第十一話 騎士王子、王都の影を見る。
アゼル視点です。
日が高く昇った頃、アゼルは休憩時間を使い王立研究所の一室を訪れた。
だが、探している人物は見つからない。誰もいない部屋がいつもより多くの本と紙に埋まっているだけである。
「ということは、“奥”か」
研究所の奥には魔導書や建築、航海などの技術専門書が多く収められた書庫がある。廃坑道で見つけた異世界と繋がる魔術の設計図を調べているリヴィウスは、そこで資料を漁っているのだろう。
アゼルは床にまで散らばる本と紙を踏まないように部屋の奥にある扉を目指した。その扉の先には前の部屋の持ち主が造った隠し通路を、リヴィウスが勝手に改造した書庫への道がある。その道を通り書庫へ行った方が迷路のような研究所内部を通って行くより早く着けるのだ。
老朽化で開いた隙間からしか光が差さない道を通り、アゼルは書庫に至った。扉を開ければ壁一面を覆い尽くす大量の本。一部かなり古い物である石版型や木簡の資料もあり、好みの人間ならいつまでも居たいと思える部屋である。
「何か用ですか?」
上からリヴィウスの声が降ってきた。顔を上げれば高い梯子の上で本を手に取るリヴィウスがいた。
「様子を見に来ただけだ。他に用はない」
「もっと早く来ればセシリア嬢と王都観光出来ましたよ?」
「うるさい!」
無表情で茶化すリヴィウスに怒鳴り、アゼルは木で出来た古いテーブルに積み上がった本たちを見た。
「これ、これから全部調べていくのか?」
「そうですね。まあ一日あれば必要なところは抜き出せるでしょう」
リヴィウスは選び取って来た新たな数冊の本をテーブルに置き、そう言った。
すでに本の数は二十を超えている。どれも分厚く、中は細かい字で書かれた専門書は、アゼルが読もうとしたら十年は掛かるだろう。この量をリヴィウスはたった一日で読み終わると。
アゼルは引きつった表情で笑った。頭が良い、優秀だというのを通り越してリヴィウスは阿呆ではないかと時々思う。
「資料はこれくらいでいいでしょう。ではアゼル、よろしくお願いしますね」
リヴィウスはアゼルに取り出した本の大半を渡すと、開けっ放しであった隠し通路の扉を潜った。
「おい待て。これ俺が持って行けって言うのか! 前見えないだろうが!」
「往復する手間を掛けたくありませんし。それに自ら戦場に出て戦っている人間が、視覚だけに頼ってしまうのはよくありませんよ。視覚に頼らないための訓練とでも思って下さい」
「お前も一応戦場に出てるだろ……」
アゼルの文句はリヴィウスに届かなかったらしく、彼は「扉を閉めたいので早くして下さい」と催促してくる。
アゼルはリヴィウスにあとで何か奢らせると決め、彼に続いて書庫を出た。
研究室まで辿り着き、わずかに開いた隙間に本を置いたアゼルの疲労は思ったより酷かった。本の重さに加え、視覚を遮られ気配と感覚だけで進むというのはそれなりに慣れた道でも辛い。リヴィウスが言っていたように新たな訓練に良いかもしれないと、頭に隅に記憶しておいた。
本を調べ始めたリヴィウスの横で、アゼルは勝手に埋もれたティーセットを使い茶を淹れた。どこぞの研究者が新しい魔術具を作ってくれたお蔭でどこでも湯が沸かせるようになった。価格もそれなりに安く、使い方も手入れも簡単なためその魔術具は重宝している。
リヴィウスにも茶を淹れてやり、アゼルは比較的置いてある物の少ないソファーに座った。リヴィウスはアゼルに感謝をしながらもその手を止めることはなく、すごい速さで本の頁を捲っていく。
「……それは、神話か?」
リヴィウスが読んでいる本が想像していた物と異なり、アゼルは気になって聞いてみた。
「“糸結師”となると魔導書ではほとんど取り扱われていません。論文だとて執筆者の考察が増えただけで“核”となる部分に変化はありませんからね」
一冊目を読み終わったリヴィウスは、次の本を手に取った。これも神話の類だ。読みながら必要な情報は紙に書き写しているらしく、書き終わった紙が増えていった。
研究室内にリヴィウスが頁を捲る音と紙に書く音が響く。とてもアゼルには居辛い空気だ。だがわざわざここまで来た手前、何かしらの情報を得たいと思ったアゼルはそのまま動けずにいた。
このアゼルにとって重たい空気を取り払ったのは、騒々しい金属の音だ。
