第2話 『天才剣士の弟子』
初めて、りんごを丸かじりした。
硬い皮と、その内にある結晶のような食感。そこから染み渡る甘味ある水分。ひと噛みするだけで、固さと柔らかさ、甘さを味わえる。なるほど、美味い。
甘味を味わいながら噛み締め、気が付けば空腹感が紛れていた。
「なんで姫様は、こんな馬車で移動していたんですか?」
「あの得体の知れない『魔王軍』から、逃げていた道中でしたの。専用の馬車は破壊されてしまったので、こちらにて」
「そうでしたか…だとするとあれが敵勢力……」
この異世界における、僕らの敵という訳か。
「こちらからも質問だ」
「姉さん…」
「私はお前の姉ではない。私に妹など…」
「アリサ」
姫様が、姉さんの名前を呼んで制止した。
「貴女の素性を、教えて頂けませんか?私はシエル。東に位置するジェルヴェール王国の第一王女ですわ」
「…アリサだ。シエル王女の護衛依頼を受けている、只の剣士だ」
「アリサ姉さん…」
うん、覚えた。
姉さんの名前くらいしっかり覚えておかないと、弟分として失格だからね。
「だから私は…」
「アリサ。只の、ではないでしょう?貴女は正真正銘、かの『天才剣士』の一番弟子なのですから」
「天才剣士…?」
初めて聞く人だ。誰なんだろう…?
「いえ。自分はその身分にあやかる気はありません」
「そう?貴女の師匠なら、もっと誇れって言いそうだけれど」
「あの人程、余裕を持てる強さを持ってはいませんよ…」
姉さんは、腰に掛けている剣を握り締めた。
「王女様、そろそろ」
馬車が止まり、ひとりの騎士が紙と羽ペンを渡した。
「ええ、こちらね」
シエル王女は羽ペンで紙にサインを書いて、騎士に返した。
再び馬車が進むと、門を潜り抜けた。どうやら、検問所を通過したようだ。
「私たちは各国の首脳が集まる『世界会議』を開催中、突如現れた『魔王軍』から襲撃を受けました。退避のため、今はこの馬車で帰国しているところです」
「なるほど…そちらの事情は分かりました。僕の方も、名乗らせていただきます」
自らの胸に手を当てる。少し違和感を感じたが、今は気にしないでおこう。
「僕は――――」
その時。
「 です」
声が、空を切った。
「ん?」
「なんと?」
「あれ?」
王女様と姉さんは首を傾げた。僕だって傾げたい気分だ。
「…ンン!僕の名前は 。… ! !!」
どういうことだ?そう疑問に思ったのもつかの間、目の前にPCのウインドウのようなものが現れた。
そこには、
[実名キャンセル:
プレイヤーのプライバシー保護のため、リストにない人物への実名開示をブロックしております]
と現れた。
「そうだった。今スタシカのアバターで転移してるんだった…」
…ん?てことは…
僕は、自分の喉をさする。
喉畑が、ない。
続いて、胸に手を当てる。
膨らみが、ある。
「どうした?急に自分の身体を触って……」
姉さんが心配そうに、様子をうかがってる。
「…シオン」
「…!?」
「それが、貴女の名前ですか?」
王女様が、尋ねる。その答えに、僕は頷くしかなかった。
「はい。今の僕はシオン。異世界から、ロボットで来ました」
そう、今の僕はシオンという少女だ。
少年ではなく、少女になった。
俗にいう、性転換である!
*
遥か昔。この大陸は、戦火に包まれていた。
先王を殺し玉座を掴んだ、帝王によって。
帝王の力と、圧倒的な軍勢によって世界は、帝王の手中に収まろうとしていた。
この王国も、そのひとつに過ぎなかった。
だが、王国には彼が居た。
平民の出でありながら、優れた実力と、卓越した頭脳を持った男が。
後にも先にも、その男は自他共にこう称された。
『天才剣士』、と。
『天才剣士伝説』序章より
*
「ナニコレ?」
シオンは本を見開いて、開口一番それを口にした。
「師匠の伝記だ。頭が痛くなるかもしれんが、どうやら事実のようだ」
「こんなバカげた男が、姉さんの師匠?」
「信じ難いが、そうだ。全くあの人は…」
こ奴の姉さん呼びは半ば諦めるとして、私達は一先ずこの国の宿に泊まることにした。
今は案内された宿まで、このまま馬車で進んでいるところ。
シエル王女は王城『蒼空塔城』にて馬車を降りた。護衛としての仕事はここまでのようだ。
だが、別れ際に『また後ほど』と言っていたのは気になるが…
「…で、彼女にこの世界の勉強がてら、自分が気に入っている本を16冊も渡すとは」
シエル王女は、『天才剣士伝説』の大ファンであるという噂は聞いていた。だがここまで熱狂的なファンだとは思わなんだ…
何かと気まずく、頭を抱えていた中、シオンは微笑みつつ、本を読んでいた。
「でも、面白い人ですね、天才剣士。自国の王様にこうも強気に反論して、謹慎喰らっちゃうとか」
「面白い、か…」
私は馬車の外、向こうの川辺を眺めながら、師匠のあの顔を思い出す。
あの、酷い笑顔を。
「アリサ姉さん?」
シオンが、本を閉じて声をかけた。
「…ん?ああ、すまない。師匠の顔を、思い出していてな…」
「容姿端麗、眉目秀麗な師匠の顔を?」
―――マジでその本、師匠の言葉に忠実だな…!
