兄弟細工
その土地の、大きく豊かな湖には、鏡なる湖の当代と呼ばれる主がいた。
当代に仕える者は数多いて、武官も中にはいた。
鍛錬を欠かさぬ真面目な武官は当代に厚く信頼され、尚一層、務めに励んだ。
時に湖から出て一人、樹々に囲まれながら木刀を振るう。真剣の場合もある。
澄んだ銀色はそれだけで魔を払う効果があるとされる。
雨の日も、風の日も。
鍛錬と務めは欠かさない。
人形のようだと同僚に揶揄されて、苦く笑い返した。
本当にその通りだと思ったからだ。
ある日、湖から出て縹色の稽古着でいつもの場所に行くと、蝋梅の花が咲いていた。
早春の雨上がり、濡れた蝋梅は殊の外、美しい。
その美しさに見惚れていると、ふと兄のことを思った。
武官になるには身体の弱い兄だった。文官さえ務まらず、一旦は職に就いたものの、結局身体を壊して役目を辞し、湖の一隅の住まいに籠った。
手先が器用な兄は内職して、精緻な細工物を次々と作り出した。
当代に献上しても恥じない出来栄えだった。
特に花を模した飾りが得意だった。武官の骨張った手と違い、男にしては繊細な手で次々と作ってみせた。
蝋梅は見たことがなかったなと武官は思う。
兄は先年、病で逝った。
生前、武官には女のように内職する兄を疎んじる気持ちがあった。
細工が美麗であればあるほど、兄の軟弱の証明のようで。
けれど兄がただ一度、湖の当代に献上した品は称賛され、褒美を賜った。
武官は兄に敗北感を覚えた。
お前にも一つ作ってあげようか。
刀の飾りはどうだい。
兄の申し出を、武官はすげなく断った。邪魔になると言って。
断らなければ良かったと思う。
今、目の前の蝋梅のように、心打つ美しさの飾りを作ってもらえば良かったと。
花のついた蝋梅の枝先は細く、針金のようで、病床の兄の腕を思い出した。
なぜ兄にもっと親身に労りの心を以て接してやれなかったのかと悔やまれる。
刀を持ち、佇む武官を知らぬもののように、蝋梅は露含みしっとりと輝く。
武官の目にも露が含まれた。
これは兄への哀悼。
兄への思慕。
そして兄への嫉妬。
死者を超えて、生者は生きる。
時に醜さをも織り交ぜながら。
けれどそこに温かな美があれば、生の道はより歩きやすくなるのだ。
兄がくれようとしたそれに、触れることはもう出来ない。