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第三話

 リルは冬の時期には辛い洗濯も、文句の一つもいわず懸命に働いた。村の子どもたちに本を読んでやり、新しい遊びを教え、鍛冶場の掃除や水汲み、鉱石運びなどを手伝った。ただ、ディアアレス山の麓の森に薪を拾いに行くのだけは、俯きがちに首を横に振った。レニーは、未だ天啓祭の日、雪の中で倒れていた事が心の傷になっているのだろうかと思い、無理強いはせずにいた。村人たちは、素直な働き者が好きだったので、賢く、礼儀正しいリルはすっかり気に入られた。

 吹雪も勢いを弱め、氷も薄くなり、水温む春がやって来て、初夏の実りを祈る祭りが過ぎ、生命力の溢れる夏が訪れた。山麓の村は花という花が一斉に咲き乱れ、木々は緑濃くなり、実りという実りに満ち、子どもたちは嬌声を上げて水遊びに興じた。リルはイルッカに良く懐き、時折、イルッカ爺さんが一人で暮らす小屋へ泊まりに行くほどだった。イルッカも、リルが望むままに丁寧に仕事を教えてやった。体の弱い母親をずっと見ていたため、嫁も取らず、母亡き後、一人暮らしで家族もなかったので、リルを息子か孫のように思っていたのかもしれない。深酒をしようものなら、リルから、飲み過ぎてはだめだといさめられ、


「老い先短いじじいの楽しみといえば、これくらいなんだがなあ」


 と、言いながら、言葉とは裏腹に嬉しそうに目を細めるのだった。


 夏になると、この最北の村、ラキエにも訪問者が僅かながら増える。そのほとんどが行商人。薬、特殊な燃料、香辛料や女たちの使う香油やアクセサリーを売りに来る者、冬の間、村の者たちが作った布地や小物を買い取る者。様々な品物だけでなく、国中を旅する彼らの話も、歓待の材料になるには充分だった。


「最近、他の街の様子は、どうだ?」


「あまり、良くないな」


 少しでも引き留めるため振る舞った、酒のカップを傾けながら言う商人の表情は、ここ数年、みな曇りがちだった。それというのも。現王は、数年前、まだ幼い皇太子を、不慮の事故で亡くしてしまった。不幸は続き、王妃は次の出産の際、赤子と共に亡くなった。王の哀しみは深く、ふさぎ込んで城の奥に閉じこもりがちになってしまった。王の姉と、その夫、大臣を務めるギブランシュ公の二人の娘の子どもたちが次の王位を継ぐ最有力候補となっているが、姉の子が、十歳の姫と、四歳の王子、妹の子が七歳と五歳の王子。元々、折り合いのあまり良くなかった姉妹は、自分の子こそ次期国王、と、国の重鎮を巻き込んでの世継ぎ争いに発展している。政治は疎かになり、国費は貴族たちの私腹に消える。国政を預かる者としての清廉さも、自尊心もないのかと憤ったところで、こんな地方の者の言葉など、届こうはずもない。

 王都から遠いこの地は、そんな事情からも遠い。


「下流の水が澱んでも、このラキエのせせらぎの清さは変わらぬさ」


 商人たちはそう言って、ディアアレス山から吹き下ろす清浄な空気を胸いっぱいに吸い込み、祈りを捧げる仕草をし、村の者たちを慰めた。


 短い夏が過ぎ、山を木々が茜に彩る秋がやってきた。ある日、イルッカは、体調がすぐれないといい、休みを取った。


「年も年なんだ、無理せずゆっくり休んでくれ」


「なんだい、レニー、若造が人をじじい扱いしなさんな。ちょいと夏の疲れが出たんだろうて。この季節にすっかり体を治しておかにゃあ、冬にはじじいの氷漬けよ」


 そういって笑うイルッカを、リルは毎日見舞った。イルッカが鍛冶場に来なくなって一週間ほどが過ぎた。空気が一層澄み、空は遠く青く、雲一つない日だった。清々しい日差しの中、レニーには、とある予感があった。


「リル、今日は俺がイルッカの所へ行こう。お前は、鍛冶場の掃除をしておいておくれ」


 そう告げたが、リルは何かを察したらしかった。必死に、自分も行くといい、頑として譲らなかった。レニーは根負けして、はやる思いを抑えながらイルッカの小屋を目指した。

 はたして、イルッカはベッドの上で、胸の上できっちりと指を組み合わせ、仰向けに寝ていた。すでに魂は旅立った後で、その顔は穏やかで、寝息をたてぬのが不思議なほどだった。愕然と立ち尽くすリルに、レニーはそっと声を掛けた。


「イルッカはディアアレスに旅立った。さあ、司祭様を呼んで来よう」


 見開き、イルッカをじっと見続けるリルの両目から涙がこぼれた。


 イルッカの葬儀は、レニーが主になって執り行った。神父と司祭に合わせ、リルも懸命に祈った。粛々と儀式は過ぎ、夜は宴会となった。人々は飲み、食べ、歌い、イルッカの事をあれこれと話して笑い合った。その様子に、リルは戸惑いがちにレニーに声を掛けた。


「イルッカが亡くなったというのに、なぜみんな楽しそうなの?」


「リル、イルッカは良く働いた。心もよく、誰にでも親切で、人々の心を明るくした。この村の者は、肉体を離れた後、みなディアアレスへ行く。人はいつか、旅立つ。永久の別れではないし、イルッカも我々を見守ってくれるだろう。イルッカの声が聞けなくなったのは悲しい事だが、ほらごらん、このナイフはイルッカが研いでくれたものだ。この刃にも、イルッカは宿っているのだよ。イルッカは、長く生き、辛い事もあっただろうが、その修行にもちゃんと耐え、笑顔を絶やさなかった。きっと、神々はイルッカを暖かく迎え入れてくれる。遺された者は、ご苦労さん、ありがとう、と、祝って送ってやればいい」


 リルは、じっとレニーの話を聞いていた。


「僕は」


「うん?」


 ぽそりとつぶやくようなかすれた声に顔を覗き込むと、リルは顔を上げ、首を横に振って潤んだ目でにこりと笑った。夜気は冴え冴えと、すでに冬の足音を感じさせる。もうすぐ一気に秋が深まり、雪の季節がやってくる。

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