5/13(WEN)‐5/15(FRI)
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5/13(WEN) 17:40
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「これは……あー、5です」
「ブラフ」
「う。……はい、嘘です。5なんて出てません」
悩んだ末についた嘘を即座に看破され、俺は苦笑と共に手元のカップを開いた。
カップの中にはダイスが一つ。その目は3を示していた。宣言より低い目が看破されればダイスを一つ失うルールなので、手持ちが0になった俺の負けだ。
崖っぷちでのはったりが必要なゲームではあるんだけど、今日は調子が良くない。
これで三連敗。
いつもは俺の勝ちが六割くらいだから、間違いなく絶不調である。
「時間が中途半端だし、今日は終わりにしよっか」
「今日は宿題が多かったんで、助かります」
先生がそう言って道具に手を伸ばす。
俺も頷いて片付けを始めたんだけど、ダイスをつまもうとした手が滑って、一個を床に落っことしてしまう。
いけない、と、拾って顔を上げると、先生が心配そうな顔で俺を見てきた。
「羽丘くん? もしかして具合が悪いんじゃない?」
「あはは。すみません、ちょっと寝不足で」
「寝不足?」
首を傾げて「本当?」と呟く先生。
すっと腕が伸びてきたかと思ったら、手のひらが額に触れる。
「……うん、熱はないみたい」
「あ、あの、先生?」
「あっ。ご、ごめんね、つい」
手はすぐに離れたけど、頬が赤くなるのは止められなかった。
っていうか先生の顔も赤い。
恥ずかしがるならやらなければいいのに、札木先生は時々、今みたいに距離を縮めてくる。ちょっと天然なところがあるのだ。
でもまあ、熱がないのは納得してくれたようで、俺の向かいでスケジュールチェックを始めた。俺も教科書やノートを取り出して宿題を進める。
まあ、五分もしないうちに雑談が始まったけど。
「新しいゲームでも買ったの?」
「いえ。ネットしてたら止まらなくなっちゃって」
「ネット……掲示板とか?」
「ああいうのはまとめサイトでチェックしてるので、あんまり本家には行かないですね。そういうのじゃなくて、ちょっと調べもので」
なるほど、と、先生は頷いて、
「昨日も眠そうだったけど、終わりそう?」
鋭い。
週三日、部活で一緒にいるせいか、女とはそういう生き物なのか。俺の機嫌や体調は先生にはバレバレだ。
気をつけようと思いつつ「まあ、なんとか」と曖昧に誤魔化す。
女装のために情報収集してました、なんて絶対言えない。
動機が「コスプレイヤーと仲良くなりたいから」だし、真面目な札木先生はきっといい顔をしない。学生同士で真っ当な恋愛を、とか正論言われるのは辛い。
本当は俺だって話したい。
誰かからアドバイスが欲しい。
昨日と一昨日、女装やコスプレについて情報を集めた。
女装レイヤーの写真やつぶやきを眺めたり、女装関連のマンガのタイトルをリストアップしたり、するとしたら必要なものを検索したり。
でも、あまり上手くいってない。
可愛いと思う女装レイヤーさんはいた。普通に女の子にしか見えない人も見つけた。ただ、どうやったらそうなれるのかイメージが湧かない。
道筋さえつけられればやりようはあると思うんだけど、
「ね、羽丘くん」
「はい?」
進んでいるようで進んでない宿題から顔を上げると、札木先生が年上のお姉さん、って感じの表情で微笑んでいた。
「困ってることがあったらなんでも言ってね? 頼りないかもしれないけど、できるだけ力になるから」
「……ありがとうございます」
本当にありがたい。
でも、「じゃあ女装コスプレの仕方を教えてください」とは、言わないでおいた。
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5/13(WEN) 18:20
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さて、どうしよう。
悩みながら帰宅した俺は、一つの決断をした。
家族や親戚以外で身近な女性といえば札木先生だ。彼女に頼らないなら方法は限られる。
男友達に頼むのは却下。良くて「何言ってんのお前?」と言われるだけ、悪ければ「お前ホモかよ。近寄らないでくんね?」となる。
となると独学か、顔見知り以外に頼むか。
一応、いるにはいるのだ。
顔見知りではなく、かつ、あまり後腐れのない友人が。
着替えを済ませた後、スマホからチャットアプリを起動する。
