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第一話

 レニーは夜明け前の雪道を歩いていた。日の出るあたりの地平が薄っすらと白み、空にはまだ、降り落ちんばかりの星が瞬いていた。昨夜から吹き荒れていた地吹雪は、神々の住まう山、ディアアレスを超えて北へ去ったばかり。新雪は視界全部を一面の白い野に替えていた。慣れぬ者であれば、道を見失い、窪地や薄く氷の張った泉にでも足をとられるところだが、レニーにとっては我が庭となんら変わりはなかった。柔らかい新雪に沈みこまぬ工夫を凝らしたブーツの下で、白い大地が、サク、キュキュ、と、軋んだ音を立てる。冬の星は地上の熱を天空へ呼び、冷気を降らせる。大気は凪いでいたが、冷え切って肌を刺した。

 吹雪が止んで、よかった、と、レニーは心の中で呟いた。こうしてディアアレスの裾野の森を目指すのは、毎年、天啓祭の朝の習慣だった。雪を割って実をつける、摘みたてのスノーベリーで作ったジャムを、子供たちが楽しみにしている。日中、葉で作られた養分は夜の間に実へ蓄えられ、寒さが一層甘さと風味を強めてくれる。妻が鍋で煮たてる香りが家中に満ちて、子供たちを目覚めさせ、豊かな実りに感謝の祈りを捧げて朝食を摂る。あまり裕福ではない彼の家での、唯一と言ってもいい天啓祭の祝いの喰だ。

 寒さに背を丸め、俯きがちに自分の足音を聞きながら雪原を歩き続け、進む先のただ白いばかりの地に、何かが落ちているのに気付いた。急ぐでもなく歩み寄り、立ち止まって見下すと、くすんだ枯葉色の布が雪に埋もれている。誰かが落とした袋か、集落のどこかの家から飛ばされてきた衣服だろうか。拾って確かめようと雪から引き揚げると、その下に、まだ若い、白い小さな手があった。


 日はすっかり昇りきり、レニーの家の中は天啓祭の匂いに満ちていた。慣れた丸太小屋の匂い、干し草の、薪が爆ぜ、火の粉が舞う暖炉の炭の、淹れたての茶の、そして、スノーベリーのジャムの残り香。この日は彼だけでなく、国中が仕事を休み、祈りを胸に静かに過ごす。穏やかな冬の午前。


「とーさん、おきた」


 カップに口をつけた時、七歳の長男がバタバタと廊下を駈けてきた。後から三歳の娘も、とーしゃん、おきたあ、と、長男の言葉を真似てダイニングに入ってきた。


「静かに寝かせておいてやれといっただろう」


「起こしてないよ、見たら起きたんだもん。ミーシャは触ったけど」


 兄の進言に妹ミーシャは目をぱちくりさせて父を見、ちょっと触っちゃった、と、おずおずと認めた。レニーは苦笑を浮かべて娘の赤毛頭を撫で、


「かあさんを、手伝っておくれ」


と、二人に言い置き、雪原で拾った少年を寝かせておいた部屋へ向かった。


 子供たちの言うように、少年はベッドに半身を起こしていた。深い紺青の眼、さらりとしたプラチナブロンドの髪、幾分血色が戻ったとはいえ、蒼ざめた肌。年の頃、十三、四歳だろうか、集落の子供のような陽気な闊達さの代わりに、静かな聡明さと思慮深さが窺えた。


「まだ、横になっていた方がいい」


 レニーの言葉に、戸惑う表情を見せ、ここは? と、問うた。


「俺の家だ」


 続いて、レニーは説明した。雪原で行き倒れていた事、脈が残っていたので、家に連れ帰り、ゆっくりと温めて寝かせて置いた事、そして。


「ヴォリオス教団の法衣は、隠させてもらった。お前が望むのであれば、いつでも返すが、それは、もう少し体力が戻ってからの話だ」


 少年ははっとして自らを見下し、レニーが着替えさせた寝巻を確認して弱々しく頷いた。雪原で彼が身に着けていたのは、裸足同然の古びた薄いサンダル、枯葉色の粗末な生地のケープの下は、国宗、ヴォリオス教の聖職者を示す、真っ白な薄い法衣のみだった。察するに、彼は見習いの聖徒、司祭の供ならいざ知らず、単身でこのような辺境の地に、まして、一年で最も大事と言っていい天啓祭の日に教会の外を歩くなど有り得ない珍事、余程な訳があったと推測できた。


「俺はレニー。この村で鍛冶屋をしている。名前は?」


「リル」


「なぜ、あんな場所に? 昨夜は、ひどい地吹雪だっただろう」


 リルと名乗った少年は、レニーから視線を逸らし、怯えた様に口を閉ざしてしまった。続く言葉を思案していると、賑やかな足音が近付いてきて、部屋のドアが開けられた。


「とーさん、パン持って来た」


「ミーシャはね、ジャム。ジャムもってきた。あと、すぷんも」


 子どもたちは得意気に、それぞれ、薄く焼いたやわらかなパンを盛った籠と、朝作ったばかりのスノーベリーのジャムの入った小瓶、小さな木製のスプーンを掲げた。


「うちの子供たちだ。兄のショーン、妹のミーシャ」


「私の事も忘れないで。ミルクのスープを作ったわ。温まるわよ」


 子どもたちに続いて入ってきた妻が、湯気の立つスープ皿をレニーに手渡した。


「妻のソフィだ。妻のスープは絶品だ。さあ」


 遠慮しようとするのを遮り、無理やりスープ皿を持たせると、困ったようにレニーたちをちらりと見た。


「どうしたの? おなか減ってないの? おいしいよ?」


「食べないとおおきくなれないよ。ミーシャ、ジャムぬってあげようか?」


 客人が珍しく、構いたい子供たちの攻勢に、リルは窺うようにレニーを見た。


「ともあれ、体力をつける事だ。今日は天啓祭だ。ディアアレスの使徒に、今日の喰の感謝を捧げよう」


 レニーの言葉に、リルは湯気の立つ皿を見下して、簡略した祈りの儀式を済ませ、恐るおそると言った風にスープを口に運んだ。その頬を、涙が伝って落ちる。嗚咽を堪えながら、次々とスプーンを動かすリルを不思議そうに見る子どもたちを、居間へと促して部屋を出た。

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