94 学ぶ
季節はしっかりと夏になり、お城の中は快適だけれど外は物凄く暑い。
じりじりと肌を焼く、強い日差しが降り注ぐ魔国の夏は、湿気がなくサラッとした暑さな事がまだ救い。
そう言えば雨も少なかったし台風も来なかったので、魔国に梅雨の時期はないのかも知れない。
春から滑るように夏になった感じだ。
そんな夏。
夏の日差しが強い陰影を落すお城の庭で、私は今日も日課の洗濯をしている。
最近は溜まっていた洗濯物も全て消化して、今は皆が数日に一度提出する洗濯物を片付けるだけ。
それは袋のまま返すので問題ないけれど、シーツやタオル、布団の類はきっちり干す。
こんなに暑いと[洗濯]魔法先生はしっかり仕上げてくれるので、干すのやめようかな、と思ってしまうけれど、シーツや布団の類はやはり干したい。
干すとやはり温かな匂いがして心地がいいのだ。
夏は干す時間も少しでいいし、やはり頑張ろうと空を見上げると、高く濃い青がやる気をくれる。
遠くに見える入道雲のような大きいモフモフの雲は、切り取れそう、と思うのはこちらの世界の感覚だろうか。
今度魔王様に聞いてみよう。
そんな事を考えている間には洗濯も終わり、シーツを干し終わって使っていたタライを片付けようとしていると、はためくシーツの向こうからロイ君がやって来た。
庭のポンプ小屋にある屋根の影を利用して、強い日差しを避けている私の元までやって来て、ロイ君はこちらを涼しそうな視線で見上げて来る。
「ユリエ様、お仕事中に失礼します。少々ご相談があるのですが、お時間宜しいでしょうか」
「後はもう少ししたらシーツ取り込むだけだから、大丈夫だよ?どうしたの?」
「ユリエ様、お給金が溜まっております。どうなされるのかそろそろお決め下さい」
「お給金……」
わ、忘れておりました。
この職場は福利厚生が快適過ぎて、お金を使う事なんてなかったから、すっかり失念しておりました……。
お金の心配がない生活なんて本当に凄い事だな、と改めて有難い気持ちになっていると、ロイ君が溜息を吐いて私に紙を差し出した。
そこには私が働き始めてからの金額が記されており、何かとりあえず数が多い事だけが分かる。
そして今更ながら、通貨の価値が分からない。
そんな自分に物凄く驚いた。
必要なかったとは言え、お金の価値が分からないのって致命的。それだけははっきり分かる。
これはヤバイ。
「僕たちも使う事がなく溜まる一方なので、ユリエ様のお気持ちは分かりますが、溜めておくのか、お手元に置かれるのかだけでも決めて頂かないと、書類上困ります」
「す、すいません…」
お給金に関しては、服とかご飯とか、私が消費している物に当てて欲しいお願いしたら、それはお城で勤める条件の中に入っているから必要ないのだと首を振られる。
「申し訳ありません…ユリエ様は近い内に王妃になるのだと、軍部での登用制度の内容をお伝えする事を失念しておりました…僕の失態です」
「あ、いえ、私も好き勝手やってたので…」
「ユリエ様は好き勝手して頂いた方が僕等としても助かります。益が多いので」
そうにっこり笑ったロイ君が、現在私の雇用形態である特殊専門員について教えてくれる。
現在、魔王様を除くお城に居る全員は王城特殊専門員。
月の給料はミスリル貨5枚。働きが国の利益に直接繋がった場合は、追加で報奨が加算される。
福利厚生は、食事の支給、装備品の支給、装備メンテナンスの無料化、与えられた部屋の無料使用、転移門の無料使用に入領税の無料化等、まだ分からない内容も沢山あったけれど、とりあえず福利厚生が凄い事になっている。
「好待遇だね」
「城に勤めるのならばこれくらいは当たり前です。それだけの能力がないと入れませんから」
「なるほど」
「ユリエ様の場合は能力に対する利益を計りかねます。国の利益だと言うならば、魔王様を引っ張り出した時点でこれ以上ない利益になっているので、どれだけ給金に反映させればいいのか換算出来ておりません」
「うーん…それはお金に換算にして欲しくないな」
私がそう苦笑すると、ロイ君がふっと嬉しそうに笑って「王妃の命とあらばそのように」と恭しく頭を下げた。
ぉぉ…何か、んん…、反応に窮する…。
私がオロオロしていると、頭を上げたロイ君が困った顔で軽く笑う。
「慣れて頂かないと、この先支障がありそうですね」
「すいません…」
「魔国に必要以上の礼法はありませんが、今後を思えば王妃としての慣れは必要でしょう。ユリエ様はそのままでも王妃として問題ありませんので、謝る必要はありませんが」
「……では、そのように?」
