77 ありがとう
「ユリエ様!」
そう一番にこちらに気付いて声を上げたのはレイ君だ。
その声にソファーに座って項垂れていた皆が顔を上げた。
もの凄く疲れているのか、皆顔色が酷い。
私がそんな皆を確認した視界の中で、こちらに駆けて来ようとしたレイ君の隣から、小さな影が素早く動いた。
その影は、私と魔王様の目の前で崩れるように伏して、その額を床に擦りつけている。
「………ロイ、顔を上げよ」
「どのような罰もお受け致します」
苦笑を浮かべる魔王様が目の前で小さくうずくまるロイ君に声を掛けるけれど、ロイ君は顔を上げない。
その体には至る所に包帯が巻かれていて、私が心配に一歩足を踏み出すと、それを察したかのようにロイ君の声が私を止める。
「ロイ君…怪我を…」
「ユリエ様、ご心配下さってはいけません。これは当然の報いです。ユリエ様にこそ、僕は罵倒を頂くべきなのですから」
「そんな必要は…」
「あるのです。ユリエ様に無理を強いる。それを分かっていて僕は行動に移した」
頑なに顔を上げようとはせず、むしろ額を更に床に押し付けるロイ君が言葉を続ける。
「僕はこの城の全てを危険に曝しました。魔王様を暴走させる事も、城の迷宮防壁が作動する事も、ユリエ様や城の者がそれに取り込まれる事も、分かっていて仕掛けたのです…。それは反逆に等しい。僕は罰せられるべきです」
「……」
そんなロイ君に私が困って魔王様を振り向くと、魔王様も困ったように息を吐いて、とても落ち着いた眼差しでロイ君を見る。
そして、床にうずくまるロイ君の前まで足を進め、その膝を床に突いた。
その魔王様とロイ君との距離は20センチ。
思わず、と言ったように少し浮いた額の隙間から、ロイ君の瞳がその余りにも近い距離を捉えている。
「確かに、城の者やユリエを危険に曝した事は許されない」
「…はい」
「だが、ロイは昨晩気付いていたのだろう?私の魔力が不安定になっていた事を」
「……畏れながら」
「ならば、私はお前に救われた事になるな」
「そんなっ…」
否定するように、罰を求めるように上げられたロイ君の前には、ロイ君に目線を合わせて膝を突いている魔王様が優しく笑っている。
「私の為に、ありがとう。ロイ」
「ッ……うっ」
そんな魔王様を正面に捉えたロイ君の瞳が溢れそうな涙に潤んで光り、そのまま顔を歪めて大きな涙がボロボロと零れた。
「しかしっ、そんな簡単に、お許しに、なられてはっ、しっ…示しがつきませんっ!ユリエ様にだってっ危険があったのですよっ!」
それでもまだ罰を諦めないロイ君が、ボロボロと泣きながら魔王様に苦言を申し立てている。
ぶれないブレインはとても頑な。
そんなロイ君に困った魔王様が助けを求めるように私を振りむいて、私は少しの苦笑で頷いてから、俯いて涙を堪えるロイ君の前に膝を突く。
その傷だらけで小さく震える体が余りにも痛ましくて、その体をそっと抱きしめると一瞬驚いたように固くなったけれど、遠慮がちに肩に預けられた頭をゆっくり撫でた。
「ロイ君、私もお礼を言いたいんだけど」
「いけません…罰が、必要な者に、お礼など論外です」
「うーん…分かった。じゃあ、とりあえず後で罰は受けて貰うから、今はありがとうって言わせて?」
「………なら、甘んじて、お受けいたします」
私は肩に埋もれた頭を撫でながら、隣で優しく見守っている魔王様と苦笑を交わすと、エントランスの皆の顔にも同じく苦笑が浮かんでいた。
そして朝食。
「屈辱です…っ」
「はい、ロイ、あ~ん」
「…くっ」
今、ロイ君は屈辱に埋もれている。
レイ君にご飯を食べさせて貰っているからだ。
あの後、何か罰がないと納得しないであろうロイ君に対し、レイ君を呼んだ私は今日一日ロイ君のお世話係をお願いした。
