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金庫の中のスマホ

作者: さくらぎ舞

「あの人、スマホを金庫に入れてるんですって。」


そう言ったのは、町内の噂好きな西田さんだった。誰のことかといえば、団地の二階に住む、53歳の主婦佳子さんのことだ。


もともと几帳面で、真面目で、少しだけお節介なところのある人だった。数年前までは地域の防災訓練やフリーマーケットにも積極的に参加していて、「私、IT苦手で〜」なんて笑っていたのに、スマホを持ったあたりから様子が変わった。


「スマホって便利ね。写真もすぐ撮れるし、なんでも調べられるし」


最初はその程度だった。だが、次第に彼女は“持たされている”ように見え始めた。


「昨日も寝る前にちょっと動画を見ていたら、気づいたら夜中の3時で……」

「ゲームって時間が溶けるのね、ほんと怖いわ……」


笑って話すけれど、その目の下にはうっすらクマが浮かんでいた。


やがて、彼女は口数が減った。公園にも顔を出さず、ゴミ出しのときもぼんやりした表情をしていた。そして、ある朝。突然、こう言ったのだという。


「私、スマホを金庫に入れることにしたの」


誰かに盗まれた?と訊かれて、彼女はふるふると首を振った。


「違うの。夢に出てきたのよ。あれが……あのスマホが。」


夢の話を、彼女はぽつぽつと話したらしい。


暗い部屋に一人座っていると、スマホがぬっと動き出す。画面がにやにやと笑い、通知音がひっきりなしに鳴る。指が勝手に動き、動画が流れ、ゲームが始まる。気づけば時間は朝。なのに彼女の身体は一歩も動いていない。


その繰り返しが何夜も続いたという。目覚めるたびに、現実と夢の区別がつかなくなり、「私、食べられてる」と呟いたこともあった。


「何に?」と訊かれて、彼女はこう答えた。


「あのスマホに。時間を、一日ごと、ぱくりと。」


家族はいなかった。相談する相手もいなかった。だから、彼女は独自の手段に出た。


金庫だ。近所のホームセンターで耐火金庫を買い、それを寝室の隅に設置した。寝る前にスマホを入れ、カチリと鍵をかける。翌朝、目覚めるまで絶対に開けない。使うのは日中の数時間のみ。


それからというもの、彼女は少しずつ元気を取り戻していった。プランターの草花に水をやり、図書館で本を借り、ゆっくりと生活を取り戻していった。


しかし、スマホは二度と金庫から出ることはなかった。


友人がLINEを送っても既読にならず、電話をかけてもつながらない。「佳子さん、スマホ壊れたの?」と尋ねた西田さんに、彼女はこう答えたという。


「あれは封印したの。呪いだから。」


誰もそれ以上は聞かなかった。今では、彼女は昔よりも穏やかな表情をしている。目の下のクマも消え、時折、ベランダで空を見上げては小さく笑っている。


スマホは今も、寝室の金庫の中にあるのだろう。


誰になんと言われようと、彼女はそれを取り出そうとはしない。

封印された呪いのように、ひっそりと、カチリと。


しかも、佳子さんは言うのだ。

「万が一火事になったら、スマホは生き残るのよね。呪いのスマホだけは」

ーーー

西田さんは、ちょっと笑いながらこう返したという。

「あなたが呪いよ」


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