僕とおじさん2
学校が終わり放課後。僕は帰り道にある、行きつけのスーパーで買い物をしていた。冷蔵庫の中身を思い出して目当ての物をかごに入れる。ちなみにニアの非常食は各種つまみだ。
「あれっ、道隆君だー。奇遇だねっ。」
やっほー、と手を振りながら近付いて来る少女。肩まで届くか届かないくらいの髪。整っているがやや童顔な顔立ち。陸上競技の賜物であるしなやかな肢体は、今はレギンスに包まれている。向島まきるである。
「まきるか。おまえこそ何してるんだ?えらく急いでたじゃないか。しかも私服って。もう家に一度帰ったのか?」
僕は学校帰りに、このスーパーに寄っている。まきるも同じ時間に学校が終わった。クラスも同じなので違う筈が無い。
「うん。ダッシュで家に帰ってから来たんだよっ。お母さんに頼まれちゃってね。」
ちっち、陸上部をナメちゃいかんよ、と得意げに言うまきる。速すぎだろ。
「頼まれたっていっても、そんなに急ぐなんて珍しいな。今日何かあったっけ?」
んふふ、今日はね~、と話し出した時に着信音が響く。まきるはちょっぴりすまなさそうな目をこっちに向けて電話に出る。
「はいは~い。……んとね、今スーパー。……うんうん。分かった。……えっ!嘘っ!分かった、すぐに戻るね。」
話しの途中で何かあったらしい。とたんにまきるがあたふたしだした。
「ごめんっ。油売ってる場合じゃなかったっ!後でメールするねっ!」
まきるはそう言うが早いか、もの凄いスピードでレジに向かった。
「うおっ、……早いな。……陸上部は伊達じゃない、か。」
思わず独りで呟いてしまう。それだけの迫力と勢いで、向島まきるは疾風のように去っていった。
暴走娘もいなくなったのでゆっくりレジに向かい会計を済ませる。毎月の生活費は心配性の両親が多めに振り込んでくれている。多少、猫のエサ代が増えた所で問題は無い。
レジ袋を両手に持って歩き出す。外に出ると汗が出てくる。テレビで言ってた通り暑くなったな、おじさんにニアの事言わなければ、と暑さの中で考える。
そうこうしているうちに家の近くまで来た。まきるの家は結構近い。
鍵を開けようとしたら既に開いていた。
前にもこんな事が何度かあった。まきるの父親。ここの大家。向島光太郎が部屋に遊びに来ていた時……。
ニア。
そう、まだおじさんにニアの事を話していない。この状況でニアとおじさんが二人きりというのはマズい。とてもマズい。
急いでドアを開け居間に向かう。
おじさんが、居た。
「おかえり、道隆君。今日は暑いね。しっかり水分はとるんだよ。ははっ、私も歳かな、すっかり暑さ寒さに弱くなってしまった。」
挨拶を返す。あれ、怒って無い?もしかしてまだニアは見つかって無いかも、と思ったがニアが横から声をかけてくる。
「み、道隆。やっと帰って来た……。ダメだ、私にはどうすることも出来ない……。」
ニアの様子がおかしい。
「なかなか可愛い猫じゃないか。飼うのかい?良いよ良いよ。元々ペット禁止も殆ど形だけだったしね。道隆君の頼みでもある。よし、このアパートはペットOKにしよう。うん、そうしよう。」
うんうん、と青白い腕を組み、頷くおじさん。
向島光太郎……―おじさんはとても気さくで良い人だ。海外に行った父親の親友。 このアパートもおじさんが親から受け継いだものを改築したらしい。僕の両親が海外に行くにあたって、せっかくだから一人暮らしを、と希望した僕にこのアパートを紹介してくれた。家賃も格安だ。
極稀にとてもネガティブになる時があるが、年に1回あるかないか。前回は妻である翔子さんと喧嘩してしまった時だ。
しかしそれを差し引いても余りある程、感謝しているし尊敬している。
「もう、心臓に悪いから先に連絡して下さい。ろくなもの買ってませんよ。」
とりあえず袋を置き布団の上に座る。ニアに話しかける訳にもいかない。
手招きでニアを呼ぶ。素直に膝の上に乗って来た。何故かとても疲れた雰囲気だ。僕は言う。
「それで、この猫ですけど。本当に良いんですか?すごくあっさり言いましたけど。」
「いや、大丈夫だよ。さっき言ったけど、そんなに重要な事じゃないしね。」
うん、とおじさんが言う。ふう、と少し安心してその気持ちを込めてニアを撫でる。なんだか元気が無い。
そう、重要な事はそこじゃないんだ、とおじさんは言う。
「どうしよう、道隆君。妻に嫌われたかもしれない。いや、嫌われた。絶対嫌われた。離婚、……離婚かな……。」
マズい、僕は瞬間的に悟った。
「だめだーっ!もうだめだーっ!きっと愛想を尽かされたんだ!私がいつまで経っても原稿をあげないからっ。……いや、きっと初めから愛なんて無くて、同情だったのかも……。うわーんっ!翔子さん!まきるっ!愛してるよーっ!」
生命保険に入って二人を受け取り人にしてから死ぬーっ!、とか良いながら泣くおじさん。ちゃぶ台をばしばししている。
……―ああ、そういう事ね。
ありったけの同情を込めて、ニアの背中を撫でてあげた。
……―おじさんはどうやら、絶賛ネガティブ中らしい。