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『なぞのアートを描き、散ったアホ、このへんで眠る』。
ホイールマンのアジトに入ってすぐ脇のスペース、木片と有刺鉄線で作られた粗末な十字架には、そんな言葉が赤くスプレーされていた。もしもこれが墓標なら、隣に置かれたエタノール瓶は供え物だろうか。
ホイールマンのメンバーに案内を受けているハヤミは、その前を通り過ぎるとき、十字架を親指で差しながら尋ねる。
「……もしかしてシギタ? レストインピース的なやつ?」
「ああ。お前の土産食って死んだよ。享年は酒のんで吐けるぐらい」
「え、ご愁傷さま。ソイツのバイクくれない? 揉め事起こす前に帰るから」
「出来るなら俺もそうしたい。でも、ボスがお前に会いたいってさ」
「ユズリが? なんで?」
「さぁな。自分で聞いてくれ」
案内人は答えず肩をすくめる。真意が読めないハヤミはヘルメットの男を見つめるが、ヘルメットの仕様から表情が伺えない。バイザーには自分のしかめっ面が鈍く反射するばかりだ。数週間前に手榴弾を打ち込んだ2階建てビルは健在で、いまそこの入口で『どうぞ』と促されているが、果たして入ったものか。
「なんだ? トイレか? 女子用はないぞ」
ハヤミは目を屋内に向ける。
「いいや。『なぞのアート』っていうのはコレかと思って。結構イケてるよ」
入ってすぐに見える二階への階段と、その壁面には赤黒い染みが擦ってある。大きさは数平方メートル程。心理テストに出てくる抽象的なイラストを思わせる。羽根を開いた蝶に見えないこともない。もしくはパックリと笑う頭蓋骨か。
見渡せば他にも爪痕が見られる。
手すりは躍動感のある拉げ方をし、窓の一部はガラスの代わりにブルーシートが貼られたり、木板が打ち付けられたりしていた。
「ねぇ、あんたはこれ何に見える? 蝶? 髑髏? それともタダの汚れ?」
「そうだな、俺にとっては掃除役の新入りをイビるオモチャだよ」
男は笑った。なるほど、見立ては良かったとハヤミは思った。心理テストの材料としてこのイラストはある程度機能するかもしれない。ヨシノならきっと『見たいものしか見えないよ』と闇煙草を咥えようとするだろう。ハヤミは階段を登りながら、シギタ渾身の一作を鑑賞していった。
階段をあがるとまずは異臭に顔をしかめることになる。
汚物とは別方面の刺激臭だ。アルコール、薬物、火薬、苦味、甘味、陶酔感。以前は激情で気付かなかったが、シラフで来るとここまでキツい場所なのかとハヤミは頭を振った。
マイタニ近辺で最も関わるべきでない連中は、野盗ではなくホイールマンだとキャンプに暮らす者は言う。彼らを暴走族と見誤って乗り込んだ賞金稼ぎは、漏れなく頭と胸に銃弾を撃ち込まれ、裏山に裸となって転がっている。そもそも一帯のバイクを独占している時点で組織力は推して知るべし、というのが正しい認識だ。ではそこへバイクを求めて踏み込むハヤミの判断はどうなのか。一般的には自殺行為と見るべきだ。そして実際、彼女はここで一度殺されている。
視界に歪みを感じるほどの錯覚を覚えながら廊下を進み、ハヤミはやがて目的の部屋に達した。
今回の趣旨を履き違えられないよう三度のノックをしてから扉を開ける。
相変わらず、ユズリはソファに仰け反って痙攣していた。
周囲に崩れたメンバーも銘々に最低なことをしている。ビーカーから白煙の上る液体に口をつけていたり、チューブで腕を縛って注射器を手にしていたり、紙に広げた粉末をストローで吸っているヤツもいる。ハヤミは脳内で銃弾を撃ち込む妄想をしながら、しばらく沈黙を守る。
「あ~あ~……っくそ。……ハヤミだな? ハヤミだな?」
