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猫と僕とのショート・ショート


 夏休み初日は盛大な寝坊から始まった。


 気が緩んだせいかは分からないが、起きて見ればもう昼だ。こういう時はあの黒猫が欲しくなる。

 まあ、寝坊といっても、用事は夕方から。時間はたっぷりある。


 布団から体を起こし、何となく窓を見る。


 天気は快晴。視界は良好。


 今日も暑そうだ、と思ってもう一度布団に入る。


 そして気付けば幼なじみがやって来る時間まで、二度寝してしまっていた。


 猫の、夢を見た。






□□□□□□□□□□□□□







「祭り、楽しみだね!」


「そうだな」


 夏休みにはなったが、日が落ちるにはもう少しだけ猶予がある時間帯。

 思ったより涼しい夕暮れの中、僕とまきるは駅へ向かっている。

 ふふ、とまきるは忍び笑いを零した。


「まきる、どうした?」


 隣を見れば、幼なじみが見返してくる。


「いや、綾音ちゃんを紹介した時の、みんなの反応を思い出しちゃってっ」


「有名人だしな、あいつ」


「亜希ちゃんの驚きっぷりが凄くて……ふふっ」


 思わず僕も思い出して笑いながら前を向く。駅は近い。


「そういえば陸上は最近どうなんだ?」


「あたしはいつでも絶好調だよ! 今日も部活してから来たんだからっ」


 あるのかないのかわからない力こぶを作り、無駄な元気さを主張するまきる。

 打ち込めるものがある、というのは良いことだと思う。僕も何か始めてみようか。

 他愛の無い話も何故か少しだけ特別な気がする。それが夏休みの魔力なのかは分からない。


 まきると話しながら駅前の広場に着くと、先客がいた。


「遅いぞ、道隆、まきる。レディを待たせるものじゃない」


 おまたせー、と手を振るまきる。僕は軽くため息をつく。


「誰がレディだ。あ、一応レディか」


「それは何気に傷付くぞ!」


 まったく、と不服そうな表情で組む腕は上品で、そこにいるだけで空気を美しく引き締める。

 その先客、綾音はきっちりと高そうな着物を着て、こほん、と咳払いをした。


「ほら」


「ん?」


「ほらほら」


「なんだよ」


 しゃなり、と立った綾音の着物姿はとても良く似合っている。濃い紺の着物はそこらの安っぽい着物とは一線を画し、それを着る綾音も負けじと艶やかさを振り撒く。

 まきるがちょいちょい、と肩をつついてきた。


「着物だよ、着物」


 囁かれたそのアドバイスに僕は合点がいった。


「ああ、そういう事か。綾音」


 僕が名前を呼ぶと、やっと分かったか、と言わんばかりに綾音は頷いた。

 見たままを、僕は言う。


「似合ってるけど、なんで着物なんだ?」


 昨日、女性陣は着物を着ない、という話をしていたし、実際まきるも着飾らない普段着だ。なのにどうして着てきたのだろう。

 綾音は近付いて僕の肩に手を置き、首を横に振った。


「道隆。期待はして無かったが、それはないぞ。ここはだな『綾音。君の姿に僕の心臓は鳴子のように音を上げ、魂は吸い寄せられる。もしも神がいるのなら僕は問いたい。ああ、何故あなたは女神を地上に使わしたのですか?』とか、あることないこと並べ立てて女性をいい気にさせるものだ。温泉での教訓を生かすべきだったな」