「…笑顔だ。あんな目でしか、笑えなかった師匠の笑顔」
川の向こう、遠くを見る目でそう呟いた。
「…姉さん、何を眺めてるんですか?」
シオンが隣に並ぶ。
その時、彼女は翆玉色の瞳を輝かせた。
天上には、青天。
心地良く吹いた風。
そして、都市を跨ぐように流れる大河。
国の中央でありながら、河と共にあるこの街は、海のような心地よさがある。
「こりゃあ、気持ちがいいなあ…」
「アディムス川。この街、河川水路活用都市ニシキの礎となる河だ」
この、海のような川の空気には、本当に癒される。
*
河川水路活用都市ニシキ。
広大なるアディムス川から水路を引き、それを生活水や船の航路として活用しているジェルヴェール王国の首都だ。
その為、この都市には遊覧船やテラス、当然橋も多い。
この木造の宿、フクロウ亭の近くに橋があることも、満更不思議なことではないのだ。
「ごめんください」
そして、色んなお客さんが来ることも不思議ではない。そう、不思議なことではないのだ。
今の私はこの宿の受付嬢、シルフ!
どんなお客さんが来ても…
「女性客2人、相部屋で」
茶色いコートに白シャツ、ミニスカートの腰には立派に重い直剣!
燃え盛るような赤いポニーテイルの前髪から、蒼い瞳ですっごい睨んできてるうううう!!
「ひっ!そ、その…2名様、相部屋で……」
私は恐る恐る受付用紙を出した。すると怖い目つきの女の人の隣から、小さい女の子が現れる。
「姉さん…もう少し穏やかに話しかけないと……」
小さい方は蒼いショートヘアに翆玉色の瞳、褐色肌の白ジャケットと女の人と正反対な子だ。
よかった、この子は大人しそうだ…
だけどなんで受付用紙をじっと見て…?
「…これは?」
「ここへ宿泊するにあたっての受付用紙。相部屋でいいだろう?」
「…」
白ジャケットの女の子は、その紙に触れて…
突然、ビリッと破った!
「…!?」
「う、受付用紙があ!!!」
ひいい!私なにかやっちゃったあ!?もしかして出す用紙間違えた!?ああいやでもさっきちゃんと相部屋の紙を…
と、あれこれ涙目で慌ててたら、女の子が私の涙を指で拭ってくれた。
束の間の静寂。ああ、お客様に慰めてもらうとは…私も、もっと頑張らないと……
そして、女の子は耳元で…
「お前を殺す」
驚 愕 !
そして彼女は、私の元を去っていった…
*
「なんなのあの人…」
相部屋がまずかったのだろうか…しかし殺害予告までするか?
訳が分からん…これが異世界の人間?
