この世界を巡る、マナというもの⑧
「お母さん?」
オーレリウスは一瞬虚を突かれたような顔になる。だが少女の顔を見ればそれもそうだ、と考えた。
見た目だけでいえば母親くらいそうなものだ。
だがいろいろ引っかかる。
「ならお前、なんであんなところに一人でいたんだよ」
光学迷彩で隠れているであろう者に察せられることがないよう、言葉をよく吟味しながら少女へ聞きたい内容を伝えていく。
「わからない」と少女が返す。
「そもそも、故郷はどこだよ」
「わからない」
「お母さんの名前は?」
「わからない」
「そもそも、お前の名前は?」
「わからない」
頭を抱えたくなった。
⦅記憶喪失?って奴かこいつ⦆
(さぁね。なんにせよこいつがここに立ってる以上の情報をこいつ自身が持ってねぇってのが最高に酷い)
仮に、お母さんを探すことにして。
お母さんがどこかにいる以上の情報をこっちは何一つ掴んでいないまま探すということになる。
当てもない闇の中を彷徨い続けるのは慣れたものだが、生憎他人を闇の中案内することは得意ではない。
なんならこの少女、自分の名前すらわからないといいやがった。
これでは、どっかの街で行方不明者名簿を当てにするとしても写真でもなければ真実を掠めてしまう。
考えれば考える度、受けるべき依頼ではないことはわかる。そもそもこの少女に報酬を期待する事すらできない。
ワンチャンどっかの王族だったとはいえこちとら天下の裏街道を歩くしかない存在である。
感謝のディナーパーティで毒盛られてもおかしくはないのだ。
なので、なぁなぁにしてはぐらかそうとした時だ。
⦅おい、相棒…まさかおめぇ。逃げることはしねぇよな?⦆
(勘弁してくれよ…)
相棒の悪い癖が出た。気に入ったやつと子供の困った姿は見ぬ振りできないこいつの人情家じみた性格はこうやって大抵の場合オーレリウスにその労力のほとんどが回ってくるのだ。
⦅どんな経緯かわからねえがよ。未来ある連中が困ってるのなら手を貸すのが世のためって奴だろうがよ⦆
(そのおせっかいを焼く羽目になるのはいつも俺だろうが。1回くらい自分で誰かのケツを拭いてから言ってみろってんだ)
そうは言うものの、オーレリウス自身も心のどこかでこの少女を放っておけないという感情が芽生えている。
それは、ストルムに引っ張られている所によるものも大きい。
ほとんど一つの存在であるが故の、弊害の一つであった。
オーレリウスはため息混じりに、行動を開始する。
来た道を戻り始め、少女が戸惑いを見せた。
「たしか、フューゲル洞窟っていったか。あそこについて調べれば何かわかるかもしれねぇな」
その答えを聞いた少女は「ありがとう」とだけ答え、冒険者の後を追いかけるのであった。
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オーレリウスは、タブレットを操作していた。
ギルドへととんぼ返りしたとき、バロウズと目が合ったが手をひらひらさせて挨拶するにとどめ、カウンター席のタブレットを操作する。
フューゲル洞窟について調査するためだ。
各ギルドでは周辺地域で起こった魔窟の関する情報を収集・蓄積することが義務づけられており、それら集積情報をタブレットから閲覧することができるのだ。
とはいえ、所詮最底辺等級のオーレリウスに対して開示される情報はそう多くはなかった。
ヒューゲル洞窟は、元々は小規模なマナ鉱山であったとされる。
マナ鉱山とは、文字通りマナ・クリスタルが採掘出来る鉱山を指し、それがある場所はこの世界にとって金融の要所となる。
特にマナ・プールの発見もできれば基本は七大連合の管理となり、一般人は立ち入り不可の場所になるのだ。
マナ・プールより加工された無属性マナ・クリスタルのみがクォーツ貨になることができるため、これは自然の造幣局と言い換えることもできる。
