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銀河鉄道と走る世界

作者: 痲時

「一千万造ろう」

 主は始めに、そうおっしゃられた。それは、創生の合図。この世界の始まりだった。


・・・・・


「今日は真っ直ぐ家に帰るのですよ、みなさんが天秤の悪に乗りませんように。それでは、さようなら。夜はくれぐれも気をつけて」

 先生の言葉が切れると同時に、僕はそそくさと立ち上がって誰よりも先に教室を出た。銀河通りを走り抜けて、これまでにないぐらい急いで家に帰った。天秤祭だからなのか、なんだか授業中もずっとずっと嫌な気持ちがもやもやとしていた。その不安な気持ちを弾き飛ばすように、すべてを振り切って家へと帰って来た。古い木造の、小さな我が家に。

「お母さん、ただいま!」

「……おかえり、ヨハネス」

 玄関で叫ぶといつもならお母さんの返答はとても遅いのに、今日はとても早かった。もしかしたら、帰りを待っていてくれたのかもしれないと、僕は慌ててお母さんの寝ている小さな部屋へ走る。どうやら身体を起こしていたらしい、今日は体調が良いのだろうか。僕は嬉しい気分になりながら、ベッドに座り込んだ。

「返って来るのが早いじゃあないの」

「今日は天秤祭の日だから、早く行かないと」

 もうそんな日なのかいと笑うお母さんは、いつもより気分が良さそうだった。まだお父さんが居た時、天秤祭の度には必ず遊びに行ったことでも思い出しているのかもしれない。僕には残念ながら、その時の記憶がない。お父さんが居ないことより、お母さんと思い出を楽しく話すことができないことのほうが悲しいと思う。

「天秤祭に行くのかい?」

「僕、行かないよ。それよりみんなが天秤祭に行く前に、配達を終えないといけないんだ」

 だから学校からすぐ帰って来た。天秤祭みんなで行こう、何時に待ち合わせね。そんな声が聞こえる教室にいつまでも残って居ても仕方がない。僕が行きたいと思っているのか、お母さんは悲しそうに顔を伏せる。

「……そう、そうよね」

「行って来るよ」

「いってらっしゃい」

 いつものように仕事に出ただけなのに、そう云って僕の手を握るお母さんはいつもより淋しそうに見えた。


「もう天秤祭が始まっちゃうじゃないかい、今度はもっと早めにしておくれよ」

「すみません」

 家主が不機嫌そうに中へ引っ込むと、僕は深々と溜め息を吐いた。けれど次の瞬間には溜め息を吐いたことを忘れた。そうしなければ、やっていけなかった。いつもより早く来たのに、という怒りは飲み込むことを覚えている。いつだって人の悪意は怖い。怖いけれど、それから逃れて生きて行く術を、僕は知らない。

空を見上げれば、もうお星様がきらきらと輝いている。天秤様が近付くのは、もっともっと先の時間だ。星空を見上げながら歩いていたら、銀河通りを真っ直ぐ歩き続けてしまったらしく、カシオペヤの広場に来てしまっていた。

 カシオペヤの広場には、やはり誰も居なかった。こんなところに居ることが知れてしまったら、学校のみんなにからかわれてしまうだろうか。

カシオペヤの広場に来たのは、三年ぶりになる。お父さんがここを去ってから、僕は一度もここへ来ることをしなかった。普段誰もが来ないところだけれど、僕はなんとなく、この場所が好きだった。そんなことを云ったらきっとみんな、僕をおかしく思うだろうと思って、それは一度も口に出したことはない。

 カシオペヤの広場には当然カシオペヤステーションがある。三年前、僕のお父さんはここから居なくなってしまった。銀河鉄道に乗って、遠く遠い南へ行ってしまった。確かその夜はたくさんの人が居たはずだけれど、みんなそのことを話そうとしない。みんな素知らぬ顔をして、カシオペヤステーションに来たことなんてないと云う。だからカシオペヤステーションのことを話そうとすると、みんな僕から突然離れて行くんだ。

 それでも僕は、お父さんと最後に話したあの夜のことを忘れたくはなかった。かしゃかしゃ、ふしゅふしゅ、そんな音が聞こえると、お父さんはじゃあ元気でなと云って改札をくぐりホームに立ってしまった。お母さんに云われて横を見ると、小さくかわいらしい列車がホームに滑り込んで来るところだった。僕は改札まで駆け寄って、お父さんに手を振った。回りにはたくさんの人たちが、同じように手を振ったり泣いたりしていた。あの夜が終わった次の日、学校に行っても、みんな何事もなかったかのように、いつもの朝が始まっていた。

