奴隷の少女は公爵に拾われる 38
「なんだ、あいつら」
モヌワが突然湧き出した兵士たちに唖然とした表情を浮かべる。後ろの治安維持官も、赤いマントの男爵もいきなりのことに何が起こったのかよくわかっていないようだ。
「閣下、彼らは1の侯爵分隊のものでしょうか」
呆然とした男爵が満足げな表情を浮かべている公爵を見て尋ねた。
「そうそう。彼らは聞き込みとかするの苦手だけど合図があるまでじっとしてるってのは得意みたいだね」
「なぜあちらの岸に待機させていたのですか」
「私が合図をしたら出てきて、逃げた売人をとらえるか私たちの援護に回るように指示を出しておいたんだ。本当は近くにいてほしいんだけどあれだけの人数は、さすがにあんまり近いと売人に気づかれるだろ?」
「では、我々だけでは手が足りないと踏んでいたのですか?」
男爵が少し拗ねたように言う。
「常に最高の仕事を心掛けるのが君たちの仕事で、それに甘えることなく最悪の出来事を想定するのが私の仕事だよ。もし最初の情報より規模が大きかったらこの人数では対処できないでしょ」
「確かにそうですが」
「ツィルも連れてきてるしね」
公爵がツツィーリエの頭をなでる。
「捕えたのは何者ですか?まさか残りの売人の一人でしょうか」
「その可能性はあるけど、よくわからないよ」
「よくわからないのにあの仕打ちは」
「でもこのほとんど人通りのないところで、麻薬の売買が行わる晩に藪の中に潜んでこちらを見ている人が怪しくないとは男爵君も思わないだろ?」
「こちらを見ていたとは限りません」
「まぁ、話を聞いてみればわかるさ」
「そんな乱暴な」
「なりふり構ってられる状況じゃないからね。今の急激な麻薬の流通量上昇が非常にまずい状況なのはわかってるだろ?」
「それは当然ですが、もし無辜の市民に冤罪の疑いをかけることになったら貴族として示しがつきません」
「大丈夫大丈夫。彼は黒だ」
「売人ということですか?」
「それ以外かもしれない」
「根拠は?」
「勘さ、勘」
「そんな適当な」
「まぁまぁ、男爵君。君たちは今日捕まえた二人から話を聞くのと、出回っている薬の経路を調べておくれ。私はあの人に話を聞いてみるよ」
「閣下!」
「わかったね」
公爵が噛んで含めるように確認の言葉を繰り返す。
「わかったね?」
「……了解しました」
男爵はぶぜんとした表情のまま敬礼をすると、とらえた男を部下とともに抱えて歩き去っていく。
その後ろ姿を見送りながら公爵が顎を撫でていると、モヌワが近づいてきた。
「面倒くさい男だな」
「ああいう子がいないと組織は腐るばかりだ。それに優秀だ」
「で、さっき捕まえたのは売人じゃないだろ?」
「違うだろうね。売人なら隠れずに逃げてる」
「じゃあなんだ」
「1の伯爵の手のものだと私は思うね。囮を使った甲斐があった」
モヌワはそれを聞くと、信じられないものを見たように大きく目を開く。
「お嬢をなんでわざわざ連れてきたかと思えば、てめぇ自分の娘を囮にしたのか!?」
曇って月明かりがない街灯のみが光る闇の中で公爵の灰色の目が物凄い光を帯びてモヌワを見上げた。
「面白くない冗談だ」
モヌワはその強い感情のこもった眼を見て気圧されたようにその巨躯を一歩引く。
「ツィルを囮にする位なら伯爵に関連する施設を無理やり襲撃して伯爵ごと灰にした方がましだ」
『なんでそうしなかったの?』
ツィルは別に侯爵の目を見てもなんとも思わないように、まったく平然とした無表情のまま手話で尋ねる。
「なんでだと思う?」
『国富と国守が喧嘩するから?でも、そうしないように国富の貴族たちと調整した方が早いんじゃない?』
「乱暴な手法は最後の手段だ。それをしてしまうと戻れなくなってしまう。もっとも、最大の理由はこの国にとって国富の伯爵は必要な存在だからだけど」
『そうなの?』
小首をかしげる。
「この国で金を稼ぐ国富の貴族は須らく必要な存在だ。だから私はあまり国富の貴族の領分を冒したくない。この前の子爵のように正式に罪状がついていて国富の貴族との間にも調整がついているなら話は別だけど、今回の伯爵は黒に近いけどあくまで灰色だ。その状態でむりやり事件を解決しようとすると後々に禍根が残るし、何よりこの国で動かせる金の絶対量が減る。伯爵に正式な罪状がつけば他の国富の貴族が頼まなくても伯爵の権益を髪の毛一本残さず取り込む。そうなるのが、一番良い結果だ」
ツツィーリエはその言葉をしっかり考えるように唇を尖らす。
「じゃあ、囮って誰だ」
「そりゃ君だよ、モヌワ」
「私か?」
「伯爵としては気になるでしょ。殺したかった人間が生きてるんだから。すでに情報をしゃべっているとしても、動向を押さえておくのに越したことはない。ましてや薬の売買の現場に行こうとしてるんだから」
「………」
モヌワもその言葉に考え込まされる。
「別に深く考えなくてもいいよ。この件に関して突破口がほしくて伯爵側の人間から情報を聞きたいだけだから」
「でも、隠したいと思ってる事は喋らせることはできないんだろ」
「いくらでもやりようはある」
公爵がいつになくにっこりと笑う。それに対して何か言おうとしたところ
「公爵閣下!先程とらえた怪しい者、こちらに連行してまいりました!!」
真夜中とは思えないほどに大きな声と、先程の男爵のものより数倍仰々しい正式な敬礼をした兵士だ。軍服を身にまとい、丈夫な皮の軍用ブーツ。腰には幅の広い剣と、手には薄いながらも金属の手甲を装着している。顔には戦うことに関する誇りと絶対任務を遂行するといった強い意志。全身の雰囲気と動きのキレがまさしく職業軍人のそれだ。
「あぁ、ご苦労様、分隊長君。出来れば声を小さくしてもらえるかな」
「はっ!!申し訳ありません!!」
まったく小さくなっていない声による謝罪が、分隊長から送られた。




