奴隷の少女は公爵に拾われる 80
モヌワが行ってから二人はしばらくパーティーの人の流れを見る。
会場にいくつか用意されている食事の台はいまだに盛況で、何人もの人間が知り合いと喋りながら列を作っていた。その間を給仕するための少年が走り回り、使い終わった皿や食器を回収しては洗い場の方に持っていってから洗い場から大量の食器を抱えて持ってくる。酒を乗せた盆を持っているのはある年以上の男女だ。ツツィーリエよりも年嵩だろうか。少年たちよりも美しく着飾っている彼らは洗練された動きで周囲を見渡し、酒が空きそうならそこにすぐに持っていき、なにか入用のものがありそうな雰囲気の招待客がいたらすぐに駆けつけ話を聞く。使用人どうしで一瞬のアイコンタクトが頻繁に行われ、会場全体へ網の目のように視線と意識を巡らせていた。その中でそれぞれが自分の思惑を持って動いている姿はツツィーリエにはとても興味深く映った。
「ツツィーリエちゃん。一つ聞いていいかしら」
ツツィーリエは人の流れから目を離しエレアーナの方に向ける。
「なんでこの髪飾り、私のだって気づいたの?」
エレアーナは自分の髪の中に隠した髪留めを指していった。
「ここにはこんなにたくさん人がいるのに」
ツツィーリエは特に感情の浮かんでいない表情でじっとエレアーナを見つめる。
「それにこんな広い会場で私がいる場所を見つけたし。どうやったの?」
ツツィーリエはこちらを見つめる茶色い瞳を夕日の様な瞳で見返す。が、ふと視線を少し下げおもむろに手のひらを上に向け水を掬うように両の手を組んだ。そうしてできた手の器に仄青い燐光がこんこんとわきだす泉のように満ちて行く。ある程度溜まってツツィーリエが掌を広げると指の間から燐光がしたたり落ち、それがツツィーリエを中心として螺旋状に回り始めた。その螺旋が少しづつ広がっていくと、目を凝らしても分からないくらいに赤く色づいていた空気がどこかに散っていきその色をとるのをやめる。心なしか周囲の雑音も大きくなったように感じた。
「やっぱりね」
エレアーナは特に驚いた様子もなく髪を掻き上げる。
「でもあなたくらいの年齢の女の子の中に魔法が使える子がいるなんて聞いたことがないわ。特にこの国では」
とても興味深そうにツツィーリエのほうを見つめる。
「あなた、だれの娘?」
ツツィーリエはしばらく口も手も動かさない。
「別にあなたが誰の娘でも私は構わないわ。もし仮にあなたがこのパーティーに潜入して誰かを暗殺しようとしている小さな暗殺者さんであったとしてもね」
悪戯っぽい笑みを浮かべてウインクをして見せる。
「ただあなたに興味があるだけ。でも嘘をついたら嫌よ。私は嘘を見抜くのが割と得意なの」
ツツィーリエは瞬きひとつせずエレアーナの瞳を見つめ続ける。
「………ほんとにきれいな目ね」
『ありがとう』
ツツィーリエの瞳はたくさんのランプの照明と月明かりが混ざった光を反射してその赤い色を複雑なものにしていた。夕日のように服の意匠は凝らされているが間近で見ると揺らぎやすい光というより絶対的な硬さを持つ宝石のように見えた。
ツツィーリエはしばらくエレアーナの瞳を見つめてから、ゆっくりと音のない言葉を紡ごうと口を開く。
「おい、そこの女!こっちにこい!」
その時、二人の方に乱暴な声が掛けられた。ツツィーリエとエレアーナがキョトンとした顔でそちらを向く。
少し遠くから声をかけたのはまだ若い金髪の少年だった。
年の頃はツツィーリエよりも若いだろう。顔にはどこか見下すような若い笑いを浮かべているが、整った顔立ちの性かどことなく憎めない。服装は縁に緑を使った鮮やかな青いスーツタイプの上着に白いシャツ、首元に緑の蝶ネクタイをつけ、膝下丈のズボンを履いている。そのどれもしっかりとした誂えで、鮮やかな金髪と白い肌、整った顔立ちが体を包む服を照らす太陽の様に見える。体つきはまだ成長しきっていない男子のそれで、服の裾から見える足はどちらかというと痩せていた。
彼の装飾品は一つだけつけた指輪と、後ろの方で彼に付いて回る数人の少女たちだ。年齢はツツィーリエと同じ程度の者から更に年嵩の者、下はかなり若く少年の肩ほどの身長の者まで幅広い。そのどの少女たちも気合の入った着飾り方をして顔には流行に則った化粧、豊かな髪には豪奢な王冠かと紛うような髪飾りをつけている者もいる。その多種多様な少女たちに共通しているのは、彼女達が囲む少年に対する欲望に満ちた目だ。皆がこの少年の心を射止めるのは自分だと固く信じその為に心を砕いているのが、そういう事に疎いツツィーリエの眼から見ても分かった。
