僕とおば……翔子さん2
「ほらほら、道隆。もっとしっかり窓を拭くんだ。猫の手も借りたいかもしれないが、実際手伝っても邪魔なだけだろうからな。ああっ、この手が憎い!にくきゅうぃ!」
「ニア、静かにしてろ。」
クッション入りのバスケットの中から冗談を飛ばして来るニアをあしらう。多分、喋る相手がいないので退屈なんだろう。僕も肉球かっ、とツッコんでやれない。
今の会話も周りには、にゃあにゃあ言う猫を叱る飼い主に聞こえているんだろう。
「猫相手に、んな怒んなよ。男の癖に肝っ玉が小せえぞ。」
「そうだよっ。可愛いんだし、それくらい大丈夫だよっ。うち一軒家だし。」
そういう訳じゃ無いのに翔子さんとまきるに怒られた。納得行かない。
現状、結構不便である。
そんなこんなで掃除は終わる。もう昼に近い。途中、ニアが話しかけて来たがさっきの事もあり無視していた。そしたら今度は無視は可哀想だなんだと二人に叱られた。理不尽だ。
「んーっ、綺麗になったねー。やっぱり掃除は楽しいなぁ。」
飾り付けを外すのはちょっと寂しいけどねー、とソファに転がってまきるが言う。僕もとりあえず隣の小さい方のソファに座る。
「そうだね。ああ、道隆君。昨日は本当に迷惑をかけてすまなかった。どうも昔から感情が爆発すると、自分でも何をしているかよく分からなくなるんだ。」
テーブルの椅子に座りながら、おじさんはすまなさそうに言った。いえ、と返しておく。おじさんの翔子さんとまきるへの溺愛っぷりは昔からだ。
ニアはいつの間にか用意されていたミルクを舐めている。翔子さんがキッチンからリビングに入って来た。
「ほら、麦茶と菓子だ。二人ともこっちに来い。猫も持ってきな。」
はーい、ほら行くよー、とまきるがニアを抱いていく。ニアが一瞬ビクッとしたが大人しく連れて行かれる。ニアが嫌がっているからあんな触り方はするな、ときつく言っておいたので、わりかしまともな扱い方だ。何日保つかは分からないが。
僕もテーブルに向かった。
「ほらよ、好きなもん取れ。」
翔子さんが差し出した大皿にはクッキーやチョコ、飴などの色んなお菓子が入っていた。
「うわー、豪華だねー!いっただきまーすっ!」
まきるは早速チョコを手に取って口に入れる。なんともまあ、幸せそうなアホ面を晒している。
自分もクッキーに手を伸ばして、笑いながら翔子さんが言う。
「はっ、菓子くらいでそんなアホ面晒してんじゃねぇぞ、まきる。」
「えへへーっ、だってお母さんの特製クッキー、美味しいんだもん!仕方ないよーっ。」
ほら、お母さんも口にクッキー付いてる、と言って翔子さんの口元を拭うまきる。こうして見ると本当に仲の良い姉妹にしか見えない。どっちが妹かはあえて言わないが。
ニアが物欲しそうに見ていたので、いるか?、と目で聞く。ニアはクッキーが食べたい、と目で返してきた。それじゃ一枚貰うか、と手を伸ばそうとしたら翔子さんが話しかけて来た。
「ああ、道隆。さっきコンビニに言ったんだけどよ、一応、猫のエサも売ってたから買ってきたぞ。今日はまだ何も食わせて無ぇんだろ?」
とりあえず食わせとけ、と猫がまっしぐらなやつを出してくる。ニアは言った。
「無理無理無理無理。」
「おっ、やっぱハラ空かしてたみたいだな。ちょっと皿取って来るから待ってろや。」
やっぱり全然通じてなかった。ニアが助けて道隆っ、とこっちを見る。まともな餌はよっぽど嫌いらしい。立ち上がろうとする翔子さんに言う。
「あー、翔子さん。こいつ偏食家なんで。普通のエサは食わないんですよ。」
「あん?んじゃ、いっつも何を食わせてんだ?」
「ええっと、……トーストとか……?」
幼く見える顔。その大きな瞳に睨まれる。まずった。
「おい、道隆。」
「は、はいっ。」
翔子さんが椅子から立ち上がる。身長が低いからか、ちょっと大変そうだ。
無言で近づいてくる。後ろからヘッドロックをかけられた。
「~~っ!そんな、食生活だと、猫が早死にするぞっ。ば・か・や・ろ・う・が~~っ!!」
「痛い痛い痛いいたいっ!」
細い腕のどこにそんな力があるのか、ぎりぎりっ、と僕の頭を締め上げている。相手が少女の姿の女性であるし、あまり本気で抵抗する訳にも行かない。本気でいっても負けるだろうが、男のたしなみだ。
しかし、それより何よりまずいのは僕の後頭部。
痛みでは無い。痛みはむしろ他の部分よりクッションがある分、優しい。ただ、優し過ぎるクッションは時に凶器になる。ふにふにしているが凶悪な凶器だ。
「猫がなに食うかくらいきちんと調べろっ、分かったか?……ほら分かったかって聞いてんだ!」
「分かります分かりますっ!だから放して下さい!」
分かればいいんだ分かれば、と言って離れる。たゆん、と元の形に戻る。心臓に悪い。
まきると翔子さんは本当に姉妹みたいだが、ソコだけは翔子さんの圧勝だ。
「ったく、生き物を飼うんなら、しっかり面倒みろ。」
腕を胸の下に組んで翔子さんが言う。この人には一生勝てる気がしない。ああ、それと、と翔子さんが続ける。
「掃除の駄賃だ。昼飯と夕飯はウチで食ってけ。腕によりをかけてやるよ。」
