出会いと不思議な夢
そこは、綺麗な場所だった。
自分が今立っているのは、翠一色の野原。翠だけではなく、黄色の花弁がいくつか咲き誇っていた。
少し視線を横に向けると、大きな木がその存在を主張している。その太い枝には、真っ赤な色が特徴的な林檎が生っている。更に見渡すと、今度は広大な湖畔が瞳に写りこんだ。
近づいてよく見てみると、底には半透明ーまたは薄い紫色ーの水晶が突き刺さっていた。その水晶は、湖に射し込む太陽の光に反射してその輝きを増していく。見上げれば、灰色がかった雲がちらりと見え、眩い太陽が光り輝いていた。
色鮮やかなこの世界。
自分は何故、ここにいるんだろう?
そう疑問に思っていると、後方から草を踏む音が鳴った。その音は段々と近づいてきて、自分は音源に向けてゆっくりと振り返る。
そこには、一人の女性が立っていた。気品の良さを思わせる、白装束を着ている。こうして向き合っている筈なのに、何故か彼女の顔が見えなかった。まるで、白色の絵の具で塗り潰されたかの様に、彼女の顔を認識出来ない。
眼を凝らして見ても、擦って見ても、何の変化もない。
そのまま数秒向き合っていると、彼女の方から動き出した。
こちらの方へゆっくりと歩み寄り、手を差しのべた。表情が見えない筈なのに、とても穏やかな雰囲気を放っていた。それどころか、心が洗われる様な、安堵に満たされる感覚を覚える。
いつの間にか、こちらも手を彼女の方へと向けていた。そして二人の距離が徐々に小さくなっていき、二つの手が重なりあった。
それと同時に、目の前が黒の世界へと変わってしまった。
◇◆◇◆
少年は瞼を開けた。
真っ先に飛び込んできたのは、点々と輝く星空。雲が一つもないせいか、より鮮明に見える。
そんな景色を、呆然と眺めていた。
(…………夢、だったのか)
今まで見たことのない、それでいて懐かしい様な気持ちにさせる。そんな不思議な夢を珍しく思いながら、少年は再度瞼を閉じようとするーーーー
「起きろ~!」
「ぶっ」
突然、顔に柔らかい感触が伝わった。枕を押し付けられた様に、息苦しくなって、無理矢理目覚めさせられた。
「ったく、二度寝してんじゃねーよ」
「あ、あはは……バーツか」
少年は頭をかきながら、目の前の物体に謝る。少年の目前にいるソレは、人間ではない。
丸みを帯びた二頭身で、白い鏡餅に手足が付いた様な生物ーパッと見だとーが宙に浮いていた。頭には、尖った二本の角、或いは耳らしきものが生えている。
腹部には丸い形をした透明の球体が埋め込まれており、それを中心に黒い線が交差する様に描かれている。
バーツと呼ばれた生物は、腕を組んで少年を見下ろしており、呆れた様な表情が窺える。元からの吊り目が細くなっている。
「こんな所で寝たら、風邪ひくぞ?」
「ごめんごめん……」
苦笑しながら、すぐに夕食の用意を行う少年。
「ライト~!」
少年ーーーライトという名を呼ぶ声音。その方向を向くと、一人の少女がいた。
「ご飯まだ~?」
「今から作るよ。もうちょっと待ってて、ミルフィ」
薄いオレンジのセミロングヘアーで、頭の左側頭部がサイドテールになっている。可愛らしい容姿と共に、気が強そうな印象を与える少女ーーーミルフィ=クレイル。
空腹のせいか、表情が少し沈んでいる様にも見える。
ライトは急いで調理に取りかかる。
「あ~、お腹空いた~」
「おいミルフィ。寝床の確保は出来てんのか?」
「当たり前でしょ。だからお腹空いてんのよ」
親指で自分の後方を指し示す。
黄色い布で出来た簡易テントがそこにあった。モンゴルの遊牧民が使用する家屋にそっくりだった。内部構造も整っており、かなりの広さを有している。
これを一人で手掛けたというのは、かなりの労力を費やした事だろう。
「そうか。ご苦労さん」