その注目の的になっている少年の緑かかった青い目がエレアーナとツツィーリエの方向を不敵な笑みと共に見つめていた。
「そうだ、そっちの髪が黒い方だ」
少女たちの視線とエレアーナの視線がツツィーリエの方に向く。ツツィーリエの服装は決してここのパーティーにいる貴婦人たちのものに劣るものではない。ツツィーリエの持つ美しい肌と髪、瞳と人形のように整った顔立ちを最大限引き出す様に作られた最高のものだ。だが、派手さという点では後ろの少女たちの物には劣る。少女たちは、最初に吸い込まれるようにその瞳、まっすぐ流れる黒髪を見てから、安心したようにその服を見て何かを見下すような眼でツツィーリエを見た。
ツツィーリエはその少女たちの視線に気付いていないかのように自分を呼ぶ少年の方を見ると、興味なさげに視線をエレアーナの方に移した。その視線の動きに少年の表情が強張り、後ろの少女たちはツツィーリエに意地の悪い笑みを浮かべる。
「行かないの?」
『私は今エレアーナと話してるから』
それから全く少年の事を忘れた様にエレアーナと会話を続けようとした。
「おい!僕が呼んでるんだ!こっちに来いって言ってるだろ!」
苛立ちを隠さない怒声がツツィーリエに向けて発せられる。彼の眉間には怒っている事を誇張するように浅い皺を刻み、少しでも体を大きく見せようとしているのか無意識に体の筋肉が強張っていた。
その様子を見下すような冷たい目だけを向けて見やると、また無視するようにエレアーナの方に目を向け直した。
その様子を見た少年は肩をワナワナと震わせて怒りをあらわにする。その様子を見た取り巻きの少女たちは先程までの優越感に浸った表情を一変させて不安げな表情になり、恐る恐る声をかけた。少年はその声を無視するようにツツィーリエへと激しい目を向け、ツツィーリエの方に詰め寄ろうと一歩踏み出そうとする。
が、
「……ん……」
それを途中で踏み止めると何かを思いついたようにニヤリと笑って見せ、後ろにいる少女たちの方に劇がかった様子で両手を広げながら宣言した。
「見ててよ。あの生意気なのがこっちに来るから」
そしてその優越感に浸った表情のまま胸一杯に息を吸い込むと、ツツィーリエを見て一言静かに言葉を発した。
《―――こっちにこい―――》
その言葉を発した瞬間エレアーナの髪がふわっと持ち上がり周辺に火の粉のような燐光を飛ばす。ツツィーリエは最早振り向く事はせず耳の横でまるで蠅でも追い払うように手をはらって見せた。その瞬間頭に直接響くような妙な反響音が近辺に広がる。
その音を聞いた瞬間に自信満々だった少年の目が大きく見開かれた。そのままよろめくように一歩下がりそうになるのをギリッと奥歯を噛み締めて辛うじて堪える。少年の目にどうあっても崩れなかった余裕の光が消え、怒りに似た感情の炎が燃え上がった。
真剣な表情で静かに大きく息を吸いはじめると、その少年の首筋に鮮やかな光が浮かび始めた。その光は今までツツィーリエやエレアーナがやっていたような静かな感覚ではなく、火薬が爆発する直前の大きなエネルギーを蓄えた存在を感じさせた。
そのエネルギーの放散は魔法を使わない人にも感じることのできるほどあからさまだった。周辺の参加客が何事かとツツィーリエと少年のほうを向き、まだ見えないがモヌワの巨大な足音が猛烈な勢いで近寄ってくるのが聞こえる。
まるでチョーカーのようにその光が首を囲むと、その少年が大きく口を開いた。
「何をしている、ファーフ」
少年が口を開き喉の奥から音が生まれる直前に、その少年の真後ろから怒気に満ちた言葉がかけられた。
少年の顔から一気に血の気が引いて顔面が蒼白になる。紡がれようとした言葉は少年の吐息となって消え、動こうとしていた舌は凍りついたように動かない。カタカタと震えながら、ゆっくりと少年は声の主の方を振り返る。
「お………お父さん」
そこに立っているのは、少年以上に鮮やかな金の髪に草原を想起させる緑の瞳、他を威圧するような雰囲気の持ち主。
「父上と呼べと何回言ったらいいんだ」
このパーティーの主催者。国富の公爵だった。




