2.誘拐
ラニカはこの国の二大公爵家――その片方の王都邸宅に勤める侍女だ。それも従者仕事だけでなく、書類仕事やメイドとしての家事全般などもこなせる完全なるオールワークス。
雇っている従者や使用人の数がステータスだった時代は斜陽となっており、今はどれだけ質の良い人材を揃えているかがステータスとなる時代だ。そういう点で見れば、ラニカは間違いなく価値のある人材と言える。
そそっかしくて、慌てん坊で、割とドジなどの欠点が多々あることに目を瞑れば、だが。
とはいえ、それらの欠点が発揮されなかった場合において、仕事は早くて丁寧で文句のつけどころがない為、何のかんのと一目置かれた存在である。
なお、欠点は結構な確率で発動するのが困りものである――とは、本人だけでなく周囲みんなも含んだ弁。
ともあれ、そんなラニカが勤めるドリップス公爵家は、休暇をちゃんと用意してくれている家であった。
王子殿下が婚約者であるお嬢様とお茶がしたくて突然やってくるだとか、そういう急なイベントが発生すれば休み返上になることもあるが。
けれど、そういったことがない日であれば、通常通り休暇は貰えるのだ。
基本的に滅多にないはずなのに、ここ最近はお嬢様の婚約絡みの騒動のせいで、かなりの頻度で発生している気がするのは気のせいということにしたい。
「んー……休日に羽を伸ばしながらの買い食いは楽しいっ♪」
そして、今日はラニカの休日である。
公爵家ともなれば、侍女への給金も悪くない。むしろ良い部類だ。
そのおかげで休日は実家にいた時と同じくらい――いやむしろそれよりも贅沢ができるだけ稼げている。
結構な稼ぎのあるラニカだが、彼女本人はあまり贅沢が性に合わない。
パニカージャ男爵家の三女として必要とあらば貴族令嬢として立ち回れるものの、庶民的な休暇の過ごし方が性に合っている。
実際、職場で共に働く庶民出の仲間と、下町に遊びに出かけてからは、すっかりそっちに遊びに行くことが染み着いてしまった。
その為、休日に繰り出すのはもっぱら平民街だ。
屋台を食べ歩きしながら梯子したり、はしたなく大口をあけてお肉にかぶりついたりするのは楽しい。
もちろん服装も平民街を歩くのにあわせて、貴族ではなく富豪や商家の娘に見えるような格好にしてある。
護衛はいないが、チンピラならどうにかできる程度の護身術は心得ているので問題はない。
そんなワケで、ラニカの休日は基本的に庶民街を歩き回ることが主となっていた。
そうして休暇をだいぶ満喫した日の夕暮れ。
(いけない、いけない。夕食はマキアさんと食べに行く約束してるんだった)
そろそろ仕事を終えた同僚が、待ち合わせ場所にやってくる時刻だ。
足早に待ち合わせ場所へと向かう途中、路地裏から妙な物音が聞こえて、ラニカは足を止めた。
(明らかに暴行の気配……。
平穏に過ごすなら無視をするべきだとは思うけど……)
だからといって、明日以降にこの路地裏で重傷者や死者が出たなんてニュースを聞いてしまえばひたすら後悔に苛まれることだろう。
(あれ? でもこの路地裏って……)
ふと思うことが湧き、頭の中でこの近辺の地図を思い浮かべる。
(やっぱり裏社会の方々にとっても、中立の緩衝地帯だ……。
なら、酔っぱらいや何でも屋たちの喧嘩かな?)
