5/29(FRI)‐6/7(FRI)
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5/29(FRI) 17:01
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「Mayって、あのMay? 次のイベントで紫式部やるって言ってる、May?」
「は、はい。そのMayさんですけど……?」
何か問題でもあるんだろうか。
はっ、なんだMayかー。そんな有名どころを挙げてくるとかただのミーハーじゃん、的な?
と、そんな俺の内心を察したのか、店長さんがバツの悪そうな顔になる。
「ああ、いや、なんでもないの。まさか知り合いの名前が出るとは思わなかったから」
「え、お知り合いなんですか?」
「うん。っていうか、この店にたまに来るし」
「本当ですか!?」
思わずがたっと立ち上がる。
結構、声が響いてしまい、直後に我に返って座り直す。「本当に好きなんだ」って苦笑された。
「その様子だと本気っぽいね」
「はい。もちろん本気です」
「なるほど。そういうことなら応援してあげたいけど……ん? この学校って」
履歴書を詳しく見始めた店長さんが何やらぶつぶつと言う。
「やっぱあの子の勤めてるとこだよね? 部活は――テーブルゲーム研究会!?」
「あ、はい。ボードゲームで遊ぶだけの部活なんですけど」
「へ、へー。ちなみに顧問の名前は?」
「札木萌花先生、ですけど」
「ふ、ふーん。札木萌花先生かあ」
さっきからなんなんだ一体。
難聴系主人公ではないのでだいたい聞こえてるんだけど、意味がわからないので意味がない。むしろ正確に聞こえているかが怪しい。
「ねえ、ドッキリとかじゃないよね?」
「なんの話かがわかりません」
「そっか。……ちなみに、私が萌花とも知り合いだって言ったらどうする?」
「地元の人なんですか?」
「あ、うん。これマジなやつだ」
なんだか悟ったような表情になった店長さんは、うんうんと頷いた。
よくわからないけど納得したらしい。
「オッケー。つまり君はMayのことが好きで、他の女の子のことは目に入らなくて、コスプレと女装に興味があるってことね」
「は、はい、そうです」
そうやって並べられるとすごく変態に聞こえる件について。
店長さんはにっこりと笑った。
胸はMayさんや札木先生とは比べものにならないほど残念だし、顔も割と平凡な感じだけど、話しやすそうないい人だと思う。
コスプレが好きで客商売を始めた、っていうのがなんか納得できてしまう。
「うん。そういうことなら、私としては文句ないかな」
「え、じゃあ……」
「なかなか応募がなくて困ってたし、採用。……と、言いたいところだけど、うちって男の子雇うの初めてだし。一応、他の従業員にも聞いてからにするから、後日連絡ってことでお願い」
まあ、聞くって言ってもあの子一人なんだけど、と、店長さん。
「君がいるところで聞きづらいでしょ? この子と働きたい? なんて」
「そ、そりゃそうですね……」
しかも女装好きの男子高校生だ。
俺が相手の立場だったら嫌だ。ってことは、割と不採用の可能性もあるってことか。
「期待しないで待っておきます」
「そうしなさい」
事務所を後にした俺は「その子、採用するんですか?」「あんたがOKすればね」「えー、責任重大じゃないですかー」とか言ってる二人に頭を下げて、店を後にしたのだった。
そして、二日後。
店長さんから電話で来た採用の連絡に、俺は思わずガッツポーズをした。
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札木萌花はとある私立高校で世界史の教師をしている。
学生時代、交際経験のなかった彼女には、今、気になっている異性がいた。それはあろうことか、彼女が務めている高校の生徒で、しかも、担当している部活の部員だった。
羽丘 由貴。
現在高校二年生。
特筆するほどの美形ではないものの、よく見ると整った顔立ちをしている。少なくとも萌花にとっては、世界で一番、好ましい顔立ちである。
萌花は、間違いなく彼に恋をしていた。
きっかけは一年と少し前。
由貴が入学してきた直後のことだった。
当時、萌花は新たに部活の顧問を任されて困っていた。テーブルゲーム研究会。名称は同好会時代を引きずっていたが、一応は部。とはいえ、現在の部員は一名。一度部に昇格した場合、降格する制度がないというだけの話だったが。
唯一の部員である三年生は受験優先のために幽霊部員になることを宣言しており、実質的に、この年の新入生から新入部員を見つけないと廃部が決定してしまうという、がけっぷちの状態であった。
