005 モンスターペアレント
シトの意識が覚醒する。
眼前にあるのは薄灰色の髪の毛。既視感のある状況だが、首元からは痛みではなく、くすぐったい感触を感じる。
シノは口内から分泌する体液を舌でシトの傷口へと塗り込み、凝固した体液が傷口を塞いでいた。それは数回舐めれば済むことなのだが、シトの意識が覚醒するまで止まることはなかった。
「シノ、くふっ。くすぐったい」
「……ふゅっ」
シトの声を聞いてびくっと反応して我を取り戻したシノが口を離す。
シノとお揃いの衣服、唯一異なる点はインナーがノースリーブであること。それはシノが無意識に巻き付けていた触手の粘液や、首から垂れた唾液、その他もろもろでぐちょぐちょになっていた。
「あ、あ、あれはじゃな、」
「めっちゃお腹空いてたんでしょ?」
「へ?」
震える声のシノは、シトが言った言葉に、ぽかんとなる。
シトはあまり事態を重く見ていない。何故シトがそんなに狼狽しているのか理解できない。
「僕は大丈夫だから」
「違う、違うのじゃ」
シノの相貌から大粒の涙が溢れ出した。
シノは騒めく心境の中で、何とか言葉を捻出しようとする。
「シトは何百年生きて初めて出来た家族なんじゃ。大切なんじゃ。なのに、なのに……、未だに歯の感覚が消えぬ。ワシがまたしでかすかと思うと、恐ろしくて……」
消え入りそうな声のシノ。
「ならさ、シノが傷つかないように僕がシノを守る。そしたらシノがお腹空くこともないでしょ?」
「じゃが……」
シトの言は理にかなっている。しかし、それは結局のところシトが傷つくのであり、本末転倒だ。
だがその気迫には他を顧みない凄みがある。
「だからさ、俺は強くなりたい。外に出たい」
「……っ!」
シトにとって”僕”とはシノの子供であり、”俺”とは前世だ。そして、”外”とは死である。
元々シノは、シトが望みさえすれば、外に出ることを拒まないつもりだった。だが”外”に対しての恐怖を抱え続けるシトは、高い好奇心を持つにも拘わらず、外に出ることをしなかった。
だがシトは吠えた。シノの保護下にある自分を拒み、自らを何度も打ち負かしてきた”外”へと身を投じる覚悟を決めた。
そんなシトの目を見て、シノは己が愚鈍を理解した。シトを思うあまりに、親では何かへと成り下がっていた。そんな愚かな自分自身を叱責する。
「あぁ、そうかぇそうかぇ」
シノはいつものように、いつも以上に柔らかな笑顔を浮かべる。相も変わらず止まらない涙の意味はいつのまにか変わっていた。
そしてシノの細い両の腕が伸び、シトの頬を包み込む。
「シトや、うんと強い男になれ。ワシを超えるぐらいのじゃ」
その日、シトは”外”へと歩を踏み出した。
赤金の鱗で飾られた世界はキラキラと輝いていて、シトの到来を祝福しているようだった。