涙雨
感想をお願いします。拙い文章でおもしろくないかもしれませんが、ぜひ読んでください。
雨がザーッと降って視界をぼやかす。
川釣りの帰り、目の前には山を下っている幼なじみの背中が少し遠く見える。
「大丈夫か? 晶」
立ち止まり差し出された紅祐の手を叩いて拒む。
「平気さ」
「それならいいが…」
所在なさげな手を小型のクーラーボックスを担ぎなおすふりをして誤魔化す。そんな紅祐の背中に悪態をつく。
俺はもうガキじゃないんだ。中二だぞ。たった二つ年上だからって、ガキ扱いしやがって何様のつもりだ。顔にしたたってくる水滴を濡れた腕でぬぐった。どっちみち体中濡れているのだぬぐったところで、変わりはない。わかっている。
靴が重たい。服が重たい。紅祐から誕生日に譲ってもらた大切に握った釣り竿さえ邪魔くさい。なぜ、こうもうざったいのだろう。
葉にあたる雨音ほど体に降ってくる雨は多くはないはずなのに、張りつく布は動きを鈍くする。
足取りが遅くなり、紅祐と次第に距離があく。
「晶、ここら辺すべりやすいから気をつけろよ」
紅祐がかき消えないよう声を張る。
苔がむすわずかに舗装された石道は急な角度になり、ゆっくりとカーブを描いている。
言われなくても、歩調は慎重になっている。
晶は紅祐の注意に返事もせず黙って重い足を感情に任せ、せかせかと動かす。
またガキ扱いかよ。三歳児じゃないんだから、なにが危ないか予想はつく歳だ。気にかけんなら、自分を気にかけろ。
いらつく。なにが? 気をつけないといけない足元? 気をつかう紅祐? なにもかもが晶の神経を高ぶらせる。
後ろから紅祐を突き飛ばしてやりたい。足が駆け足になる。わずかながらスピードがのる。
すべる。と思ったときにはすでに時遅く、晶はカーブを曲がりきれず苔ですべりやすくなった石道をそれ、木々の中へと下に、下にすべって落ちていく。その様は、昔よく遊んだ遊具のすべり台をしているようだった。
無事落ちきったときには、全身泥だらけで、草地に倒れていた。
あれでよく木にぶつからなったものだ。だが、全身が痛い。
雨が容赦なく体に打ちつける。遠くにゴオーッと勢い良く水の流れる音がする。川が近いのだろう。
ふと、どこからか蜂蜜とラベンダーの匂いを混ぜたような濃厚な香りが漂う。それは次第に濃くなっているように感じる。その香りに意識を向ければ向けるほど、眠くなってくる。
瞼が重い。目を開いていられなくて、ゆっくりと幕をおろす。完全に瞼を閉じると蜂蜜とラベンダーを混ぜた香りが意識を支配していく。それに身をゆだね、晶は眠りについた。
「ねぇ、晶ちゃん。早く起きないと、紅ちゃん待たしちゃうよ」
妹の声に起こされて、うっすらと目をあける。
「あやめ?」
「なーに? 晶ちゃん」
「あれっ? 俺、落ちて…」
「そうよ。晶ちゃんたら、ドジなんだから」
「なんで、あやめがいるんだ」
目覚めたばかりの冴えない頭で考える。あやめは風邪をひいてベッドで休んでいるはずだ。それに、山なんていったら虫はいるし、日焼けしちゃう、とかいって最近では釣りに行く自分達のあとを追ってこなくなっていた。昔は山遊びをよく一緒にやったものなのに、すっかり女の子になってしまった。
それなのに、どうして嫌っている山の中にいるのだろうか? こんな雨の中。
「なーにいってんの? 晶ちゃんがドジだから、助けにきたに決まってるじゃない」
小学生の妹にまで、ガキ扱いされているのか、俺は。
「余計なお世話だ。だいたい、風邪がひどくなったらどうする」
「そのときは、そのときよ」
他人の心配してる場合じゃないだろうに、無茶しやがって。
「俺は大丈夫だから、さっさと帰って寝とけ」
「ダメよ。紅ちゃんが来るまではここにいてあげる」
「あのなー、別に紅祐がいなくてもかまわないだろ」
「起き上がれないくせに?」
言われて気づく。両腕をつっかえ棒のようにして体重をあずけ半身起こした状態であやめを仰いでいた。
「起き上がれるって」
そういって、立て膝の態勢にもっていき立ち上がる。その際、尻と腰に痛みを感じたがなんとか顔にださずにすんだ。
「なっ、ほら」
「あっ! 紅ちゃんだ」
木々の合間を縫うように、
「晶」と呼ぶ紅祐の声がだんだん近づいてきて大きく響き渡る。雨音に負けないようにしていたのか、声が少し枯れている。
「うわー、紅ちゃんだよ! 晶ちゃん」
「ヒトの話し聞いてねぇしよ」
あやめは俺を探しにきたヒーロー紅祐に舞い上がって、俺が自力で立っているのに気づいてやしない。
