奴隷の少女は公爵に拾われる 98
タレンスとモヌワがじゃれついている間、3の侯爵と国守の公爵は何かを話しこんでいた。その話し合いはだいぶ、雨の音が少し弱まるまで続いた。
「うん。じゃあ、その線で行こうか」
「お手間を取らせて申し訳ありません」
「別にいいよ。君は君の取れる最善の判断をこなした。今度は私の番と言うだけだ」
公爵は思案気に顎を小さく掻く。
「それに今タレンス君が手元にいるのは好都合かもしれない。ついでにいくつか片づけてしまおう」
「何か懸案事項がおありですか」
「懸案事項がない日の方が珍しいさ」
「失礼しました」
「確かタレンス君は国境紛争の問題に詳しかったね」
「えぇ、まぁ。2の侯爵の息子ですから。その手の知識を叩きこまれている筈です」
「ますます好都合」
公爵は目を閉じたまま小さく微笑む。
「おーい、タレンス君。こっちに来て」
「閣下、それは出来かねます」
「どうした―――――――まだ遊んでるの?」
「遊んでるんじゃありません!助けてください!!」
公爵の記憶では肘関節を極められていたが、今はタレンスの膝を中心に数ヵ所いっぺんに固められていた。モヌワは興味深そうに見て来るツツィーリエの反応を見て、嬉々として関節を極めている。
「いい加減に止めなさい。全く」
モヌワは公爵にそう言われてゆっくりとタレンスを解放する。タレンスは解放された瞬間にモヌワの下から這って逃げ出した。
「もう!公爵閣下!あの野蛮な女をなんでツツィーリエちゃんの護衛にしておくの?ツツィーリエちゃんの教育上よくないわ!」
「なんで護衛になったか説明するととても長い時間かかるから今は割愛しよう。後、ツィルの教育に悪影響を及ぼす要素なんかこの世界に存在しない。何でも受け入れて何でも彼女の血肉にしてもらうくらいの度量がないと私の跡継ぎなんかできないさ」
タレンスは筋肉質な体にふさわしいごつい唇を尖らせる。
「それよりもタレンス君。君の処遇を決める前に少しテストをしたい」
「あらなんなりと」
タレンスはゆっくりと関節の様子を確かめながら立ちあがった。
「じゃあ問題だ。今この国で一番物騒な地域はどこでしょう」
「一番?物騒の定義次第だけど、まぁ武力的な闘争が起こっているという意味では北の国境、辺境伯の管轄地域でしょうね」
「そうだ。そこの情勢が今どうなってるか知ってるかい?」
「2週間前は割と安定してるって話を聞いたわ。でもあそこの情勢はすぐに変わるから今どうなってるかはわからないわ、ごめんなさい」
「いや、それでいいんだ。最新の情勢は私が知ってるから」
タレンスを見上げながら公爵が続けた。
「じゃあ、ここからが本題だ。もし、北側の情勢が再度緊迫しているとして、我が国の対応として最良の選択は何だと思う」
「緊迫しようとしてる?戦闘が始まったなら話は別だけど、始まってないならその緊張を和らげる事に最大の努力を費やすべきだわ」
「理由は?」
「今は西と南隣の二国と協定上は和睦してるし、この国の国力としては非常に充実してる時期。後々のために今は北の国との戦闘状態を避けて、この国の経済力を使ってつながりを強めて戦闘の抑止をすることが出来る時期よ。今の期を逃せばまた数十年前の泥沼に逆戻りしちゃう」
「君の意見はよく分かった」
公爵は数回小さく頷く。
「ん?ちょっと待って」
タレンスは肘を抑えた状態で固まった。
「北の状態が緊迫してるの?」
「うん。今日連絡がきた」
公爵はあまり意に介していないと言った表情でタレンスを見る。
「緊迫って言うより、あちらの国の幾つかの部隊が国境付近に入り込んでるみたいなんだよね。辺境伯たちが苛立って攻撃しようとしてる」
その言葉を聞いて、頭で咀嚼するまでに少しの間があった。
「………えらい事じゃない!?」
「うん。ちょっとまずい」
「ちょっとちょっと。辺境伯たちは何やってるの?」
「辺境伯たちはちゃんと働いてるよ。むしろあちらの国に攻め込ませろって煩い位だ」
「それは困るわ」
「あぁ。でも侵入してくる部隊は何とかしないといけない。さぁどうしたらいいでしょう」
「侵入部隊を全員なるべく同時に戦闘不能にするか、あちらが本格的に動くまでの防衛戦を張らせるべきだわ。各個の撃破では本国に報告されてどんな難癖付けられるかわかったもんじゃない」
タレンスと公爵の話し合いが熱を帯びてる所、公爵の服の裾が引っ張られた。
『ちょっと良い?』
「どうしたんだい?」
『この国に他の国の部隊が侵入してきてるんでしょ?』
「そうだね」
『じゃあ、悪いのはあっちじゃない。難癖も何もつけようがないんじゃない?』
公爵は微笑みを深くした。
「ツィル。例えばこの部屋と廊下の明確な区別はつくかな」
ツツィーリエは質問の意図を推し量るように黙るが、ゆっくりと手は動かす。
『分かるわ。扉があるし』
「そうだ。じゃあ」
公爵は懐から一枚コインを取り出す。
「このコイン。どこまでが表でどこまでが裏だと思う?」
公爵がツツィーリエにコインを渡した。ツツィーリエはコインの数字が書いてある方を見せる。