「おーいリヴィウス、いるか? おっ、お前もいるのかアゼル。丁度良い」
どかどかと研究室内に入る金属鎧の集団。その中で一際体格が良く、ほかの物と若干装飾の違う鎧を着た男が、室内の二人に呼びかけた。
「兄上!?」
「これはオルグ様。一体どのようなご用件で?」
その男は王立騎士団団長を務めるアゼルの二番目の兄、オルグ・サンクレットだ。書類仕事を部下に任せ、酔っぱらいの喧嘩でも自分が現場に出たがるという、熱い騎士である。
「実はリヴィウスに頼みたいことがあってな。アゼルも聞いた方が良い話だ」
オルグは背後に控える部下に指示をし、リヴィウスの前に何本もの武器が入った木箱を置いた。
「これらは最近王都で出回っている、魔術に反応しない武器だ。これを調べてもらいたい」
「魔術に反応しない物、ですか!?」
「おい、これって……」
アゼルが覗き見た木箱に入った武器は、確かにここら辺では見覚えのない物だった。刃は金属であろう。しかし柄は奇妙な物で覆われており、製作者を表しているであろう文字のような物も見たことのない形だ。
「いえ、この文字は見たことがあります。ルイの身分証明書や所持品の中に同じような物が書いてあったと記憶しています」
「そうか。心当たりがあるのだな。それなら早く流出元がわかるな」
小声でリヴィウスはアゼルに言ったのだがオルグには聞こえてしまったようだ。
「ところで……その“ルイ”というのは、お前たちが保護したという留学生の女か?」
嬉々とした様子で問うてくるオルグに対し、リヴィウスは嫌そうな顔をした。しかしそれは一瞬のことで、すぐにいつも通りの表情に戻り頷いた。だが瑠依のことを進んで話そうとはしない。
オルグは良い騎士で人望も剣の腕もあるが、大の女好きであることがたまに傷だ。花街にはよく通い、道端ですれ違った女も気になればすぐさま口説き落とし、それなりの関係を作ってしまう。顔も良いし、女好きな所を除けば身分を感じさせない付き合いやすい男なので、オルグと付き合った女がどれほどいるかわからない。今や彼らの修羅場もこの王都の名物のようになってしまっている。
リヴィウスはそんな男を瑠依に関わらせたくないのだろう。
なおも瑠依の情報を得ようとするオルグだが、女神はリヴィウスに微笑んだようだ。
「団長、忘れ物です。が、一体何をしているのですか?」
騎士団の紋章が入ったローブをまとった女が紙袋を持って部屋に入ってきた。彼女は状況と雰囲気から団長が仕事を怠け噂の女の情報を得ようとしていることに気付いたらしく、冷たい目で彼を見据えた。
「いやーあの、こ、これはあれで――」
「貴方たち、すぐ団長を連れて本部に戻りなさい。説明の続きは私がやります。こい……彼には書類仕事でも回しといて下さい」
「はっ。わかりました!」
女は他の騎士に静かな声で指示を出した。オルグは抵抗するも虚しく、彼女の命令に従順な騎士たちによって引きずられるようにして部屋から出て行った。
「申し訳ありません。迷惑をかけてしまったようですね」
女、ヘレナ・ケイスはそう謝ってからため息を吐いた。女の身で騎士団――騎士としてではなく魔術師として入団しているが――の副団長を務める彼女のもっぱらの悩みは上司の素行であった。男女の関係は私事だが、地位があればそれは大きな醜聞になり、騎士団の、延いては王の信用を落とす可能性がある。オルグの素行は一歩間違えば醜聞の塊でしかない、とヘレネは思っているのだ。
「それで、説明の続きと、そちらの物は?」
ヘレナの心労を察するより、彼女が自分の仕事を中断してまでここに届けに来た物が気になったリヴィウスが尋ねた。
ヘレナは頭を振って脳から愚痴を追い出すと、説明を始めた。
「そちらの武器類の話は聞きました?」
「ええ。魔術で感知できない物だから調べて欲しいと」
「こちらも同じです」
ヘレナは紙袋からさらに三つに小分けされた物を出した。内二つは透明で薄い袋の中に物が入っていて、残りの一つは磨いた金属のような光沢を持つ袋状の物だった。後者には表面の中心に派手な色合いの推定文字と絵が記してあった。
「これは、粉と葉、か?」
透明な方を中身を出さないようにして観察する。一方は小麦粉のような白い粉が入っており、もう一方は乾燥した葉っぱが数枚入っていた。
