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ふしぎの庭

冬の月

作者: 天川ひつじ

「くれぐれも、声をかけられても答えるな、迂闊についていくなと言うたであろう」

叱咤に、目を瞬かせる2人の子どもは姉妹のように見えた。


***


空に月が浮かんでいた。

白く冷たく、この己も同じ色で照らされている。


毛皮で守られていた体から、頭髪を除いて毛が抜け落ちた。

剥き出しになった皮膚に驚き腕を見つめれば、己が普段に無い姿勢で地面に座り込んでいると気づく。

己の姿を見回せば、これはいつかみた、人間というものの姿に似ている気がした。


ならば己も2本足で立つのだろうか。

見た姿を真似て、そろりと動く。身体が普段に無い動きをする。

思い出す通りにゆるやかに動く。

視界が急に高くなるので驚いた。あたりの様子がよく分かる。

あぁ、だから人は立つのかと納得した。


少しだけ近づいた空を見る。

手を伸ばしても、丸い月には届かないのは見て取れる。


けれど目が引きつけて離れないので、じっと見つめる。


あぁ、悲しいな。寂しいな。


あぁ、とても、腹が減った。


いつもなら遠吠えをするところだが、人になったばかりだからかそんな気は起きてこない。

そういえばあの人間も、全く遠吠えをしなかった。


だったら、どう呼び合えば良いのだろう。


***


月明かりの晩。


あまりに普段より明るかったせいなのか、ハナは夜中にムクリと起きた。


なんや、やけに明るいわぁ。あぁ、お月さんかぁ。


周囲を見渡してから、ハナは布団を抜け出して障子を開けて廊下に出て、雨戸も外して庭を見た。


「やぁ、見事なお月さんや」


見事さに一度部屋に取って返し、ハナは、叔母が作ってくれた特性の綿入り上着を羽織って、改めて細く開けた隙間、縁側に腰かけた。


じぃと見ていると、それは真っ白いお皿に見えてくる。

お団子に見えないのが残念や。お団子を食べ終わった後のからのお皿や。

誰が食べたんやろう。まさとし叔父さんやろか。

なんやお腹が減ってきた。

困ったなぁ。


ハナは手を伸ばしてそらの月を掴もうとした。手の中に収まるように見えるのに、掴めないのはもどかしい。


まぁ、私が掴んでしもたら、他の人がお月さん無くなって困らはるもんな。


うんうん、と掴めない事に納得したハナは、庭に目を落として、小首を傾げた。

普段に無い道が奥に伸びていた。


もう反対側に小首をかしげ直してから、ぴょんとハナは縁側から沓脱石くつぬぎいしに飛び降りた。

ちょっと行っても戻って来れるのは知っている。

とはいえ、あまり遅くなってしまうと心配をかけてしまうから、ハナはパパッと駆け足になった。


***


木々が茂る場所。きっとたぶん、庭の中。


駆け足で進んでいたハナは足を留めた。

ハナと同い年ぐらいの男の子がこの寒空の下、素っ裸で月を眺めていたのを見つけたからだ。


精霊さんやな、とハナは思った。

まだ服を持ってはらへんにゃろうか?

