表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

初めてはアイスの味と共に

作者: どくだみ

「君とこの道を歩くのも、今日で最後になるのか」


 コンビニで買った120円のバニラアイスを舐めながら、彼女が唐突にそう呟く。

 8月31日。高校2年の夏休み、その最終日。図書委員の仕事を終えた僕たちは、残暑極まる夕暮れの下を、二人して帰路についていた。


「……これから、だよね。青森だっけ」

「ああ、津軽さ。本州の端から端へお引っ越し。陸なら車で1500キロ、空なら3時間50分だ。私が言うのも何だけど、なかなかの距離だよな? 韓国の方がよっぽど近い」


 いつもより覇気の無い声で僕が訊けば、彼女はそんな風に、冗談交じりの声で返してくる。

 こういうところだ。彼女のこういうサバサバしたところが、僕は前々から好きだった。


「準備はもう、済ませてあるの?」

「ああ。あとは私が家に帰れば、そのまま出発だ。親はお盆前の引っ越しを予定してたんだけどな、私がワガママを言って、限界まで遅らせた」

「それって……」


 どうして、とは聞けなかった。聞いていいのか分からなかったし、別れを前にして聞く勇気も無かった。聞けるような男なら、とっくに関係は進展している。


「“寂しくなるな”」

「えっ」

「……とでも思ってるんだろ? 顔に出てる」


 分かりやすいやつだな。そう言って彼女は目を細めた。


「……悪い?」


 一瞬でも期待した自分が馬鹿らしくて、素っ気なく返す。彼女が再び前を向く気配があった。


「私も同じ気分だぞ」


 そうしている内に、いつものバス停に着いた。彼女は普段、ここで乗る。僕はこの先の駅まで歩く。またね、また明日、また明後日。そんな感じで手を振り合って、さよならを告げるのが僕たちの習慣だった。どうせすぐに会えるから、名残惜しさなんてこれまでは気にならなかった。

 どちらからともなく足を止める。向かい合い、意味ありげに俯く2人分の影が、夕焼けに照らされたアスファルトの上に長く長く伸びていた。

 拳を固く握りしめる。しばらく、沈黙。気付けばいつもより顔が熱い。

 迷い、躊躇い、悩み空かした末に僕が言葉を発そうとしたとき、彼女が一足先に「なあ」と口を開いた。


「私たちが知り合った時のこと、覚えてるか」


 ハッとなって僕が顔を上げれば、彼女は一口、アイスにかぶりついてから、口元を可憐に綻ばせてみせる。

 清流のような黒髪が、熱を帯びた風に乗って胸の膨らみの上に流れた。


「君と一緒に係をするのは、楽しかった」


 図書室での記憶が脳内に蘇る。2人でカウンターの裏側に座って、たまーにしか来ない利用客相手に貸出しの手続きをするけど、大抵はすることもなくお喋りに興じていた、そんな放課後。好きな本のことで盛り上がったり、テストを見せ合って悔しがったり、先生の悪口で笑い合ったりして過ごしたあの無意味な時間が、堪らなく好きだった。


「……うん。僕も」


 乾いた口で返事を絞り出す。そこで彼女は、不意に何かを思い出した顔になって、鞄の中から1冊の文庫本を取り出した。


「それは……」

「随分前に借りて、そのままだっただろ。途中までしか読めてないけど、返す」

「そんな。別にいいんだよ、読み終わるまで持っててくれても」


 そうすれば、いつか会う切っ掛けになるから。最低でも、繋がりを絶やさない理由には。打算的な想いに基づいて、けれど決して表には出さず、差し出された本を押し返す。すると彼女はまた微笑んで言った。


「じゃあ、もう少し借りておこうかな」


 遠くからバスの音が近付いてくる。残された貴重な十数秒を、僕たちは無意味に見つめ合って過ごした。

 彼女がアイスのコーンを頬張る。サクリ、という心地良い音。最後の一口が彼女の喉を下り終えたとき、丁度、バスが到着した。

 熱くなる目頭には無視をして、僕は小さく、彼女に向かって手を振る。


「……じゃあね。さよなら」


 すると彼女は、予想に反して唇を尖らせた。


「違う」

「へ? 何が」

「そうじゃないだろう、いつもの私たちは」


 腕を組む彼女の真意は、僕にだって痛いほど分かっている。だけど……いいのか。本当に、それを口にしていいのか。薔薇色の約束、けれど下手すれば呪いにもなり得る、その言葉を――。


「バスが出る。早く」


 ウジウジしてたら急かされて、かくして僕も覚悟を決める。

 ええい、ままよ。


「……ま、また会おう! 明日は無理でも、冬休みとか!」

「…………うん」


 囁きはポツリと、雫を落とすように。


「その言葉が、欲しかった」


 頷く彼女の頬が赤く染まって見えたのは、きっと夕日のせいだけじゃないのだろう。

 ステップ、1つ。彼女がこちらに踏み込んでくる。互いの顔が目と鼻の先まで近付いた、その数秒後。

 ふわりと、一瞬、唇に柔らかい感触があった。


「……!?」


 いつになく狼狽する僕とは反対に、彼女は何事も無かったかのような表情をしていた。


「落ち着いたら、連絡するよ。多分、手紙を送ることになるかな」


 それだけ告げて、颯爽とバスに乗り込んでしまった。

 ポカンとなった僕を残し、バスが走り去っていく。身体の火照りが完全に消えるまで、僕はその場から一歩も動けぬまま、さっきの余韻に浸っていた。


 蜂蜜。

 レモン。

 あるいはイチゴ。

 大抵はその辺で喩えられるのだろうが、彼女のそれは、文字通り一味違っていて。

 食べたばかりだったから、きっと口の中に残っていたんだと思う。

 記念すべき僕のファーストキスは、溶けかけたアイスの味がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] なにこれステキ! [一言] 青春ですな!青春! 良くないけれど、良かったね〜!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