「そうだね。そこは明らかに表だ。じゃあ、側面はどこまでが表?」
ツツィーリエがコインの側面を覗き込んで質問の趣旨がようやく分かったようだった。
『国境が厳密に設定されていないっていうこと?』
「うん。あそこは冬になるたびに強烈な吹雪が吹いてね。たまに地形が変わるんだ。中立地帯を設定するのが精いっぱい。中立地帯には兵士を入れないっていう約束は取り付けたけど、破ろうと思えばいつでも敗れるからね、そんな約束」
『破ったら戦争になるんでしょ?』
「あっちは戦争がしたくてたまらない事情があるんだ」
ツツィーリエの首が斜めになる。
『なんで?』
「北の国の主要な産業は何か知ってる?」
『確か豊かな鉱山があって、鉄を中心にした輸出と金属製品加工が主要な産業よね?』
「そうそう。じゃあ、鉄でできる製品ってなんだと思う」
『………武器?』
「そう。あの国では武器が余ってるんだ。だから使わないといけない。鉄製品が売れなくなってしまえばあの国の主要産業が衰退することになる」
『輸出できるんじゃないの?』
「中々そうもいかない。我が国は自前で武器を製造できる程度には鉱物が取れる。他の国も大抵そうだ。だから北の国は得意先をかなり遠くに設定しないといけないんだけど、鉄製品は重いから大量に運ぶにはお金がいる。コストがかかれば値段が上がるし、値段が上がれば売れなくなる」
公爵は手を広げておどけて見せる。
「さぁ、ツィルが北の国の指導者ならどうする?」
ツツィーリエはしばらく考えていた。が、モヌワがその話に割り込んできた。
「売ればいいんだろ?じゃあ、相手を脅せばいい。武器ならいくらでも積んでるんだから」
公爵が小さく頷いた。
「彼らも同じことを考えた。で、彼らは周辺国に戦争を吹っかけて戦いに明け暮れるようになった」
『でも、それをしたらもう普通のやり方でものが売れなくなるわ。ほかの方法が取れなくなってしまう』
「それも正解。でも、そういう理性的に考えられる人間が当時少なかったんだろうね」
「お嬢、でも武器なら作り続ければいいんじゃないですか?」
『作り続ければ良い、じゃなくて作り続けなくてはいけないの。武器を作るのをやめれば今まで攻めてきた相手からの報復が待ってるから、作り続けなければいけない。戦争は国力を疲弊させるから常に続けることはできない。でも武器は作り続けなければいけない。鉱物資源は有限よ。いつか崩壊するわ』
「そうだね。模範解答だ」
公爵は小さく溜息をついた。
「でも、常に正解を出し続けられるわけじゃない。それに当時あの国が取れる選択肢はそう多くなかったんだろ」
『その国がこっちに攻めてくるってこと?』
「そう。あの国が抱えているジレンマから逃げ出すための選択肢に、この国を征服して自分の領土にするって言う項目が入ってるから」
ツツィーリエは唇に指を当てて考える。
「この国は豊かだからね。鉱物も取れるし、海にも面してる。土壌が豊かで、気候にも恵まれてるからたくさん食べ物が取れる。あの国からしたら、この国はとても魅力的な餌に見える」
それだけ強い国ってことだけど、と付け加えた。
「早々攻めれないから、私が公爵になってしばらくしてからあの国と戦争をしばらくやめようって趣旨の協定を結んだんだ。中立地帯の設定もその協定の内容の一つね」
『協定を結んでから今回みたいなことは起こったことがなかったの?』
「いや。頻繁に起こってる。でも、今回訳が違うのは、辺境伯たちがその部隊を攻撃しようとしてるってことだ」
『今までは違ったの?』
「辺境伯たちはさっきタレンス君が言ってたみたいに、一気に殲滅させて敵が事故にあったことにするとか、防衛線を設定してあっちが攻撃してくるのを待つのが普通だ。今回はなぜだか知らないけどあちらの部隊を攻撃従したがってる」
『なんで?』
「さぁ?言って誰かが止めないといけない状況なんだけど、辺境伯ってのが厄介でね」
公爵が少し疲れた表情を見せる。
「私の言うことは何とか聞くんだけど、他の人間の言うことを聞こうとしないんだ。でもあそこまで行って戻ったら春が来るし、そんな長い間留守にはできない。そこで、タレンス君」
「私に何とかしろっていうのね」
「そうだね。これがテスト。この問題を何とかできたら、しかるべき立場を用意してあげるし、2の侯爵との話も付けてあげる」
「………難しすぎるわ。正直私ではどうしようもないわね」
タレンスはお手上げといわんばかりに肩をすくめた。
「辺境伯に命令できるのは実質的には国守の公爵だけよ。2の侯爵の二男ていう肩書があっても難しいのにましてや今は勘当された身だし。いくら私でも無理」
「そこに私の代理がいればどうだい?」
「代理?誰」
「ツィル」
時が止まったかのように部屋の空気が動かなくなった。暖炉の火が薪を舐める音すら消え、雨の音も不思議な位耳に入ってこなかった。
「「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」」」
「いっとくけど正気だからね。私の正気を疑わないでよ」