 僕はそれが、どうしても納得できない。まるで夢のような出来事だったのに、現実にお父さんは居なくなってしまっている。みんなの家族だってそうだ。けれどみんな、それをなかったことにしようとする。みんな宇宙での出来事は、なかったことになる。

「こんなところで、何をしているんだい」

 突然の人の声にびっくりして、僕は持っていた集金袋を落としてしまった。かしゃんと鳴るその音が、三年前の光景と重なった。

 ──かしゃかしゃ、ふしゅふしゅ。カシオペヤステーション。カシオペヤステーション。南十字行き。次はアンドロメダステーション。

「大丈夫かい、坊や」

 そのまま動かなくなってしまった僕に、落とした集金袋を乗せてくれたのは、カシオペヤ広場の近くにある時計屋のおじさんだった。恰幅の良い身体が、僕の前でどっしりと存在感を現す。

「ごめんなさい、リカルドさん、ありがとう」

「これぐらいどうってことないよ。ところで坊や、こんな日こんな時間、こんな場所で何をしているんだい?」

「ぼうっとお空を見ながら歩いていたら、ちょっと行き過ぎてしまったの」

 ただそれだけのことだよと笑って答えると、リカルドさんは小さく笑い返してくれた。

「こんな日にこんなところに居たら、鉄道に乗せられてしまう。早くお帰りよ」

 不吉なことをした子どもを心配するように、しわしわの手で僕の肩をそっと押した。おじいちゃんともおばあちゃんとも会ったことのない僕には、そのしわくちゃな手がなんだか暖かく感じられた。

 リカルドさんに云われるがまま帰り着くと、お母さんが起き上がって夕飯の準備をしていた。いきなりのことに驚いてしまう。だって最近のお母さんは、立ち上がっていることすら珍しかったのに、料理ができるなんて想像をはるかに超えている。

 僕を出迎えたお母さんは、白く弱り切った顔に柔らかい笑顔を作り出す。

「おかえりなさい、いつも悪いと思ってね。今日はとても体調が良いのよ」

「お母さん元気だね、本当に良かった」

 お母さんが病気になったばかりの頃、いつもお母さんは無理して台所に立とうとしていた。だからお母さんが嘘を云っているかどうか、僕にはすぐわかる。今日は本当に元気そうで、久々にお母さんの料理が食べられると思うと、僕はさらに嬉しくなってはしゃいでしまった。

「もしかしたら治るのかもしれないね。きっとアストライア様が善のお皿に乗っけてくださったんだ」

 嬉しくてそんなことを云ったのに、お母さんはどうしてか笑い顔のまま泣き出してしまった。笑うのに失敗して、そのまま泣いてしまったみたいだ。お母さんが泣いたことなんて初めてで、僕は動揺してしまって、すっかり困ってしまい、座り込んだお母さんの背中をさすることぐらいしかできなかった。明日学校が終わったら、アストライア様にお礼を云いに行こうと思った。


「ヨハネスさん、次を読みあげてください」

「はいっ!」

 ぼんやりとしていて思わず声が高くなってしまった僕を、みんながくすくすと笑う。恥ずかしさを隠すように、僕は間違いなく一語一語をしっかりと発音して読み進める。

「星を見上げていた青年は、すっかり星に魅せられ、その星が欲しいと望んだのでした。その代償として彼は人であることをやめ、世界の管理人としてこの星を離れ、宇宙へと渡ったのです」

「よろしい。それがこの世界の定めとなった、プトレマイオスの始まりでした」

 先生は僕の後に続いて、一つひとつ解説を進めていく。空を見上げると瞬く星を欲しがった、一人の人間の歴史。それはこの世界の摂理であり、僕たちはずっと昔からそれを知っていた。その事情を詳しく知るために、今は学校でさらに勉強をしている。どうしても星を求めた管理人に、僕は尋ねてみたい。

 自分の存在よりも大切な何かが、宇宙にはあったのだろうか。

 授業が終わって帰り道、僕はほんの少しの寄り道をした。本当は急いで帰って配達に行かないと行けないけれど、どうしてもアストライア様のお顔を見ておきたかった。ステーションに近いから滅多に人が立ち寄らない小さな路地にひっそりとアストライア様の像は立っている。この町の象徴だと云うのに、隠れるようにして立っている女神の像は、相変わらずきらきらとした光をかもしだしてそこに居た。