そう考えると、あの時発見したマナ・プールは恐らく後発。つまり本来そこにはないモノが何らかの要因で発生したものだと考えられる。少なくとも、自身の等級で読み取れる情報ではそこにマナ・プールがあったという記載はないし、鉱山の管理はこの街のとある商家に一任されていたと記載がある。
そのうえで、オーレリウスはこの商家について気になり、タブレットの画面をペンで軽くたたく。
魔法の杖で湖面を叩くように、タブレットの中で情報が更新される。
アリアドネル家、ボレッドを拠点に活動するマナ・クリスタル取引を生業としている商家であった。その歴史等々は、オーレリウスからしてみれば赤ん坊が独り立ちしたような時間しか経過してはいなかったが、それでも人間の時間では十分古参と呼べる名家であった。
だが最近、その活動は縮小傾向にあるようであった。推測の範疇を越えない所でいえばアリアドネル家が保管しているフューゲル洞窟の魔窟化を皮切りにしている可能性が高い。
具体的な情報を読み解くことはできなかったが、影の勢力と戦ったあの場所周辺で採掘を行っていた可能性が高い。
オーレリウスは、少女に問う。
「アリアドネル。って名前に聞き覚えは」
少女は少し考えたそぶりを見せるが、首を横に振る。
アリアドネル家の者か、そいつらに雇われた奴隷の娘かと思っていたのでどこかでアリアドネルの名前くらいは聞いていたのではないかと思っていたが、当てが外れたようだ。
まぁ、後者はともかく前者の場合はそもそも身内の幼子を鉱山なんぞに連れていくか普通。と思い直した。
だが、この少女がフューゲル洞窟で倒れていた事を鑑みるにアリアドネル家が何処かで絡んでいるのではないか、と推測した。
アリアドネル家に接触することは非常に難しい。少なくとも正面切って挨拶に行ったところで門前払いされるだろう。
幾つか、使える手はあるものの確証のない段階で魔法を発揮して狙われるリスクを上げたくない。
(つまり、後回し。ってなるわけか)
オーレリウスはそう考え、資料を閉じる。
再び受注可能依頼の検索を行う。
昨日の振り返りをなぞるような結果であり、ペーパー等級程度でこなせる依頼の中でも、「おひとり様」がこなせる仕事なぞほとんどない。
こうなるといよいよ手詰まりだ。出来る限り誰かと一緒に組むような依頼はしたくない。
だが非情にも軒を連ねる依頼は基本「1パーティ限定」というものばかりであった。
1パーティとは4名のメンバーで構築されたグループを指す。つまりあと3名どこの誰とも知らない奴と組むことになる。
アリアドネル家について調べるか、依頼をこなすか。
オーレリウスには、逡巡する余裕なぞどこにもなかった。
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雪の中を、4名の男女が歩く。
そのうち一人は、少女の手を引きながら歩く。
彼らは即席のパーティとして、ある任務のために歩いていた。
一人は男性であり、その肩に猟銃をかけている。その左脚が義装化されておりふと垣間見える足首から銀色の機械が覗いている。
一人は女性であり、その両腕から惜しげもなく義装化された爪を格納している。
ペーパー等級とはいえ相応の実力は持ち合わせているだろう。
一人は男性であるが、狼族である。2丁のピストルを腰のホルスターから下げている。
そして残り一人の、顔の右半分にひどいやけどを負った男は、武器を持たず少女を引き連れていた。
余りの場違いさに、穴があれば隠れてしまいたい。とオーレリウスは思っていた。
まさかこの少女こそ我が得物。と冗談でも言った暁には吹雪より冷たい視線を浴びることになるだろう。
依頼内容は、ペーパー等級らしいシンプルなものであった。
氷纏魚の規定数討伐。この魚は冬期の平野部に現れる生物であり雪の上を滑るように泳ぐ氷の鱗を持つ魚である。
好事家の間では珍味として重宝されておりペーパー等級の冒険者にとって冬期の稼ぎとしても優秀な生物である。
(かつては氷華のキキョウ討伐任務を請け負ってた俺も、今じゃ魚獲りとはな。平和な世の中になったもんじゃないか)