もちろん廃部にしてもいいのだが、その場合、萌花には「せっかく顧問を任せたのに、何の成果も出せないまま一年で廃部にした」という実績が残ってしまう。ハメられたようなものだが、人手不足とオーバーワークが深刻な教育現場においては珍しいことではない。
なんとかしようと部員募集のポスターを作り、貼りだしてみたものの、芳しい成果は得られなかった。
教師としての本業も上手く行っていない。
もともと引っ込み思案な性格は昔に比べてだいぶマシになったものの、大勢の人の前に立つとどうにも緊張してしまう。
このままじゃ駄目だと思いつつも、現状を打開する良い手段も思いつかない。
授業の準備をしっかりしながら、空いた僅かな時間でポスターを作り直すくらいがせいぜい。
三度目のポスターを作った時だったか。
飽和状態の掲示板に赴き、他のポスターに埋もれるようにあった部員募集の告知を剥がしていると、なんだか無性に悲しくなった。
上に貼られたポスターのように、成功する人はいとも簡単に成功していく。
自分には、他のポスターの上から画鋲を刺す、なんて真似はできない。
下に隠れるようにひっそりと存在するのがお似合いなんだと思うと、どうしようもなく泣きたくなった。
そこへ、声をかけられた。
「あの、手伝いましょうか?」
一人の少年がそこにいた。
羽丘由貴。
当時は名前すら知らない、一生徒。ただ、純粋そうな瞳が印象的だった。
心配させてしまったのか。
生徒に縋るようじゃ駄目だと、浮かびかけていた涙を堪えて微笑む。
「ううん、大丈夫だから」
「でも、一人じゃ大変じゃないですか?」
「え?」
「掲示板、バラバラに貼られてるから、整理するのかと思って」
思わず、ぽかんと口が開いた。
雑然と貼られたポスターを整然と貼り直す。そうすれば貼れる枚数も増える。言われてみれば当然だが、目から鱗だった。他人の為したことに自分の手で干渉するというのが、萌花はひどく苦手だったのだ。
違うんですか、とでも言いたげに見つめてくる彼が、なんだか凄い人物に思えた。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「はい」
彼は嫌な顔一つせず、掲示板の整理を手伝ってくれた。
五分もかからず作業が終わって、萌花は彼に「ありがとう」を言った。
すると、少年が言ったのは思わぬことだった。
「他のところにも行きますか?」
「あ……えっと、ううん。大丈夫。後は私でもできるし、一つ貼れば十分かなって思うから」
掲示板は校内に幾つかある。
これまでの二回はそれぞれ律義に貼り付けていたのだが、勧誘のピークは過ぎかけているし、もういいかなと思った。
少年は「そうなんですか?」と首を傾げて、掲示板に目を向ける。
彼は真っすぐ、迷うことなく、萌花が描いたポスターを見つめた。萌花が手にしていたのがどれか、きちんと見ていたのだ。
「……こんな部活、あったんですね」
とくん、と、胸が高鳴った。
「興味、あるの?」
「あ、はい。ゲーム、好きなので。こういうのも興味はあったんですけど、なかなか売ってないし、相手がいないとできないじゃないですか」
「うん」
その通りだ。
今のゲームはオンラインが主体で、ネットに繋げば二十四時間いつでも対戦相手が見つかる。リアルにプレイヤーを集めないといけないアナログゲームはそういう意味で不便だ。未だ根強い人気のあるTCGならともかく、ボードゲームジャンルはどうしてもマイナーになる。
だけど、興味を持ってくれる人が、いないわけではないらしい。
少しだけ、救われた気がした。
「札木先生」
「は、はい」
唐突に名前を呼ばれてどきっとする。
慌てて視線を向けると、彼もポスターから萌花に視線を移すところだった。どうやら、名前を呼んだのではなく、ポスターを読んでいたらしい。
入部希望の方は世界史担当の札木萌花まで、と、彼女自身の字で書かれている。
ああ、と、由貴が微笑んだ。
「札木先生」
今度は、間違いなく名前を呼ばれた。
妙にどきどきするのを感じながら、萌花は彼に向き直った。
「はい」
「入部したいんですけど、いいですか?」
少しだけ、ではなかった。
彼は、羽丘由貴は、萌花にとっての救世主に他ならなかった。
こうして始まった活動は、顧問と生徒が一対一、手探りの状態で始まった。
残る三年生の部員は宣言通りほとんど顔を出さないうえ、出してもすぐ帰ってしまうことが多く、サポートはしてくれない。
萌花と由貴は部に所蔵されている多くのボードゲームをノーヒントで選び出しては、日本語だったり英語だったりドイツ語だったりするマニュアルを元に一つ一つ遊んでいくことになった。