「アストライア様、お母さんが元気になりました、ありがとうございます」

 お母さんは天秤祭の初日から、ぐんぐんと体調が良くなっている。きっとこれは、アストライア様がお母さんの日頃の行いを見て魂を善のお皿に乗せてくれたからだと思う。アストライア様の象徴である天秤は、善と悪を測るものだ。その天秤はもちろん像ではどちらにも傾いていない。ただお母さんの魂は、きっと善に分けられたのだと僕は信じている。善と悪って、そもそもなんなんだろう。アストライア様は、いったい何を見て決めているんだろう。疑問がふとよぎったものの、問いかけたところで答えが返って来ないことぐらいわかっている。僕は小さくお辞儀をすると、慌てて家へと帰った。


 仕事から帰って来るとお母さんが買い物を済ませ、夕飯の準備をしていた。最近これが毎日のようになっていて、前の生活に戻ったようで本当に嬉しくなってしまう。もちろん今までのように家事をさぼる気なんてないけど、一人でやるよりお母さんとやるほうが断然楽しい。天秤祭でアストライア様がお母さんを善の天秤に乗せて病気を治してくれたんだと、僕はすっかり信じ込んでいた。

「ヨハネス、休んでいて良いのよ。また日暮れには仕事があるでしょう」

「でもお母さんが料理をしているんだもの」

「お母さんはたくさん休んだから良いのよ」

「だってお母さんが立ってくれて、お母さんが料理を作ってくれて料理をまた食べられて、すごく嬉しいもの。だから見ていたいんだ」

 鍋をかき混ぜるお母さんの手が、ぴたりと止まってしまった。止まっただけじゃない、それがまるで操られているかのように震え始めて、へらがお母さんの手からぱったりと落ちた。沈んだへらがシチューの中に落ちて、ぐつぐつと煮込まれてしまう。

「……お母さん?」

「……ヨハネス、ごめん、ごめんなさい」

「どうしたの、お母さん」

 頭を抱えてしゃがみこむお母さんに、僕は慌てて駆け寄る。こんな取り乱した姿、お父さんが鉄道に乗った時でさえ見たことがないのにと、僕はすごくびっくりしていた。

「――郵便屋さんが来たの」

 ぽつりと続いた言葉に僕が反応できなかったのも、びっくりしていたからかもしれない。

「……郵便屋さんがね、お母さんに切符を持って来たの。お母さんね、今度の銀河鉄道に乗るの。乗らなくちゃならないの」

「ねえ、お母さん、僕は? 僕には郵便来てないの?」

 弱り切った声を出していたお母さんが、突然きっと強い目で僕を見た。

「ヨハネス、そういうこと云ったらいけませんよ」

「どうして?」

「ヨハネス、淋しいかもしれない、大変かもしれないけど、ここで過ごすのよ。ステーションには近付いちゃだめよ」

「どうして……どうして、僕だけ置いて行くの」

「仕方ないの。銀河鉄道の切符はお金じゃ手に入らないから」

「どうすれば良いの?」

「ヨハネス、もう止めてね。お母さん、一人で行きたいの。わからない?」

 お母さんの困った顔を見ていると、今まで僕はわがままを云えなかった。だお母さんの笑顔を見たかった。だから一所懸命働いて、できなかった料理も少しずつ覚えた。勉強だってがんばってできる限りのことは精いっぱいやって、お母さんを笑顔にしたんだ。でも今回だけは違う。まるで道に迷った小さい子みたいに、お母さんの手をぎゅっと握ってつぶやくことしかできなかった。

「どうすれば良いの?」

 ぐつぐつと火の音と共に、僕は繰り返した。もうシチューは焦げてしまっているんではないだろうか、そう思っても火を止めることもできずに、お母さんの手を握りしめていた。


 お母さんの云いつけを破ったのは初めてだった。学校が休みだった次の日、僕は新聞配達の仕事を終えたら、真っ直ぐ広場へと向かった。いつだってここにみんなは近寄らないけれど、今は天秤祭の季節だから、余計に人気がない。鉄道が来た時だけ唯一思い出したように灯を点けて命を灯す。