「いや、褒めただろ? 似合ってるって」


「もっと修飾に修飾を重ねてだな…………お、葉月だ」


 言葉の途中で綾音は、遠くに見える水城さんを見つけたらしい。どうでもいいが距離が近い。横顔も美人なやつだ。

 綾音は近付いてきた水城さんに軽く手を振った。


「やっほー、葉月」


「やっほー」


 普段着の水城さんは相変わらずの平坦な声で返す。

 水城さんは一人で来たらしい。普段着でも、前髪の猫の髪留めを着けたままだ。

 水城さんは僕達とも挨拶を交わした後、少ない僕と綾音の間の空間を見て眩しそうに目を細めた。


 そして、その狭い空間に入り込んできた。


「えっと、水城さん?」


 近い、というか肩を組むような形で密着している水城さんに困惑の視線を送ると、水城さんはどこか遠くを見たままぽつりと言った。


「収まりが良い」


「いや確かにぴったりだけど……」


 綾音は身長が高い部類の女性だ。少し屈み気味の水城さんは、僕と綾音の間でパズルピースのように噛み合っている。

 満足げな水城さんにそれ以上何も言えないでいると、まきるが水城さんの前に立ち、頷いた。


「葉月ちゃん。あたし、葉月ちゃんの言いたい事が分かったよっ」


 そりゃ、とまきるは振り返り地面に膝をつけ、どこかの戦隊モノチックなポーズをとる。多分、分かっていない。


「それ行け、マキレンジャー!」


「そういう事かっ。くっ、私も負けられない!」


「楽しそうだな、おまえら」


 負けじとポーズをとり始めた綾音。僕は少し距離を取ろうとする。


「だめ」


 が、水城さんに捕まった。

 三人が後ろで肩を組み、一人が正面で見栄を切る。陸上戦隊マキレンジャーと言えなくもない。が、言いたくはない。


「向島さん、一体何をやってるんだ? 道隆まで」


「なんか目立ってるよ、あんた達」


 水城さんの拘束を振り解くべきか迷っている間に、晃と亜希が来てしまった。

 怪訝な表情の晃に、まきるはポーズを決めたまま言い放つ。


「マキレンジャーだよ!」


「いや、アヤネンジャーだ!」


「な、なんだってーーっ!? お、俺も……アキレンジャー」


「小学生か! 晃までのっかるな!」


 同じ様にポーズをキメようとする晃。

 はいはい、と亜希が手を叩いた。


「楽しみなのは分かるけど、今から飛ばしてたら祭りまで保たないよ」


 渋々解散するレンジャー達。水城さんの拘束も解けた。


「お、ていうか綾音。可愛い着物だね」


「ありがとう、亜希。せっかくだしな。雰囲気というやつだ」


「いいなー。それならあたしも浴衣着てくれば良かった」


 女が寄れば姦しい、とは言ったもので、女性達はワイワイと話し出す。水城さんは綾音に後ろから抱きつかれている。

 妙なノリのせいか、急に重くなった肩を回していると、晃が話しかけてきた。


「しかし、あの桐原綾音がああいうキャラだったとはな」


 人は見掛けによらないな、と晃は女性達を見た。

 ニアが綾音だった、と初めて知った時とは流石に違うが、確かに見た目と言動のギャップは大きい。

 そうだな、と言いながら僕は時計を見た。


「晃、そろそろ会場に行くか。結構距離あるし」


「そうだな」


「ほら、そこの四人! そろそろ行くぞ」


 はーい、とまきるの声がして、女性陣は動き出した。お喋りは止みそうに無い。

 歩き出した僕の隣で晃が言う。


「道隆」


「ん?」


「楽しくなりそうだな」


 返事はせずに、歩く速度を少しだけ速めた。









 人が多い。


 とりあえず出店のある場所までやって来て、出た感想はそんなものだった。


「こう人が多いと、移動するだけで不便だな」


 気を抜けばはぐれてしまうような人の波。幽玄な提灯の灯り。どこか日常とは違う雰囲気に、僅かに心が躍る。しかし、やっぱり子供の頃の様に我を忘れて遊ぶ、とまではいかない。

 僕の零した言葉に晃は提案した。


「そうだな。下手に全員が動き回るより、先に場所を確保して買い物は別にした方が良いかもしれん」


 まきるは祭りの空気にあてられたのか、いつもより三割り増し元気に手を挙げる。


「はいはーいっ。じゃあ、あたし達は先に場所を確保しとくねっ」


 女子は場所取り、男子は買い出し。

 特に異論は無かったので分かった、と言おうとすると、綾音がこちらに寄ってきた。


「せっかくだし、私は祭りを生で見たい」


「ああ、おまえ楽しみにしてたしな」


 そうなのか、と視線で訊いてくる晃に僕は頷いた。

 猫の時から楽しみにしていて、更に今回は遊園地の時と違って人間の姿だ。制約や制限は無い。そして綾音にとって、人として僕たちと遊ぶ最初の日。昨日のテンションは正直面倒だった。