「そちらの光沢を持つ袋の方にも刻まれた葉のような物が入っていました。どれもそちらの武器類が出回り始めた頃と同時期に流出しています」
「しかし、これでどのような被害があったのですか? 一見ただの粉と葉のようですし」
「明確な被害はまだわかりません。それらは喧嘩の仲裁や通り魔殺人をしようとした者から押収した物。彼らからはそれらを飲んだり、火で炙ったりして煙を吸うというような使用法だけ聞き出せましたが、これ以上の情報は何も」
変に強調するヘレナに疑問を持ち、リヴィウスは聞き出せない理由を促した。
「……途中、取り調べが長引き数日経った頃から所有者の様子がおかしくなり始めまして。何かに恐れたり、言葉も不明瞭になって、錯乱や自傷行為にまでなる始末です。何とか話を聞きまとめればその粉や葉を欲しいみたいなのですが、押収した物を渡すわけにもいかず精神安定の魔術や薬を使いました。しかしその後一人が自ら首を吊り、ほかも同じように危険な状態ということで、今は何も出来ないように拘束しています」
内容を聞きアゼルは気分が悪くなった。珍しくリヴィウスもアゼルと同じような表情だ。
「調べてもらえますか?」
「ええ、民の安全のため喜んで協力させて頂きます」
リヴィウスの至極まともに返答した。普段のようにわくわくと好奇心を刺激されている様子はない。
「ところで質問ですが」
「何でしょうか?」
「この武器も粉や葉も王都でしか出回ってないのですか?」
その問いにヘレナは、息を飲んでから答えた。
「ほかの都市や町からは同じような件は報告されていません。報告を怠っていることもあるかもしれませんが、今のところ王都内だけで出回っています」
「そうですか」
それきり黙ったリヴィウスから視線を外し、ヘレナはアゼルを見た。
「貴方にもこれらのことを調べて頂きたいのです。だた、二番隊での任務とは別の、単独の特別任務として動いてもらうことになりますが」
「単独で? 時間が掛かり過ぎるだろ」
流出元が一つとは限らない。元が一つで範囲が王都内だけだとしても一人で探すにはひどく時間が掛かる。危険な状態なのは明らかなのに、時間を掛けてしまっていいのか。
「疑問に思うのはごもっともです。しかしあまり表沙汰にしたくない、というのが国の上層部の意見ですので。もっとも部外の協力者を得ることには言及されていませんから、学者としてのリヴィウス様やそのほかの者と共に調べて頂くことは可能です」
しっかりと抜け穴が用意してある。団長のオルグだけだったらそうはいかなかっただろう。
「了解した」
「ありがとうございます。貴方が抜ける間、二番隊の指揮は私が執ります。よろしいですか?」
「ああ、十分だ」
アゼルが頷くとヘレナは再び礼を言った。
神殿の鐘が鳴るのを聞き、ヘレナは部屋を辞そうとしていた。その時急に扉が開き、部屋に一人の獣人が入ってきた。軽装な恰好であるので伝令を任されている者だろうとアゼルは判断した。
「ヘレナ様、ここにいらっしゃいましたか! アゼル様も!」
「何かあったのですか?」
慌てた様子の伝令にヘレナが問えば、彼は背筋を伸ばし告げた。
「報告します。橋上神殿前の広場で凶器を持った男が近くにいた女性を人質にし、何かを要求しているとの通報がありました。男はその場に居合わせた女性に取り押さえられましたが、人質にされた女性は軽傷を負い、今神殿の方で手当てをしています。男は例の武器を所持し、また要領の得ないことを口走っております!」
「早速のようですね」
ヘレナはアゼルたちに付いて来るよう目線で合図し、伝令と共に部屋を出た。異論はないのでアゼルとリヴィウスも彼女の後に続く。
しかし現場に着くまでにアゼルたちが気になったことが一つ。
「男を取り押さえた女って、あいつか?」
「騎士でもなく刃物を持った者に挑めるのは、私の知っている限り彼女だけですね」
二人の予想は見事に当たっていた。
橋上神殿に着き、関係者を集めた輪の中には王都観光に行っていたはず瑠依とセシリア、シバがいる。
皆深刻そうな顔をしているのだが、瑠依だけがなんとなく嬉しそうな、しかし喜んでいる場合ではないという奇妙な表情をしている。その手にはしっかりと“スマートフォン”という物が握られていた。