あやめが紅祐にたいして、憧れをもっているのは知っているが、さっきまで兄を心配していた優しい妹はどこいった。それも、これも、紅祐に会いたかったからという不純な動機からなのだろうか。いやいや、俺はあやめを信じたい。優しい妹なのだと。
「晶、無事か」
晶の姿を見つけるなり、ぬかるんだ地面に足を取られることもなく、紅祐は晶のもとへ駆け寄ってきた。
「あぁ」
手足に多少の擦り傷はあるがたいした怪我ではない。体を打った痛みも残っているがさほど痛くもなくなっている。
「ホントか」
そう言って、紅祐は晶の体を確かめるように触った。肩から腕、腰から足に手を這わせる。
「大丈夫だな」
「だから、そうだって言ってるだろ」
心配するのは勝手だが、信用がないものだ。
「ねぇ、紅ちゃん……」
自分の存在に気づいていない紅祐に気づいてもらおうとあやめは声をかけた。
「あやめちゃん! こんなところにいたら危ないじゃないか。早く帰りなさい」
驚かれはしたが素っ気なくされ、あやめはうらめしそうに晶を見た。
そんなされても、晶だって構われたくて構ってもらってるんじゃない。
「ヤーダー。一人じゃコワイ。紅ちゃん一緒に帰って!」
「あやめちゃん……」
言うことを聞かないあやめとしばし睨み合っていたが、とうとう紅祐はおれた。
「わかったよ」
最近は小学生を狙った事件も多発してることだし、山から女の子を一人で帰すのも危ないと思ったのだろう。
優しく笑いかけ、紅祐はあやめの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「僕が一緒だったら帰ってくれるんだね」
「うん」
上機嫌であやめはうなずいた。
「でも、晶を置いてはいけない」
「なら、三人でおりりゃいいだろ。どうせ、下山するつもりだしよ」
がっかりするあやめがかわいそうだった。それに下山しようともともと思っていたのだ。それを落下というアクシデントで中断されただけだった。
「自力でおりれるか」
まだ疑っていやがる。
「だから、平気だって」
「そうよ。晶ちゃんならダイジョウブよ」
どこからその自信はくるんだ、妹よ。
太鼓判を押されなくても、下山できる確信はある。
「じゃあ、行こうか、あやめちゃん」
紅祐はあやめを促し、歩きだした。直後、あやめは地面に顔をうめるように倒れた。
「こ、うちゃ、ん?しょ……」
かぼそい息をもらして、晶にむかって伸ばした腕がぐたりと落ちる。
「あやめ!」
駆け寄り、絶句した。
腹ばいになったあやめの白いシャツにはじわじわと赤い染みが広がっていた。
がっくりと膝をつき、両手で倒れそうになる体を支えた。
ゆり起こすのが怖くてできない。だって、名を呼んだって返事はないんだから。
紅祐を頼って、振り返る。すると、紅祐の手から赤い雨が落ちていた。きれいに洗い流されていく様を見て、それがなにか知る。ナイフだ。
刺したのだ。
刺されたのだ、あやめは。どうして。
なぜ、こんなことに。
あやめは、あやめは無事なのか。
紅祐は、紅祐はなんで笑ってる。
「こ、紅祐……な、んで……」
声がかすれる。無理矢理吐き出したせいだ。
なにがどうなっている。
俺の目の前のこれはなんだ。誰か教えてくれ。
叫びたくなる。
なにもかもわからず、ただ慟哭をあげたい。
頭ではわかっているのだ。心が理解を拒否する。
だって、ありえない。
そう思えば思うほど、晶の中で現実が遠退いていく。
「う、そ……だよな……」
認めたくなくて、震える声。微動する唇。
血の気がひいていく。
嘘であってほしい。
信じたくない。
紅祐は冷笑を浮かべるばかりで応えてくれない。
それが肯定していることをうすうすと悟る。
「あっ……あーぁ……あー!」
嗚咽をもらし、叫んでいた。
とめどなく瞳からしょっぱい雨が流れる。
関止めていたものがあふれだす。
「あやめがなにしたっていうんだ。紅祐、お前なにしたかわかってんのか。お前は、お前はあやめを――」殺した。
その言葉がでてこない。
かなぎり声でもいい。伝えたい。
それが現実なんだ。受けとめなければいけない。
「なんてことしてくれたんだ。あやめは、あやめはもう……もどらないんだぞ」ナイフが雨を弾く。
いたぶるようにじっくりと時間をかけて、紅祐が近づいてきた。
頬に冷たい感触があたる。
「うざい」
冷笑が嘲笑へと変わる。
頬からそっと線を引くようにナイフが離れる。
一筋雨に交じって生あたたかいものが伝う。指で触れてみる。血だ。
「なにがおかしい」
硬直した体から言葉が弱々しく発せられる。必死に眼光だけはきつくした。
嘲笑うだけで紅祐はまたも応えない。
「なにがおかしい、って聞いてんだよ。こたえやがれ。紅祐!」
声を励まし、なんとか怒鳴る。