 晃は腕を組んで、おめでとう道隆、とでも言いたげな笑みを浮かべる。


「なんだ、そういう事か。仕方ない、俺は女性達のボディガードにまわろう」


「じゃあ道隆君、土手に降りた所辺りにいるから!」


 返事も聞かず、晃とまきる達は行ってしまった。

 僕は楽しそうに辺りを見回す綾音に向き直る。


「晃、変な誤解をしていったぞ」


「はっ、誤解は誤解だ。そんなものをいちいち気にしていたら、人生がつまらなくなる」


 そう言って笑う綾音は本当に楽しそうだ。きっと尻尾があれば勢い良く振られている。あ、それは犬だったっけ。


 まあいいか、と僕は出店を目指して歩き始めた。綾音は落ち着き無く周りを見ながらついてくる。


「綾音、何が食べたいんだ? 一つくらいなら奢ってやる」


「お、良いのか?」


 後ろから意外そうな声。僕は片手をひらひらと振り向かずに振る。


「ああ、猫の時にはそうするつもりだったんだ。一つだけな」


 流石に全て奢るほど財力は無い。猫の時より食べる量は増大しているはずだ。

 後ろから微かに笑い声がして、綾音は僕の隣に並んだ。


「ありがとう。心して奢られよう」


 りんご飴たこ焼きクレープ……、と思ったより真剣に選び始めた綾音。上げられた髪は出店の光に照らされ、ほっそりとした首元が儚さを演出する。思わず見惚れてしまう。

 黒曜石のような大きな瞳がこっちを見た。


「どうした? 私の顔に見惚れたか?」


「ああ」


 しまった。つい何も考えず脊髄反射で答えてしまった。

 人の姿が本当だが、こういうときは猫のほうが気楽だった。

 みるみる赤くなる綾音の顔。多分僕も赤くなっている。


「…………そういう言葉には、一応慣れているはずなんだが」


 俯いて呟いた綾音。元々この容姿に恋してたんだ。仕方ないだろ。

 流石にそうは言えず、沈黙のまま歩いていると、綾音は僕の裾を引っ張ってきた。


「あれが食べたい」


 指差す先にはたこ焼き屋。

 気恥ずかしさを強引に振り切って、僕は進路を変えてたこ焼き屋に向かった。


「すみません、たこ焼き一つ」


 屋台のおじさんにお金を渡し、後から来た客のために少しずれて待つ。

 香ばしいソースの匂いで落ち着きを取り戻して、綾音を横目で見る。まだ僕の裾を持ったまま俯いている。


「綾音、さっきのは別に他意とか、そういうのは無いから心配するな」


 そう、他意なんて無い。綺麗だったからそう言っただけで、それ以上は無いはず。

 返事が無い。どうしようこの雰囲気。


 埒があかない、と僕は綾音と正面から向き合った。


「あや……ね…………?」


 ぽろり、と一粒が地面に落ちる。それと同時に頭の容量が一気に磨り減った。

 肩を震わせて、下を向いて。声を出さないように口を固く閉じて。もうこれ以上涙を生まないように、大きな黒曜石みたいな瞳をまぶたできつく隠して。でも、それでも涙を流して。