有名なあのアプリじゃない、マイナーなやつ。有名な方もスマホに入ってるけど、「そいつ」とはお互いにハンドルネームだけで繋がってる。
こっちに登録してるのはそいつ一人。一対一のルームが作りっぱなしになってるので、そこに入って発言するだけでいい。
『ミウ 相談があるんだけど』
羽丘だからミウ。
ネットの世界で女性名を使う、一種のロールプレイ。といっても、女主人公固定のスマホゲームを始める時、適当につけただけだ。
ゲーム自体はとっくに辞めてしまったものの、仲良くなった一人とは今も連絡を取り合っている。
『寒ブリ なんかゲーム始めんの?』
『ミウ ちがう』
残りの宿題を片付けているうちに、相手から返信が来た。
ハンドルネーム「寒ブリ」。
可憐な美少女アバターに魚の名前が付いてて超シュールだったのを覚えてる。今はもっとひどい名前を幾つも知ってるけど、当時は慣れてなかったから見た瞬間に吹き出したっけ。
で、反射的にフレンド申請を送って、たまに短いメッセージをやりとりするようになって、気がついたら意気投合していた。
ゲーム内のメッセージじゃ不便だからと、ハンドルネームで登録できるチャットアプリを使い始めて今に至る。
男だって言うタイミングを逃した結果、今までずるずるとネカマを続けてきたのが、まさかこんな形で役に立つとは。
『ミウ 寒ブリって男だっけ?』
『寒ブリ お前と付き合う気はないぞ』
『ミウ 私だって嫌』
『寒ブリ 即答かよw 傷つくだろw』
『ミウ w』
寒ブリはこういう奴だ。
男口調であっさりした性格。冗談が好きで、真面目な話はあまりしない。多分、リアルでも男。ただ、ネット上の性別なんてアテにならない。
一応、あらためて確認してみたけど、この様子だと本当に男っぽい。
ちょっと残念だ。
『ミウ 女の子だったら化粧の仕方とか服のこととか聞きたかった』
『寒ブリ おっさん乙』
『ミウ おっさんじゃないし!』
『寒ブリ 男に化粧の仕方を聞く女子がどこにいるんだよ』
ごもっとも。
でも、そこで引けない事情がありまして。
『ミウ 私、普段化粧とかしないし。でも、そろそろデビューしたい』
『寒ブリ 友達に聞けよ』
『ミウ 』
『寒ブリ あっ……』
『ミウ ちがう。恥ずかしくて人に聞けないだけ』
『寒ブリ 中学生かな?』
『ミウ ぴちぴち』
『寒ブリ 魚かな?』
『ミウ 魚はお前だ』
こいつと話してるとどんどん話が脱線する。
普段、馬鹿な話かゲームの話しかしてないせいだ。どっちかが言いだしては新しいゲームを始めて、さんざん攻略情報を話し合った挙句、飽きて止めるの繰り返し。
チャットはゲームの合間の雑談に使われている。
寒ブリはなんだかんだ面倒見のいいやつで、たまーに、こいつこそ気のいいおっさんなんじゃ、と思うこともある。
『寒ブリ 知らんけど、化粧なら化粧品会社のホームページでも見とけばいいんじゃね』
ほら、こんな風に。
『ミウ そんなとこに載ってるの?』
『寒ブリ そりゃ売るくらいだから使い方くらい載せるだろ』
『寒ブリ ほら載ってた。http;//……』
『ミウ ほんとだ』
貼られたURLをクリックすると、本当に化粧品の使い方のページがあった。
なんだこいつ、神か?
寒ブリ先輩のハイスペックぶりに驚愕。
ってことは、他の会社にも似たようなページがあるかも。いくつかハシゴすればそこそこの情報が手に入りそうだ。
『ミウ じゃあ服屋のページをチェックすればファッションも?』
『寒ブリ や、服は正しい着方とか基本ないから』
『ミウ は?』
『寒ブリ 形ごとの名前の説明とか、後はモデルが着てる写真があるくらいじゃね?』
『ミウ じゃあどうすればいいの』
『寒ブリ 雑誌でも読め』
『ミウ その手があったか』
基本すぎて気がつかなかった。
ああいうのって女が読むものだから俺には縁がないし。
『寒ブリ でも、ファッション誌は雑誌ごとにテーマが全然違うから気をつけろよ』
『ミウ オススメは?』
『寒ブリ 女のファッション誌のこととか知らん。目的に合わせて自分で選べ』
『ミウ まさか寒ブリ、男なのに雑誌とか読むの? キモイ』
『寒ブリ 女の癖に化粧の仕方も知らない奴がなんか言ってるんだが』
醜い言い合いである。
顔が見えないと気を遣わなくていいからすごく楽だ。女子設定のお陰でこういう話をしても怪しまれないし。
向こうもおっさんだとしたら丁度いいんじゃないだろうか。
『寒ブリ デビューしてどうすんの?』
『ミウ そこツッコむ?』
『寒ブリ 何したいのかわかんねーと答えようもないだろうが』
『ミウ 確かに』
