I
私には嫌いなものが三つある。
朝と酒と男である。
特にこの三つが重なったときは最悪である。
平日の朝、斜光が差す六畳の居間に照らされた裸の男と、飲み残されて常時陰鬱な臭味を提供してくれる大量の酒瓶。視界の隅には陽光を浴びて虹色の輝きを放つ吐瀉物。
私は眼前に広がる現実とは俄に信じ難いこの光景を見る度に生まれてきたことを後悔する。
そしてその度に両手を合わせて涙を流し、この腐敗しきった人生に救いをと神に祈るのだ。
そうした積年の苦悩を詰め込んだ祈りと称した呻き声は、神に届く前に目の前の裸人のいびきによって掻き消され、行き場を失い部屋に充満する臭気の一部となって消える。
私はどうにも頭が重たい感じがして、下劣な同居人に唾を吐いてまた眠りについた。
彼は同じ大学の同学年であり、我が家に住み着く悪霊、そして私から大学生活の青春の色彩を奪った紛う事なき張本人である。私の記憶が正しければ、彼の名前は傘見龍彦で商学部商学科2年、サークルは「青少年エターナル卓球部」というふざけた名前のテニスサークルで2年生にしてサークル長を務めている。
何故テニス未経験者の傘見がサークル長なのかと言うと単に彼が創設者であるからにすぎない。そんな馬鹿げたサークルの設立に名義を使われ、組織の片棒を担がされ、傘見が参加しないがために実質的なサークル長はこの私である。
何もかもは全て去年の今頃である、傘見龍彦に出会ったことで私の薔薇色になる筈の人生が轟音をたてて崩れ始めたのだ。
———傘見龍彦。全ての元凶である彼に出会ったのは、大学に入学して一月が経過した五月のことである。私はあの日のことをはっきりと覚えている。
何でもない日であった。満点の曇り空で風が強く、眼前を歩く女子高生の臀部に全ての集中を捧げていたあの日。
去年までは只のクラスメートに過ぎず、女子高生という名称に見向きもしていなかった私は今になってその崇高さに気づいたわけである。焼き尽くすほどに視点を集中させていても靡いた中の姿を拝むことは残念ながらできなかったしこの話は全くと言っていいほど関係がない。
とにかく、いつも通りの朝であった。もしかすれば、この悪魔の来たる日を知らせる天啓なるものが、春の終焉を告げる表象が今日までにあったのかもしれない。
ただ、この時の私はまだ純粋無垢な少年であったのだから無理もない。この日の邂逅を避ける手立ては無かったように思える。
五月になって入学から一月が経てど私にはまだ友達がいなかった。友達の定義は人によって違うだろうが、私にとって講義を隣で受ける為だけに待ち合わせをし、講義が終われば颯爽と身を翻し夜の街に消えていく連中を友達とは呼べない。少なくとも私は。
私が思い描く友達像というものは、もっと情熱的で互いの為に涙を流すことができ、意見が食い違えば拳を交え、決着の末に腕を組んで仲直りのビールを呷るのが、それが友情であり友達なのだ。
知り合いは増える一方で、精神的に孤立を深める私はサークルにも入る機会を失い、華色のキャンパスライフとは程遠い孤独という深淵に片足の膝窩の辺りまで浸かっていた。しかし、まだ五月である。焦ることはない。何事もまだ間に合うではないか。私はその時、確かに精神的な不安を抱えながらも春の余薫に胸一杯の期待を抱いて大地を踏み締めていたのだ。
そこに現れたのが、かの邪智暴虐な傘見龍彦であった。