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1章-5 新人挨拶は、必ず召喚獣に向けること

 大慌てで服を着たアゲハとスコルピは、気まずさのあまり地面を見つめることができなかった。


 ギリギリ下着は付けていたとはいえ、裸を先輩に見られたのだ。家に帰りたい。その一言に尽きる。

 コミュ障なアゲハだけでなく、特にコミュ症ではないスコルピも同じ思いだった。


 恥ずかしさのあまり顔を上げられない新人二人をよそに、チシューは平然としたままヤンマを呼んだ。


「課長。もういいですよ」

「新人くんたちはちゃんと服は着たのかい?」

「おそらく」

「よくやってくれたシチューくん! これで私も安心して振り返ることができるよ」

「チシューです」


 ヤンマが近付いてくる足音がしても、やはり二人は顔を上げられなかった。あれだけ盛大に脱ぎ、あれだけ大音声で叫んだのだ。

 同じ空間にいたヤンマに見られていないはずがない。


 羞恥で顔が赤くなっているのを感じながら、二人は地面を見つめ続けた。

 視界にヤンマの靴が入り、止まる。


「おやおや二人とも。そんなにうつむいてどうしたんだい? 元気を出したまえよ!」


 その言葉にアゲハは光の速度で腰を九十度に曲げた。土下座を繰り出すべきが悩んだが、それはクビを言い渡されたときの最終手段だ。


「ぅ、あの、さっきはパニックになっちゃって……見苦しい姿を見せちゃって、ほんと、ほんとに申し訳ないです」

「お二人にはご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません」


 頭を下げたアゲハの隣で、スコルピも申し訳なさそうに謝罪する。ちなみに文化の違いで、スコルピはお辞儀をしていない。


 新人二人の謝罪を受けると、ヤンマは笑いながら首を傾げた。


「うん? 僕は何も見てないよ。だって紳士だもの。確かにチラッと肌色的な物を見たかもしれなけれど、紳士だからね。記憶を消すくらい造作もないさ! それに」


 ヤンマは丸メガネをかけ直すと、チシューを見つめた。


「そもそもシチューくんは見えてないからね!」

「チシューです」


 上司と先輩のやりとりに、新人二人は戸惑った表情で顔を見合わせた。

 ヤンマが気を遣ってくれているのはわかる。しかしその中に聞き捨てならない言葉があったような気がしたからだ。


 ながらく互いの顔を見つめ合ったのち、その疑問を口にしたのはスコルピだった。


「失礼ですがチシュー先輩が、見えていないというのはどういう意味でしょうか?」

「そのままの意味さ! チシューくんは目がほとんど見えないんだよ。目があまり良くないクモなんだ。代わりに聴覚がものすごく発達してて、それで周囲を把握してるのさ。とても目が見えないとは思えないだろう?」


 思わず新人二人は顔を上げてチシューを見つめるた。するとチシューはすぐさま視線に気付き、うなずいてみせた。その様子は目が見えていないとはとてもじゃないが思えない。


「ああ。見えていない」


 けれどチシューが冗談を言っているようにも聞こえない。真偽はともあれ新人二人はとりあえずうなずくことにした。


「というわけさ! つまり先ほどまでの君たちの姿を見た者はどいないから、安心して仕事をしたまえ」


 その言ってヤンマはその場でくるりと回転すると、背を向けて階段へと向かいだした。


「ではでは! 僕は部屋に戻るとするから、あとのことは任せたよシチューくん!」

「チシューです」


 最後においしそうな名前を残すと、ヤンマは意味もなく高笑いをしながら階段を上って行ってしまった。気遣いに感謝を告げるひますらない。


(課長さん。ちょっといい人かも……)


 若干ちょろい気がしなくもないが、アゲハにとって今の対応はまさしく神対応だった。じんわり感動している隣で、スコルピも同様の感動を覚えていた。


 二人が課長への評価を改めていると、周囲にはヤンマに置いて行かれた巨大なトンボたちが集まってきた。


 鼻先数センチの距離を、高速で震える羽が飛んでいく。新人二人は羽音が耳元を掠めるたび、びくりと肩を震わせた。しかしトンボたちはそんな様子にお構いなしで、観察するかのように二人を取り囲む。