まともにアドバイスしてくれるのは嬉しいけど、そこまで言っていいものか。
うーん……まあいいや。
しょせん寒ブリだし。言ってしまおう。
『ミウ 最終的にはコスプレがしたい』
『寒ブリ 彼氏とコスプレセックスでもするのか』
返信が来るまでには少々間があった。
『ミウ ちがう』
『ミウ 仲良くなりたいレイヤーさんがいる』
『寒ブリ なんて奴?』
『ミウ Mayさんっていう人』
寒ブリがまた固まる。
検索でもしてたんだろうけど、
『寒ブリ なあ、お前、本当にJCなんだよな?』
『ミウ 言い方古くない?』
『寒ブリ ……わかった。信じておく』
『ミウ なんの話?』
『寒ブリ 俺のせいで事件とか起こったら困るだろ』
『ミウ 私をなんだと』
『寒ブリ 大人のレイヤーにハマったやばいJC』
それはやばいな。
本当は好きな人に近づきたいだけの健全な男子高校生だから心配ないけど。
『ミウ もっと私を信じて欲しい』
『寒ブリ まあ、ある程度、常識のある奴だとは思ってるけど』
『寒ブリ 何かイベントがあったら都度俺に報告しろよ。いいな?』
『ミウ 解せぬ』
『寒ブリ 返事は?』
『ミウ いえっさー』
ため息をついてスマホを置く。
ひどい奴だ。なんだかんだで長い付き合いなのに、俺が変なことをしない、ってことさえ信じてくれないとは。
と、更に新着コメントがあって、
『寒ブリ ああ、そうそう』
『寒ブリ ファッション自体に慣れてないなら、コスプレする前に化粧とか外出に慣れた方がいいんじゃね? いっぺんにやろうとすると混乱するから』
『ミウ 神か』
俺は一瞬で手のひらを返した。
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5/15(FRI) 16:40
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結論。
化粧もファッションも、めちゃくちゃ難しい。
何しろ、まったくもって未知の事柄。一般女子が人生を通して学ぶものを一気に覚えようとしてるんだから、そりゃ難しい。
女子は普通にやってるんだから別に大変じゃないだろ、とか考えるのは馬鹿だ。
……数日前までの俺のことだけど。
ともあれ、寒ブリのアドバイスにより情報収集は捗った。
道のりの遠さを実感できただけでも一歩前進だ。少なくとも道が見えたってことだから。
というわけで意気揚々と部活に向かったんだけど、
「羽丘くん。何を調べてるのか教えて」
「へ?」
「へ、じゃないの。寝不足、まだ続いてるでしょ?」
札木先生は俺を見るなりそう言ってきた。
腰に手を当てて「怒ってます」のポーズ。正直、怖くはない。心配してくれているだけなのは見ればわかる。
だからこそ申し訳ない。
「で、でも」
充実した時間だったのだ。
ゲームもそうだけどやり始めが一番楽しい。熱が高まっている時にどんどん進めないと後々残念なことになる。
つまり必要な寝不足なわけで、
「でも、じゃないの」
「……はい」
今日の先生は問答無用だった。
彼女は「今日はゲーム無しにしよう?」と一方的に宣言すると、自分は椅子に座って仕事道具を取り出し始める。
えー……? 俺、この部活、結構楽しみにしてるんだけど。
あれか。寝不足の俺とやっても張り合いがないってことか。そこまで弱いつもりはないぞ。
「若い時はわからないかもしれないけど、睡眠をとるのは大切なんだよ?」
「先生だってまだまだ若いじゃないですか」
「そんなことないよ。……二十歳を超えるとね、ふとした瞬間に疲れたなー、って感じることが増えるの。お肌の調子だって、年々昔みたいにはいかなくなって」
「わ、わかった。わかりました! わかったので辛い話は止めましょう!」
遠い目になって「ふふふ」とか笑いだす先生を見て、俺は慌てて言った。
肌の調子かあ。
そういえば、化粧関係のホームページでも睡眠はしっかりとれって書いてあった。したいことがいっぱいあるのに、寝ないと駄目なのか。
なんか、時間が勿体ないというか、起きてる時間が忙しくなりそうだ。
「……女って、大変なんですね」
「そうだよ。羽丘くんも、女の子には優しくしてあげてね。羽丘くんなら、大丈夫だと思うけど」
そう言われても、女子に優しくした覚えなんてない。
とりあえず「はい」と頷いて、俺は仮眠を取ることにした。
帰って寝る方が効率はいいんだろうけど、今の眠気で帰るのがダルい。ちょっと寝てリフレッシュしたい。
机に突っ伏して目を閉じると、先生の声がした。
「……良かったら、膝枕、してあげようか?」
「遠慮しておきます」
そういうのは彼氏でも作ってしてください。