にぃ、と幼く見える顔に似合わない、ニヒルな形に作られた唇。豊かな金髪をふわりと浮かせて、翔子さんは笑った。
「平和だねー、お父さん。」
「平和だなー。まきる。お、ニアちゃんだったかな。これが欲しいのかい?」
「ああ、そろそろ腹が減って結構きついんだ。一枚貰っていいか?」
「よしよ~しっ、やっぱりニアちゃんは可愛いなー。もふもふしたーいっ。……だめだめっ、道隆君に怒られちゃうもんねっ。よーしっ、一枚でも二枚でも十枚でも持ってけ泥棒猫ーっ!」
「ははっ、だめだよまきる。人間のお菓子とかは、基本的に動物にはあんまり良くないんだ。まあでも、ニアちゃんもお腹を空かせてるみたいだし、一枚位なら……。良いよね、翔子さん?」
「ったく、一枚だけだぞ。夕方にはあたしが何か考えとくから。」
「うんっ!ほらほら、ニアちゃーんっ。美味しい美味しいお母さん特製クッキーだよー。」
「…………おお、美味いな。道隆、後でこっそり何枚かくれ。このレベルのクッキーは滅多に食べられないぞ。」
通じていないはずだが、成立はしている。変な感じだ。
ひまわりのような笑顔のまきる。唇の端を少しだけ上げる翔子さん。慈しむような表情で見守るおじさん。少しだけ満足したのか、僕の膝の上に乗ってくるニア。
幸せな家族の風景。
変化は望む、望まないに関わらずやってくる。それは突然だった。
翔子さんは昼食を作りにキッチンに入って行った。その後は三人で雑談していたが、いつの間にやらおじさんは、ノートパソコンを広げ仕事を始めていた。僕とまきるはソファに移動する。
「それにしても週明けからテストかー。やだなー。道隆君、また勉強教えてよっ。」
まきるが良いこと思い付いたっ、とばかりに言ってくる。僕はチョコの包みを開けながら言う。
「良いけど、前回みたいに途中で寝るなよ?前回は最終的に僕一人で勉強して、おまえは結局赤点ぎりぎりだったろ。」
「ぜ、前回は仕方ないよっ。ほら、高校生になって初めてのテストだったんだからっ。」
もーいじわるだなぁ、とまきるが頬を膨らませて睨む。全然迫力が無い。そういえば、と僕はまきるを無視して続ける。
「もう一人暮らしを始めて三カ月近くなるんだな、僕。」
少し、しみじみとしてしまう。何となく天井を見上げていると、おじさんが話しかけてきた。
「いや、道隆君は良くやってるよ。たまにお邪魔するけど、いつもきれいにしてくれているし。最初はどうなるかと思ったけど、これなら三年間大丈夫そうだね。」
「おじさんは来るのは構わないんですけど、連絡くらいいれるようにして下さい。毎回泥棒かと思って焦るんですから。」
はははっ、とおじさんと笑い合う。ニアは暇なのか、うとうとしている。
そんな風に時間を潰していると、翔子さんが昼食を持ってきた。リビングに漂う食欲をそそる匂い。きっと翔子さんの事だから麺から何からこだわり抜いて作ったんだろう。
「ほら集まれ、メシだぞ。伸びない内に食え。」
僕とまきるは返事をしてテーブルに向かう。おじさんはいそいそとノートパソコンを片付けた。
翔子さんがテーブルの上に人数分の料理を置いていく。僕が手伝おうとして席を立つ。翔子さんに客は座ってろ、と戻された。
翔子さんが最後に麦茶を持って来て食卓は完成した。
「七味はこっち置いとくぞ。」
んじゃあ、と翔子さんが言って全員が続ける。
『いただきます!』
一口スープを啜る。豊潤な香りが鼻から抜ける。熱さも気にならない程、凝縮された旨味。しかし一口、また一口と飲んでしまう口当たりの良さ。麺を啜る。つるり、と何の抵抗もなく口の中に入る。噛むと絶妙の歯ごたえを残し喉の奥に消える。
美味いっ!
そうやってみんなで翔子さんの手料理に舌鼓をうっているとニアが起きて来た。
「んん、ちょっと寝てしまったみたいだな。お、いい匂いがするじゃないか。私にもくれ。」
かたり、と誰かが箸を落とした。
「なんだ?道隆、みんながまるで猫が喋っているのを見たような顔でこっちを見るんだが。アピールしたほうがいいのか?やあやあ、歌って踊れるスーパーキャットニアちゃんだよー。やほー。」
おーい、どうした?、とニアが手を降っている。
静止した向島家の中でただ一人、翔子さんが立ち上がった。一歩、一歩と少しずつニアに近付く。
あれ、もしかして本当に聞こえてる?、とニアが言う。ピン、と尻尾が立った。
……―まずい、もし本当に聞こえているなら普通は恐れ、排除する。歴史が物語るように、人間は理解出来ないモノにはとても排他的だ。
普通の常識人から見ればニアは化け物の類に近い。捕まるだけならまだしも、最悪ニアが殺されかねない。
「あっと、翔子さん実は最近腹話術の練習をしてまして……」
「黙れ、道隆。おまえは今からあたしの質問に答えろ。」
圧倒。外見からは想像もつかない程の重圧。嘘をつけば殺す。そう体全体で語っていた。
顔は豊かな金髪に隠れて見えない。無機質な声で翔子さんが質問してくる。
「この猫……―ニアは、喋る猫か?」
「…………はい。でも悪いやつじゃ」
言葉の途中で翔子さんがニアに飛びかかった。
僕はこの時の事を生涯、忘れないだろう。




