異界の除夜の鐘
まず最初に言っておきます。
今回の話は大変珍妙なものですが最初から最後まで実体験です。フィクションは混ぜておりません。
それなりに真面目に読める方だけお付き合いください。
今から十数年前の大晦日のことです。
その日は日中からちらちらと雪が降っていました。
これなら夜明けまでに、近くの運動公園は綺麗な雪原になるかも。
雪景色を写真にとるのが好きなわたしは、ひそかに期待していたのです。
雪は降ったりやんだり。庭の植木は真っ暗になるころはもうもうふっさりと雪に覆われておりました。
そして、子どもたち二人と夫婦でゆく年くる年を見ていた時。
ゴ~ン
除夜の鐘の音が、驚くほど近くから聞こえてきました。
感覚としては200メートルほど先のお寺で突かれた感覚。
でも、うちの近所にはお寺はありません。たまに、遠く離れた寺社から鐘の音がかすかに流れてくることはありましたが。
夫「こんな近くにお寺あったっけ?」
娘「今まで聞いたことないよね」
私「ちょっと音源確かめてくる!」
息子はもう眠っていました。
普通なら零時過ぎに出歩きはしませんがこの時ばかりは特別でした。何しろ大晦日、各地の皆さんが神社仏閣を深夜にワイワイと取り囲む唯一の日です。知らない新設のお寺に参拝客が押し掛けているかも。
ダウンジャケットとマフラーを身に着けて、家を出ました。雪はちらちら程度に降っていたと思います。
アスファルト道路に積もった雪はまだうっすらですが、それでも木々や屋根屋根に積もった雪で周囲はほんわりと明るいのです。
わたしは音源である近くの運動公園付近を目指し、長靴で歩きだしました。
公園に入ると、木々は雪をかぶってもう真っ白、枯れた芝生の地面もふんわりと雪ぶとんに覆われています。そのおかげで、あたりは夕方遅くぐらいの明るさです。
光源のはっきりしない青白い明るさが辺りを悲し気に満たします。物好きな散歩人しか見えない雪原。幽冥の境のような、わたしの大好きな光景です。
ゴ~ン
音は広い運動公園のトラックの、さらに北側から聞こえているようでした。。
わたしは人っ子一人いない雪原となった運動公園をさくさくと通り過ぎました。
芝の上はかなり雪が積もっています。長靴のくるぶしの上辺りまででしょうか。
わっせわっせと行進しながら、雪原を渡ります。すると、ご~んという音は、運動公園の脇を流れる上水の向こうの雑木林から聞こえてくるのがわかりました。
中央に広場を抱え持つ雑木林は、当時息子がサッカー教室の練習場所として使っていたところでした。
ごおお~ん……
雑木林の広場に近づくにつれ、音は大きくなります。でも雑木林を取り囲むのは住宅街、お寺なんてありません。林の木々は雪をかぶって白く光っていますが、その下の地面もまたふっさりと雪に覆われています。
そのうち無気味なことに気づきました。
林のあちこちを行きかっても、音の中心は林の中。そしてだんだん周囲から、人の話し声が聞こえ始めたのです。
話し声というより、初詣に向かう人たちのざっざっ、ちゃりちゃりという足音と雑談、子どもの声、ざわめきのようなものが。
あちこち場所を移してみたり、雑木林から出たり入ったりを繰り返しましたが、鐘の音とざわめきと足音の音源は、やはり雑木林の中に違いないのです。しかも、雪の上を歩く足音ではありません。あくまで、参道の石畳の上をおぞうりか何かで歩くような足音なのです。
つまり、何にもない、人っ子一人いない空間から、その音たちは聞こえているのです。姿が見えないのが不思議なぐらい、もう、目の前から。それもわたしを取り巻くように。
わたしは周辺をウロウロした後、背筋に寒気を感じました。
「これはこの世の音ではない」と直感して、雑木林を飛び出しました。
上水沿いに走っているときも、人々のざわめきと鐘の音は聞こえてきます。だんだん遠くなりながら。
やがて運動公園の雪原に出た時、公園を一周する街路灯の下で、わたしはひと安心し、立ち尽くしたままハーッと一息つきました。
その次の瞬間。
まさにわたしの背中の真後ろで
ごおおおお~ん
鐘の音が、今までの最大の音量で打ち鳴らされたのです。まるで真後ろに鐘がつり下がっているように。
わたしは声を上げて飛び上がり、今やひざまで積もっている雪の中をもがくように走って逃げました。
帰宅して、
「どうだった? 新しいお寺あった?」という家族の問いにもうまく答えられません。
兎に角それを最後に、鐘の音は聞こえなくなりました。
そのときだけでなく、その翌年からも。
その記憶を思い出して、わたしは「大晦日に東京で積雪があった年」を過去に戻って調べてみました。けれど、平成の大晦日に積雪があったのは2004年だけ、それも積雪せいぜい2,3センチとなっています。あの日の、深い雪の中をもがくように逃げ帰ったた記憶といろいろと合致しません。
わたしが飛び込んだのは異世界だったのか。わたしを取り巻いた足音と人々の話し声、追いかけてきた鐘の音は何だったのか。
いまも、雪原の風景の美しさと相まって、思い起こしては夢心地のような印象を残す出来事です。