そう返すとロイ君が楽しそうに笑う。
しかし、うーん…王妃か。分かってはいるのだけど、自分には平民の意識しかないので、この道のりは長そうだ…。
とりあえず、お金に関しては貯めておいて貰う事にして、シーツを取り込むのを手伝ってくれると言ったロイ君と、ポンプ横の低い塀に座ってしばしお話。
「そう、あの、お金の事教えて貰えないかな。通貨の価値とか」
さっき知らないとヤバそうだな、と思った件について私が尋ねると、ロイ君は少し眉を寄せたけれど、確かに知る機会はなかったですね、と収納袋から数枚のコインを取り出した。
「この世界で使われる金銭は硬貨で6種類ありますが、その価値は制作する国によって変わります。使う機会はないかも知れませんが、知らないのは怖いので、知っておいて下さい」
はい、と真面目に頷くと、ロイ君が硬貨を見せながら詳しい説明をくれる。
硬貨の種類は6種類。けれどそれは素材の種類で、模様の種類が3種類あるので、全部で18種類と言う事になる。
そしてそれは、この世界の大きく分けた国の数だ。
魔国の印である、魔法を現す煌めく星のマークが入っているのが魔国の硬貨。精霊国のものは世界樹を模したマークで、人族の国は人の横顔。
魔国でお金を作る時は特殊な魔道具で製作されるので、その魔法式が入っているかは魔力を通せば分かるらしく、偽造なんかは出来ないらしい。
そして硬貨の種類と価値は、この前ロイ君のお手伝いで見た書類から考えれば
10円が銅貨
100円が鉄貨
1000円が銀貨
10000円が金貨
10万円が白金貨
100万円がミスリル貨くらいの計算だ。
その上に、1000万円の水晶貨もあるのだけれど、水晶貨は水晶で作られた透き通るお金で、一般で使われる事はほぼなく、国家間のやり取りで使われる事が基本なんだそうだ。
あれかな、透明なお金ですよって事だろうか…。
一般的に使われるのは大抵が金貨まで。お店や商会なんかの大きな取引になると、白金貨やミスリル貨が使われる事もあるけれど、それでも金貨でのやりとりが一番多い。
そしてここで、さらっと私の月給が500万だと判明した。
逆にどうしたらいいのか分からない。
それは年収ではないのか……。
因みに、硬貨の価値が国によって違うのは、作る国が使う素材の純度らしい。
魔国の硬貨価値が一番高く、次が精霊国、最後に人族の国。
けれど、水晶貨だけは一律なのだそうだ。
国交のある精霊国とのやり取りは、ほぼ物々交換のような状態なので余りお金自体を使う事はないらしいのだけど、それでも精霊国から入って来た人族の硬貨は、人族の国に潜入している軍の人が消費しているのだとか。
人族の国では魔国のお金はアンティークとして扱われるので価値が高く、それ以上に向こうからすると敵対国のお金は悪目立ちする。なので、精霊国から入って来た人族の国のお金も、それなりに役に立っているらしい。
とりあえず、国単位の硬貨の価値に関しては、日本から海外に行くときに両替すると、お金の価値が変わるって事だと理解する。
「魔国は鉱石が潤沢なので、混ぜ物をする必要がないんですよ」
「確かに沢山あるもんね。魔国だけだと価格崩壊しそう」
「してますよ? 魔国ではお金より食べ物に価値がありますから。確か人族の国ではパン一つが鉄貨1枚(100円)、精霊国では銅貨3枚(30円)ですが、魔国では銀貨1枚(1000円)です。鉱石に余り価値がありません。まぁ必要なので採りますが」
「…………。作物、育つといいね…」
「この前魔眼で見ましたが、ちゃんと育ってますよ」
そうロイ君が笑って、私は息を吐きながら空を見上げた。
広い。きっと世界はもっと広いんだろうけど、私の知ってる世界はまだまだ狭い。
せめて魔国の街くらいには行ってみたいけど、魔王様は街に行こうとはしない。と言うか、人の多い所に行こうとはしないのだ。
確かに私との距離はとても近付いたけれど、お城の皆でもまだ50センチが限界だし、ご飯も何かきっかけがない限りは相変わらず部屋で食べていたりする。
心の距離もあるんだろうけど、何より人の多い所には危なくて行けないんだろうな……。
…魔王様が治ったら、街デートに誘ってみよう。そう決意している私の頬に汗が流れ、そう言えば暑かったのだと思いだす。
「ユリエ様、暑いですか?」
「まぁ、夏だしね」
確かに日陰には居るけれど、基本が暑い。空気が暑い。
日本のように蝉の鳴く声はないけれど、地面を焼くじりじりとした熱はしっかりあるし、緑が少ないからか吹く風も地味に熱風。
そろそろ夏服が欲しい…。
