奴隷の少女は公爵に拾われる 1
木造の室内はかなり広くそして薄暗い。
衛生的ではない人間が大量にいる獣臭さが立ちこめている。窓には鉄格子と木の板がはめられていて、時間が分からない。鎖の鳴る音と苦しそうなうめき声。
その獣のような扱いを受けている人間たちの間を鞭を持った人間が通るたびに、うめき声も鎖が鳴る音もやむ。それでも時折何が気に食わなかったのか、何の意味も無くその鞭が振るわれ壮絶な痛みにくぐもった叫び声をあげる。
それを見ている周りは自分に被害が被らないことを祈り、打たれている人間を助けようとする気持ちがかけらも見られない。しばらくして鞭を振るうのにも飽きたのか空気を切り裂く音が止み、足蹴にして傷だらけの人間の息があるかどうかを確かめる。そして首に閉められた首輪の数字を見て鼻で笑うと徒に鞭を振るいながらその場を歩き去っていく。
去った後には無気力な鎖の音と痛みに泣く言葉の無い音が響くのみだ。
ここは奴隷市場だ。
「ここら辺の奴隷はいわゆる使い捨てってやつでしてね。安価で大量に提供する代わりに品質は保証しませんよってことで」
「はぁ」
「ところで、お客さん。お客様はどのような奴隷を所望で?」
その大きな部屋の天井付近に設置された通路を歩いているのは太鼓腹で趣味悪い極彩色の服を着ている男と、少し高そうな服を着ている男だ。
太鼓腹の方は脂ぎった髪と顔を神経質そうになでながら耳障りな声を上げて後ろに歩いてくる男に奴隷の説明をしている。
その声をかけられているのは白髪と銀髪が混じる髪を後ろで一つに纏めた長身の男だ。痩せてはおらず筋骨隆々とも言えない。目は灰色で年齢は壮年といったところだろうか。顔にはうっすらと皺が乗っている。服装の趣味は良いが奴隷を買いにくるような貴族達に見られるギラギラした目の光に乏しい。
「どんな奴隷というよりも……こっちの方には何があるんですか?」
太鼓腹がしきりに行う営業トークをほとんど聞き流しながら、薄暗い部屋を出てすぐの三叉路の右方向を指差す。
「おぉ、さすがにお目が高い。こちらには、まぁ、なんといいますか。別嬪を揃えてございます」
太鼓腹が粘性の高い笑いを浮かべる。
「いろんな需要に会わせた…ね?これ以上はここでは言えませんや」
「じゃあ、こっちを案内してくれる?」
「えぇ、それはもう。お客様はどのようなのがお好みで?」
「どのようなって?」
「またまたぁ。しらばっくれなくてもかまいませんよ。かなり若いのから、かなり年上まで。男も女も。髪の色や目の色。お望みなら手足の数を減らしたり、頭を壊したりもできますよ。貴族様はいろんな趣味をお持ちですからね。私どもとしてはそちらの需要に最大限御応えする所存でございますです、はい」
「へぇ」
とんでもないことを言う奴隷市場の主人にあまり興味を示した様子はない。ただ、主人の歩く速度に合わせてゆっくりと通路を進んでいく。
進む先から、何やら甘ったるい臭いがしてくる。人の汗の臭いが基調にあるが、それだけではない。何かの香を焚いているようだ。先程の薄暗い部屋とは違ったうめき声が聞こえてくる。ほとんどは女の声らしいが、中には少年のものやかなりドスの利いた声まで。かなりのバリエーションがある。
「へっへっへ。こちらです、お客さん」
主人が薄いカーテンを捲って、男に中を見せた。
こちらの部屋には人口の光が煌煌と照っていて中にいる一人一人の顔がよく見える。ついでに体もよく見える。美しい妙齢の女から年端も行かぬ女児、髪の毛に白いモノが混じりきっている女性、目の大きな少年から、女性と言っても差し支えない青年、筋肉の盛り上がった男性。年齢や肌の色、種族、性別、様々な人間が商品として鎖に繋がれて並べられていた。ほとんどの奴隷が細い鎖と洒落た首輪以外をしておらず先程の部屋の奴隷に言ったであろう鞭の跡は無い。肌も綺麗なものだ。しかし殆どの奴隷の目には正気の色が無く焦点が合っていない。入って来た二人に気づいた様子は無く、舌を出して涎を拭く余裕も無く下半身から体液が垂れ流しになっている。息も荒く、犬を見ているかのようだ。
「すいませんね。薬の時間だったもんでだらしない奴らばっかりですが」
明らかに法に触れるほどに若い少女を見てこちらも犬のように涎を垂れ流しかねない表情の太鼓腹の主人が声をかける。
「そうだね。見て回ってもいいかな」
「どうぞどうぞ」
男は何かを探すような足取りで香の臭いを気にした様子も無く歩き出した。この異常な状況に眉の毛一本も動かさず、どんな美女を見ても髪の艶やかな少年を見てもそれに全く興味を示さない。
その後ろをものすごい勢いで営業トークをしている。