 綾音は、泣いていた。


「す、すみません。後で取りに来るんで、適当に置いておいて下さい!」


 事情を察した屋台のおじさんが頷くのを見て、僕は綾音の肩を抱いて人の多い通りから外れる。華奢な肩。そんなことを思う自分を情けなく思いながら。

 そして、少し歩いた所にある神社の、綺麗そうなベンチにとりあえず座らせた。

 一体どうしたんだろう。訳の解らない状況に悩むしかない。


 綾音はまだ俯いている。僕はとりあえず隣に座って、落ち着くのを待つ事にした。





 あのたこ焼きが冷めてしまうくらい時間が経った。まきる達は心配してなければいいが。


 メールでも入れておこうか、と僕が携帯を出そうとすると、綾音は俯いていた顔を上げた。


「すまない。取り乱した」


 こっちを向かずにハンカチで涙を拭う綾音を、僕は横目で見た。


「いや、その、大丈夫か?」


「ああ」


 洩れた祭りの灯りがこの一帯を彩る。どこか別の世界みたいに拙く、優しい光。

 綾音はゆっくりと話し出した。


「別に何があったとか、そういう訳じゃないんだ」


「じゃあ、どうして?」


 涙はそうそう流れない。だから慌てるし、心配する。

 綾音は悪だくみするような笑顔で僕を見た。


「どうしてだと思う?」


 たこ焼きを待つ間、綾音に何かがあった?いや、すぐ近くに僕もいた。色々な可能性が出ては消えていく。

 僕は首を小さく横に振った。


「……分からない」


「それが答えか?」


「仕方ないだろ。生憎、僕は心が読める訳でもないし、特別頭が良い訳でもないんだ」


 こういうとき水城さんだったら分かるかもしれない。もしかしたら晃なら何か感づくのかもしれない。でも、残念ながら僕はその二人じゃない。

 綾音は目を細める。


「本当に、それでいいのか?」


 さっきまでの涙はどこへやら。急に綾音の纏う雰囲気が冷たくなっていく。


「なんだよ。怒ってるのか?」


 分からないものは分からない。一体、僕にどうしろっていうんだ。

 少しの間、向かい合う僕達に沈黙が降りる。


 不意に綾音は視線を逸らした。


「まあ、それならそれでいいさ」


「なんだそれ」


「何でもだ」


 まったく、と綾音は零して、少し笑った。

 どうやら機嫌が直ったらしい。まったく訳が分からない。

 僕は頭の後ろで腕を組み、木々の隙間から見える星を見上げた。祭りの光のせいで見えづらい。

 普段通りに戻った綾音の声が、僕の耳を撫でる。


「道隆、今日は祭りだよな?」


「まあ、祭りだな」


「特別な日だよな?」


「そりゃ、特別と言えば特別だな」


 質問の意味が分からなくて、綾音を見る。

 そっか、と綾音は言って空を見上げた。


「じゃあ特別に、一つだけ教えよう」


 言い終わると同時に、猫のよう滑らかさで綾音は動く。

 ベンチの上はそんなに広くない。

 ずいっ、と顔を近付けてきた綾音から、逃げる場所は無かった。


「私はきっと、幸せだ」


 至近距離に見えるのは、大きな黒曜石のような瞳。長いまつげがまばたきに合わせて動いた。薄く化粧の匂いがする。


 その距離に耐えきれなくて、僕は目を逸らした。


「あ、綾音。近い」


「ん?」


 ああ、と納得して綾音は離れた。


「悪い悪い。どうにも猫だった時の距離感覚が抜けないんだ。集中すれば大丈夫なんだが、気を抜くとすぐに転んだりしてしまう」


 やたらこいつが近かったのはそういう事か。

 そういえば猫の時には、抱き上げたり、一緒に寝たりしていた。よく考えたらとんでもない話だ。行動的にも、社会的にも。

 なんだかペースを乱されっぱなしだ。僕は安堵のため息を吐く。


「綾音が猫だった時、か。そんな言葉自体、不思議な言葉だ」


「そうだな。私も数奇な体験をしたと思う」


 あの時、偶然出会って、偶然話せたから今がある。人が猫になっていた、なんてのは流石に予想外だったが。


「でも、私は良かったよ」


「何がだ?」


「おかげで少しだけ、家族の事を理解出来た気がする」


 ほんの少しだけどな、と綾音は付け足した。

 僕は古ぼけたベンチの背もたれに体重を預けた。


「そりゃ良かった」


「ああ」


 今日はどちらかというと涼しい方で、過ごしやすい気候だ。夜になれば尚更。祭りを見てまわるには丁度いい。