 誰も居ない。でも今は天秤祭の季節。人は居なくても、局員は居る。ステーションまで足を向ければ手に入るんだと足を踏み出したところで、

「慌ててどうしたんだい、坊や」

 後ろから声をかけられた。またタイミングが良いことに、時計屋のリカルドさんだ。

「どうすれば切符を買えるの?」

 僕は混乱していたかもしれない、わけがわからなくなってぽつりとこぼしてしまった。

「切符?」

「僕、どうしても今度の銀河鉄道に乗りたいんだ」

「……坊や、それはいかん」

 本当に心配するような顔をして、リカルドさんは云うものの、僕だっていけないことはわかっている。でもそれでも、乗るしかない。

「でも乗っちゃうんだ。お母さん、乗っちゃうんだよ。だったら僕も一緒に乗りたいんだ。今まで僕がずっと、お母さんの傍に居たんだから、お母さんが行くなら僕も行かなくちゃ」

「……坊や」

「ねえ、お願い。切符、どうすればもらえるの?」

 本当はステーションに乗り込んで局員に頼むつもりだったのに、切符なんて持ってるはずのないリカルドさんに、まるでリカルドさんがすべて悪いとでも云うように訊いていた。当然リカルドさんは困った顔をしていたものの、諦めたように小さく呟いた。

「……とても簡単なことさ」

「どうするの?」

「天の川に行けば良いんだ」

「行ってどうするの?」

「天の川で身を清めるんだ。そのままでも良い、水にずっと浸かっていれば良い」

「それで?」

「ずっと待っていれば、君は切符を持てるだろう」

「それじゃあずっとずっと時間がかかってしまうんじゃないの?」

「まあ、そうだろうね」

「駄目だよ。僕、お母さんと同じ列車に乗らなくちゃ」

 もう時間がない。天秤祭は今週で終わってしまう。今週の最後が、天秤祭の最後、つまり鉄道がやって来る日だ。

「でもそれが一番、楽に切符を手に入れられるんだ」

「他は……他にはないの?」

「あるけれど、苦しいよ。とても辛いんだよ」

「どうすれば良いの? お願いだよ。僕、一人は嫌なんだ」

「――なら郵便屋に頼みなさい」

「郵便屋……」

「きっと彼らは、くれやしないだろうけれどね」

 実感がこもった声で云われたことを、僕は気づけなかった。


「クラウディオス・プトレマイオスの章は今度の試験範囲とします。今宵もプトレマイオスの功績を称えて、星星に感謝をし帰るのですよ」

 星星に感謝しなさいと云うのは、先生の口癖である。だから気にしたことはなかった。けれどどうしても、先生に訊きたくなって、僕はみんなが居なくなった後も、一人教室に残った。

「先生」

「なんですか、ヨハネスさん」

「星星に感謝をするのは、どうしてですか」

「星星のおかげで、私たちは今こうして生きていられるのですよ。プトレマイオスに感謝を」

 星に魅了されて、星を欲した青年。代わりに人であることをやめて宇宙へと移り住み、星の管理者となった。その彼に、どうお礼をすべきなのか、僕にはよくわからなかった。

「どうして星星のおかげなの?」

「私たちは星星から魂をお借りしているから、こうして何度も、永久にこの世界に戻って来られるのですよ」

「ならお父さんは……、僕のお父さんは何所に戻って来ているのですか?」

「きっとすぐ近くに、貴方よりも小さな形で、戻って来ていることでしょう。そうしてヨハネスさん、貴方もしかるべき時にそうしてまた戻って来るのですよ」


 学校が終わるのももどかしかった。 みんなのからかいも気にならなかった。ただ、郵便局のことだけを考えた。 ここから少しばかり遠い、広場の近くにある郵便局。近付くなと云われる。それは役所にしろ、警備屋にしろ、広場にしろ然りだ。

 ──彼らは恐ろしい、局員なんだから。

 たいていの人はそう云うけれど、教会の司祭様や学校の先生たちは星星への感謝を忘れない。どっちが正しいのかなんてわからないけど、星を悪く云っても誰も星を恨んだりしない。結局僕たちは、星のおかげで生きているから。

郵便局はとても平凡な建物だった。ただ郵便局のマークがぶら下がっているだけで、中に恐ろしい局員が居るとは思えなかった。もっとも、郵便屋は街中を歩いていることが多いから、今は留守かもしれない。そういえばいつ居るかなんてそんなこと考えてなかった。でもお母さんに配達が来たんだから、もう配達は終わったのかもしれない。ただノックをすれば良いだけなのに、やっぱり目の前に来たら怖くなって来て、上げた手がうまく扉に向かわない。

 ──駄目よ、ヨハネス。

 こんなことではそれこそ駄目だと僕は勇気を絞る。お母さんの云いつけをたくさん破ったのだから、もう貫き通すしかない。そう思って手を伸ばしたところで、突然扉が開いて長身な男性が現れた。