「この辺りの商品はどれも容姿はもちろん、血統もなかなかのものでしてね。周辺地域の元貴族だったり、中々優勢を見せた商人のご令嬢、中には王族もいますよ」
「へぇ」
その話を特に気にした様子も無く、不愉快に感じている様子もなく適当に相槌を打ってさらに奥の方に進んでいく。
「この辺りはまだ調教が行き届いていなくてですね。まぁ薬の回っていない奴隷を所望でしたらこちらでもかまわないんですが…あまりお気に召すかどうか…」
男は主人の言葉を無視してまっすぐ進む。
商品の様子が変わって来た。彼女達の目には明らかな意思の光を感じられる。とてつもない憎悪と恐怖だ。鎖をガチャガチャ鳴らして必死に逃れようとしているものさえいた。それも主人の姿を認めるや否や鎖の動きを止めるが、顔には憎悪の光が向けられていた。許されるならこの場で二人とも殺しかねないほどだ。
主人の方は落ち着かなげに腰の鞭に手を当てる。
男の方はその視線がそよ風であるかのように意に介さない。
「……お客さん。こういった奴隷がお好みで?」
「…………」
男の歩みが止まる。それにぶつかりそうになった主人は一歩飛び退いて脂の浮いた顔を手で拭う。
「どうされました?」
「……あの子」
「え?…あぁ、中々お目が高い。あれはおとなしくてですね。血筋が良いというのではないですが薬を使わなくても抵抗しないのでこっちの方にいるんですよ」
視線の先にいたのは一人の少女だ。年齢は分からないが、かなり幼いだろう。髪の毛はぼさぼさで体には垢がこびりついている。髪の毛は真っ黒で、瞳が赤い。ボロい布袋のような服を着せられていて、無気力に足を投げ出し地面に座っていた。近づいてくる二人の方を見てもそちらの方を見るだけで特に何もしようとしない。
恐れるという機能を失いアルビノに成り損なったウサギのような印象だ。
「この子を買うよ」
「へ、まいど。そちらの少女は金貨二枚程度で」
「そう。はい」
別に何の交渉もせず、そのまま即金で金貨二枚を主人に手渡した。
「え?あ…よろしいので?」
少女に金貨二枚というのはかなり破格の値段だ。主人としては最初に吹っかけて交渉しようと頭を巡らせていたのだが、肩すかしを食らってしまった。
「いいよ。餞別だ」
「は?」
「それが監獄の中でも使えるといいね」
男は右手を上げると、気障にならない、自然な動作で、大きく指を鳴らした。
その音は異常に大きく響き、外で待機している集団の耳に入った。
「突撃ィィィィィィィィ!!!」
屋敷は扉という扉、窓という窓、いたるところの壁を粉砕する音に包まれた。
「な、なんだ!」
「君の罪状はね、ご主人」
奴隷市場の主人の目の前にいた、さっきまで客だった貴族が、さっきと変わらない表情でつぶやく。
「不等競争、傷害、禁止薬物使用、対人商品に対する不当な扱い、誘拐、殺人もしてるのかな。あとは叩けばいろいろゴミが出てくると思うけど」
銀の髪に反射した仄かな光が白髪に当たって、その男がなにか透明で硬い板の向こうにいるような印象を主人に与えた。
「要はやりすぎ。おとなしく捕まってね」
「てめぇ、国守の犬か・・・」
「犬はひどいな」
懐から取り出したのは、鋼でできたペンダントの飾りだ。その飾りには、大きな目でこちらを見ながら悠然と佇む虎の姿の金紋が彫り込まれている。
「私は国守の公爵。虎だよ」
主人は素早く腰のムチを振るい絡みつく大蛇のような一条鞭が襲い掛かる。
そのムチは公爵が指をならしたと同時に強い衝撃で以て遠くにはじかれる。
鞭を持った手に電気でも走ったかのように手を抑えた。
「軍務の執行妨害も付け加えだね。まぁ、いまさら増えてもあまり変わらないかな」
その男の目が静かに主人に注がれる。
今更ながら周囲の音が聞こえ始めてきた。
勇ましい鬨の声と、それに対抗しようと哀れにはりたてられた怒声が重なり合い、奴隷を収容していた建物の倒壊する音に色を添える。まだ火の手は上がっていないが、奴隷を救出したら直ぐにでも火の手を上げる、そんな野蛮な声が聞こえてきている。まだ男と主人のいるエリアにまでは兵士が来ていないが、それも時間の問題だ。
主人は脂汗を流しながら懐から少し小振りなナイフを取り出す
「困ったね」
少しシワのある顔の表情が沈む。
「もうこうなったら、てめぇを人質にするしかねえ!」
「それを僕の前で言ったら意味無いんじゃない?」
「うるせぇ!!」
主人は猪のように意外に俊敏な動きで一歩目を踏み出した。
男が指を鳴らしたのと、二人の視界に兵士が入ってきたのはほぼ同時だった。
ナイフを持った主人は何かに吹き飛ばされたように進行方向を真反対に変えられ、壁に減り込む勢いで醜い体を壁に叩きつけられた。