精霊さんやから、寒くないのかもしれん。


「こんなところで、どうしはったん(意訳:どうしたの)」

ハナは声をかけた。


月明かりに照らされて輝くばかりの男の子が、声に気付いてハナを見た。

黒い丸い目は愛嬌があった。

その目でじぃと見つめられたが、男の子がどこか元気がなく寂しそうに、ハナには思えた。


「お腹減ったん?」

お月さまを、物欲しげに見つめてたもんなぁ。


ハナの問いに、男の子はコクリと頷いた。


ハナはまた小首を傾げ、

「じゃあ、屋敷においで。お菓子、あると思う」

と言った。


コクリ、と男の子が頷いたので、ハナは手を差し出した。

「こっち。迷ったらあかんよ」


握った手はとても冷たくてハナは驚いた。

「いつから居てはったん。それに、やっぱり服は着た方がええと思う。冬やし冷えるよ」

こう言うと、男の子は不思議そうにじっとハナを見つめてから、ニコリと笑んだ。


「あれぇ。どこかで会った事あるかなぁ」

とハナは言った。

男の子はまた嬉しそうにして、さらに笑んだ。


***


おいしそう。

あたたかそう。

たのしそう。


***


おかしい、姿が見えぬ。

どこにいる。どこに消えた。


おかしい。さては人にでも浚われたか。


コウは月明かりに溶けるように消えた我が子の匂いを探し、グルルと唸った。


***


コウは、大神おおかみである。

その偉大なる力を求め、コウを呼び求める声がそこかしこからする。


普段気に留めるほどのないそれらだが、コウはグルルと唸り、ふと気にかかる縁を持つ人間の声を拾い上げた。

慎重に吟味する。

評判は悪くはない。ならば行くか。


足を踏み入れるとパァと月光が強まる。

瞬きのうちに、コウは人間の場所に姿を出した。


こちらはどうやら朝方らしい。

しかし、誰もおらぬ。


『姪であるハナの生涯の守護を求める』

コウへの訴えが張ってあるのに、訴えておる本人がおらぬ。

失礼千万の行いである。


フン、とコウは鼻を鳴らし、オオカミの姿から人に変化した。人とはこの方が話がしやすいためだ。


ヤツはどこだ。

コウは陣から踏み出した。


クンクンと鼻を動かすと、訴えた者のいる方角が匂いで知れた。

迷いなく移動し、ついに枕元に立ってやる。


「起きるが良い! 我が訪問に寝入っておるとは何事か!」

 

面白いほどに男が布団から跳ね起きた。

コウをふり仰ぎ、恐れたように布団の上に平伏した。

「大神様」


その様にコウはフンと鼻を鳴らした。

礼儀を知っておる様子で安心。


ただし、男の嫁と思われる女子はすぐ隣でスゥスゥ眠っている。

しかし嫁には何の用もないので、気にする事でもない。きっと嫁にはコウが分からぬのであろう。


「我が来たのには理由がある」

コウは理由を話しかけ、また鼻をスンと動かした。己の息子の匂いがすぐ傍にある。

コウは激高した。

「人間! お前は我が息子を捕らえたのか!?」

「へぇ!? 滅相も無い、お静まり下さい大神おおかみ様! そんな事はよぅしませぬ!(意訳:そのような事はとてもできません)」


「話にならぬ! 来い!」

「は、はい!」

苛立ったコウが匂いを辿るためにオオカミの姿に戻り、壁をすり抜け飛ぶように移動する。

壁を2つ抜けたところで、息子のいるところに行き当たった。


「な、なんと! なんとなんとなんと!」

コウは混乱して、部屋の中をぐるぐると回った。


パタパタッと足音がして、スパン、と紙の扉が開く。先ほどの男だ。

男は部屋の中の様子を見て、

「ハナ!」

と驚きの声を上げた。


コウなど気にもせず、男は布団の中に眠っている人間の幼い子を抱き上げ、

「ハナ! ハナ!」

と呼んだが、ぐっすり眠っているらしく、起きる気配がない。


コウは男の必死に慌てる様にかえって落ち着きを取り戻し、布団の中、残るもう一人を鼻先でつついた。

グラグラ揺すってやるも、疲れているのか目を覚まさない。


コウは人間の姿に変わった。

「息子よ、起きろ。どうしてお前まで人の姿になっているのか。それにどうして女の衣服を着ている」


男の抱き上げている子が目を覚ました。

「わぁ。おはようございます、まさとし叔父さん・・・」

未だ眠たそうな挨拶に男が騒ぐ。

「ハナ! これはどういうことや。一体何があったんか教えてくれ!」


なるほど、あの男は何も知らん。

コウは納得しながら、こちらも目を覚ましながらも未だに眠たそうに欠伸をした息子を呆れた様子で見つめ、匂いに気づいて眉を潜めた。


ガッと顎をつかみ、幼い人間の姿になっている我が子の喉奥を覗き込む。

「人間から食い物を貰ったのか! 食ったのだな!」

「ほんまかいな!?」

と声を上げたのは、人間の男だ。


コウは不機嫌に喉を鳴らすところだったが、人の姿では無理だった。この姿はそのような具合にはできていないらしい。

苛立ちながら我が子を抱き上げる。

息子は事態を全く理解しておらぬ様子で、眠たそうにしながら小首を傾げた。


「・・・さては、その小娘の動きを真似ておるのか」


コウと男は渋面を見合わせた。


***


息子は、一度、人間の子を呼び込んだことがある。声をかけて連れてきたのだ。

見つけた時は驚いた。

人の子と息子は仲良くじゃれ合っていたが、コウは息子を叱咤し、急いで人の子を口にくわえて人の世に戻した。


しかし人の世では、すでに『神隠し』だと大騒ぎになっていた。


道理もまだ知らぬ息子の招いたことと、と事情を話そうと思っていたのだが、なにぶんコウの口は人の子を咥えて塞がっており、加えて人間たちはコウたちの姿を見て殺気立ったので、争いは無用と人の子を人の地に降ろし、さっさと戻ったのだ。