⦅その割には、しけた顔してやがんな?⦆
(寒さが身に染みているだけさ。顔にも懐にもね)
などと念話で会話をしていると、男の方から声をかけられる。
「なぁ、あんた。正気か?いくら氷纏魚とはいえ、下手に触れば凍傷は免れない事だってあるんだぜ?銃なり何なりを使わなきゃねぇ」
そういって、女の方を見やる。
「なんたって今回のパーティは、物好きが多いもんだね。狼族の旦那もそう思うだろ?」
声をかけられた狼族の男性は鼻を鳴らして、男の物言いを無視する。
女の方は迷うことなく、右腕の爪を展開し男の喉元へとあてがう。
「今回の依頼は倒せればいいんだろ?喰うわけじゃないんだから別にどう調理したって構わないんじゃないのかい?それに、あたしは魚が嫌いでね」
そういって男の先を歩いていく。
「へぇへぇ。お盛んなこって」と猟銃を肩に担ぎなおし、男はオーレリウスへ声を掛けなおす。
「で、火傷面のあんた。得物は何だい?」
そういわれ、オーレリウスは拳を突き出すような動きをする。
それを見た男は神妙な顔になる。
「悪いことは言わねぇ。雪玉でも使ったほうがまだいいと思うぜ?子供の遊び道具としてもいいだろうしよ」
そういうと女と狼族の男が揃って笑う。
好きにいえばいい。とでも言いたくなったが…とりあえず黙って進むことにした。
ある程度先に進むと、少し盛り上がった丘の上からオウベルト平野が一望できた。
遠くの方に、僅かに見える建物がある。あれが、スクールの総本山である。
だが今回、そっちは景観以上の意味を持たない。
問題は、眼前の雪上を泳ぐ氷の鱗を持つ魚である。
猟銃を構えた男が、その場にしゃがみながら構える。
「どうせならよ。賭けをしないか?」
男が皆に問う。
「一番多く魚を狩ったやつが多く取り分を貰えるってのかい?」
女が爪を構え、狼族の男が両手にピストルを構える。
「悪くない話だろ?「おひとり様」よ」
男はオーレリウスに尋ねた。
身体を軽く解し、男に頷いて返す。
「それじゃ、子供のお守りをしてくれたのならちょっとは分け前をくれてやるさ」
そういうオーレリウスへ手でOKのサインを作る。
男の提案はこうだ。
合図は、一番手持無沙汰なオーレリウスが何かをすることで決まった。
その結果、メルカッタ時間の11時きっかりに開始することで話はまとまった。
それぞれがぞれぞれ道具で時間を見ている。
オーレリウスは、そんなみんなの動きを眺めていた。
女が爪を構える。
狼族の男が構えたピストルの先には、魚が優雅に泳いでいる。
猟銃を構えた男は、その瞬間を待っている。
オーレリウスは、ゆったりと構えていた。
氷纏魚は今から狩られることなど微塵も考えていないように、優雅に雪上を泳いでる。
そして、時間が来る。
猟銃の照準器が魚を捉え
狼族の男と、機械の爪を持つ女が駆けだしたその時
オーレリウスもまた駆けだす。しかし、悟られないように風下から相手に迫る。
猟銃の引き金が引かれ、魚めがけ30口径FP弾が発射される。
だが、その弾は氷の鱗を溶かし僅かに砕いただけであった。
男のピストルから放たれた弾丸が、魚めがけ射出される。
圧倒的な気配に驚いた魚が跳ねるように逃げ回るが、それでも内1匹に命中する。
だが、まだ生きている。
女が構えた爪が魚を捉える。
魚は爪によって綺麗に鱗だけ引き剥がされ、そのまま何処かへ逃げてしまう。
そして
オーレリウスは、一瞬で魚の背後へと迫り指を突き立てる。
それは魚の鰓を捉え、オーレリウスの指から逃れようともがく。
「折角だからいいこと教えてやる。こいつらの鱗は物理攻撃に対して耐性を持っている。特に冬期はその硬度が跳ねあがるんだ。それこそ古来は盾の表面に張りつけたりしたくらいだ。だから下手な武器で叩くよりも、こうやって鰓に指をひっかけて捕まえたほうがいい場合もあるんだよ」
そういい、そのまま魚を絞めると雪の上に動かなくなった魚が一匹転がっていた。
結果として、オーレリウスは報酬を多めに得ることができたのだった。