オーレリウス・ベルベッドという敗残兵①
しとしとと静かに降る雨の音色が、枯葉を打つ中一人の男が空を見ていた。
メルカッタの地は第二雨期も中ごろといったところで、高空域には今頃重厚な咆哮と雷鳴を轟かせた「烈魔」-全長が1kmを超えるエイの怪物が悠々と「跳んで」いる頃だろう。
夏期を北方の地で過ごしていた烈魔はこの時期になるとメルカッタの黒羊海へと戻るためこの地の上空をまたぐように跳来するのだが、その時もたらされる雨がこの第二雨期になるのである。
同時に乾期から冬期に移ろいゆく季節でもあり、男の呼気が白く吐き出される。
「…行ったか」
木々の間から上空を見る男。
その頭上を飛ぶ3匹の「空のエメラルド種」と呼ばれる小型飛竜がやがて小さくなるのを確認する。
男は顔を覆うようなマスクを装着している。4つ目の髑髏を模した仰々しいマスクの瞳にあたる部分は、血のような赤色にうっすらと光っている。
「こんな寒い時期に哨戒とはね。仕事熱心なのも考え物だな」
そういい、森の奥へと消えていった。
男が向かった先には、小さな畔が存在しており、さらさらと流れる澄んだ水はそのまま飲めそうな気がした。
『腹壊すなよ?下痢でひりだされた日には臭くって飯も喉を通さなくなるからよ』
声が聞こえてくる。
この森には似つかわしくない重々しい音のような声だ。
しかしながらこの男-オーレリウス・ベルベットにとってもはや環境音とも同義となっているのか全く意に介した様子はない。
「ならお前のひり出したものはどうだ?おかげですっかり少食だ」
オーレリウスは虚空に応える。
声は嗤っているようで、鈍く響くような音は続く。
『なら、そろそろしっかりひり出させてほしいものだな。最近はいつのものかもわからねぇ干し肉ばっかりで糞で釘が打てそうだ』
「いいね、そのまま家を作ってくれよ。そしたら「クソッタレの家」って看板立ててやるからよ」
ハン、と鼻で笑うような声が響いたときそれが姿を現す。
黒い甲殻に覆われた中型飛竜。
オーレリウスに「ストルム・ブリンガ」と呼ばれたその飛竜の肩部には騎乗用の鞍が装着されており、その左右と後方には様々なものがマウントされている。
オーレリウスはその中から丸められた簡易テントを外し、手早く組み立てていく。
キャンプ暮らしをしたいのならこれをいかに素早く丁寧に作れるかが肝要である。
恐らく今もこの上空を烈魔が飛んでいるのだろうか。
雨は、止む気配がなかった。
その晩は、最後の晩餐であった。
言ってしまえば手持ちの食料が底を尽きた。馬より食う奴との旅では何より食糧確保が大事になる。
そしてそれは、時に「金稼ぎ」と同じ言葉を並べることにもつながる。
『朝だぞ、寝坊助』
ストルムの鈍い声がアラームのごとくテント内で響く。
オーレリウスはまるで芋虫が蠢くように寝袋のまま体を動かす。
「昨日は一晩中飛んでたろうが、人間は寝食をしないと死ぬんだぞ?」
そういって二度寝を図るオーレリウスをストルムが器用にテントから引きずりだす。
『それは俺もだ。なんなら断食一歩手前の状態で一晩中飛び回ってたのは誰だと思う?』
もぞもぞと脱皮するがごとく寝袋から這い出るオーレリウスは吹き付ける秋風に思わず身震いする。
「断食一歩手前はお互い様だろうが」
『ならそろそろ修行の時間は終わりとしようじゃねぇか』
オーレリウスは腰に下げた袋を取り出し、封を開ける。中に輝く無色透明の宝石。それを加工した「クォーツ貨」を数える。
「どうやら俺たちの修行はまだ足りないらしいな」
そういって、いそいそと身支度を始めるオーレリウス。
『そうかよ。あれの話が真実ならこっちはこっちで動かせてもらうぞ』
ストルムは再び景色と同化するようにその姿をかき消した。
準備を整えたオーレリウスはそこにいるであろう飛竜へ声をかける。
「イノシシに腹どつかれて吐くなよ?」
遠くから『うるせぇ』という音が聞こえたのを確認すると、オーレリウスは山を下りていくのだった。
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この地、メルカッタは北西にそびえる「ドメロン山脈」の雪解け水を貯蓄する「メロウ大湖畔地帯」より流れる無数の自然の運河による交易によって栄えている。
そんなメルカッタの大部分は「オウベルト平野」と呼ばれる平野と丘陵地帯で構成されているが、「ンベル南部森林帯」程ではないが森林地帯もまた各地に点在している。そんな場所ではこれから来るであろう冬期に備えて薪用の材木を加工する仕事が冒険者に向けて発注されることがある。
今オーレリウスたちがいる場所は、ドメロン山脈より数十キロ地点に存在する「山神のひざ元」と呼ばれる山岳地帯にある「フヒル村」に近い森林地帯だ。
当たり前だがドメロン山脈に近い方が冬期の訪れは早い。そのため第二雨期の真っ最中であれ冬期に消費する薪が入り用なのである。
冒険者。それは大地に根差した者たちの職業であり、「問題解決人」とも呼ばれている。
