奴隷の少女は公爵に拾われる 52
「門まで送るよ」
「お気づかい痛み入ります」
丁寧にお辞儀をする。公爵が応接間の扉の方に歩いて行くと、そのタイミングを見計らったようにその扉が外側から開く。
「ラトか。お客様はお帰りだ」
扉を開けたのは、白い口髭の似合う執事だった。仕立ての良い高級そうな燕尾服を身につけ、年齢を重ねたものが持つ威厳のある白髪は丁寧に撫でつけられている。立ち姿だけで分かる完璧な所作と穏やかな瞳は、彼が完璧な執事であることを示している。今は片手に紙の袋を持っている。
「かしこまりました」
彼は二人を先導する様な形で玄関の方へと歩いて行く。
「公爵閣下。そう言えば噂では養子をお取りになられたとか」
「あぁ。数年前になるかな」
公爵と使者は靴音の響く廊下を歩きながら会話をしていた。
「貴族では無く、奴隷の身分の者を引き取ったと聞いているのですが」
「そうだよ。他国とはいえ王族の血を引く君には受け入れがたいかな?」
「とんでもない。王であろうと何であろうと人は人です。職業に付くなら適正が問われるだけです」
「そうだね」
「しかし、やはり国内の反発が予想される人事でしたので」
「人事か」
公爵が楽しそうに笑う。
「確かにそうだ。人事だね。でもまぁ、私が生きてるうちは表立って反発しないだろうし、娘に引き継がせる前になるべく環境を整えるつもりだ。何とかなるでしょ」
「娘?女性を引き取ったのですか」
「そうだよ。噂、とやらでもう知ってるだろ?」
公爵が横を歩く使者を横目で見ながら片眉をあげる。
「噂とは不確定なものですから」
公爵は肩を竦める。
「隠してるつもりはないけど、余り外に出ないからね。娘の事を見た事のある人の方が少ないだろうさ」
「お近づきになれれば良いのですが」
「娘とかい?別にいいけど君みたいな色男と会って娘が取られると困るね」
「御冗談を。気付いていたら小さな雌虎の牙に噛まれかねません」
「取って喰いはしないさ。お腹が減っていたら知らないけど」
使者は快活に笑った。
「では御令嬢とお話しできる機会があればお呼びください。出来れば昼食の後にでも」
「そうするよ。そう言えば国富の公爵の所にも息子がいただろ?」
「はい。主には息子がおられます」
「一人かい?」
「今のところは」
「あそこも女性の出入りが激しいのに上手くやってるものだね」
「主もそこはしっかりされているようです」
「隠し子なんか出てきたら面白いだろうに」
「悪い冗談です」
使者は苦笑いを浮かべながら大げさに体を震わせて見せる。
「幾つになったんだっけ?」
「10を超えて確か初期成人辺りだったと」
「てことは、まだ20にはなってないんだ」
「とんでもない。20になって本成人するのは数年先の話です」
「若い子が育つのは楽しみなものだ」
「そうですね」
「君も含めてだよ。さっきの人事の話じゃないけど、君もずいぶん反対があったんじゃないかい?」
「他国の公爵のもとで働く事に対してですか?主は我が国でも顔が利きますから、そこら辺はうまくまとめてくださったようです」
「さすが」
公爵が息を吐くように少し笑った。
喋りながら歩いていると、玄関ホールに続く広間に到着した。公爵の邸宅とは思えない殺風景で何もない空間で、応接間の壁とは違う武骨な石の壁が頑丈に積まれた要塞然とした佇まいをしている。
「では、この辺りまでで大丈夫です。本日は貴重なお時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」
「別にいいよ。君も貴重な情報をありがとう。国富の公爵によろしく言っておいてくれ」
「伝えさせていただきます」
と、使者は優雅にお辞儀をして踵を返しかけた。
「ブィールルさん。よろしければこちらをお持ち帰りください」
ラトがその使者に声をかける。
「何をですか?」
使者は返しかけた踵を戻し、首をかしげて尋ねた。ラトは使者の手に、自分が持っていた小さな紙袋を手渡す。
「マーサが作った焼き菓子を包んだものです。ブィールルさんがお好きだと聞いていますので」
「これはこれは」
彫の深い顔に本気の笑顔を浮かべて紙袋の中を確認する。その臭いを少しだけ嗅いでうっとりと眼を細めると、深く息を吐いた。
「大事に食べさせていただきます。本当に国守の公爵閣下がマーサさんとラトさんの引き抜きに応じてくれなかったのが残念でなりません」
「国富の公爵の厨房にも優秀な調理人がいるだろ?」
「それはそうですが、やはり、マーサさんの菓子が一番ですね」
と、使者は何かを思い出した様に眼を開く。
「大事な用件を一つ忘れておりました。これを忘れると主に怒られてしまいます」
この国の人間よりも濃い肌の色をした腕をマントの隠しに突っ込むと、中から綺麗に装飾が施された封筒が取り出された。淡い桃色に色づけされて、驚異的な繊細さのレースを封筒全面に敷き詰めている。
「我が主、国富の公爵主催のパーティーを今度開く予定にしております。そのパーティーに是非国守の公爵閣下にもご参加いただきたいと、主が申しておりました」
「ありがと」
公爵はその封筒を受け取ると、一瞥をくれただけで特に何も反応はしなかった。
「閣下が参加されるまで招待状を送り続けると、主は息巻いておりました」
「参加した後もそうするんだろ、きっと。行く気になったら行くよ」
「よろしくお願いします」
最後にラトに向かってお土産の礼を丁寧に述べて、慣れたお辞儀をすると玄関の扉に向かって歩き出した。その後をラトが速足で追い、扉を開けると門の所まで使者を案内するために玄関ホールを出た。
「パーティー、ね。面倒だな」