そんな私を見たロイ君が座っていた塀から降りて、置いてあったタライに水を張って私の足元に置いた。
そんな様子を見守っていると、ロイ君の目が少し光り、目の前に現れた沢山の氷が、タライに張られた水の中へ所狭しと落ちる。
「足を入れるといいですよ、多少は涼しくなるかと思いますので」
「何と贅沢な」
「これくらいは贅沢とは言いません。本来なら冷気を張って差し上げたい所ですが、僕にはまだ細かな魔力制御が無理なので」
そう言いながら、ロイ君が勧めてくれたお言葉に甘え、ブーツを脱いで氷の浮いた水の中に素足を入れると、ひんやり引き締まる感じがとても心地いい。
そしてどうせなら、湯船みたいに綺麗になる魔法を入れてみたいが、足から魔法って使えないのかな…。
そう思って試してみると、以外と普通に使えた。
新たな発見だ。
「魔法って足からも使えるんだね」
「……確かに魔法は全身どこからでも使えますが、ユリエ様も魔王様に負けじと大概不精ですね」
「まぁまぁ、ロイ君も足を入れるといいよ。気持ちいいし、綺麗になるよ」
私がそう笑うと、ロイ君は少しだけ悩んだけれど、裸足になってタライの水に足を沈める。
「ユリエ様はかなり魔法に慣れたご様子ですね」
「毎日使ってると流石に慣れるね。魔法が当たり前の生活になるのがちょっとだけ怖いけど」
「怖い? 何故?」
「私が元居た世界に魔法はなかったし、何か慣れた後にもし使えなくなったらって思うと、漠然と怖いなって思っちゃうんだよね」
そんな事を話しながら、タライの中の氷を足先に乗せて遊んでいると、じわじわ溶けて行く氷は水にならずに消えて行くのがとても不思議。
やはり魔法から作られる氷は、ファンタジー氷なのだ。
「ユリエ様は魔法のない国で生きて来られたのでしたね…その国では、魔法がない中で、どうお過ごしになられていたのですか?」
「んー、ないのが当たり前だったから、不自由はあっても不便は感じなかったよ?魔法の代わりに科学が発展してたし」
「カガク?」
「えっと、自然を学んで、極める学問、みたいな?」
ロイ君が興味深く科学について聞いて来るので、余り詳しくはないのだけれど頑張って説明すると、どうやらロイ君は氷の作り方や冷やす事について興味があるご様子。
「そのカガクで言う所の、冷やせる限界はどこにあるんでしょうか。それはどうやって起こすのですか?」
「私も余り詳しくないんだけど…確か『絶対零度』が限界だったと思うよ?方法は…ええっと…分子とか原子とか、何か、そんなのが、何だっけ……動かないんだっけ?」
「ブンシとゲンシとは何でしょうか」
「…も、物の形を形成してる物質を、物凄く小さくした単位?…かな」
「それが空気中にあると?」
「氷は水分の温度を下げて…ええっと科学でいう所の、分子とか原子の活動を抑制して作るらしくて、その氷を作る為の水は空気の中にもあるんだよ」
「なるほど。では空気中の水の構造を最小単位に冷やして止めれば『絶対零度』になるのですか?」
「た、多分…?………す…すいません、そこまでは分かりません」
もっと勉強してればよかったけれど、これが私の限界です。
そう謝った私に、参考になりました。とロイ君が頷いて目の前に手をかざすと、そこに細く高い音が集まりながら響いたと思ったら、音と共に集まった冷気が3階に届くのではと思う程の大きな氷の柱を作り出し、しっかりと形を成した後、重力に伴って地面に落ちて刺さった。
そんな振動と共に、刺さった風圧に氷から出る冷気が乗って辺りは一気に涼しくなる。
「確かに、とても作りやすくなりました。しかしその『絶対零度』には及びませんね。時間も掛かり過ぎです。やはりもっと研鑽が必要ですね」
「いや、十分凄いと思うけど…」
「僕は氷の魔法が得意ですが、魔力回路が治って日も浅く、まだまだ不慣れなので、もっと腕を磨かなければなりません。でも、少し伸び悩んでおりましたが、お話を聞いて少し上達できました。ユリエ様のおかげです」
そう言ってロイ君は嬉しそうに目を細めて笑ったけれど、笑っている場合ではないのではないだろうか…。
「でも、ロイ君…この氷、どうするの?」
「あ…」
3階まで届く程の大きな氷。その氷は溶けても消えずに水になって辺りを濡らしている。科学をとり込んだ魔法としては成功だけど、現実的には結構アウト。
これが溶けたら辺りは水浸しだ。
いつもはしっかりしているロイ君の、そんな新たな一面に少し笑って、シーツを取り込む手伝いに来てくれたレイ君が氷を蒸発させてくれて事なきは得たけれど、それでまた辺りは一気に暑くなった。
夏服が欲しい……。