「──おや、迷子ですか」

 想像していたのと全然違う、穏やかな声だった。すっかり腰が引けていた僕だけど、大きな男性を思わずじっと見つめてしまう。それはあまりにも、彼が綺麗だったからだ。

「ここは郵便局ですよ、噂にならないうちに、早くお帰りなさい」

 これが星なら見とれるのも確かだと、僕は妙な納得をしていたところで、やんわり帰宅を促されてしまう。いけない、本来の目的は、たぶんこの人にある。

「駄目だよ、僕、貴方に用があって来たんだもの。郵便屋さんでしょう?」

「そうだけど……私に?」

 首を傾げる郵便屋に、僕は頷いた。

「どうしても、どうしても今度の鉄道の切符が必要なの」

「――切符、ですか。今回の配達は、もう終了していますので、在庫はないはずですよ」

「僕の来てないよ。だって僕のお母さんの分はあるのに、どうして僕の分はないの? すごくおかしいよ」

「そうですか」

 理不尽さに怒ったのに、郵便屋はとても優しく笑った。それがあまりにも綺麗だったから、星に魅了されたプトレマイオスの気持ちがわかった。みんなが星を避ける理由がわかった。だってこんなにも綺麗だったら、プトレマイオスではなくてもきっと欲しくなってしまう。

「それはきっと、お母さんが、貴方のことが大好きだからですよ」

「だったらずっとずっと、一緒に居るべきじゃない。 ずっとずっと、僕たちこの駅で、仲良く暮らすんじゃないの?」

「坊や。ずっと、というものは存在しないのですよ」

ずん、と心に何かが乗った。

──私たちは星星から魂をお借りしているから、こうして何度も、永久にこの世界に戻って来られるのですよ。

先生はずっとと云ったのに、それを信じている星からそんなものは存在しないと云われてしまったら、僕だってそっちを信じてしまう。

「永久に繰り返されるようでも、いつかは失くなるのです」

「でも鉄道は僕が生まれてから、ずっとずうっと走っているよ?」

「そうですね。でも、姿形は変わらなくとも、変化していることもあるのですよ」

「姿形以外に、何が変わるの?」

 云っている意味が理解できなくて僕が尋ねると、郵便屋は少し考えたように小首を傾げて、それから突然腰をかがめた。僕の目線に合わせて、彼は優しい声色で尋ね返す。

「――たとえば、ほら、坊や。君はどうしてここに来たのですか?」

「だから、鉄道に乗る切符が欲しくて」

「それまでは、私たちを恐れてはいませんでしたか」

 云われてびくりとする僕を、郵便屋は微笑ましそうに見る。こんな綺麗なものを怖がっていたと思うと、申し訳ない気持ちになるのに、郵便屋は当然とでも云う風だ。

「それは仕方のないことです。私たちは貴方たちの信じるずっと(、、、)を乱しているのですから」

「そう、なの?」

 ずっとを守ってくれるのが星だと教えてもらっていたのに、綺麗な郵便屋はそれを否定する。まるで自分が悪者だと、悪の天秤に乗っている者だとでも云うような雰囲気だ。

「だけれどそんな私の元に、君は来た。姿形は変わらずとも、君の心が変わったのですよ」

「でも僕は、切符が欲しいだけだよ」

 僕はお母さんと離れないためにここまで走って来た。宇宙局員は地上局員よりもさらに怖いけれど、それでもお母さんと一緒に居られるならとここまで来ただけで、星たちにこれからも会いに来ようなんて思っていない。

 そんな僕に郵便屋は何を思ったのかわからないけど、合わせていた視線を逸らして立ち上がってしまう。いきなり大きな男の人が目の前に現れ、僕は少しびっくりする。こんなにも大きかったっけと、さっきまで少し親しみを感じただけに驚いたのだ。

「私は切符を発行しておりません、ただ郵便として配るだけです」

「じゃあ誰が発行しているの?」

「駅長です」

「じゃあ駅長に僕の分を作ってもらえば良いの?」

「残念ながら、今回の便で貴方の分の切符はないのですから、駅長は作らないでしょう」

「どうして?」

「貴方はまだ、鉄道に乗れないからです」

「どうして、どうやって鉄道に乗る人を選別するの?」

「すべては主の御心のままに」

 そう云って頭を下げる郵便屋に、僕はそれ以上追及することができなかった。ただ、どうしても切符が欲しい僕は、唇を噛みしめる。

「……嫌いだ」

「そうでしょうね」

 わかったように頷かれたのがまた悔しくて、僕は大きく叫んだ。

「局員なんて、大っ嫌いだ!」

 僕は云うだけ云って郵便局を後にした。だからその後、郵便屋がどんなに辛そうな顔をしていたか、どんなに悲しそうに軽い扉を閉めたのか、僕はまったく気が付かなかった。


 何事も勢いというものがあるらしい。僕は郵便屋と話すことができた勢いに乗って、ステーションに向かって、そこで悠然と座って午後のティータイムを楽しんでいた駅長ものもとに乗り込んだのである。