「次にアタシの名前で喘いだら、それがそのまま断末魔だよ腐れジャンキー」
「……よし。まずは好きなところに座ってくれ」
ハヤミは一番目障りに感じた男の首根っこを捕まえ、床に転がして席を空け、足を組んで座る。男は這いつくばっても巻煙草を吹かしていた。
ユズリはゆっくりと座り直すと、赤みの差している左腕を呻きつつ擦った。見ればブサイクなマスチフのタトゥが完成したらしく、その上に覆いかぶさる二頭目を追加しているようだ。哀しいまでにセンスがない。
「今日はアキの鉄砲弾じゃなく、依頼を受ける賞金稼ぎとして来てくれたそうじゃないか。歓迎するぜ。この間にカイタ病院から掻っ払った度数の高いヤツがある。やっていくか?」
「アタシは下戸だから遠慮しとく。構わず飲みな。好きなだけヤッて、脳の血管キリまくってくれ。ハイかイエスが言える程度の知性を残しておいてくれたらそれで良いよ」
ユズリは酩酊者特有の間延びした笑い声を上げて膝を叩いた。ハヤミはツラれて笑いそうになるが、本題を切り出す。
「依頼の話に入るよ。バイクが欲しいんだ。貴重なのは分かってるし、あんたらがそいつを可愛がってるのも分かってる。だから相応のきつい仕事を受けてやる。どう?」
ユズリは笑っていた口をすぼめる。
「ああ、そいつはダメだ」
苦虫を噛んだように顔を顰めて、グラスにジンを注ぐ。
「俺たちホイールマンの仕事にはキツイのしかない。理由はわかるか? 単純に済むことなら、単純に済ますからだ。盗んで済む話なら盗むし、殺して片付くなら殺す。最短経路だ。最短経路。迷路に入ったら出口まで壁を吹っ飛ばす。そういうことで、あー、もう一度初めからやりなおそう。要件は?」
ハヤミはテーブルに蹴りを一つ入れる。
「黙ってバイクを寄越せよ。殺すぞクソ野郎」
「いいだろう」
ユズリは頷いてから、テーブルの上に写真を滑らせてきた。洒落の通じる奴は嫌いじゃないが、面倒くさいのでいまいち。それがユズリに下しているハヤミの評価だった。
写真を取り上げて、映っている人物を見る。顔よりも出で立ちが特徴的だった。カラフルな色のテーピングが巻かれたSVD。このライフルには死ぬほど痛い思いをしている。
「こいつに見覚えは?」
「あるよ。三発撃たれて、一発撃ち返した」
写真をテーブルに置く。
「ああ、うちの優秀な見張りだった。ゴトーだ。お前の頭をブチ抜いて以来すっかり怯えちまってな、自慢の腕はガタ落ち。照準がぶれぶれだ。物資調達に格下げしたが、まぁ慣れないことはさせるもんじゃない。初日にヘマして野盗に捕まっちまった。ここのアジトの場所とか取引先の情報とか、他にも俺の性癖とか洗いざらい吐いちまう前に連れて帰ってほしい。できるなら生きてな。難しいなら……そうだな。その場で楽にしてやってくれ。バイクなら、まぁそいつのやる」
「野盗の連中はどうする?」
「殺してもいいが、面倒くさいなら別に痛めつけなくていい。そっちは難しくない。……だろ?」
ユズリの言わんとすることは分かっている。落とし前は自分達でつける腹積もりなのだ。このご時世にいちいち怨恨で動く人種は珍しく、ハヤミはそういうのが嫌いではなかった。
「その心意気や良しってね。請け負うよ。それで、ゴトーの場所は?」
「タカツカサ方面だが、詳しい場所を知ってるやつを一人つける」
ユズリは、静かに酒を飲みながら座っているメンバーに鍵を投げる。
「おい、フジマ。そういうことだ。お前が行け。ああ、ゴトーの悪趣味なライフルを忘れるな。間抜けで腑抜けだがお膳立てしてやれば銃は使える。それから、この女が妙な真似をしたら迷わず殺せ。心配するな。足に一発、額に一発、胸に一発撃っても死なない」
フジマと呼ばれた男は一息にグラスを開けると腰を上げる。
「了解。四発目の場所を考えておきますよ」