第十二話 熟練刑事、子を想う。
警察内部はあくまでイメージです。ドラマの見過ぎだと思って下さい。
あと仲の良い夫婦が好きです。
「君にはこの事件の捜査を降りてもらいたいと思う」
署長室に呼ばれた坂岡は、開口一番にそう言われた。署長の野々村に表情はない。ただ淡々と告げられた。
「それはどういう意味で」
「そのままだよ。捜査主任の里見君から言われてね。君がいたのでは捜査も会議も進まない、だそうだよ。心当たりはあるかね」
「……ああ」
進まない捜査、いつまで経っても集まらない犯人の情報は集まらない。唯一押収できた遺留品のアクセサリーもその当日に盗まれてしまっていた。
そのため虫の居所が悪くなった坂岡は聞き込みの最中は勝手な行動をし、会議中はその機嫌の悪さで場を圧迫していた。昨日も勝手に一件目の関係者である少年に会いに病院に行った。そして怒鳴って看護師に追い出されるという失態を犯したのだ。
坂岡自身、自分の身勝手さに気付いてはいたが、そう簡単に直せるものではなかった。
一刻も早く、消えてしまった相棒の行方を知りたい。その為には現場に出たことのないキャリア組の捜査主任の指示に従うのは時間が掛かり過ぎる。出世するためだけのポイントを得たいその男の指示は非効率的だった。自分の型崩れた我流のやり方の方が良いとこの時ほど思えたことはない。
そんな坂岡に野々村は表情を緩めて言った。
「伊藤君が心配なのはわかる。私にも大切な娘や孫がいるからね。しかし、警察というのは組織行動。それを乱す者には相応の処罰をしなくてはならない。今回は外れてもらう、という感じにね」
「わかってる。今まで何回同じようなことやってきたと思ってんだ、のっさん」
「はは、そう呼ばれるのは久し振りだよ。署長になってからはずっと堅苦しい呼び名ばかりだからね。私は一介の刑事として退職したかったよ」
野々村は坂岡がまだ若い頃お世話になった人間だった。同期であった瑠依の父親と共に捜査の仕方を教えてもらった。そんな野々村に呼び出しまでされ、捜査を降りるように言われたら従うしかない。
「私としてはそのまま続けてもらいたいがね。警察組織とは面倒な物だ」
「いや、俺も少しは頭を冷やした方が良いと思っていた。女房にも根の詰め過ぎだとな。これを機に休む努力はする」
「そうか。では交渉は成立かな。そうだね……次の指示があるまでは署内で待機していてもらいたい。君にはやってもらいたいことがあるからね」
「了解した」
坂岡は普段の粗暴な態度とは違い、形式通りの敬礼をして署長室を出た。彼を良く知る者ならわかっただろう。礼儀正しいのは彼が非常に腹立っている証拠だ。
「……あまり迷惑はかけないように、な」
そんな野々村の言葉は坂岡の耳を素通りしていった。
「糞ッ!!」
捜査一課に帰って来て早々坂岡は、力任せに右の拳で壁を叩いた。その衝撃は近くにあるガラスのショーケースをも振動させ、周りの人間は振り返させた。
他者の目など気にせず坂岡は自分の席へと戻った。その反対側には瑠依の席がある。書類や物が無秩序に置かれた坂岡の机とは反対に、すっきりとし、いくつか女らしい小物が飾ってある机だ。
こみあげてくる苦い思いを押しとどめながらその席を見つめていると、脇から茶が差し出された。
「やっぱり外されちゃった?」
七緒が確認するように聞いてきた。無言の肯定をすれば、七緒はため息を吐きながら愚痴を言い始めた。
「ああいう人間はやっぱり駄目ね。頭が固いのよ。そりゃ捜査に私情は禁物かもしれないけど、義娘が行方不明になったら自分も取り乱すでしょ」
「えっ!? 坂岡さんと瑠依ちゃんって親子なんですか!? 苗字違いますけど!」
大きな声で愚痴を言い始めた七緒を窘めようとしたが一歩遅かった。近くにいた最近転勤してきたばかりの刑事が身を乗り出して聞いてくる。
「お前には関係ないこ」
「親子じゃないよ。強いて言うなら義理の、かな」
「……七緒」
七緒が余計なことを言ったせいで、男は興味津々な表情で坂岡を見てきた。その様子はまるで国家機密情報を得ようとしているようだ。
「……あいつの父親が死んで友人だった俺が引き取った。それだけだ」
瑠依の父親は彼女が中学に入る前に殉職した。母親も生まれてすぐに病死している。近隣の市に親戚はいるがその家は母子家庭で、しかも二人の幼子がいるため無理させることも出来なく、親と仲が良く面識もあった坂岡夫婦が引き取ったのだ。