 カシオペヤは神話で云う王妃様。その堂々たるした態度は確かに王妃様にふさわしく、そして郵便屋より、もっともっと綺麗に感じられた。けれど見とれていられたのは最初だけで、話をした次の瞬間には、絶望を叩きつけられる。

「ならないわ。リスト以外の人間をわざわざ数に入れてどうするのよ」

「だって……僕、一人は嫌だよ」

「あんた、幾つ?」

「もうすぐ十歳になります」

「まだ若過ぎるわ、出直してらっしゃい」

「でもお母さんは……」

「貴方は母君ではないでしょ」

 ぴしゃりとはねつけられて、僕は言葉を失う。僕はお母さんじゃないけど、でもお母さんと一緒に居ないといけない存在なのにいったいどうしたらそれをわかってくれるんだろう。

 説明できなくて唇を噛みしめていたら、すみませんと突然、誰も居ないステーションにおじいさんの声が響き渡った。狭いからよく響くのかもしれない、聞いたことのある声に、僕はすぐ反応した。

「リカルドさん」

 すぐ近くに店を構えている、時計屋のおじいさん。彼は僕を見ると悲しそうな顔をしたものの、僕には何も云わず、呆れた様子の駅長に頭を下げた。

「ご迷惑をおかけして……。すみませんね、駅長」

「あんたわかっていて放っておいたわね。早く連れ帰りなさい」

「はい、すみませんでした。ほら坊や、帰ろうか」

「でも……!」

「帰ろう、今日はね」

 有無を云わせない口調で手を引っ張られて、既に僕たちには興味を失ってしまったらしい駅長に挨拶を云う閑もなく、ステーションを後にしたのだった。


 リカルドさんが僕を連れて来たのは、リカルドさんの時計屋さんだ。小さなお店に所狭しと並べられた時計は、百を超えてあるのではないだろうか。自分の家がこんなだったら、落ち着かない気持ちになりそうなものだけど、リカルドさんはここに一人で住んでいる。

 リカルドさんは椅子に座らせた僕に視線を合わせてしゃがんで、もう駅には行っていけないよと釘を刺した。だけど僕はお母さんの云いつけすら破ったのだから、リカルドさんの云うことを律儀に守ることはしない。返事をせずにぐずっていると、

「坊や、お母さんはなんて云っているんだい」

 優しい声色でそんなことを訊いて来るのだから、僕のありったけの気持ちは崩れてしまった。

「鉄道なんて、大っ嫌いだ」

 何かを云うリカルドさんを無視して、僕は真っ直ぐ家に帰った。元気なお母さんが出迎えてくれたけれど、僕はちゃんとお話ししてあげることもできないまま、仕事へと向かってしまった。

 どうすればお母さんと一緒に居られるんだろう。

 そんなことをずっと考えながら、牛乳を運び続けた。


「なあに、これ」

 お金のいっぱい詰まった巾着を駅長に渡したら、そんな反応が却って来ただけだった。

「だから、切符を買うお金だよ。どれだけかかるのかわからないから、だから……」

 一所懸命言葉をつなぐ僕に呆れているのか、駅長は小さく溜め息を吐く。

「あのねぇ、私たちにお金なんてものは必要ないのよ。人間と違って物欲があるわけでもないんだから。そもそもお金を持っていたって、買い物なんてできないじゃない」

 それもそうだ。星星がお金を持って商店街にでも現れたら、それこそ新聞一面に載ってしまうような大事件だろう。でも僕は、お金を払って物を求める方法しか知らない。学校で使うペンだって、この間出たお給料で買い求めた。お母さんのお薬だって、新聞配達で働いたお金で支払った。全部そうやってお金で物をもらっていたから、ほかにどういう払い方があるのか、星たちが何を求めているのかなんて、僕にはさっぱりわからない。

