35 特訓
「魔王様、動いたら駄目ですからね」
「…う、うむ…」
「服も結界もありますよね」
「……ある」
現在、魔王様と近距離に慣れる特訓中。
ここ最近、魔王様からご飯を一緒に食べようと誘って貰える事が多くなった。
一緒に食べる時は昼か夜、以前掃除した魔王様の部屋で一緒に食べるので、日頃は2メートルが限界な魔王様も、食事の時だけは1メートル30センチを許してくれる。
そして会う機会が増えると話す事も多くなる。
最初は料理について、この食材は何だろうとか、味付けの好みだとか、そんな他愛もない事を話していたのだけれど、その日の出来事やお城の皆の事を話していると、まだ上手くお城の皆と会えてない魔王様の距離感についてのお話にもなる。
そんな魔王様の開ける距離についてよく聞いてみたら、人に会う時は危なくなったら自分の周りに結界を張るようしているから、別に近付いても大丈夫らしい。
その上リリーさん達が作った魔法と魔力対策が整った装備でガチガチに固めているのだから、魔王様は完全武装状態だ。
魔王様に近付いても問題はない。
魔王様が近付かれる事に慣れないのが問題。
やはりどうしても魔王様は一定の距離から近付けない。長年の癖のようなもので、本当ならもっと距離を開けた方が落ち着くらしい。
それは困る。
遠いと私の魔法の効力は薄れるのだ。
今すぐ使える訳ではないけれど、でもいずれは魔王様に私の魔法を使いたいと思っている。
なのに、魔王様がずっと無理だと無理になる。
そう私が困った顔をしていると、私が魔法を頑張っている事を知った魔王様が、自分も頑張ると言ってくれて、本日はお昼を食べながら、現在行っている特訓についてを話し合った。
魔王様の問題は、自分からは一定以上近付けない事。
近距離だと反射のように転移しちゃう事。
とりあえず転移だけは止めて欲しい。
急に近付くとか、自分から近寄るのは無理だと言う魔王様のお願いで、考案したのが現在の方法。
魔王様は動かない。
私が一歩ずつ近付く。
「行きますよ」
「…う、うむ」
いつもの魔王様の部屋で、部屋の両端に立った私と魔王様。
部屋の奥に居る魔王様はすでに顔が赤い。
人が近付くのを意識すると、やはり何かしらを耐えねばならないのだろうか…。
そう思いながら一歩私が踏み出すと、魔王様が見事にビクリと揺れた。
「魔王様、まだ7メートル以上ありますよ……」
「こっ、こう、近付いてくると意識すると、どうしても反応してしまうのだ!」
「…転移は禁止で」
「分かっているッ」
そう注意して再び一歩を踏み出すと、近付く私を震えるように見ている魔王様の口が横に結ばれる。
ああ耐えてるなー、とは思うのだけど、いつもは2メートルの距離にいるし、ご飯を食べる時には1メートル30センチだ。
7メートルを二歩進んだだけで限界を迎えられては困る。
一歩、また一歩と近付く度に、魔王様の顔はどんどん赤くなる。
そんな赤くなってばかりで身体は大丈夫なのかちょっと心配になって、5メートルの距離で一旦足を止めた。
「魔王様、大丈夫ですか?」
「な、何が…」
「顔、真っ赤ですよ?」
「!!」
一瞬目を見開いた魔王様は、自分のマントで顔を隠した。
が、結構いつも頻繁に赤くなっているので、隠しても今更感はあるのだけれど、近付かれるストレスを耐えて顔が赤くなるってなると、脳出血とか怖くなる。
「……魔王様、頭痛いとかないですか?」
「だ、大丈夫だ…しかし、その…この方法は…少し、障りがある」
「やっぱり辛いですか?」
「そうではなく!その…ユリエが…よく見える…」
そりゃあ真正面に居ますもんね。
しかし何だ。何か見たくないと言われてる気がして少しムッとしてしまう。
「私が見えるのは嫌だ、と」
「ちっ違う!!そうではない!!」
勢いよくマントから顔を出した真っ赤な顔の魔王様が必死な感じで否定するので、単純に近付いて来る事を耐えていただけなのに、邪推してしまったと反省し、私は代案を提供する。
「じゃあ私がマントでも被りましょうか?」
「………………。 …い…いや、大丈夫だ」
一瞬被せようかと迷ったであろう魔王様が、大丈夫と言って大きく深呼吸をし、再び正面から私を見た。
顔は赤いけれど、魔王様がとても真剣な表情になったので逆にこちらが緊張してしまう。
ぐっ…ご尊顔がめっちゃくちゃ整っていらっしゃる…!