坂岡も安月給で余裕があるとは言えなかった。だが子供が出来なく落ち込んでいた妻の比奈が、嬉しそうに笑いながら瑠依と過ごすのを見ていればそれも悪くないと思えた。
幸い、大した問題なく年月は過ぎた。瑠依はいつの間にか父親と同じように刑事になり、市民の安全を守るために走り回るようになった。よく自分一人で抱え込むのが玉にきずだが、真面目な良い人間に育っただろう。
「――そうそう、瑠依を落とすにはまず坂岡さん倒さないとだから、頑張ってね」
昔を思い出している間に七緒がさらに余計なことを吹き込んだらしい。男の顔色は非常に悪かった。
「た、倒せって物理的に? 無理じゃないですか!? ここの師範代なのに」
「それが出来ないなら、諦めることね」
そう話を区切り、七緒は男の背を押した。男は酔っぱらいのようにふらふらした足取りで去って行った。その男を周りの刑事が慰めている。
「何を話していたんだ」
「あー、いつものようにどうしたら瑠依と付き合えるかよ。新しい人が来るたび聞かれるけど結局まだ誰も落としてないのよね。瑠依自身が鈍感なのもあるけど、もうちょっと男らしくガツンと行くとか」
「……俺は認めんぞ」
「でも! あの子はいい子なのよ。彼氏いない歴イコール年齢なんて可哀そうじゃない。嫁に行き遅れらせる気!?」
朗々と考察を述べ始めた七緒に坂岡は小声で反論した。もっともヒートアップした七緒に油を注いだだけだったが。
相手をする気が失せた坂岡は一人猛る七緒を置いて喫煙所に向かった。随分前に煙草は止めたが、様々なストレスのせいで久々に吸いたくなった。
もっとも喫煙の再発はしなかった。喫煙所へ辿りつく前に足が止まったからだ。
「あらあなた、迎えに来てくれたの? あ、これお弁当と着替え」
妻の比奈が廊下の向こうから小走りでやって来る。坂岡までたどり着くと肩にかけていたトートバッグを外し、はにかみながら彼に渡した。
「あなた、集中するとすぐ食事忘れちゃうんだからちゃんと食べてね。刑事は身体が資本なんですから。ほんと、瑠依ちゃんがいないと心配だわ」
比奈はのほほんと注意する。それはいつもの彼女の様子と一寸も変わらなかった。
「お前は心配じゃないのか?」
「瑠依ちゃんのこと? あの子なら大丈夫よきっと。刑事の勘じゃなくて女の勘だけど。電話は通じたんでしょ?」
「一週間も前のことだぞ。今も無事かはわからん」
「ふふ。そういえばあなた最近スマートフォンの使い方上手くなったわよね あんなに機械音痴だったのに」
「それは今言うことか……」
だんだんと比奈のペースに巻き込まれていく。だが嫌な感じはなく、むしろストレスは消えて行くようだった。
少し近くなった二人の距離を見て、比奈の後ろにいた少年が面白そうに呟いた。
「ちょ、マジ!? もしかしておっさん恋愛結婚? 刑事なのに人目もはばからずいちゃつくとか。早速拡さ――」
「……何故比奈が、少年と一緒にいる」
水を差されて不機嫌に戻った坂岡が少年に聞いた。彼は昨日会いに行った少年、須子峰浩太だ。
浩太はスマフォをいじりながら、
「だっておっさん、何か思い出したら来いって言ったじゃん。今日が退院日だったし、抜けて出てきた。行くって言ったら母親うっせーもん」
「とりあえずすぐ親に連絡はしろ。てかお前、事件のこと思い出したのか!?」
浩太は事件前後の記憶が曖昧になっていた。よくわからない方法で溺死させられそうになった身としては仕方ないだろう。
四件目の宝石店強盗は室内で起きた竜巻のせいで店員の目撃情報はないに等しかった。その為唯一犯人と直接対面した人間である浩太の情報は得たかったが、無理強いさせ変な記憶を創り出させるにはいかないので我慢していた。
「おっさんが追い出された後考えてみたら案外思い出させた」
「追い出されたって、何したの?」
「……少し怒鳴っただけだ」
浩太が今までやってきたカツアゲやらなんやらを武勲のように話すので少し喝を入れていたら付添いの看護師に追い出されたのだ。それを聞いて比奈は「まあ」と笑った。
「『まあ』って。それよりもおっさんどうすればいいの? 顔は思い出せたんだけど、やっぱあれ? ドラマみたいに似顔絵描いたりすんの?」
「ああ。捜査本部行けば誰かしらやってくれるだろ。場所教えるから行って来い」
