奴隷の少女は公爵に拾われる 44
「ここで見たこと聞いた事は他言無用だからね。分かってるとは思うけど」
「もちろんであります!」
礼儀正しい敬礼と共に拷問部屋にいた男たちが姿勢を整える。
「この人、治療した後牢屋に入れといてね。大人しいとは思うけど、あんまり刺激しないように」
と、公爵が言い部屋を後にする。それを追うように分隊長が走り、後の者は片付けにかかる。捕虜は生気のない目で床を見つめながら何か意味のない音をぶつぶつと呟いて、周囲がそれを気味悪いものを見る眼で恐々と鎖を外しにかかっていた。
地下牢から上がる階段をのぼりながら、公爵が少し困ったように頭を掻いていた。
「三日後かぁ。中途半端に長いね」
『十分準備できるじゃない?』
数人分の足音がカツーンと階段に響く。
「あっちもね。今回はあっちの方が先手を取ってるから好きなタイミングで動ける。密偵が私に捕まったと分かったら、私なら計画を変更する」
「どこか分かりませんが、不埒な事を考えている輩を我々で襲撃すればよいのでは?」
「お前も娘と同じことを言う。でも駄目だよ。とりあえず、しばらくは国富3の侯爵の警護だね。ばれないようにしないといけないな。多分、彼の屋敷の中に既に伯爵の手の者が入ってるから」
『こっちも入れてるんでしょ?』
「一応ね」
詰め所に出入口に辿りつくと、公爵が分隊長の方を振り向く。
「今日は面倒かけてすまなかったね」
「滅相もありません!我々は公爵の指示のもと死地に赴くことすら厭いません!」
その言葉に苦笑する。
「馬車を用意してもらえるかな。ここから家まで帰るのは娘には少し遠いから」
「用意してございます。こちらへ」
分隊長が出入り口から出てすぐの所にまで案内をする。そこには巨大な黒い馬が鼻息を鳴らして戦車かと紛うような外観の馬車に繋がれていた。御者もその馬と馬車に匹敵するくらいに堂々たる姿勢で手綱を握っていた。
「……何があっても大丈夫そうだね」
「もちろんです」
御者が馬車の扉を開けると、公爵はツツィーリエを抱え上げて馬車の中に入れる。
「私がやったのに」
モヌワがこういうと、公爵が笑う。
「ツィルは軽いから私でも大丈夫だよ」
「お嬢を抱えるなんてうらやましい…」
「いつでも抱えたらいいじゃない」
「そんな恐れ多い」
モヌワが体を震わせる。その様子をツツィーリエがジトッと見つめている。
「どうしました、お嬢?」
首をかしげてモヌワが尋ねる。その手は無意識にワキワキとしている。
『早く乗って』
それだけ手話で伝えるとスッと馬車の中に引っ込んだ。
「そうだね。さっさと帰ろうか」
公爵は普通の馬車より少しだけ固い位置にある扉をに楽々と乗り込み、最後にモヌワが窮屈そうにしながら馬車の中に入って扉を閉める。
その日からしばらく公爵は何かの準備に明け暮れていた。ラトや1の男爵、治安維持官など数人の人間が頻繁に公爵邸を出入りし、公爵はそれらの全てに対して迅速に対応していた。屋敷の少し奥の方にある公爵の執務室では無く、前にモヌワがいた屋敷の出入り口に近い医務室で主に書類仕事を行い、軽い食事を数回取っただけで後は全く寝ていないのではないかと思う位に何かの書類とにらめっこをして隣で同じように仕事をしているラトに声をかけ、報告に来た治安維持官や1の男爵、侯爵分隊の兵に素早く指示を出していた。あっという間に山のようにたまる報告書と報告のメモを一回ちらっと見ただけで脇にやり、新たな指示の概要を書いたメモ書きを認め、必要な書類の準備をする。ラトはそのメモ書きを一瞬確認すると、ラトの手元にある書類と整合性を確かめてから公爵の準備している書類を最後に見て、最大限公爵の負担を減らすように先に先に仕事を消化していく。その部屋に響く音は、公爵とラトが最低限の言葉で意思を伝達する声と紙がこすれる音、ラトが椅子から立ち上がる音、ペンが紙の上を走る音だけだ。
ツツィーリエはその様子を公爵がいらないと判断した報告書の山を公爵の執務室に運びながら観察していた。
「仕事の鬼みたいですね」
ツツィーリエと一緒に膨大な量の資料を運びながらモヌワがツツィーリエに話しかける。ツツィーリエはその言葉に頷くと、公爵の執務室の扉を開く。しばらく使われていない執務室には、書類の山が最早何かの家具のように乱立していた。一つの山がツツィーリエの肩程の高さがあり、通路を形成している。その通路の一つになるように書類の束を置くと、その書類の山から数枚の書類がひとりでに抜けだし執務室の扉を隙間から飛んで行った。
「公爵様ですか」
ツツィーリエがまた頷く。
「いつでしたっけ。あの捕虜が言ってたのって」
『明日だよ』
モヌワが腕を組んで唸る。
「ちゃんと来るんでしょうか。計画を早めるってことはなかったみたいですけど」
『何もしない可能性の方が高いって、お父さんは言ってたけど』
「だとするとまた面倒ですね」
モヌワが溜め息をつく。
「さっさとけりとつけて私の雇用状況を何とかして欲しいもんです。宙ぶらりんはつらいです」
ツツィーリエがモヌワの体を撫でる。撫でながら、ツツィーリエは書類の束をジッと見つめて何かを考えているようだった。