「そういうアンタは何か手伝った?何一つ成し遂げていない様に見えるけど?」
「あ~あ、腹減ったな~」
「無視ですか。てかあんた食べなくても平気でしょうが!」
知らんぷりを決め込むバーツを横目で冷ややかな視線を送る。だが、あまり効果はないようだ。
諦めて仰向けに寝転がる。ミルフィの瞳に数多の星々の輝きが写り込んだ。神秘的な光景を、感慨深そうに見つめながら、息を漏らす。
「確か、明日だったわよね?」
「今日の所は、ここで野宿。“アイツ”とは、次の街で合流する事になってる」
「まさか、はぐれちゃうなんてね~。まったく……」
「そう言うなよ。街の情報とかを集めんのに頑張ってるだろうさ」
二人で今後の方針について話し合う。会話の最中、今この場にはいない“もう一人の仲間”の身も案じながら。
「ちょっと水汲みに行ってくるよ」
「おう、気ぃつけろよ」
「うん」
小川に移動し、ライトは調理器具や食器を洗っていた。慣れた手つきで、手際よく洗っていく。
「はぁ……」
数回擦った後、体を伸ばす。と同時に再度、夜空を見上げた。先程はよく認識できた月が、流れてきた雲に隠れてしまっていた。
「……今日で丁度、一年か」
後方の野原に体を預け、ふと呟く。何かを思念するかの様に、目を閉じた。
ライト、バーツ、ミルフィ。そして“もう一人”。この四人は、旅をしていた。
―――ある目的の為に。
脳裏にあの光景が甦る。二度と思い出したくもない記憶が―――
我に帰ると、邪念を振り払う様に、首を素早く左右に振る。
「…………戻るか」
深い溜め息を吐き、ライトは重い腰を持ち上げる。食器類を両手に、テントへと戻っていく。
その時だった。
突然、夜空が光り始めた。
暗黒に染まった草原を眩い閃光が照らした。自分の影が伸びていくのを見て、急いで振り向いた。
空を見上げると、夜空に輝く星々に並ぶ様に、巨大な魔法陣が出現した。空を埋め尽くす位の面積を誇り、見ただけで圧倒される程の威圧感を放つ。
黒ずんだ宵闇色の光が漂っており、不気味なオーラを感じさせる。
「あ……あれは……!」
一瞬で驚愕の表情へと変わり、口元が微かに震え出す。
ライトの脳裏を過る、あの光景。忘れる筈もない。今でも記憶の中に根付いているのだから。
魔方陣は一瞬輝きを増すと、無数の光の球体に分裂。大雨の如く、地上へと降り注がれた。
それは無造作、無作為に散らばっていく。
そして、その内の光が、ライト目掛けて落下していく。
「あっ――――」
気づいた時には、もう遅かった。
光は目前に迫っており、動揺して身動きがとれないライトを優しく包み込んだ。
数秒後、徐々に明度が弱まっていき、光は消え去った。
「――――うっ……」
仰向けに倒され、微かに呻く。先程の光による目眩まし。それと同時に体を襲った少しの衝撃。
「あれは、まさか……」
そう呟き、ライトは上半身を起き上がらせる。起き上がる時に、右手を膝に置こうとしたのか、伸ばそうとする。
「ん?」
ふにゅ―――と、膝にしてはかなり柔らかい感触が伝わってきた。少し力を入れると、中々の弾力があり、押し返される。丸い形をしており、掌に収まりきっていない気もしない。仄かな温かみが布越しに感じる。
「んっ……」
「えっ?」
自分の声ではない声が聞こえた。明らかに女性の声音。しかもやや艶っぽい。恐る恐る、視線を下に向けた。
―――女の子だ。
綺麗な黒の長髪。可愛らしい桃色のリボンが付いてある。そして、かなり整った顔立ち。
ライトの膝の上で眠っているその姿は、童話に出てくる、眠りに落ちたお姫様そのものだった。
「な、なななななななな、なんで……」
動揺を隠せず、大きく取り乱す。
――何故自分の体の上に、天使の様な美少女が眠っているのだろう?
――光がもたらした奇跡??
――それとも神様からのご褒美?試練?それとも悪戯?
