奴隷の少女は公爵に拾われる 7
ツィルと公爵はその後特に何か話すでも無く、おのおのの食事と食後のコーヒーを堪能していた。ツィルがテーブルの上の食事を一人で半分ほど片付けて、公爵がコーヒーを半分ほどの見終えたところに、ラトがドアを開けて入って来た。
「ご主人様。1の男爵様がお見えです」
「ありがとう。入ってもらって」
「失礼します!」
一礼して下がったラトの後ろから入って来たのは、昨日の奴隷市場襲撃の際にもいた、公爵に比べればずいぶんと若い青年だった。赤くツバの広い派手な帽子に羽飾りをつけ赤いマントを入っている。マントの留め具には剣の紋章があしらってあり、マントの陰、腰の部分には細工は美しいが実用性を伴っている細身の剣を帯びている。体には若さとエネルギーがみなぎっていて、目は爛々と輝いている。
だが、その顔に生えている口髭は全くといっていいほどに合っていなかった。
「閣下。昨日の奴隷市場襲撃の件に関して報告しに参上しました」
踵を合わせて勢い良く敬礼する。
「ご苦労様。まぁ、座ってよ。」
「いえ、そういう訳には」
「テーブルの食事を少しでも減らしてくれると嬉しいな。マーサがたくさん作り過ぎてしまってね。残してしまったら悪いから」
テーブルの上にはまだかなりの量の食料が残っている。ツツィーリエの食べる勢いは衰えていないが、おそらく全てを食べきるにはかなり時間がかかるだろう。
「彼女が一人で食べてしまったら、横と縦の幅が一緒になってしまうよ」
「は、かしこまりました。ですが、さすがです、公爵」
「なにがだい?」
男爵は貴族らしいしなやかな動きで椅子に座る。
「私はあれから今まで考えていて、そしてこのようにたくさん食べるこの少女を見て確信しました。公爵があの場でこの少女を買ったのは自分の手で救える人間を増やすため、男所帯の我々男爵分隊ではフォローしきれない心の傷を穏やかな人物の多いこの公爵邸に一時的にせよ引き取ることで癒そうというお考えなのでしょう、私は心底感服しました」
「君はよく喋る上に一人で暴走するところがあるね」
「それくらい心底感服したのです」
公爵は苦笑しながらコップを置く。
「この子を引き取るのは一時的じゃないよ」
「公爵家の所有物とされるのですか?ですが後見人のいない奴隷は家に所属できません。公爵にご子息がおられるならそちらに所有権を移譲できましょうが―――」
「いるよ?」
「ご冗談を。閣下にご子息がおられないことがここ十数年どれだけ問題になっているとお思いになってるんですか」
「いやいや。その問題が昨日解決したんだ」
「どこかの女を孕ませたのですか?」
「……君はよくわからないところで礼儀を忘れるね」
「も、申し訳ありません。しかし、その話が本当なら直ぐにでも皆に知らせねば」
「女性を妊娠させてはいないよ。私がそういうことをしないことは知っているだろ?」
「それは、まぁ。ですが、それなら養子を取られらのですか?」
「そうだよ」
「どこの貴族のご子息を養子にされたのですか」
「貴族じゃないと思うけどね」
「市井のものですか?」
「聞いてみようか」
公爵はサラダを口いっぱいに頬張っている少女に顔を向けた。少女を頬をふくらませたままそちらを向く。
「君は奴隷になる前にどこにいたのかな?」
少女はもぐもぐと咀嚼しながら首をかしげる。
「まぁ、わからないかな」
「閣下。閣下が養子にされたという人物を私にも紹介していただけますか?」
男爵は自然な動作で目の前に自分の分の紅茶を取ると、それを飲まずに自分の前に置く。
「君は普段頭が切れるのに自分の想像から離れるところに行くととたんに頭が動かなくなるんだね」
公爵はナプキンを取ると、ツツィーリエに手招きをする。ツツィーリエは口をもぐもぐさせながら椅子を降り、公爵の方に歩いて行った。公爵は彼女を持ち上げると膝の上に乗せて食べ滓のついた口を拭ってやる。
「ほら、ツツィーリエ。男爵くんに挨拶しなさい」
綺麗になった顔を目をパチクリさせている男爵に向け、食べ物を頬ばったまま男爵の目をジッと見つめる。赤い瞳が男爵の若い目と交錯する。それから口の中のものを飲み込んで軽く会釈した。
「………閣下?もしかしてですが…」
「なんだい?」
「奴隷を、虎の紋を負う国守の公爵の娘にされたのですか?」
「そうだね」
「………まさか跡取りにされるおつもりですか?」
「そうだよ?」
「公爵閣下!」
テーブルを思いっきり叩きながら椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。その音に、公爵とその膝の上に座る娘は全く動じたように見えなかった。
ツツィーリエは衝撃でずれた皿を元の位置に引き寄せて食事を再開し、公爵は男爵が机を叩く前に自身のコップを持ち上げていた。
