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第七話

 それから後の事は、雪原からリルを助けたレニーも知っている。それでか、と、レニーは思った。いつも遠い目で聖なる山を見ているのに、怯えた様に近付く事を拒否していたのは。触れる事すら畏れ多いという聖杯の盗難に関わり、共犯者の一人となってしまった事、その後、極寒の吹雪の中で使徒に拒絶されたという記憶。一体どんな思いで、一人で抱え込んでいたのだろう。


「リル、お前は何も悪くない。今からでも、皆にきちんと、本当の事を」


「いいえ、いいえ。兄弟子には、母親がいます。彼自身、兄弟子の母にとっては、たった一人の家族です。僕には、哀しむ家族はありません。僕さえ、何も話さなければ」


「なんという事を。俺は、家族ではないのか? ソフィは、ショーンやミーシャは? お前がいなくなって、哀しまないというのか? このままお前を黙って行かせて、俺は、イルッカになんと申し開きをすればいいというんだ」


 身を乗り出して言うレニーの言葉に、リルは涙をこぼした。


「その、言葉だけで」


「だめだ、リル。お前は生きなければならない。そう望んでいるのは、俺だけじゃなく」


 バン、と、激しい音を立てて扉が開き、その向こうに二人の騎士と村の聖職者、ラティマとオリバーが悲しげな目をして立っていた。


「話は、聞かせてもらったぞ。その兄弟子というのは、フレイの事だな?」


 年若の騎士が、大股で歩いて来て、怯えて目を見開くリルの腕を掴んだ。


「乱暴は止せ!」


「ふん、手間をかけさせやがって。さあ来るんだ、大聖堂でみっちり絞り上げてやる。貧民のクセに生意気な態度ばかりのフレイめが。すました顔をしていても、所詮、出自卑しい者の本性は知れたものだという事だ」


「違います!」


 リルは、パニックを起こして泣きながら叫んだ。


「フレイじゃありません、僕です。僕が聖杯を盗んだんです」


「この期に及んで、でたらめを言えばどんな神罰が下るか、わかっているだろう! さっきの話は、ちゃんと全部、隣の部屋で聞いていたんだぞ」


「乱暴は止せと言っているだろう、真実を話させれば、リルに危害は加えない、命を助けると言ったじゃないか!」


 リルと騎士の間に入って止めようとしたレニーの言葉に、リルが愕然とした表情を浮かべた。


「どうして! どうして、どうして! レニー、どうして!」


 泣き崩れるリルの背を、もう一人の騎士が支えた。


「さあ、立つんだ」


「僕が、盗んだんです。フレイは関係ありません」


「聞きなさい。聖杯は、君が自分で勝手にしていい物ではない。この国は、今、荒れている。聖杯を失えば、正しい儀式が行えなくなる。人々は心のよりどころを失ってしまう。悪い者に、いい思いをさせて野放しにするような事はあってはならない。正しき者が常に強くあり、盗人は罰せられなければ、世の秩序は容易く壊れてしまう。国が国である以前の、混沌とした時代に戻ってしまう。君がフレイを思う気持ちはよくわかる。けれど、過ちは犯されてしまった。正しい道で、正しい裁きをくだし、一刻も早く聖杯を取り戻さなければならない。君の協力が必要なんだ」


 諭すような騎士の言葉に、リルはがっくりと力なく項垂れ、弱々しく嗚咽を漏らした。


「天啓祭まで日は残されていない。間もなく夜明けだ。すぐに出立する。協力に感謝する」


 年嵩の騎士はリルの腕をひいて立たせると、深く頭を下げ、出て行った。残されたレニーと聖職者たちは、ただ立ち尽くし、遠ざかっていく足音を聞いていた。と、弾かれるようにレニーが駆け出した。


「リル!」


 教会の聖堂の出口のドアを開けようとする一歩手前で、騎士たちは立ち止まった。レニーは、泣き腫らした目で無表情に俯くリルの両肩を支えて正面から見た。


「リルに生きろと言っているのは、俺だけじゃない。リルが、ちょうど一年前のあの日、道を外れるか、あの場所より手前で倒れていたら、きっと誰も気付かぬままだっただろう。山までたどり着いてしまっていたら、発見が遅れて、助からなかったかもしれない。夜明け前の空気は、一番冷える。リルの上に降り積もった雪が、冷たい風から体の熱を守ってくれていたんだ。あの時、あの場所でやわらかな雪に埋もれていなければ、お前は死んでいたんだよ。地元の者ですら道を見失う一面の雪原で、吹雪の中、この村の近くの街道で倒れていた事は、奇跡と言っていい。お前をお導きくださったディアアレスの使徒が、生きろと言っているとしか思えない」


 リルは両目を見開き、レニーを見た。


「リル。いつか、ここへ帰って来ておくれ。俺はずっと待っている。魂がこの体を離れても、ディアアレス山で、必ず」


 深く俯いて、騎士たちに促され、一層小さく見える少年は、教会を出、村から去って行った。

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