元よりメルカッタは古来より獰猛な獣や「禍つ獣」と呼ばれる魔獣の生息地としても有名であり、たびたびこれ等に苦しめられてきた過去を持つ。
また過去に存在した「帝国」による支配もあり、それらからの解放をになう存在として結成された自警団がその走りとされている。当時は「メルカッタ解放団」と呼ばれていた。
解放団は帝国を崩壊させた後、各地で起こっている大小様々な問題を解決するべく人員を派遣する「ギルド」へとその組織の変遷をたどり、冒険者とその姿を変え今に至る。
オーレリウスもまた、そのような組織に属するものの一人であり、そして。
格下の冒険者でもやらないような「おひとりさまでも」出来る依頼を専門として扱う
「おひとり様専用」と身内からも揶揄されているのだ。
最もそれは、オーレリウスが「竜と共に過ごしている」事を伏せているために起こる偏見である。そしてその偏見を、オーレリウスは正す気もなかった。
この世界において、竜と共に空を駆けるもの。
かつて「帝国」より放たれた最強の刺客であり、畏怖の念を込めて呼ばれた存在。
「竜騎兵」はこのメルカッタにおいては竜もろとも脈絡なく殺されても文句の言えない存在であるからだ。
オーレリウスはそういうものであったのだ。
オーレリウスは山を下りながら、依頼を思い出していた。
それは、ここよりさらに南方にある小国「ダレイア」の冒険者ギルドでのことだ。
オーレリウスは、酒を飲んでいた。
ちんけな薬草採集の依頼を終え、他の冒険者たちのヤジをと小魚をツマミに酒を飲んでいたときのことだ。
目の前の椅子が引かれ、乱暴に座るものがいる。
フードの奥よりこちらを見やるルビーのような紅蓮の双眸は嫌というほど見覚えがあった。
口元を布で覆っているのは、奴の左頬は失われているため。それを見せないようにする配慮らしいがだったらフードは脱げと毎度思っている。
そんな男、アルハンブラ・カザンドラは軽快な口調でウェイターの女性に酒を注文し、器用にクォーツ貨を弾いて渡していた。
酒を一気に飲み干した後、オーレリウスへ話しかけてくる。
「よぉ、ワンサイドマン。仕事終わりか?」
ちびちびと酒を煽るオーレリウスは椅子に背を預けながらそんなアルハンブラの様子を窺い知る。
「魔女癒しを集めていたさ。あれの一撃は腰に来るらしいからな」
豪快に笑うアルハンブラ。
「なら、道具屋のミハイルんとこの親父さんはやっと魔女の一撃から解放されるわけか。長かったな?」
「わざわざ、魔女癒しなぞ集める冒険者がいるかよ」
そういうオーレリウスに対し、笑顔で指を指すアルハンブラ。
オーレリウス今すぐこいつの顔面に酒をぶっかけたくなったが、もったいないのでやめることにした。
「で、そっちはずいぶん羽振りがいいな?熊と相撲でも取ったか」
「それはいいな。今度サーカスでやるときは見に来てくれよ。料金は取るけどな」
そういい、新しい酒を注文するアルハンブラ。
一つは自分に
もう一つは持ち運びできるように小さな樽に詰められている。
なみなみ注がれた酒を煽りつつ、オーレリウスのつまみを勝手に貪る。
「『ヒュンドラの蝙蝠』を倒したんだよ。おかげでまた一つ世界が平和になったってわけだ」
ヒュンドラの蝙蝠
ドメロン山脈中腹の洞窟に生息していた中型の禍つ獣。
氷でできた体躯で洞窟内より飛び回り、周囲の村落を文字通り『氷漬け』にしていたため、第二種殲滅目標に指定されていた一体である。
ちなみに「竜騎兵」は第一種殲滅目標である。
第二種は「冒険者10人程度の総数による殲滅を推奨される」対象を意味する。
第一種は「国家並びに七大連合が総力をもって殲滅する」対象を意味している。
オーレリウスはため息をつく。
「暴れすぎじゃねぇか?」とアルハンブラへ警告も兼ねた悪態をつく。
「別に?」と返すアルハンブラに呆れを通り越していっそ敬意すら覚える。
再び酒を煽るアルハンブラが、オーレリウスに尋ねる。
「で?薬草集めの次はどうするつもりだ。ワンサイドマン」
樽のジョッキを逆さにして、最後の一滴を舌に垂らしたオーレリウスは
「薪割りの仕事でもしようかと」と告げた。
アルハンブラは納得したように腕を組み頷く。
「そうか、そろそろ冬期か…なら、一つ忠告だ」
席を立ったオーレリウスに酒の入った小さな樽を投げてよこしながらアルハンブラは告げる。
「ヒュンドラの蝙蝠には配下のイノシシがいた。あれを討伐した後、どうもそいつがイキり始めている」
椅子を後ろに傾け、テーブルへ乱暴に脚を乗せながらアルハンブラは続けた。
「ここから北に言った先、フヒル村ってのがある。ヒュンドラの蝙蝠の被害を受けた後農作物の被害が出始めているって噂だ。薪割りついでにイノシシでも狩って、大喰らいの相棒の食事にあてがってやるといいさ」
そういいながら後ろ手で手を振るアルハンブラ。
「酒、御馳走になるよ…あと、暴れすぎて化けの皮剥がされんなよ。『中尉』?」
「もう肉ごと剝がされてるっての」そういって自分の左頬を指さすアルハンブラ。
そして
「俺の首が串刺しにされてたら頭から酒をかけてくれや。武運長久を、『特務上等狙撃兵』」
そういうことがあった。