ」
そうじゃない。とウェンリーは答える。
「まぁ、端的に言えば仕事の話さ」
とだけ口を開いた。
酒を流したオーレリウスが「マタギ向きの仕事か?」と尋ねれば、ウェンリーは頷いて肯定する。
だがここで、オーレリウスは尿意が迫ってきていた。
「悪い、トイレに行ってくるわ」
そういい、席を立つオーレリウスをウェンリーはグラスを持って手で指をさす。
「トイレはあっちだ。階段に気をつけろよ」
その言葉に、ひらひらと手を振って返答をするオーレリウスは階段を降りトイレへと向かった。
薄暗がりのトイレは無人であり、淡い薄紫色の照明で照らされていた。
鼻をくすぐる芳香剤の匂いに思わず顔をしかめる。
だがそんなこと気にしていられない。まずはトイレだ。
自分でもびっくりするくらい大量に出てきた。
用を足したオーレリウスは、ズボンのチャックを締めトイレを後にする。
そんな時だった。
「…あれ」
膝をついていた。
自分でも無意識に、膝をついていた。
急に、頭が揺れ動く。視界がグニャグニャとゆがみ始め、ピンクと紫と青と闇の色がぐちゃぐちゃになっていく。
「何が…一体…」
遠くで声が聞こえる。相棒の声とも違う。
誰かがこっちにやってくるのを、誰かが止めているようにも感じる。
感じるだけだった。
感じるだけで精いっぱいだった。
意識が熱された砂糖菓子のようにドロドロに溶けていく。
脳みそが鼻から垂れ流れそうな錯覚さえ覚えた。
心臓が早鐘を鳴らすかのように、激痛を伴うほどに鳴り響いている。
そうして、声が聞こえた。すべてが黒く混ざり合った世界の奥から
「ラム・オブ・ジェネラルがどうして戦勝祝いの時にしか開けられないか、知ってるか?」
オーレリウスがその問いに答えることはなかった。
「どんな屈強な男どもも、こいつを飲むとたちまちぶっ飛んじまうほどにキクんだよ」
その声は、ウェンリーであった。
オーレリウスが最初に飲んだラム・オブ・ジェネラル。それ自体アルコール度数55%を誇る酒であり、海の男たちが陸に上がった時にしか飲まなかった。という逸話があるほどである。
そんなラムの中に、ウェンリーは一服盛ったのだ。
なんてことはない、無味無臭の利尿剤である。
だが、この組み合わせは時に人すら殺せる。
とどめとばかりに、あのサラダだ。スイカの皮に含まれるシトルリンは果肉に含まれるカリウムと同じ利尿作用がある。
強い酒と、利尿作用。
ウェンリーはオーレリウスの顔を見る。
紅潮した顔に半比例するように冷たくなっていく手足。
荒い息と頻脈。
尿により体の水分が急激に失われた結果、オーレリウスは急性アルコール中毒にされたのだ。
ウェンリーはオーレリウスの腕を肩に回し、立ち上がらせる。
おぼつかない足取りのオーレリウスを、ウェンリーの仲間と思わしき者たちがどこかへと運び去っていく。
ウェンリーは、虚空へと声をかける。
「今は出てこないほうがいいぞ?ストルム・ブリンガ。お前の相棒を少しの間借りるだけだ」
謝罪と詫びの品は、いづれ必ず。
そういうと、ウェンリーはドロツゴの歓楽街へと消えていった。
虚空の奥、こちら側から見えないそこからまるで唸るような低い声をウェンリーは聞いていた。
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オーレリウスが目を覚ました場所は、先ほどまでのネオンの光がほとんど届かない場所であった。
静かであった。
猛烈な頭痛を吐き気がオーレリウスを襲う。
「クソッ…やっぱりあの人と呑むとロクな目に合わねぇな」
装備一式はストルムと一緒に裏側にある。
だがこんな場所でアイツを呼んだ暁には俺が押しつぶされてしまうだろう。
体には毛布がくるまれており、室温は快適な温度を保っていた。
そのはずだが体から今も気持ち悪い汗がふつふつと噴き出している。
(今この状況で治癒加速を使うのはまずい)
外傷を治療するのとはわけが違い、それにより体中を巡る血の流れが良くなりすぎてもう一回倒れかねないため、オーレリウスはゆっくりと呼吸を整え、マナに干渉する。
―潔白―
浄化魔法の一種である潔白は、主に体の不調や治癒加速では治せない毒などの要素を除去し、体を調える魔法である。
但し、それは毒素を一か所に集めて素早く体外へ排出する魔法のため…
オーレリウスは備え付けの洗面所へ思い切り顔を埋め、口を開き……そのまま血のようなものを吐き出す。
契約者は、何かと口から吐き出しがちである。
その場に崩れるようにうなだれながら蛇口をひねる。
水とともに吐き出されたものの音を聞きながら息を調えるオーレリウス。
契約者元来に備わる回復能力と合わさり、来客の足音が聞こえてくるころにはある程度不調を整えきる程度には回復しきっていた。
それこそドアを開けた誰かに向かって一発殴りかかる程度には、回復していた。
殴りつけられた相手は思い切り吹っ飛び、さび付いた鋼鉄の床に倒れ伏した。
そんな様子を見やる複数の男女が構えを取った時、声が聞こえた。
「おいおい、お互いに何をやってるんだ」
そういって、ウェンリーが姿を現した。
鋼鉄のごとき、さりとて軽い、奴自身を現したかのようなペストマスクをかぶった状態で。
オーレリウスは首をぐるぐるとまわしながら、ウェンリーに相対する。
そうしてそのまま、疾風の魔法とともに肉薄する。
その右腕が、ウェンリーの腹目掛け突き出された!




