奴隷の少女は公爵に拾われる 8
「生存が確認できた奴隷は300人でした。そのうち現在病院で治療を受けているのは242人。残りの58人のうち、治療を受けさせる前に死亡したものが54人。残りの4人は治療を受けるまでもなく健康であるということですので、現在男爵分隊預かりとしています」
「病院に行った奴隷達の容態は?」
「労働用ということで集められた200人程度に関しては衰弱の激しいものもいますので長期間の療養になるかと思いますが命に別状はありません。ですが、やはり薬を嗅がされていた奴隷達は―――」
と、男爵がちらっとツツィーリエの方を見て口をつぐむ。
「手遅れ?」
「………おそらく」
「全員?」
「数人はまだ薬を嗅がされた回数が少なく、後遺症の程度にもよりますが命に別状はありません。ですが、殆どは……はい……」
「そうかい。じゃあ、あとで確認するからそこに書類おいといて。あと、病院の治療費だけど」
「はい、いつもどおり捜査にあたって必要な病院関連の経費は国富の3の伯爵に―――」
「いや、国富の2の侯爵に申請してくれないかな」
「え?あ、はい。かしこまりました。ですが、なぜまた」
「いいんだよ。彼の家の方が病院に近いだろ?」
「ですが、医療費に関する公的な支出はほぼ全て3の伯爵の管轄です。おそらく金を出し渋るでしょう」
「そうだね、一応私からの要請という事を伝えてそれでもまだごねるようなら」
公爵が持っていたカップに口をつけて一口飲み込む。
「もっと調べてもいいんだよ、って伝えて」
「……という事は」
「2の侯爵は絡んでるだろうね。彼は外国からの大規模貨物の輸入の領域で強い力を持ってるから、それを船に乗せてその中に奴隷を紛らせることくらい訳ないだろ。私ならともかく、海からの検閲現場を仕切ってるのは国守の1の子爵だ。あまり国富の侯爵の荷物を強く調べる事は出来ないんだろうさ」
「では国富の侯爵を徹底的に洗い出してやりましょう!」
「それをしたらあちらさん怒るでしょ。国富の貴族たちがどこまで絡んでるか分からないのに余り突くのは得策じゃない」
「得策かどうかは関係ありません!我々は国内の治安維持と正義のために、この国から奴隷という存在を一掃しなければなりません!」
「落ち着きなさいな」
公爵は細い目で若い男爵を見ながら言った。
「私も奴隷売買がこれ以上続く事は望まない」
ツツィーリエが口に大きくものを頬張って咀嚼しながら公爵を見る。
「国富がこれでやめるならよし。奴隷関連の支出を全部国富の侯爵に回すことであちらに警告はした。今は海からの検閲と国境警備に力を割いてこれ以上の奴隷流入を防ぐことが肝要だ。やめないなら警告通り徹底的に調べるさ」
公爵が持っていたカップをテーブルに置く。
「だから、とりあえず君は確保した元奴隷たちの回復と、回復し次第彼らを故郷に送還して上げることに集中しなさい。必要な書類と根回しは私が揃えるから」
「……はい」
「あと、私はしばらくこの子の面倒をみるために現場に出るのを自粛するから」
「え!?」
「君にはこの件に関しての報告と、各方面の連絡係をしてもらう。忙しくなるよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。しばらくというのはどの程度に?」
「さぁ、結構長くなりそうだね」
「少し急すぎではありませんか」
「ま、そうだね。でも、私としても私がしっかりしてるうちに後継者を育てておきたいんだよ。抱えてる案件はちゃんと処理するから、手伝っておくれ」
「はぁ………」
男爵は口いっぱいに頬張っているツツィーリエを見る。その視線を感じてツツィーリエも見返す。
ツツィーリエは男爵の顔をジッと見ると、その髭を指さし、少しだけ顔をしかめた。
「な、なんだい?御令嬢?」
「君には髭が似合わない、って言ってるんじゃないか?」
「ほ、ほっておいてください!私は好きでこの髭を生やしているんです!」
「好きなのは髭では無くて、1の侯爵令嬢だろ?」
「な――――ッ!!」
「悪い事は云わないから髭は剃りなさいな。折角の好漢が台無しだ」
「う……そ、それなら、御令嬢!ジェスチャーでは無く言葉で言ってください!」
「あぁ、それは無理だ。娘は喋れないんだ」
「はぁ!?」
「まだ文字も読めない」
「はぁぁぁ!!??」
「言っただろ。この子の面倒をみるって。数年、下手したら十数年かかるだろうね」
「その間、ずっと現場に出られないおつもりですか?」
「他国との戦争でも起きない限りね」
「そんなことしたら―――」
「そんなことしたら国守の貴族たちが勝手に動き始めるって?」
皺の浮いた顔にわずかに微笑みを浮かべる。
「うっ……そ、そうです」
「心配ないよ。彼らはちゃんとやってくれるさ。それに―――」
細い目の奥を灰色に光らせながらほんの僅かに微笑みを深める。
「勝手はさせないさ。私の腕はとても長いんだ」
その目を見た男爵は、背中に冷たい汗を流して生唾を飲み込む。
彼はのちのこの時の心象をこう語ったという。
その時の公爵は、まるで全く牙をむかず自分の巣で楽に前足をくむ虎を見ているようだったと。
これが数百年続くカダ王国に置いて、国防、治安維持、国境警備、武力制御、この国の剣という剣、盾という盾を司る国守の貴族の頂点、虎の紋を背負う者として隣国から引き取られ、その母国を撃ち滅ぼし、数十年この国の権力の一翼を強力に担う者の迫力なのだと。
この感覚は、王国の両腕両足ともいわれ司法を中心とした力を持つ国守の貴族と、王国の心臓含めた諸内臓器官ともいわれる財政税務一切及び貿易、外交に関して圧倒的な影響力をもつ国富の貴族、王国の頭部と言われる行政立法を司る王族、それらを中心にゆったりと、しかし大きく力を持って展開されていく物語の序章、それの始まりを告げる感覚であったのかもしれない。