 僕は少し勢いをつけて立ち上がる。


「よっと。そろそろ戻るぞ。たこ焼きとか買い出しとか、色々と放りだしたままなんだ」


 涙の理由は良く分からなかった。でもそんなに気にする事じゃないらしい。

 綾音も立ち上がり、着物についた汚れを軽く払った。


「そうだな。私のせいだし、ここは私が奢ってやろう」


「お、やった」


「…………道隆、男のプライドとかは無いのか?」


「どっかの猫のせいで今月はピンチなんだ」


「うぐっ」


 出店のある大通りは騒がしく、僕達はその喧騒の中に笑いながら入りこんだ。








「おまたせ」


 土手を降り、川辺の広場の一角に居たまきる達に、僕は焼きそばを掲げながら言った。

 この広場は花火が近く、毎年一番多く人が集まる場所だ。人ごみの中、シートを広げて陣取るまきる達を見つけるのは苦労した。


「おかえりー。遅かったねっ」


「ちょっと後ろのやつがな」


「ん?」


 不思議そうな表情で、まきるは僕の後ろを覗き込んだ。


「あ、綾音ちゃん?」


「み、見るなっ。こんな私を見ないでくれっ」


 綾音ははだけた浴衣を手で引き寄せ、必死に情事の後を隠そうと――


「祭りが悪いんだ! 風船掬いとか輪投げとか、面白すぎるっ」


 ――している訳ではない。

 右手に沢山の水風船。左手によく分からない変なキャラクターのぬいぐるみ。組んだ腕には買いまくった食べ物が溢れんばかりに置いてある。

 座ったままのまきるは僕から焼きそばを受け取りながら、くすりと笑った。


「分かるよっ。あたしも気付いたら無駄な物買っちゃって、次の日後悔するんだよね」


 僕が空いた手で綾音から食べ物を取り除いていると、まきるは立ち上がって力強く拳を握った。


「でも大丈夫! そうならないためには、あたしみたいに財布を人に預ければ良いんだよっ。ねっ、道隆君っ」


「ああ、ちなみにその焼きそば、まきるの財布から出したから」


「駄目でしたっ! って本当にっ!?」


「冗談に決まってるだろ」


 その嘘はひどいよっ、と騒ぐまきるに綾音の腕にあった食べ物を渡す。


「これは綾音の奢り。そっちの焼きそばもな」


「そういう事だ。待たせてしまったからな。遠慮なく食べてくれ」


「良いの? ありがとーっ」


 抱き付く勢いで礼を言うまきる。まだ綾音の腕には食べ物があるから踏みとどまったが。別に話していた晃達も綾音に礼を言う。

 とりあえず食べ物はシートに広げた。綾音は水風船を外しながら周りを見渡した。


「まきる。ところで花火はいつから始まるんだ?」


「もうすぐだよっ。多分あっちの方から」


 川上を指すまきるの言葉の途中で、大きな音が世界に響いた。

 夜空に広がる光の粒。体の芯に伝わってくる音。空中で踊る光もあれば、パチパチと弾ける音もある。色とりどりの輝きが連なるように重なって、何度も何度も僕達に夢を見せた。


「来れて良かった」


 花火の合間に呟かれた、繊細な、聞き慣れた声。

 隣の発信源は惚けるように花火を見ている。


 祭りも初めてだ、って言ってたっけ。


 綾音がこの祭りを楽しんでいる事が、自分の事のように嬉しい。

 だから、僕は綾音の背中を押して、シートに座るように促した。


 驚いた後、花火を見ていた所を邪魔されたせいか、拗ねた顔で睨んでくる綾音。それを無視して、もう一度シートに座るように促す。

 今度は大人しくシートに座った綾音。そして前に座る水城さんに後ろから抱き付いた。

 それをきっかけに、静かに花火を見ていた他の面々も騒ぎ出す。


 まきるは更に綾音に抱きつき、亜希は何かを言いながら焼きそばを食べ出す。まきるの脚が当たったらしい晃は僕に親指を立てて停止し、水城さんは抱きつかれたまま花火を見上げる。


 そんな様子がおかしくて、でも楽しくて。


 まだまだ花火は上がるし、どうせなら来年もまた来れば良い。冷めたたこ焼きも悪くは無いし、目の前の光景は色褪せる事は無いのだ。


 僕は自然な気軽さで、シートの中に入った。


 大きな花火が、上がった。









 猫と僕とのショート・ショート    完

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