時には翻訳サイトを使って日本語のマニュアルを自作したり。
日本語のマニュアル通りに遊んでいたらルールの不備を発見し、調べたら誤訳があることがわかったり。
他に部員がいないと知った由貴が辞めてしまうことが不安だったが、幸い、彼も根気よく付き合ってくれて――気づけば、週三回、放課後に二人で遊ぶのが、萌花の日常になっていた。
二人だけの空間はなんだかとても居心地が良かった。
由貴が他の男子生徒のようにギラギラしてなくて、優しくて、話すのが得意じゃない萌花の話を根気よく聞いてくれたお陰だった。
正直、貴重な放課後の時間を削られるのは仕事上痛い面もあったが、部活に出て張り合いが出るに従って、削られた分以上の成果を出せるようになった。
最初はただの感謝だった。
気づいた時には「好き」という気持ちに変わっていた。
彼と過ごす時間が楽しくて、愛おしくて、自覚してからは部活の度にそれが大きくなって、そのうち自分でもどうしようもなくなっていた。
こんな恋は初めてだ。
学生時代に淡い恋心を抱いたことはあったが、萌花は未だ、本格的な恋というものを知らなかった。
まさか、ずっと年下の男の子を好きになるなんて思ってもいなかった。
生憎、由貴は萌花がどれだけはしゃいでも、あからさまな好意を向けても気づいてはくれなかったが、それでも、傍にいて話ができるだけで幸せで仕方がなかった。
由貴のお陰か、趣味のコスプレ活動にも張り合いが出た。
コスプレイヤーとしての活動は学生時代からだ。もともとオタク気質があったため、コスプレという世界を知ってからはどっぷりとのめり込んだ。
成功したかというと、そうでもない。
有名になるレイヤーはあっという間に人気が出て、階段を駆け上がっていく。萌花、いや、“May”は全く人気がないわけでもなく、かといって爆発的に売れるわけでもない、ごくごく平凡なレイヤーだった。
特に不満はなかった。
仲の良い友人もいたし、コスプレ自体が好きだったからだ。それで食べていけるとは最初から思っていなかった。自分が楽しくて、かつ、ある程度の評価が得られていれば十分だと思っていた。
悪い言い方をすれば自己満足。
恋をしたことで、Mayは人の目、特に男性の目を意識するようになった。
見られたい相手はたった一人だったが、彼はどういう女性が好みだろう、と考えるうちに「見られ方」を考えられるようになったのだ。
過度に媚びることはしない。
ただ、由貴のことを思うだけで仕草や表情、視線に気持ちが乗るようになった。エロくなった、なんていう恥ずかしい感想も増えた。
女として見られていないだろうとはわかっていても、たった一人の部員、助けてくれた男の子のことが、萌花は好きでたまらなかった。
『新しいバイト雇うことになった』
由貴との出会いから一年と少しが経って、由貴が案外、自分のことを女として見ていることがわかって、割と浮かれていたある日。
萌花の元コスプレ仲間にして、今はコスプレ専門店を開いて後進の育成に努めている女性から、そんなメッセージが届いた。
『そうなんだ。どんな子?』
『可愛い子。遊びに来て直接確かめてよ』
『うん。じゃあそうしようかな』
一線を退いてからも、彼女とは良い付き合いを続けている。
友人の経営するコスプレ専門店にも定期的に通っている。勤め先の最寄り駅からすぐなのがネックだが、知らない人はあまり立ち寄らない辺りだし、何より家から近いのが嬉しい。
友人がそこまで言うならと、二つ返事でOKした。
『あ。ちなみに来るときはおめかししてMayとして来なさい』
『どうして?』
『新しい子があんたのファンなの。いつもの気の抜けた格好で来ない方が身のためよ』
『わ、わかった』
いったいどんな子なのか。
だんだんと興味を惹かれてきた萌花は、連絡が来てから一週間後の日曜日、友人の店『ファニードリーム』のドアを開いた。
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6/7(FRI) 11:42
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「いらっしゃいませ」
友人の声とも、顔見知りのバイトの子の声とも違う、男の子の声。
新しいバイトって男の子なんだ、と思いかけた直後、その声のよく知っている響きにどきっとする。
顔を上げて彼を見る。
「え」
「え」
いるはずのない人物。
羽丘由貴が、友人の店のエプロンをつけて、萌花を――コスプレイヤー“May”を見ていた。