み、見てはいけない。
綺麗だな、とか、髪サラサラだな、とか、意外と肩幅あるな、とか見てはいけない。
あ、うん。これ恥ずかしい。
魔王様頑張ってるなーとか余裕かましてたけど、これはヤバい。物凄く恥ずかしい。
しかし今更止めようとも言えないので覚悟を決めて足を進める。
「え、えっと…とりあえず、進みますね」
「…う、うむ」
一歩、また一歩、魔王様が近付いて来る。いや、私が近付いているのだけども。
きっと私の顔も赤いかも知れない。そう思って到達した3メートル。
「…ユリエ、顔が…」
「ちょ、ちょっと暑いだけです!」
「そ、そうか!私も、暑いだけだ!」
何だこれ!何やってるんだろうと少し混乱するくらいには恥ずかしい!でも進まなくてはと視線を魔王様の足先にやって再び足を動かすと、ようやく1メートル30センチに到達した。
……しかし、いいのだろうか。ここを踏み越えて、大丈夫なんだろうか…。
そんな不安が頭を過ぎり、顔を上げて魔王様を見ると、魔王様は両手で顔を覆って耐える最終形態に入っていた。
うん。何か、リリーさんが近付いた時の事を思い出して、恥ずかしい意識が落ち着いた。
「…あの、魔王様。それ後少し近付いたらきっと転移するやつですよね」
「…し、しない、しないが…近いぃ……ッ」
「今ご飯食べてる時と同じ距離ですよ?」
「斜めと正面は違うっ!」
確かに。
でも、これ本当に近付く練習になっているんだろうか…。嫌だったら逆効果なのではないだろうか…。
「魔王様、これ練習になっているでしょうか…。怖かったり嫌だったりして、更に苦手意識ついたら嫌だなって思ったんですが……」
「ちっ、違うのだ!ユリエ…そ、その…っ」
真っ赤な顔を覆っていた手を勢いよく外したはいいけれど、目の前に居た私をその目に捉え、押されたように耐える顔になった魔王様が、しばらく私を見た後、口元を手で隠して視線を外す。
「い…嫌ではない。しかし…胸が苦しい……」
「え、大丈夫ですか?痛い?」
「…痛くはない。痛くはないが…潰れそうな気がする」
それは怖い。
心拍数が上がれば心臓に負担が掛かる。…やっぱり急に近付くのは体に悪いかもしれない……。
「やっぱり、地道にいきましょうか。ご飯一緒に食べるのは平気なんですもんね?」
「う、うむ。少し胸は早まるが、今ほどではない」
結局この案は廃案になって、今まで通りご飯を一緒に食べて慣らして行く事に収まった。
のだけれど、そんな話をしている間、魔王様は今になって近距離ながらもじっと私を見ている。
さっきまでヤバそうだったのに、平気なの?
「大丈夫ですか?胸、まだ苦しいですか?離れます?」
「……いや」
そう言葉を切って、少し赤みの治まった、でも少しだけ赤い顔で、魔王様は首を傾げるように正面に居る私を観察している。
「苦しいが、離れ難い。しかし、少し怖い。不思議な感覚だ」
「ちょっと慣れたんですかね」
「…触れたい」
「え?」
「が、触れられない。それが苦しいのだろうか…しかし、それとも違う気がする」
私を見ながら、自分の気持ちと向き合っている魔王様は、不思議そうに、でも真っ直ぐに私を見ている。
そんな様子の魔王様にこちらも何だか目が逸らせなくて、黙って目が合った状態を維持していると、どうしても鑑賞してしまう私がいる。
魔王様の目の色は深い蒼だけど少しだけ水色に見える部分があるんだな、睫毛長いな、彫り深いな、なんてご尊顔を観察していると、そんな魔王様の顔が少しだけ歪んだ。
「浅ましい…」
「え、あ、見過ぎてすいません」
「違う。ユリエではない。私が…多くを望んでいる事が浅ましいと思ったのだ」
大きな溜息を吐いた魔王様は視線を下げる。そして胸を掻くように握って難しい顔で俯いた。
「……これ以上、欲するのは強欲というものだ」
「…でも魔王様の強欲って、何かあんまり強欲ではなさそうですよね」
「む、何故」
視線を上げて、難しそうな顔で分からないとばかりに首を傾げた魔王様に私も首を傾げる。
「触れられないから我慢してた事とか、望んじゃいけないって思ってそう」
「それは、そうではないか?」
触れてみたいとか、触れられないならそうも思うだろう。触れられなくて出来ない事は結構ある。
治療魔法も採寸もそう、物を受け取る時も渡す時も、手が触れないように気を付けなくてはならないし、人が近くに居るだけでも肩が触れないようにとか色々気を遣わなくてはならない。
それにこの世界の人は思ったより触れて来る。
日本人の感覚にはないけれど、ハグぐらいなら挨拶程度にやってくるのだ。スキンシップ多めと言うか、基本的に距離が近い。
そんな中で200年も触れてはいけない制限をずっと感じていたら、本当なら自分だってそう在りたいって思いを強欲だと感じても仕方ないのではないだろうか。
「それ、触れられたら普通の事なんでしょう?」
「…そう、なのか?そうなの、だろうか……」
「私、頑張りますね。我慢するのしんどいかもですが、待ってて下さいね」
改めて頑張らねば、と私が笑うと魔王様も笑う。
柔らかく目を細め、ああ、と頷いた魔王様に苦しそうな様子はなくて、早くこの笑顔が当たり前の物になればいいなと思うとやる気も出る。
そしてやっぱり特訓よりも慣れが必要なんだろうと考えながらお茶を淹れてしばらくお話ししてると、やっぱり斜めは平気なんだな、と思ったので、特訓で得た成果は「正面は駄目」だ。