「なら、何ならくれるの?」

「だから、あんたにあげる切符はないって云ってるのよ。もう何十年か、待ちなさい」

 何十年も経ったら、お母さんはすでにサウザンクロスには居ない。ということは二度と会えないということで、僕はどうしたってお母さんと一緒に居られないのだと思うと、どうしたら良いのかわからなくなってしまった。


 お仕事を休んでしまった。

 お母さんに怒られてしまった。

 私が居なくなったら、ちゃんと働かないと生きて行かれないわよ。

 私が居なくなったら、その分、お金が浮くのだから、大切にしないと。

 そんなことを云われた、ずっと我慢していた僕だって涙が止まらない。だってこんなにがんばっているのに、みんなが僕とお母さんを分けようとする。一緒に居たいのに、どうして一緒に居させてくれないの。どうして一緒に居てはいけないの。

「お母さん、ごめんなさい。どうしても、どうしても同じ列車に乗れないの。郵便屋さんも駅長さんも、みんな駄目だって云うの」

「ヨハネス……」

 こつんと、軽く頭を叩かれた。

「貴方は乗ってはいけないのよ、そう云っているじゃない」

「──どうして?」

「貴方が居なくなったら、誰が学校で貴方の席に座るの? 貴方が居なくなったら、誰がお掃除するの? 誰が配達するの?」

 僕がやっていることはすべて、お母さんのためだ。お母さんが居ないのなら、そんなもの要らない。だけどお母さんの顔を見たら、頭に浮かんだそれらは声にすることができなかった。なんとも云えない、辛そうな、悲しそうな、でも悔しそうな顔。

「お母さんがすることは、こうして貴方を抱くことぐらしかないのよ。でも貴方の居場所は、この駅にあるのよ、ヨハネス。お父さんとお母さんが確かにこの駅に居た、立派な証なんだからね」

 お父さん。お母さんからお父さんのことが話題に出るなんて、いつぶりだろうか。去って行くお父さんの背中を見ながら、お母さんはそういえば、こんな顔をしていたっけ。


 広場に向かうと、リカルドさんが一人、ぼんやりとステーションを見つめていた。当たり前のように存在しているこのステーションが、みんなが逃げているこのステーションが、こんなにも僕に関わるなんて思いもしなかったのに。

 リカルドさんは僕に気が付いているのかいないのか、ステーションから目を離さないから、僕は少し遠慮しながらリカルドさんに近づいた。

「僕もいつか、鉄道に乗れる?」

「――ああ、乗れるとも。君が乗りたくなかろうが、ね」

「鉄道はとても素敵なところだって、先生が云ってた」

「そうだよ、鉄道に乗れることは誇らしいことだ。星星に感謝しなければならない」

 小さなこの世界の全貌を眺められるのだよと、リカルドさんはまるで自分が乗ったことがあるように話す。学校では一番に教わることだ。鉄道から見えるこの世界はとても綺麗で、さらに上に上った銀河の綺麗さは、〈終魂の葬列〉などと云う莫迦げた考えを出す人がわからなくなる、と。

 だけどそう語る先生だって、鉄道からの銀河なんて見たことないはずなのに。

「昔ね、私も君と同じことをしたんだよ」

「同じ?」

「そうさ、昔、まだ妻が居て、子どもも居た時のことだ。君よりも小さかったかな。息子に手紙が来たんだよ」

 僕よりも小さな子に手紙が来るのか。僕には来なかったのにと、まだ諦め切れていない部分がうずいたものの、お母さんの悲しい涙を思い出して言葉にするのはやめた。

「あまりに唐突なことでね。どうして私ではないのかと、何かの間違いではないのかと郵便屋を問い詰めたものだ。だけどそんなものは意味がなくてね。息子は鉄道で去って行った。以来、妻は嘆き悲しんで、天の川に飛び込んでしまったんだ」

「え?」

 ──天の川で身を清めるんだ。そのままでも良い、水にずっと浸かっていれば良い。ずっと待っていれば、君は切符を持てるだろう。

 切符が欲しいとリカルドさんに頼んだ時、彼はそう答えてくれた。とても時間のかかる方法だと思ったけれど、そんなことを云う人は本当にまれで、だから僕はびっくりした。

「私がどうにか連れ戻した時には、身体が随分と弱ってしまってね。次の鉄道で手紙が来てしまった」

 冷静に考えればその方法では〈終魂の葬列〉へとつながってしまう。自分から命を絶ったりしたら、自分から預かり物の魂を殺してしまったら、限りある魂が消えてしまうから。だけどそうなる前にリカルドさんは奥さんを助けて、鉄道で見送ったのだ。