無理をしているとわかる。指先が震えている。土に爪を食い込ませることで震えを止めようとした。
肩は憤りに上下しだす。歯を食い縛り、息をもらす。
「この野郎。こたえろ。どうして、あやめを刺した」ニッ、と口端をあげて笑うと紅祐はやっとこたえた。
「別に意味などない」
「なんだと!」
あやめを殺しておいて意味などないというのか。あやめの命をなんだと思ってるんだ。
「なんて理由でやったんだ、お前は! あやめをかえせ!」
「そんなにあやめちゃんが大事か」
「当たり前だろ!」
かけがえのないたった一人の妹だ。大事に決まっている。
「そうか。ならば、あやめちゃんのもとに連れて行ってあげよう」
「えっ」
思いもよらぬことに、晶は目を丸くする。
「その方があやめちゃんも喜ぶだろうね」
紅祐はナイフを両手で握り、かまえる。
殺される。
本能が警告を放つ。だが、腰が抜けて立ち上がれない。とにかく、怖じ気づいたまま後退りする。
泥で手足がすべる。焦れば焦るほど、思い通りにならない。
なにかが背にあたる。慌てて振り返る。大木が行く手を阻む。
戦慄が背中をかける。
やな汗がにじむ。
紅祐は嬉々として、楽しみながらじわりじわりと迫ってくる。
歯がカタカタなる。
心臓が早鐘を打つ。
全身がけいれんするように震える。
こわい。
ただ、驚愕と恐怖だけが支配していく。
死にたくない。
悲鳴がでない。
あまりにも衝撃が強いのだ。
紅祐はナイフを振り上げる。
追い詰められた。
逃げ場はない。
心臓をねらってナイフが振り下ろされる。
ぐさっ。
肉に刺さるいやな音が聞こえた。
ずっずず。
引き抜かれる感触がした気がした。
脈動とともに血が体内から流れ、逃げていく。
ごほっ。
吐血する。
胸から流れる血が雨と混じりあい、地面へと吸われていく。
「紅祐!」
残った力すべてを振り絞り名を叫んだ。
「紅祐!」
「晶、晶、晶!」
頬が痛い。
瞼を開く。
紅祐が必死に頬を叩いて、晶の名を呼んでいる。
あれっ? 俺、死んでない。
胸を触る。
流れだす血はなく、傷もない。手を見る。赤く染まってはいなかった。
確かに刺されたはずなのに、なんで死んでないんだ。
まわりを見回す。
あやめの姿はどこにもない。
「あやめは?」
「あやめちゃん? いるわけないだろう! それより、晶大丈夫か!」
バンダナで鼻と口をおおった紅祐のくぐもった声が優しく耳にここちいい。
「あぁ、死んでない」
混乱する頭ではそれだけしかいえない。
笑みがこぼれる。
死なずにすんで、ホッとしたからじゃない。紅祐に恐怖を感じないからだ。
いつもの紅祐だ。
「気を付けるようにいったのに……」
紅祐がしゃくりはじめる。
泣いているのだ。雨にまぎれてしまっているが、涙が確かに流れている。
「よかった。本当に無事でよかった」
「ホントよかった。紅祐に殺されなくてさ」
紅祐が木の幹に体を寄りかからせてくれたらしく、楽だった。そのせいか、微笑みがこぼれる。
「僕が晶を殺す?」
「あぁ、マジこわかった」
晶が見た悪夢について話す。
その内容の強烈さに紅祐は驚愕に目を見開く。
「僕があやめちゃんや晶を殺すだなんて……できるはずがない」
首をブンブンと振る。髪から雫が四散する。
「そうだな。お前にはできないよな」
なぜ、あの時の紅祐を疑わなかったのだろう。うかつだった。紅祐はこんなにも優しいのに。
「きっと幻惑草のせいだ」
紅祐がバンダナを外した。
「幻惑草?」
初耳する名だ。
「うん、蜂蜜とラベンダーを混ぜたような匂いで、撫子を二まわりほど大きくした赤い花なんだ。この山にしか自生していなくて、その香りが人を幻惑させるから、そう呼ばれている」
「そういえば、そんな匂いしてたな」
「やっぱり。晶の倒れてたところから匂いがしたから、慌てて連れ出したんだ」なるほど。幻惑草とやらのせいであんな悪夢を見たのか。へんなところに落ちたものだ。
晶は天を仰いだ。
「サンキューな」
紅祐に対して、意地をはっていたことが馬鹿馬鹿しく思う。紅祐は晶が年下だから、甘くしてたんじゃない。ただ人を気づかって優しいだけなのだ。
「いいんだ。晶が無事だったんだから」
自分のドジのせいなのに。
紅祐の言葉がこそばゆく感じる。
葉の隙間から落ちてくる雨は、赤くも、しょっぱくもない。
「雨やんできたな」
「そうだな」
紅祐も天を仰いだ。
「そろそろ帰るか」
紅祐が手を差し伸べた。
今度は拒まなかった。
もう落ちないように、晶は紅祐の手を強く握った。
「あぁ、帰ろう」
きっと、あやめはベッドの上ですやすやと寝息をたてているだろうから。
終わり