様々な疑問が頭の中を支配し、答えに行き着けない。
茫然としている中、後ろから足早に近づく二人組。
「お~い!無事かぁっ!」
「ライトッ!」
心配して様子を見に来てくれたのだろう。バーツとミルフィの二人は、ライトに声をかける。
「……へっ?あっ、二人共」
間の抜けた声を漏らしながら、顔だけを少し向ける。
「びっくりしたぜ。いきなり空一面が光ったと思ったら、地面に落ちてくんだもんな」
「しかも落ちた所が、丁度ライトが食器を洗いに行った所だったし……。でも、無事で本当によかった」
やれやれと言った風に、バーツは肩を撫で下ろす。ミルフィもライトが無事だと知り、ほっと安堵する。
「う、うん。なんだかよく分からないけど、大丈夫みたい」
ぎこちない様子で答える。ようやくと言った様に、バーツとミルフィは“あること”に気づく。
「で、誰その子?」
「確かに」
二人の視線が、ライトの上で寝ている少女に注がれる。二つの目線に気づく事なく、少女は眠ったままだ。
いきなり質問され、口ごもるライト。
「いやその、パッ!て光ったと思ったら、いつの間にかここに―――」
「へぇ~?」
「ほぉ~?」
ライトの受け答えを、二人は腕を組んで聞いていた。
バーツはニヤニヤしながら見ており、ミルフィは完全に疑いの目線を向けていた。若干怒りの表情も窺える。
「それで?いつになったら“その手”をどけるのかしら?」
「えっ……あっ!?」
苛立ちとも捉えられる表情をしたミルフィ。彼女の言葉に気づき、未だに胸を掴んでいた事に気づくライト。慌てて手を離す。
そうしている間にも、幼馴染みの体を包み込んでいる怒りのオーラは激しさを増していく。
「こ、これはその……事故というか、なんというか……」
「いいんだライト。分かってる。お前だって、年頃だしな?女と戯れたい気持ちは分かる。だがな?時と場合っつうもんを弁えなきゃならん。少なくとも、隣の嫉妬深い幼馴―――」
「バーツ~~♪少し黙ってようかぁ?」
「あだだだだだだだだだ!!!す、すすすすんませんでしたぁ!もう言いませぇぇぇぇん!」
とても綺麗な―黒い―笑みを浮かべながら、バーツの頭を鷲掴みにする。メシメシという嫌な音と共に、ジタバタと暴れるバーツ。白く丸い頭にミルフィの指がかなり食い込んでおり、その細い指からは考えられない程の握力の凄まじさを物語っている。
必死の謝罪も空しく、両手がだらりと垂れ下がる。パッと手を離すと、物理法則で地面へと落ちる。足元の草がクッション代わりになってくれたのが幸いだ。倒れた親友は、痙攣しながら白目を向いていた。見るも無残な姿である。
「……さて♪」
「あわわわわ……!」
惨劇を目の当たりにし、ガタガタと震え上がるライト。
ニコニコと笑みを崩さないまま仁王立ちしている幼馴染み。
地獄万力によって命を散らし?草の上に横たわる親友。
下手な事を言えば絶対に殺られる。
ライトはそう確信していた。
「遺言はある?」
「せめて理由だけでも聞いてください!」
このままでは今日が自分の命日になってしまう。
少女を優しく草の上に寝かせ、ミルフィの前で正座する。そして直ぐ様土下座。
すると、彼女は渋々と言った感じでそっぽを向く。
「……まあ、言い訳位なら聞いてあげる」
「あ、ありがとうミルフィ」
ホッと息をつくのも束の間。
「でも返答次第では夜空のお星様になるかもよ♪」
その言葉で体が更に強張る。顔からは汗が滝の様に流れ落ちており、ライトは必死で弁解する。
「ま、待ってミルフィ。ホントに待って。目の前が光ったと思ったら、女の子が僕の上で寝てて、それで突然の事で対応出来なくて―――」
「嘘ならもう少しマシな嘘つきなさい」
「いやホントなんだって!!」
これは何を言っても無駄な様だ。微かにそう悟ったライト。
すると、後方にいる少女から小さなくしゃみが聞こえてきた。それにより、一瞬気が紛れる。周りに気を使ってみると、かなり冷え込んでいる事が分かる。僅かに肌寒さを感じていた。
「と、とりあえず、テントに戻ろうよ。この子、風邪引いちゃうかもしれないし……」
「……まあ、確かにほっとくなんて出来ないしね」
仕方ないと言いたげにしながら、ミルフィはそれを承諾した。ミルフィからの許可を貰い、ライトは少女の後頭部、そして膝裏に腕を伸ばして持ち上げる。
「よいしょっ、と」
「…………」
「ん?どうかした?」
「別に」
少女を、所謂お姫様抱っこで持ち上げているライトに対し、何か物言いたげな様子。彼に聞かれると、またも顔を背けた。
完全に機嫌を損ねてしまったかな、とライトは苦笑する。
そして二人は、テントに戻っていく。
(それにしても、誰なんだろう……)
チラッと自分の腕の中にいる少女に視線を落とす。未だに目覚めの兆しが見られそうにない。
一体何者なのだろう、という疑問も浮かんできたが、今は暖を与えるべきだと考え、一旦頭の隅に追いやった。
「……んんっ」
擽ったそうに体を捩る少女。その際、女の子特有の甘い香りが鼻孔を擽る。それ以前に、少女との顔の距離が近い事に気づいた。
完璧なまでに整った顔立。道行く男性の目を必ず釘付けにするであろう、優れた容姿。それが自分の間近にいるのだ。動揺しない訳がない。
考えない様にするも、どうしてもその魅力に引き寄せられてしまう。
自分の中で葛藤していると、右肩に重い衝撃が走った。
「言っとくけど、話はまだ終わってないからね……?」
「…………………………ハイ」
何故か、先程の数倍以上の怒気を纏ったミルフィによる言葉がずっしりとのし掛かる。因みに掴まれている右肩からミシミシと嫌な音が耳に入ってくる。
どうやら難は逃れられそうにない。
そう考えるライトであった―――
「………………俺、忘れられてる?」
二人がバーツに気づいたのは、今から約一時間後の事だとか………。