“屈辱の刑”だ。
罰はちゃんと執行されているので、ロイ君の負った怪我もポーションでしっかりと治して貰った。
どうやらロイ君のあの怪我は、近い距離で魔王様の暴走した魔力にふっ飛ばされた為らしい。
危ない事はしないように、とロイ君には約束ではなく契約書を書いて貰った。これくらいしないとロイ君にはきっと効かない。
皆が疲れ果てていたのは、昨晩急にお城の防御魔法である『迷宮防壁』に飲まれたからだそうで、本来は侵入者や魔物に対して備えている物なのだけど、『触れてはいけない』みたいな漠然とした命令だと、敵味方問わずに飲み込むらしい。
怖い。飲まれたけども。
脱出するには一定量の魔力で干渉し、誰かが出口を見付けて出ない限り、ずっと地味に魔力を奪われるらしいので、きっとあの真っ暗空間が迷宮防壁で、出口は魔王様の部屋だったんだろう。
そんな事を話しながら、今は皆と一階の食堂でご飯を食べている。
もちろん魔王様も一緒だ。
「で、ロイから経緯は聞いたけど、今回一番に脱出したのってユリエさんだよね。脱出物凄い早くて助かったわ」
「今回?」
そうマスクのまま朝食を食べている安定に謎なジギーさんの言葉に首を傾げる。
今回、と言う事は何度かあった事なんだろうか。
「今までもたまに迷宮防壁が発動する事があった。長い時だと脱出には3日掛かる」
「プリシラ様やジギー様が居ない時は、一週間くらい掛かる事がありますよね」
「僕は魔力ポーションが手放せませんでした」
懐かしい笑い話をするように、ジギーさんとプリシラさん、それに言葉を続けたレイ君とロイ君が笑いながらお話しているけれど、そんな会話に魔王様が少し眉を下げる。
「すまない……」
「「「「あっ」」」」
「魔王様は謝らなくてもいいのよぉ?ユリエちゃんが来てから発動する事がなかったからって、油断していた私達も悪いのだし」
「気にするな。俺は飲み込まれても待つだけだからな。料理の献立考えてりゃその内終わる事だ」
まだ魔王様が近くに居る事に慣れない為か、疲れて頭が回っていなかったのか、いつものように話して笑っていた4人はしまったって顔で申し訳なさそうな魔王様を見ている横で、リリーさんとヨウグさんが苦笑しながら魔王様を優しく慰めて、魔王様は少し申し訳なさそうに頷いているその光景が、何だか子供をあやす大人と、あやされる子供に見えて微笑ましい。
けれど、そんな感じがとても自然で、ほっこりするな、なんて眺めていると、ジギーさんが小声で私に声を掛けた。
「で、見た?」
「ああ、ええっと、過去ですよね?見ましたね」
私が普通の音量で返事を返すと、ジギーさんは慌てて魔王様を見る。
魔王様はそんなジギーさんに気付いて少し苦笑を浮かべたけれど、目を閉じて頷いた後、しっかりと目の前に居る皆を見て、柔らかく笑った。
「もう大丈夫だ。長らく心配を掛けた…。その、皆、離れずにいてくれて、ありがとう」
「「「「「「……っ!!?」」」」」」
少し照れながらお礼を言った魔王様の言葉に、皆は息を呑むように驚いた後、レイ君とロイ君は嬉しそうに笑って、大人組はそれぞれ上手く目元を隠した。
「や、うん、いいからさ、そう言うの、大丈夫だから」
「…不意打ちは卑怯」
「やぁ~も~泣いちゃうじゃな~い!」
「ま、魔王、立派になって……ッ」
どうにか泣き顔を隠してはいるけれど、大人組は魔王様の復活に全然耐えられなかったようで、ヨウグさんは「仕込みが」と言って厨房へ走り、リリーさんは「お手洗い!」と言って走っていった。
泣いてもいいと思うんだけど、やっぱり泣き顔を見られるのはちょっと恥ずかしい物があるもんな。
そんな朝の食堂は騒がしいけどとても明るく、笑顔が溢れる中で食べるご飯は格別に美味しかった。