7.安堵
「いやぁ助かりました。右も左も分からなくって」
荷台の方から、御者をしている男性へ、ラニカは声を掛けた。
分けてもらった水と携帯食料を口にしながら、アッシュも横でうなずいている。
「偶然とはいえ、俺が通りがかってよかったな」
御者をしているのはガタイの良い男性で、髭こそ生えてないが、どことなく熊を思わせる。
ピーチブロンドを短く刈って逆立てているのもあり、後ろ姿からは非常に威圧感を覚える人物だ。
ただ、だいぶ幼い顔立ちと、柔和な赤い双眸をしている。
そのせいで、ベビーフェイスと首から下のムキムキ具合とが妙なギャップを生んでしまっていた。
この男性は誰なのか――結論を言ってしまえば、近づいてきた馬車は追っ手でも何でもなかったというだけだ。
随分と前からあまり使われなくなったこの道を使いつつ、東の国境近くの村と取引をしている商人だったのである。
彼が自分の拠点にしているオージャ村まで連れて行ってくれるというので、二人はその言葉に甘えさせてもらった。
「とはいえ――お嬢様と従者って感じでも無さそうだし、迷ってる場所も妙だし……お前ら、怪しいっちゃ怪しいぞ」
「そこに関しては返す言葉もねぇな」
苦笑するアッシュだったが、ラニカも同じだ。
正直、自分たちの組み合わせも雰囲気もチグハグなのは自覚している。
なのでラニカは、素直に答えてみることにした。
「誘拐犯に捕まったんですが、自力で逃げ出してきたって言ったら信じてくれます?」
商人の男はラニカの言葉を受けて、無精ひげの生える下顎を撫でる。
横目でこちらを見ながら思案する雰囲気は、商人と言うより不思議と騎士を思い起こさせるものだった。
「金もってそうな嬢ちゃんと、明らかにスラムの出っぽい兄ちゃんが、同じ馬車に乗せられてたのか?」
「馬車に何かの魔法を掛けてたからな。たぶん――」
アッシュの補足にかぶせるように、商人は答える。
「魔法の使用制限みてぇなモンがあるのかもってコトか。
何らかの手段で長距離移動を可能にする魔法ってところだろうな。だが馬車一台が限度ってところか」
「おっさん、信じてくれんのか?」
「にわかに信じがたいが、目の前の光景と状況を照らし合わせると……って感じだな」
そのやりとりでラニカは僅かに確信した。
恐らくは、元騎士ないしそれに準ずる仕事をしていた人物だ。
ただ元騎士というのは少々怖いかもしれない。
善人ではあるとは思う。だが何らかの罰によって騎士を辞めていたのだとしたら、貴族に多少の恨み辛みがあっても不思議ではない。
「警戒すんなって嬢ちゃん。
こんな田舎で暮らしてるとはいえ、ロジャーマン家を敵に回したくないしな」
「貴族事情に詳しいようで」
やや皮肉げに言うと、商人も慣れた調子で皮肉っぽく返してくる。
「お察しの通り元騎士でな。王宮勤めも経験してるから、イヤでも詳しくなるわな」
「詳しくないと大変な職場でしょうしね」
「その言葉そっくり返すけどな。
嬢ちゃんの身のこなし……ただの従者じゃねぇ。ロジャーマン家の従者教育の中でも、最上級にして最難関ってヤツを突破してんだろ?」
「不合格ギリギリの補欠合格みたいなモノですけど」
「謙遜しすぎだ。その補欠合格にすら手の届かない連中が大半だって聞くぞ」
「偉大なる先輩の中には、満点合格がおりますので」
「そりゃあ比べる相手が間違ってる」
確かに、自分とカチーナ先輩は比べてはいけないかもしれない。
だけど憧れのラインがそこにある以上、ラニカとしてもあまり妥協はしたくないし、自惚れるわけにはいかないのだ。
「今の話を聞いてると、コイツがすごいヤツみたいに聞こえんだけど」
「みたい――じゃないぞ。実際すごいんだ」
どことなく居心地の悪い会話が始まる気がして、ラニカは身動ぎする。
正直、カチーナを筆頭に、顔と名前を知っている先輩たちの中には、その難関コースを苦もなく合格している人がいるのだ。
それを思うと、補欠ギリギリの自分が褒められるのが、どうにもいたたまれなくなってしまう。
「ロジャーマン家は従者教育に力を入れている家系なんだよ」
ラニカが先輩たちと自分を比べている間に、商人はアッシュにかみ砕いた説明をしていた。
「執事やメイドなんかの仕事を色んなヤツに教えてるんだが……。
その最上位最難関の授業ってやつはな、並の騎士でも根をあげる戦闘訓練みたいなモンまであるらしいんだよ」
「納得したぜ。そこを突破して合格まで行ってれば、そりゃ強ぇんだろうよ」
なんとも居心地の悪い気分だが、ラニカに二人のやりとりを止める理由もないのだ。
どうしたものかと考えていると――瞼が落ちてくる。
(思ってたより、疲れてるか……)
このまま睡魔に身を任せるか考えて、ラニカは休むことを選んだ。
(完全に信用はできないけど、悪い人ではなさそうだし……)
覚醒からここまで無茶をしすぎた。
助けて貰えるまで我ながらがんばったとは思うが、スマートさが足りていない。
水と携帯食料を分けてもらい口にしたせいか、身体が休息したがっている。
ここで休まないと、明らかに身体の動きも頭の回転も悪くなっていくことだろう。
(やっぱり、カチーナさんみたいに……上手くはいかないなぁ……)
そのままラニカが眠りへと落ちていく。
そんなラニカに気づいた男性は、声を落としながらアッシュに告げた。
「声を抑えろ。嬢ちゃんが寝ちまったみたいだしな」
「寝かされて起きてから、飲まず食わずでオレを守りながら暴れてたもんな……」
「寝かされて……クスリでも盛られたのか?」
「たぶんな」
「そりゃあ寝起きはクスリの影響もあってキツかったろうな。よくもまぁ兄ちゃん守りながら暴れられたもんだ」
「その無茶で助かったのは確かだ。感謝はしてんだぜ」
商人の言葉を受けて声のトーンをちゃんと抑えるアッシュ。
それを見て、商人は笑った。
「ちゃんと感謝できるんだな」
「オレを何だと思ってんだよ」
「悪いな。スラムの連中は貴族や金持ちが嫌いなヤツが多いんじゃないかと思っててな」
「間違ってねぇし、オレも嫌いだよ。だけど、アイツに助けて貰ったコトとそれは別だろ?」
不満げなアッシュに、商人は喉の奥でくつくつと笑う。
「くくく……。兄ちゃんイイ男だな」
「なんだよイキナリ?」
急に賞賛してくる商人に、アッシュが目を眇める。
それに対して、商人は楽しそうに告げた。
「感情と事実を分けるコトが出来て、嫌いな相手にも道理があれば正しく礼をする。
それは騎士や貴族でもちゃんと出来ているヤツは少ないコトだぜ」
「そうかよ」
「本気で賞賛してるんだぜ。素直に受け取れって」
「いらねぇよ」
言葉では拒絶しているが、アッシュの雰囲気は悪くなっていない。
案外、まんざらでもないのだろう。
ガタガタと揺れる馬車の上。
二人の声を抑えた談笑は、オージャ村に着くまで続くのだった。
準備が出来次第、もう1話公開します。