***


「それが、逆の事が起こるとは・・・」

捧げられた神酒を飲みながら、コウはため息をついた。


「くれぐれも、声をかけられても答えるな、迂闊についていくなと言うたであろう」

前に子どもを2人ならばせ、こちらはコウが上座、脇に男という配置で叱咤するも、2人の子どもはそろって同じ向きに小首を傾げた。騒ぎを理解しておらぬ様子だ。

なお、人間の子どもの『寒かろう』という気遣いで、コウの息子もその子の衣装を着せられており、まるで姉妹のように見えさえする。


子どもたちの様子に、人の男は人の子に向かって、

「『野良に食べ物をあげたらあかん』とおチョウも言うとったやろう」

などと諭した。

「野良ちゃうもん?」

と不思議そうに反論している。

その通りではある。

コウとて、子を『野良』と言われるのは不本意だ。しかし、男が何を教育しようとしているのか、そしてその教えの大切さは理解してやれるので黙ってはおるが。


普通ならば、そのように食べ物を与えてしまっては、人の世から戻れなくなるものである。


「やれやれ。とにかく、早いうちが良い。もう我らは戻る」

コウが嘆息して腰を上げる。

男は、

「ご迷惑をおかけいたしました」

とまた平伏した。


「よいよい。互いの子の不始末よ、ここは免じようぞ」

「おおきに、ありがとうございます」

男は礼を告げながら、ふとコウを伺うように顔を上げた。

「これきりで終わりますのか、心配です」

「・・・」

コウも苦虫を噛みつぶした思いがした。


とにかく息子が一向に人間の姿を解こうとしないので、コウも人の姿のまま、息子を抱き上げた。

腕の中、息子は名残惜しそうに寂しそうに人の子を見ている。

人の子もじぃと息子を見ている。


やれやれ。男の言う通りじゃ。しっかり縁ができてしもうとる。


半ばあきらめる心地で、コウは、

「ではさらば」

と人間の場所を後にした。


***


暗い夜道。まだこちらは夜であった。

「そろそろ姿を元に戻さんか」

と諭すのに、元来た道を恋しがる様子で一向に耳を貸さない。

強情なものである。

まぁオオカミとはそういうものでもあるのだが。


湖の傍に現れたので、コウは腕から息子を降ろした。

もう抱かんぞという意思表示も兼ねて己はオオカミの姿に戻り、息子に指示を出す。

「その水を3口ほど飲め」


降ろされた息子は当たりを見回し、空の月をいささかボゥと眺めてから、コウの指示にやっと従って湖面を覗いた。

「その姿では飲み辛かろう。元に戻るが良い」

なのに息子はフルフルと首を横に振り、じぃと湖面を見つめる。


何をしておるのか、とコウがイライラしだしてきたところに気が付いたのは、どうやら息子は水面に映る己の姿に見入っているのだ。


バシャン!

コウは前足を湖面にたたきつけた。

「えぇいまどろっこしい! 早くせんかい!」


息子はムゥと人の姿でふくれっ面をしてみせたが、今度はその姿で湖面に手を伸ばし、水を掬い、やっと飲むのかと思いきや、今度はそこでじぃと手の平の湖を見つめていた。


少し呆れる心地がして見守っているところを、息子はコウに目を向けて、

「月が、映っております」

と言った。


コウは瞬きをして、

「そうか」

と答えた。

言葉を明確に話すには、まだ幼齢であるものを。と驚くばかりだ。


「手が届かないと思っておりましたが、このように。手の中にございます」

嬉しそうに息子はスラスラと言葉を述べ、これまた幸せそうに月の水を飲んだ。


コウは心から驚いていた。


子どもというものは、知らぬところであっという間に成長していくものらしい。


***


ハナは庭の道を駆ける。


最近、あの子にたどり着いてばかりだ。


嬉しくて一緒に遊ぶ。


あの子のお母さんが出てきて怒られて、見送ってもらう。


***


月がよく照る夜は、人の姿になる。

届かない事を知っているのに手は伸びる。

届く日があるかもしれないと期待する。


こんな日は会えると期待する。


***


「ほんまに困りましたな」

「頭が痛い」


子どもたちが庭を駆ける。

なお、息子は正しく男物の衣装の進呈を受けているので、姉妹には見えない。

それを、縁側で火鉢を囲んで、コウと人間の夫婦が見つめている。


「ハナ、捕まえた」

「捕まったー。じゃあ次は、ハナが鬼や」


「鬼じゃなくて、オオカミ」

「分かった。じゃあ次、ハナがオオカミな」


「うん」

「数えるでー、いーち、にー、さーん、しー・・・」


「大神様の息子さんがいっそハナの守り神さんになってくれはりませんやろうか」

嫁から男に渡された神酒が、コウの持つ盃に注がれる。


「まぁ、他に浚われるよりは良いとしようか」

この困った子らには、互いに早々に修業をつけてやらんといかんなぁ。


コウは男としみじみと頷き合った。


おわり

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