僕とおじさん
爽やか朝。7月にしては気温の低いの朝。僕、杉村道隆は目を覚ました。
くぁ、とあくびをする。まだ少し眠気が残っている。
「おはよう、道隆。良い朝だな。良く眠れたか?」
「おはよう、ニア。今日は珍しく涼しいみたいだな。良く眠れた。」
猫が喋っている。凛、とした涼やかな雰囲気。絹のような黒毛と黒曜石にも負けない丸く大きな瞳。
喋る猫、ニアがこの部屋に住み出して2日目。僕はとんでもない速度で、このヘンテコな現状に順応していた。
「朝食はまたパンと牛乳で良いのか?」
「ああ、バターはタップリでな。」
「了解。」
テレビを点けて、台所に向かう。 パンが焼けるのを待ちつつ黒猫の方に視線を向けてみる。黒猫はテレビにご執心のようだ。
昨日の朝もこんな風にニアを見てたっけ、そう思ったら少し可笑しくなった。
今日は涼しい朝ですが、日中の気温は上がりそうです。熱中症には充分注意して―……
テレビから、ニュースキャスターの声がこぼれている。
猫のしっぽが揺れていた。
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昨日は夕食を食べた後、まきるがニアに飛びかかろうとするのを止めたり、ニアが何気ない振りを装ってコレクションを漁るのを阻止したりするので大変だった。
最終的にはまきるが、あたし今日用事あるからそろそろ帰るねーっ、と言って出て行きお開きになった。勿論、片付けはまきるだ。
その後は学校の課題をしたり、勉強したりと有意義に過ごした。もうすぐテストがある。両親に心配をかけないためにも良い成績を取らなくては。
「道隆、そろそろ出来たんじゃないか?」
「おっと、危ない危ない。」
トースターの中のパンはキツネ色。だが所々黒ずみかけている。あちち、と熱いパンに苦戦しながら僕は言う。
「トースターで焼くパンは焼き加減が命だからな。フレンチトーストなんて、はっ。僕は認めない。」
「ああ、焼きたて熱々キツネ色のパンにタップリのバター、これぞ究極にて至高。ジャムなど邪道だ。」
僕とニア。互いにぐっ!、と頷き合う。分かってるじゃないか。
パンと牛乳をテーブルまで持って行き、ニアにも分けてやる。同時にパンにかぶりつく。カリッ、という音と香ばしい匂いが口の中に広がった。
「うん、美味い。道隆、君の焼いたパンは美味い。これならいつでもお嫁になれるな。」
「そうかい。そりゃどーも。」
ニアに気のない返事を返す。ニアも気にした様子はない。パンを食べながら、一緒にテレビをぼーっと見る。
ふ、と思いついてニアに尋ねる。
「そういえば、飯の量はこんなもので良いのか?昨日も朝の一食しか食ってなかったんだろ?」
「うん、多分大丈夫だ。昨日も別段困る事はなかったしな。まあ、腹がへったら適当に寝て、道隆の帰りでも待つさ。」
「そうか、でも遠慮はするなよ。もし小腹が空いたら台所に柿ピーあるから。ついでに今日学校帰りに何か非常食でも買っとく。」
「そこまでして貰う訳には……いや、うん。頼む。ありがとう。」
「ん、よろしい。」
変な遠慮をしようとするニアを眼力で納得させる。
そうこうしていたら、また疑問が出てきたのでニアに尋ねる。
「なあニア。」
「何だ?」
「おまえって、トイレとかどうしてるんだ?」
「ぶっ。」
けほけほ、とニアが咳き込む。きっ、とこっちを睨んでニアが言う。
「朝から変な質問をするな!レディに対してデリカシーというモノが無いのか!?」
「いや、気になって。……もしかして部屋の隅とかにしてないよな?」
「す・る・かっ!きちんとトイレに行ってる!そういうのは心配するなっ。」
もしもの事が無くて良かった。トイレに行くにはドアがあるが、ニアの事だからなんとかしているんだろう。手間のかからない猫だ。
「……まったく。私ほど『特別』な猫は居ないんだ。変な心配は無用だ。」
このキーワード。ニアに尋ねる。
「なあ、その『特別』って、どのあたりが『特別』何だ?」
前々からニアの口から出て来る『特別』という単語。確かにニアのような猫は見た事が無い。ただ、ニアの言う『特別』と僕の言う『特別』はどこか違う気がする。少し引っかかる。ニアは呆れた様子で答える。
「君限定だが話せる。知識もある。他の猫と違って理性的で、魅力的。どこからどう見てもパーフェクトウルトラキューティクル『特別』な猫じゃないか。それとも君は私のような猫を他に見たことがあるのか?」
「まあ……、そうだな。うん、お前は『特別』だ。」
さっきまでの些細な疑問はまだ消えていない。だがニアの言うことはもっともだ。僕の考え過ぎだろう。 時計を見る。7時10分だ。そろそろ学校に行くか。
「さてと、ニア。僕はそろそろ学校に行ってくる。おとなしくしてろよ?」
「ん、もうそんな時間か。」
制服は既に来ている。カバンを持って玄関に向かうと、ニアもついてきた。
「いってらっしゃい、道隆。」
「いってきます。」
座って左前足を振るニア。軽く手を挙げて返す。
ドアを閉めて鍵も閉める。そういえばあいつ全然外に出ないな、今度散歩にでも連れて行くか。
ん、と一つ伸びをして学校へ歩き出す。自転車を修理に出さないとなぁ、と思いながらアパートから遠ざかる。
……―そんな僕を柱の陰から見つめる人が居ることに、気付ける筈もなかった。