ぎりぎり意識が保てるくらいの衝撃だ。目がひっくり返るのをぎりぎりでこらえている様子が伺える。
「捕縛」
「はっ!」
続々と上がってきた兵士たちがまともに動けない奴隷市場の主人に縄をかけていく。
「閣下!」
上がってきた兵士の中に、赤いマントをつけて派手な帽子をかぶった、いかにも貴族といった若者がいた。
「あぁ、よくやってくれたね、男爵君」
「いえ。それよりここにいた奴隷達について報告します」
「お願いするよ」
その若い貴族が、ふたまわりは年嵩であろう男に近づいていく。そして華麗な敬礼のあとに報告に映った。
「ここにいる労働奴隷ですが、多くは衰弱していますが療養させれば体の怪我も癒えると思います。国内の特別病棟で診てもらう手筈を整えました。」
「ありがとう」
「ですが、薬を投与されている奴隷の幾人かは、既に…」
「手遅れ?」
「はい……」
「ま、しょうがないね」
「閣下!そのような言いようはあんまりです!」
男が肩をすくめる。
「とりあえず全員病院で診てもらわないと始まらない。救える人は救えるよ」
若い貴族は辛そうに下を向いた。
が、直ぐに顔を上げる。
「閣下。今の兵士たちの意気なら周辺の奴隷市場を徹底して掃除することができます。閣下、この際です。一気にこのあたりの不浄を洗ってしまいましょう!」
「頑張るねぇ。でも、それはダメ。今日掃除するゴミはここだけ」
「なぜですか!」
「人間の腫瘍だって、あまり大きいまま取ると体に負担が来るんだよ。この国の経済の一部は確実に奴隷で回ってる。それを一気に粛清したら、この国にダメージが少なからずある」
「しかし、こうしている間にも苦しんでいる奴隷が何人いると思っているのですか!」
「知らないよ、そんなこと。僕が守るのはこの国であって、この国の奴隷を守ることじゃない」
「閣下!」
「それにここの奴隷を病院に搬送する人手がいるだろ?救える人を救おう」
「………」
再度、若い貴族はうつむいてしまった。
男はその様子を少し見て、すぐに顔を別の方向に向けた。
その方向には、先ほど市場の主人に金を渡して買い取った少女がいた。
「どうされました?」
近くにいた兵士が公爵に声をかける。
「いや、別に」
男はゆっくりとその少女に近づき、その目の前でしゃがみこむ。
「すぐ鍵をおもちしま———」
「いらない」
「へ?」
少女の方は近づいて来た男の方に目を向ける。
男は特に何も言わず少女の首に掛けられた首輪の鍵穴に指を這わせる。
ガチャ
重い解錠音と共に首輪が外れて二人の足下に落ちた。
「え!?」
兵士が驚愕しているのをよそに男が少女の方に手を出す。指が細い、しなやかな手だ。
少女はしばらく何の表情も浮かべないままその手を見つめ続けた。
男の方も手を差し出す以上のことをする素振りを見せなかった。
周囲の奴隷すら無言のままに時が過ぎる。
少女の視線が男の手から男の顔に移る。
男の方はずっと少女の方を見つめ続けていた。
またしばらくの静寂が続く。
奴隷を縛る香の臭いすら何の意味も持たなくなった静寂。
その静寂を生み出している当人達は、その痛いほどの静寂を特に苦にしていない。
何も動かないその時間に無限の意味が込められている。全く理解力の足りない人間ですらそのことを本能的に察するだろう。
やがて鎖から解放されて何にも縛られていない少女が、枝のように細い腕を男の方にしっかりと伸ばし、男の指を手のひらで掴んだ。
男は掴まれた指をもう一方の手で包み地面に着いた少女の体を立ち上げる。男はさらにその少女の体を下から支え自分の胸元にまで抱き上げた。
「今日から君は僕の娘だ。よろしく」
灰色の目がしっかりと少女を映す。
その目に映った自分の姿を赤い瞳が無表情に見つめ、そして頷いた。
「閣下、その少女は?」
「買った」
「……は?」
「お金払ったんだから別に悪いことはしてないよ」
「何を言って……」
「あとのことは頼んだよ、男爵くん」
男は少女を抱きかかえたままゆっくりと歩き始めた。
「閣下!違法な取引をしている奴隷市場で―――いえ、誇り高い貴族である公爵が奴隷を買うだなんて、市井のものに示しがつきません!何を考えておられるのですか!」
「別に、奴隷売買は悪いことじゃないよ。今はね」
ほとんど最初から変わっていない表情のまま男爵を振り返る。
「救える人は救うし、必要なことは必要なんだよ」
それだけ言うと、興奮した兵士が付けた火の手が迫るよりも前に、男と少女はそのエリアを出た。
兵士と男爵は出口まで案内することもできずただ呆然とそこに突っ立っていることしかできなかった。