「そんなこと、国守の貴族どころかこの国の貴族全員、いや王も認めませんよ!」
「王については問題ないよ」
「問題大ありです!」
「問題ないったら。王が私のすることに賛成するわけがないだろ?だったら何をしたところで同じなんだから問題ないよ」
「その理屈はおかしいです、閣下」
「国富の貴族たちもおそらく問題視しないだろう。彼らは非常に現実的だ。彼らの懐に対して不利益にならなければすぐに反対勢力などいなくなる」
「ですが、国守の貴族たちは、直接国守の公爵の下で動く国守の貴族たちは確実に反対します!」
男爵の額に汗が滲んでいる。
「じゃあ、誰が適任だと思うかね?次代の国守の公爵の、だが」
「それは、順当に行けば国守3侯爵のご子息のいずれかに―――」
「1、2の侯爵は割と仲がいいけど、3の侯爵とは仲が悪いじゃないか。あそこの子息から跡取りを決めてしまったら国守の要の侯爵のあいだで亀裂が起こる。そんな事態になるくらいなら虎の紋は空席にしたほうがいい」
「3侯爵による共同管理ですか?そんなことになったら国防や治安維持、貴族たちの警備の対応が遅れます」
「だろ?まぁ、いずれは考える必要もあるだろうが、何も今でなくてもいい。だから侯爵たちからは跡取りを取れないんだ。2の侯爵の次男なんかは頭も良いし度胸もあるから一時期は考えたんだけどね。まぁ、仮に仲が良くても3侯爵の地位の平等が揺らぐようなことをすればすぐに亀裂が入るだろうけど」
「で……でしたら、ほかの国守の貴族から――」
「伯爵とか子爵から跡取りを取ったら3侯爵が揃って黙ってないだろうさ。3侯爵を黙らせるくらいの力と能力がある子がいないんだよね。君とかも考えたんだよ?」
「へ?私ですか?」
「そうそう。君は若いし人を惹きつけるところがあるからね。落ち着きがないところもこれから経験を積めば改善されるだろうさ」
「お、恐れ入ります」
「だけど、君は男爵ということで地位が低いし、1の侯爵に恩がありすぎるからね。きっと1の侯爵の頼みを断れないだろう」
「そんなこと。私は背負う紋に従って行動いたします」
「そうかい?1の侯爵が例えば会合に遅れるといった少し叱る程度の失態を犯した時、君はほかの貴族と同じように叱れるかな?」
「も…もちろん」
「本当に?その程度の失態を大目に見れないほど、1の侯爵に対する恩は軽いものなのかい?」
「それ…は……」
「君はできないだろうね。君は恩に厚い気持ちの良い若者だ。それだけに小さなところでは非情になれないだろうね。そして、少しずつ妥協が始まるだろう。最終的には重要な作戦を彼の意向に半分以上沿うような形になるだろうね。何年がかりになりかしらないけど」
「それは公爵の想像です!」
「そうかい?本当にそう思うかい?」
「う…」
「ほかの貴族もそうだ。3侯爵の誰かに恩がある人たちばかりだ。3侯爵の権力の平等は守られなければならない。それは後々まで大きく影響することだからね」
「………」
「国富の貴族から取るのは論外だ。彼らは間違いなく自分の所属していた国富の陣営の有利になるような兵の動かし方をするだろう。それでは困る。王族も同様だ」
「ならば市井のものの中でも有力な力を持つ者はいます。その中から」
「まぁ、それも考えだんだけどね。まず適任がいない。国富の貴族の力が強くなりすぎているからね。市井のものを採用したら、我々の武力を狙っている国富の貴族たちの格好の的になってしまう。まぁ、この子がいなければおそらく市井のものから候補を選んだとは思うけど。そうなっても貴族たちからの反対は避けられないのは、この子と同じだ」
「な……ならば」
「他国の貴族とか言わないでおくれよ?そんな異分子が入るのは私の代だけで十分だ」
「……」
「この国の柵から隔絶された環境にいたこの子なら、その点の面倒なことは片付けられる。この子に能力があると認めれば、唯々諾々とは言わずとも私の時と同じように皆従うさ」
「ですが、この子に能力がないとなれば」
「あるさ。私が選んだんだもの」
「閣下の直感だけですか?」
「そうだよ」
「………」
「その証拠にこの子は魔法も使える」
「え!?」
男爵は伏せかけていた頭をばっと上げる。
「奴隷が魔法を使えるのですか?」
「そうだよ」
「………」
「教育も僕が施す。知識と知恵があるんだから問題なく回せるさ」
「………」
「はい、この話は終わり。正式に書類をまとめて私の娘になったら改めて正式に報告するよ。別にほかの人に喋ってもいいよ。隠すことじゃないし。じゃあ、奴隷市場鎮圧の報告を聞かせておくれ」
「は…」
男爵は若い顔を混乱させた表情のまま持ってきた報告書を束に向けた。