「こらっ」
「いてっ」
と、呆気に取られてたら1人の男がシオンにげんこつを与えた。
「なーにデデンやっているんで御座るか。調子に乗ってるか、パニクったで御座るか?」
「パニクったほう…」
「ハア…。
ま、 のその調子から見れば、なんとなく察せられるで御座るが」
頭を抱えて縮こまっているシオン。げんこつを与えた男は、行動とは裏腹に穏やかな印象だった。
白いローブに緑色のニットベスト、下はベージュのデニムと黒いスニーカーを履いている。
白髪のパーマの目元からは、スクエア型眼鏡と、シオンと似た翆玉色の瞳。
「貴方は…?」
「ん?ああ、自己紹介が遅れたで御座るな。某はセオ。元の世界で、彼の教師を担当して御座る」
セオ、と名乗るおっとりした口調の男が手を差し伸べた。
「ああ、私はアリサだ。よろしく」
「ほう、貴様がかの高名な『天才剣士』の弟子か」
と、そこに新たな来客が。赤い外套を羽織り、黒いロイヤルスーツを着こなした傲慢そうな少年だ。
少年の威圧的言動に、セオは頭を下げた。
「皇子殿下…!」
「余はクラレント帝国第一皇子、スフィア・クラレント。そこの男は余の護衛でな。余の知見を深めるため、連れまわしてある」
「はあ…」
スフィアと名乗った少年は、シオンを見下して愉快そうな顔をしている。
「…で、先の余興だが。中々に愉快だったぞ、小娘。彼の国ではこのような芸当が流行っておるのか?」
「まあ、一部界隈で流行ってるネタといいますか…。自分が女になってることに受け入れられないので御座ろう」
「ほう。それはなんとも愉快な」
「ちょっと待った」
スフィアが自然に流そうとしてたが、私は思わず声を上げた。
「なんだ、貴様。余の発言に異議申し立てるか」
「聞き捨てならないことを聞いた。セオとやら、先ほどなんと?」
「一部界隈で流行ってるネタと…」
「違う、その後」
「ああ、なるほど。 …、いや、ここではシオンか。彼は元の世界では男で御座るよ?」
「男!?」
思わず頭を抱えてるシオンを見やる。
服装は白のパーカーに裏地が青、黒いインナーシャツに青いズボン、茶色いカジュアルな革靴、男ものとしても通りそうなラインナップだ。だが体型は肩幅小さめ、腰回りの大きめの女性型。
喉畑はない、褐色肌。
顔は蒼いショートヘアに、気のダルそうな翆玉色の瞳。よくよく見ると麗しい少女の顔立ちをしている。
「女じゃないか!」
「この体は、自分で作りました…」
…は?作った?
シオンはその場で、ゆったりと立ち上がった。
「この体はアバター。本来僕の分身として機能してるものなんです。だけど異世界ではこの体で転移しないといけないもので…」
「それでシオンはその体で転移した、と…。他の体はなかったのか?」
それを聞くとシオンは、目を輝かせながら、拳を強く握りしめた。
「どうせ作るならカワイイ女の子の方がイイじゃないですか!!」
あー、なるほど。だいたい分かった。
「バカか君は」
「ありがとう、最高の誉め言葉です!」
清々しい笑顔で返された!
だめだこりゃ。救いようのないバカだ。
*
「ハハハ!誉め言葉と称するか!貴様、気に入った!!名は何という?」
「シオンです!先生がお世話になってます!」
「ウチの生徒がどうもすまないで御座るな…」
「いえいえこちらこそ。ところで…その『御座る』とは?」
「ああ、単なるロールプレイング、なりきりの一環で御座る」
いつの間にか4人が和気あいあいと仲良くなってて、私は口をぽかんと開けていた。
「えーと、これはどういう…」
「シルフ、後はオーナーに」
と、後ろから目つきの悪い七三分けの男が現れた。
「あ、ヴァロア店主」
ヴァロア店主。この店のオーナーで私らの上司だ。
主に経営方面を担当している。
そしてヴァロア店主の背後から、少女が1人現れた。
茶色いコートの下に白いシャツ、ジーパン。
長い金髪に黒いハット帽子を被っている。
ハット帽子の鍔からは、優しい碧眼の目つき。
「ようこそお客様みなさん、お越しいただきありがとうございます」
その人は、ハット帽子を被りながら礼をした。
「私の名はミシェール。この『フクロウ亭』のオーナーになります」
赤い外套を羽織った少年、スフィア皇子が堂々と尋ねる。
「ほう、貴様がここのオーナーと。随分とみすぼらしい服装だが、気品は隠せておらぬようだな」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。スフィア皇子殿下」
両者ともに、睨みあう。
なぜかヒリついた空気が流れている…
「いや、ミシェールって…シエル王女でしょ?」
「「!!」」
その声がした瞬間、2人とも目を見開いた。
声を発したのは、蒼いショートヘアの女の子だ。
「…あれ、何かまずいこと言っちゃいました?」
「こんな場所で堂々と言うべきではなかったで御座るよ、某は」
「正直、スルーするべきだと思っていたが…」
女の子の両隣で、白髪パーマの男と、赤いポニーテイルの少女が呆れてる。
「…バレてしまっては、仕方ありませんね」
ミシェールは、ハット帽子を外し、満面の笑みを見せた。
「初めまして、私はジェルヴェール王国王女シエルと申します。『フクロウ亭』のオーナーであることは変わらないので、よろしくお願いしますね?」
私の隣で、ヴァロア店主が眉間を抑えてる。
「状況が悪化した…」
「ど、どうするんですかコレ!?」
私も正直、困惑している。
なんてったって、この店最大の秘密がバレてしまったのだから!