奴隷の少女は公爵に拾われる 37
裏通りから抜けると石畳で舗装された道路が延びていた。街灯で照らされたところなら馬車などの往来が容易にできるようになっている。大きな道の真ん中に整備された河が流れていて、夜の闇に飲まれて見えないが絶えず川の流れる音が聞こえる。大通りではあるが、夜も更けているということで人影はまばらで精々いても千鳥足の集団か速足の神経質そうな男のみだ。だが、今宵はその人影の中に異分子が混じっている。その異分子は数人、あたりを警戒しながら立っていた。男女入り混じってはいるが全員戦うために体を鍛えていることがわかる動きと体付きをしている。その数人は公爵と男爵が出てきたのを確認すると一斉に安堵の表情になった。
「はい。二人捕まえたから。調査よろしく」
「了解です!」
公爵は担いでいた意識のない男を寄ってきた治安維持官に渡す。
「情報聞いた感じだともっと大規模だと思ってたんだけどね」
コリをほぐすように肩を回す。
「私が出てきてかえって気を遣わせてしまったね」
「いえ、そんなことは」
「あれ、君は公爵に気を使わないのかい?不敬罪だね」
「え!??」
「冗談だよ」
公爵はからかうように肩をすくめる。そして道に沿って流れる川のほうを向く。
「ツィル、モヌワ。帰るよ」
川沿いに植えられた街路樹の下に立っていた二つ分の影が、街灯の照らすところまで寄ってくる。
一人はここにいる鍛えられた治安維持官の誰よりも巨大な女性だ。胸のふくらみと顔のつくりから女性だとわかるが、闇から出てきた様を初めて見た人間がいればそれが人間なのかどうかすら判断に迷うだろう。腕には子供の腰ほどの太さの筋肉、体は服に包まれていても分かる岩の様な迫力があり、野生の熊と組みあっても一蹴で蹴散らしそうな強靭な肉体だ。
その山の様な体が薄氷を扱うような繊細さで気を使っているのは、闇の中でも目立つ赤い瞳の少女だ。年齢的にはそこまで小さくはなくむしろ少し背が高いくらいなのだが細身であるので横にいる巌の様な体との対比で非常に小さく見える。髪の毛は闇の中ですら目立つ黒でそれが長く伸びている。その黒と夜が肌の白さを一層引き立たせる。
「公爵様よ。私はやっぱり反対だ。わざわざお嬢に捕り物を見せるためにこんな危険な場所に連れて来るもんじゃない」
熊のような巨躯をかがめ周囲を警戒しながらモヌワが公爵に話しかける。
「そのうちツィルもこういう事を第一線に立ってするんだ。今なら私も君も守って上げれるけど、私がいつまでちゃんと働けるか分からないからね」
「もし万が一の事があったらどうするんだ」
「いつだって万が一の事は起きるさ。それに君が私の娘を守ってくれるんだろ?」
「当たり前だ。だが、わざわざ危険な場所にお嬢を連れて来る意味があるのかってことを言っている」
「確かに今日は余り収穫がなかったね。情報だとここではかなり大規模な取引があると聞いていたんだけど」
公爵は頭を掻きながら、ツツィーリエの方に顔を向ける。
「流石に捕り物がない時に、彼らにツィルを会わせるつもりはないからね」
『彼らって?』
ツツィーリエは手を動かして自分の意思を伝える。
「彼らは、泥人と呼ばれている。諦めた人だよ」
『何を?』
「希望」
公爵が少しだけ裏通りの方を振り向く。
「何かに失敗して落ちこぼれる人はこの世界にいくらでもいる。その中でも二度と立ち上がれないくらい叩きのめされてもう起き上がることを止めてしまった人たちは不思議とここに集まってくる。彼らは眼の前に希望が転がっていても拾おうとしない。その場所で伏せる事以外の事をしようとせず、それすらも邪魔する存在を排除する」
『薬でそういう風に壊されたの?』
「そういう人もいるかもね。でも、薬以外にも心が壊れる方法なんかいくらでもある。モヌワの様に何かを強く信じている人は特にそういう傾向が強い」
「なんでいきなり私を引き合いに出すんだ」
モヌワは少し不満げに顔をゆがめる。
「あ、その表情」
「ん?」
いきなり公爵がモヌワの顔を指差した。
「あぁ、元に戻っちゃった」
「なんなんだ」
「さっきの表情もう一回やって」
「いきなり何なんだ。怒るぞ」
モヌワは要領を得ない公爵の言葉に苛立ちを隠さない表情を浮かべる。
「その表情のまま止まって」
「嫌でもこういう表情になる。私の顔を見て笑いたいのか?」
「モヌワ」
「なんだ」
「君の右後ろに弓矢の光が見えた」
「なんだと!?」
モヌワが夜闇の中、般若の様な形相で言われた方向を振り向いた。仄かに白い街灯に照らされたモヌワの顔には陰影がしっかりと映り込み本能的に命の危険を想起させる恐ろしさがあった。
それに反応して、川向うの藪の、モヌワが言われて振り向いた所ではない所の藪が動いた。
「あぁ、そこにいたのか」
公爵はその藪の動きを捕えると、指を大きく弾いて合図を送る。弾いた音は指が出したとは思えない程大きく町に響き渡った。その音に反応して川向うの道沿いに建てられた民家の家々から大量の兵士達が溢れだしてきた。兵士達は皆血気盛んな雰囲気で公爵の周りにいる治安維持官や男爵とはまた違った、兵士然とした人たちだった。川向うで眼を皿のようにして人影を探す兵士達に、公爵が大きな声で呼びかける
「あそこの藪の中!」
という言葉を聞いた途端に大量の兵士達が藪を押し潰さんばかりの勢いで藪に突っ込んで行った。身の危険を感じた藪の中の人間がすぐに川の中に飛びこもうとするが、兵士達の足は速く飛びこもうと跳躍したその空中で兵士の屈強な腕に襟首を掴まれ、あっという間に数人の人間に上から体重をかけられまともに体を動かせない程強く制圧された。