「だから私は、妻が乗る鉄道に乗せてもらおうと、必死になったんだよ。でも結果、私はまだここに居るのだけどね」


 広場に人が集まり出した。鉄道が来た時のみ見られる景色だ。局員と人間が、こうして一緒に居ることは、鉄道が通っている時だけなのだ。

 僕はお母さんを連れて、一緒に家を出て来た。僕の分の切符はないまま、お母さんの綺麗な切符だけを持って、元気なお母さんと一緒にステーションまでやって来た。既に鉄道は来ていて、広場にはそれなりに大勢の人が集まって来ている。みんな一様に悲しそうな顔を振りまいているけれど、明日には何もなかったかのように、日々は繰り返されていく。誰かが居なくなっても、まるで今までがそうだったかのように、人が欠けても街は何事もなかったかのように動く。

「ヨハネス」

「お母さん、綺麗な銀河の旅行を楽しんでね。僕、きっといつか行くからさ。それまでサウザンクロスで待っててよ。きっとお母さんを、お父さんが待っていてくれると思うからさ」

 お父さんはもう、新しい命になって生まれているかもしれない。でも僕は、サウザンクロスに着いたお母さんが一人ぼっちなのは悲しいと思ったから、また僕がいつか行く時も一人は淋しいと思ったから、そんな有り得ないことを云った。お母さんもきっとわかっているのだろうけれど、そうねと優しく微笑んでくれた。

「銀河鉄道58便、そろそろ発車のお時間です。乗客のお客様は速やかにホームへお越しください」

 入場制限が始まり、僕はずっとつないでいたお母さんの手を離す。僕は本当に、一人になるんだ。いつかこの手を握ってくれる誰かが現れるまで、僕は一人でここに居る。

「ヨハネス」

 お母さんは最後まで、僕の名前を呼んでくれた。それ以外に言葉が思いつかないのか、最後まで僕の名前を呼んで、ホームへと消えて行った。

「銀河鉄道58便、発車いたします。お見送りの方々、改札から離れてお見送りください」

 ぷしゅぷしゅと音が鳴ったかと思うと、突然甲高い汽笛の音が響き渡った。僕は一人広場に戻って銀河鉄道が遠い空へ空へと走って行くのを見守る。お母さんが何所に乗っているかなんてさっぱりわからないけれど、お母さんを見送ることができるのは僕だけだから、しっかりこの目に焼き付けておこうと思った。

 鉄道があっさりと行ってしまってもなかなかみんなは帰ることをせず、すすり泣く声が広場に響く。僕は泣いてなかったけれど、一人ぼっちの家にすぐ帰ることができなくて、つい広場を見回してしまった。そこに郵便屋さんの姿を見つけて、僕は思わず駆け寄ってしまう。相変わらず美しいその立ち姿は、郵便屋だけに限らず、近くに居る局員全員に共通するようだった。思わず目を向けてしまうその綺麗な星たちを、僕たちはすぐ見つけることができるのだ。僕と目が合った郵便屋はどうしたものか困ったように、それでも笑いかけてくれた。郵便屋が口を開く前に、僕は彼の目を見てしっかりと伝える。

「いろいろありがとうございました」郵便屋はきょとんとして僕を見つめていた。

「嫌いなんて云ってごめんなさい。どうしても僕、切符が欲しかったから。正直に云うと、今でも欲しい。でも駄目だってわかったから、だから、ごめんなさい」

 どうにか言葉を続ける僕を、郵便屋は不思議そうに見ていたけれど、やがてそれを、初めて会った時のような優しい微笑みに変えて僕に視線を合わせてくれた。星は綺麗なだけではなく、とても優しい。そんなところもあるのだと、僕は郵便屋に会って思った。

「ねえ。僕、郵便屋さんがちっとも怖くなくなったよ」

 郵便屋は少し惑った後、困ったように笑って、

「ありがとう、でも、もう局員には近づかない方が良いですよ」

「うん、わかってる。でも僕、忘れないよ」

「……またいつか、鉄道に乗る日まで」


 以来、僕が郵便屋に会うのは、三十五年後のことである。早すぎるなんて、そんなことは思わない。ただ僕もようやく鉄道に乗れる日が来たのだと、そう思っただけである。しかしその時になってやっとあの時のお母さんの気持ちを知ることができた。

 まだ幼い息子には、またサウザンクロスで会おうと約束をして、僕は銀河鉄道に乗った。

 鉄道は走る。繰り返し、繰り返し、同じ悲しみを背負って、今日も走る。


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