「おっさんは?」
「俺は捜査は降りた。もう参加は出来ない」
そう告げると、浩太は一気に表情を崩した。
「じゃあやだ。俺帰る」
「お前、何言ってんだ?」
「……おっさんが説教してくれたから、初めて俺自身のこと心配して怒ってくれたから警察に協力しようと思ったのに。おっさんがいないならやる気ない」
「まあまあ、懐かれちゃって」
そっぽを向いた浩太と、にこにこと楽しそうな比奈を見比べ坂岡は頭を掻いた。確かこの少年は親に構ってもらえないせいで不良グループに入ったのだ。まさかそこが引っかかり懐かれるとは。
本当なら嬉しい限りだ。だが、自分は署長命令でこの連続事件の捜査を外された。今目の前にいる少年が重要な情報を持っているのに引き出せないとは。
坂岡は自分の運の悪さに思わず笑ってしまった。
「これまでの素行の悪さが今になって返って来たのか。こんな一大事の時に」
「あなた……」
一つ、坂岡の笑い声が響く廊下。そこに笑い声を遮るように誰かが坂岡に声をかけた。
「……あのう、坂岡警部補、ですよね。野々村署長からあなたにこれを届けるように言われたんですが」
急に現れた鑑識課の制服を着た男はそう言い、坂岡に一枚のDVDを渡した。
「これは?」
「えっと、この前検挙された麻薬販売元の防犯カメラの映像です。映像の中にそちらで捜査してる事件の要人が映っていましたので参考にと」
「わかった、が、何故俺に? 俺はその署長の命令で捜査から外されたんだぞ」
「わ、私は何も。あ、これも署長から預かってました。ではこれで失礼します!」
鑑識課の男は坂岡に封書を渡すと踵を返して走って行った。
「廊下は走ってはいけませんよ」という比奈の声を聞きながら、坂岡は訝しげに封書を開けた。中には三つ折りの辞令書が入っていた。
――貴君を特例捜査員とし、下記の事件捜査に当たらせる。 糸成警察署署長 野々村幸治 捺印
その下に書かれていたのは先ほどまで担当していた四つの事件、つまり坂岡の次の命令はまた同じ事件の捜査ということになる。
「しかもほとんどの権限が俺にある。好きなように調べろってことか」
「何それ、すごくね? そんなことできんの」
「かなりの良い条件ね。だとしてもあなた、あまり好き勝手にしちゃだめよ。野々村さんに迷惑かかっちゃうわ」
「これを寄こしてきた時点でのっさんはわかってんだろ。とにかくだ、すぐに始める」
ついて来いと浩太に言い、坂岡は捜査一課に戻った。
「坂岡さん、さっき鑑識の人が来たんだけど。ああ、比奈さんお久しぶりです!」
七緒がちゃっかりついてきた比奈に挨拶をした。
「会ったよ。ローブ男が映っているらしい映像を渡された。今から確認する。それから七緒、お前確か絵は上手かったよな。こいつが犯人の顔を思い出したから、悪いが似顔絵を描いてくれないか?」
「いいけど。あれ、坂岡さん捜査外されたんじゃないの?」
先ほどの憂いさもなくきびきびと動く坂岡に七緒は首を傾げた。坂岡は答えるのが面倒らしく無言で、代わって比奈が説明した。
「へ? 署長直々に? 特例捜査員!?」
「だからあの人、調子が出て来たみたいなの。手伝ってくれないかしら?」
「もちろん! そうじゃなくてもアタシはやる気満々よ! じゃあ行くわよ、スッシー!!」
「いきなり変なあだ名で呼ぶんじゃねえ、おば――」
「ほうほう、そんなことを言うのはこの口かなぁ?」
暴言を吐こうとした浩太の口を七緒が左右に引っ張った。まるで子供の姉弟喧嘩のような光景に比奈が楽しそうねと感想を言った。
「そうだ坂岡さん。今ためしに瑠依に電話してみたら。もしかしたら運が良い方に向いていて繋がるかもしれないわよ!」
一通り浩太をからかい終わった七緒が提案した。あまり験を担ぐ方ではない坂岡も、この時はその誘いに乗った。
ロックを解除したスマフォ画面に瑠依からの連絡は入っていない。大きな交通事故や諸外国の動きなどのニューステロップが上の方に流れているだけだ。
そのことに若干落ち込んだが、今は気にせず発信履歴を出した。そこから一番新しい番号にリダイヤルする。この一週間朝昼晩必ず掛けてきた、瑠依のアドレスだ。
『――、――、――』
「!!」
今まで鳴りもしなかった呼び出し音が耳元に響く。
そして、長いような短いような数コールの後、その音は唐突に切れた。
『――――坂岡さん!』