「うひゃぁ!」

「きゃっ気持ち悪い!」


 アゲハは妙な悲鳴を、スコルピは黄色い悲鳴をそれぞれに出すと、トンボたちが一瞬離れていく。しかしすぐさまトンボは包囲網を復活させる。


 様々な種類の召喚トンボが、無数の複眼にアゲハとスコルピを映す。その視線は夕食を吟味するような、おもちゃを選ぶような、どことなく危ない輝きを放っている。


「ぁわわわわお気持ちだけで十分です。それ以上の触れ合いは私にはちょっと贅沢過ぎるというか、まだ早いというか」

「ああっ! 集合体恐怖症が卒倒しそうな複眼。鋭利で強靭な顎。すてき! あ、大丈夫よ。ええすてき。すてきなのはよくわかったから、それ以上は近付かなくていいわ」


 アゲハとスコルピはトンボたちに弁解しながら、助けを求めてチシューを見た。その視線にやはりチシューはすぐさま気付き、上階へ向けて声を張り上げた。


「クインビー!」


 普段のぼそぼそという話し方からは想像できないほどの大きな声に、新人二人は驚いた。

 トンボたちも同じだったようで、一瞬その場から飛び散る。しかし数秒もしないうちに、また包囲が形成される。


 トンボが集まりきるのと同時に、上階から声がした。その声の元を辿り、二階を見上げたアゲハとスコルピは思わず目を見張った。


 そこには赤いミニスカを見事に着こなした男性が立っていたからだ。


「あらぁ~。チシューちゃんお呼びかしら?」


 そしてその男性は、とても美しかった。


 大胆にはだけた胸元からは美しい胸筋が顔をのぞかせ、スカートから伸びる足は完璧なバランスで筋肉が付いている。靴はスカートと同じく赤いピンヒール。

 制服の上に着た白衣が、階段を下りるたびドレスのように優雅に舞う。


「び、美人だ…………!」


 思わず漏れたアゲハの心の声に、スコルピも首を縦に振って同意した。


 ヒールの音を立てながら階段を降りると、男性はウインクをした。新人二人はメイクの施された目じりから、星が飛ぶのが見えた気がした。


「うふふ。容姿を褒められるのは慣れているとはいえ嬉しいわね。ありがと新人ちゃん」


 男性の笑顔が向けられると、アゲハ思わず視線を逸らした。コミュ症が美人を直視したら、目が潰れる気がしたからだ。


「アタシはクインビー。研究職で、担当はハチよ。基本的には二階の西廊下にある研究室にいるわぁ。主な業務は虫たちの繁殖。アタシ、つがいを見立てるのが得意なの。ちなみにいい香りがしても餌ではないからよろしくね~」


 完璧な微笑を浮かべ自己紹介をしたクインビー。しかしその手には美しさとはかけ離れた、無機質なスプレー缶が二本握られていた。


「それじゃあハイこれ。新人ちゃんにプレゼント」


 そう言ってクインビーはスプレーをアゲハとスコルピに一本ずつ手渡した。その際クインビーから甘い香りがして、不覚にも新人二人はときめいた。


 特にコミュ障ゆえときめきに耐性がなかったアゲハは、しばらく口が聞けないほどだった。代わりにスコルピが疑問を口にする。


「このスプレーはなんでしょうか?」

「アタシ特製の虫除けスプレーよ。どんな強力な虫も寄せ付けず、どんな弱い虫も殺さない特別調合。これがあれば服に虫が入って服を脱ぐ、なんてハプニングとはオサラバよ」


 その言葉に新人二人は揃って頬を赤く染めた。あれだけ騒いでいたのだ。研究室にいたクインビーにも無様な悲鳴が聞こえていたのだろう。


 アゲハとスコルピは悲劇を二度と繰り返さないため、すぐさまスプレーを自身へ向け噴射した。同時に周囲を飛び回っていたトンボたちが、露骨に二人から距離をとる。


 念入りにスプレーし始めた新人たちの後方で、チシューは呆れた目でクインビーを見ていた。


「お前が助けてやればよかっただろう」

「もちろん危なくなったら助けるつもりだったわよぅ。けどなんだか楽しそうだったんだもの。次は混ぜてもらおうかしら〜」

「ああ、そう」

「若い子に負けないよう、アタシもスキンケアがんばらなきゃ!」

「……ああ、そう」


 チシューがため息を吐く頃には、新人二人の念入りなスプレーも終わっていた。


「今後も、虫除けが必要になったらクインビーに頼んでくれ」

「あらっ! チシューちゃんに頼られちゃった。嬉しいわぁ」

「…………お前、もう黙っててくれ」

「んもう、つれないんだから」


 とっくに成人してるであろうクインビーと十代だろうチシュー。しかしそのやりとりを見るところ、ここでもチシューの方が先輩らしい。


 クインビーも肩をすくめると、チシューの言葉に従って形の良い唇を閉じた。それを確認するとチシューは新人二人へと向き直った。


「あと紹介してないのは……あいつか」


 そして黒手袋をはめた手で、自然公園のようなオフィスの右手を指差した。そこには池のほとりに芝生が広がっている。


「そこのデスクに座ってるのが、モスだ」


 チシューの指差した方向を見て、新人二人は顔を見合わた。


 そこにはデスクも人も、それらしきものは一つとして見当たらなかった。

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