その思考はどちらかというと、そうであって欲しいという願望が混ざっていた。
対立しあっているマフィアたちであっても、ワケあってこの近辺での争いは控える。
それどころか、騎士や警邏兵なども、この場所で犯罪者と遭遇しても争いや捕り物は控えるのだ。
この路地裏はそういう場所であるはずだった。
だから、変な物音に関しても、血気盛んな者同士の単純な喧嘩であるはずだ――と。
(どっちにしろ、見過ごすのは寝覚めが悪い……よね)
気づいてしまったのだから仕方がない――と、ラニカは自分に言い聞かせて路地裏へと足を踏み入れていく。
この先にある『錆びた渡り鳥亭』はお料理だけでなく、デザートも美味しい隠れた名店なんだよねぇ――などと現実逃避じみたことを考えながら、進んでいく……。
(念のため、この辺りに私物でも一つ落としておこう)
お気に入りのリボンを路地の脇に放り投げ、さらに進む。
やがて目的地に到着し、それを目撃して、ラニカは後悔した。
(誘拐、かぁ……)
恐らくは王都のスラムで生活している少年だろう。
灰色の髪に、褐色の肌をした、痩せぎすの男の子。
その薄汚れた格好に不釣り合いな、金属製の無骨な手袋のようなものをしている少年は、周囲にいる怖い顔の男たちから暴行を受けたというのが目に見えている。
だが制裁や腹いせのような感じではない。
むしろ、少年が死なないように加減しつつ、反撃する気がなくなる程度に痛めつけている感じから、ラニカは誘拐が目的ではないかとあたりを付ける。
こちらを見ながら、目を見開いている様子を見るに、ラニカのことを心配してくれているようだ。
(目つきは悪いけど……でも、悪い子ではなさそう……)
自分から首を突っ込んでしまったことではあるので、そこまで悲壮的な目をされるとむしろ罪悪感が湧くがそれはさておくとして。
(でも、富豪や貴族ではなくスラムの少年なんて……何の意味があって……)
――と、そこまで考えてラニカは胸中で頭を振った。
考察はあとでもできる。今は出来るだけ情報を集めつつ、状況を打開しないといけないだろう。
「おや、嬢ちゃん……こんな薄汚いところにな何かようかな?」
「この先は、寂れて汚ぇ酒場しかねぇんだぜ?」
こちらに気づいた男たちが下卑た調子で話しかけてくるが、彼らが口にする内容にラニカは首を傾げる。
(街の何でも屋だけでなく、一部の貴族や裏社会の人からだって、人気のある酒場のはずなんだけどな……)
だからこそ、店に迷惑をかけないように、裏社会の人間たちを含め、店を好んでいる利用客たちは、この近辺での仕事や抗争は控えるようにしていたはずだ。
(それを知らない? この人たち、モグリとか新参かな?)
どちらであれ、相手はリサーチ不足だ。
ナワバリというのは意外と馬鹿にできないものなのだから。
「いやぁ、そのお店に用があったんですけど……」
「なら運が悪かったなぁ……!」
「誰の使いか知らねぇが、綺麗な格好すぎるのも問題あるんだぜ?」
ラニカとてそこまで裏社会に詳しいわけではないが、それでも多少分かることはある。
(裏であれ表であれ、新参が暗黙のルールを調べもせず無視して問題起こす時って、だいたい厄介事がセットなんだよねぇ……)
例えば目撃者を消すとか。
あるいは、目撃者も一緒に誘拐するだとか。
果たして自分の背後から近づいてくる相手は、どちらを考えているのだろうか。
(うーん……人が入っちゃいそうな袋を持参しているようだし……。
後者かな? 後者だといいなー……)
この現場は不自然な状況が多い。
それが何を意味しているのかまでは分からないが、あまり良いことではない気がするのだ。
(スラムの少年一人が行方不明になるなら、さしたる問題にならない。
……だけど、公爵家の侍女がいなくなったのであれば、はてさて、どうでしょう)
死ぬつもりも殺されるつもりもさらさら無い。
ただラニカの侍女としての直感が、彼らは主たちの敵になりうる存在であると、そう感じた。
それに、かつて知人が一人失踪してしまった事件があったのを思い出したのだ。
この状況でそれを思い出してしまった以上、この手の輩を野放しにはしておけないとも思ってしまった。
(憧れの先輩みたいには上手くできないだろうけど……やれるだけ、やってみますかッ!)
そうしてラニカは、ごく自然に、背後の相手に驚いたフリをするつもりだった。
ところが、振り向こうとした時に足をもつれさせて、その場で尻餅をついてしまう。
「なんで急に尻餅ついてるんだお前?」
「……いや、えーっと……背後から何かご用ですか?」
聞こえてきた声に返事をするも、どうにも格好がつかない。
(こ、こんな時に……わたしのドジって救えなくない……!?)
「こうする為だよ」
直後、頭に袋を被せられ――
(あ、まずい……。
この袋、なんか……妙な、においが……充満して……。
これ、何かのクスリだ……、意、識、が……)
もがく間もなく、ラニカは糸の切れた人形のように、くたりと薄汚れた石畳に倒れ込むのだった。
準備が出来次第、もう1話公開します