16.懊悩
ラニカの部屋をあとにしたアッシュはそのまま宿を出た。
行く当てがあるワケでもないので、兵士の詰め所である塔の入り口の前に広がる広場を目指す。
適度に開けていて、ある程度の人の行き来があり、ベンチもある。
兵士の詰め所の前というロケーションから、怪しい連中が自分を狙ったとしても、そう悪い方向にはならないだろう――という判断だ。
それが正しいかどうかは分からないが。
歩いていると、今の自分と似たような格好の人も少なくない。冒険者だろう。
そういう人たちも街の中にはいるという時点で、ある意味で安心材料だ。
(まぁ、冒険者の中にオレを誘拐したい奴が混ざる可能性もあるんだけどな)
とはいえ、全てに警戒してても気疲れするだけだ。
スラムにいる時と同様に、警戒と弛緩のバランスを意識して微調整していけばいい。
そうして、詰め所前の広場までやってくると、アッシュは適当に空いているベンチを見つけて腰を掛ける。
背もたれに腕を回して空を見上げた。
(最後までラニカにおんぶ抱っこのままってのは良くねぇな。
カッコが悪いってのもあるが、ラニカの負担がデカすぎんだ……)
ならば、自分はどうするべきだろうか。
(強くなるしかねぇよな。ケンカもそうだが、気配ってやつを探ったり、魔法をちゃんと制御できるようになったり……もっと知識も必要だ)
ただ、それをラニカに教えて貰うのは、ラニカの負担を増やすことになってしまうのではないだろうか。
思考が堂々巡りをしはじめる。
解決策が見えてこない。
「おや、アッシュか?」
「ん?」
声が聞こえてきて、そちらへと視線を向ける。
そこには、ココーナの姿があった。
執務室で見たときに比べて、やや軽装になっているようだ。
「あまり一人でいるのは感心しないぞ」
「……分かってる。だけど、少しラニカを一人にしてやらないと、ダメっぽかったから」
そう答えると、ココーナは少し驚いたような顔をした。
「ふむ? エクセレンスの最難関突破者らしくない話だな?」
首を傾げるココーナに、アッシュは告げる。
「本人曰く補欠合格だったらしいぜ」
「補欠……ああ、そうか。そういうコトもあるのか。
合格者だと思い込んでいたが――それなら確かに精神を休ませる必要もあるか」
補欠というだけで納得したココーナを不思議に思ったアッシュが、訊ねた。
「なぁ、エクセレンスってところの最難関は何をやらされるんだ?」
「横、良いか?」
アッシュの質問にココーナは少し悩んだ素振りを見せてから、そう口にしてくる。
ココーナはアッシュがうなずき、少し横にズレたのを確認してから腰を掛けた。
それから、少し言葉を選ぶようにしながら、ココーナが答えてくれる。
「従者、メイド、執事……そういった主に仕える仕事を覚える為の厳しい訓練だ。
そこでは必要な勉強だけでなく、主を守る為の戦闘訓練なども含まれる。カリキュラムにもよるらしいがな」
「それが並の騎士でも根を上げるってヤツ?」
「そうだな。実際の訓練は見たコトないが、そう言われている」
うなずくココーナに、やはり納得がいかないのか、アッシュが重ねて問いかけた。
「その説明だけだと、ラニカが補欠合格だから休養が必要っていうの、意味わかんねぇんだけど」
「まぁそうだろうな」
苦笑するように首肯して、ココーナは自分の唇を指で軽くなぞる。
そのまま下唇の上を指が往復していく。恐らくは彼女が思考する時のクセのようなものだろう。
「最難関カリキュラムが最難関と呼ばれる所以はな、その指導の厳しさもあるんだが、卒業試験には他の難易度には存在しない特殊な課題があるんだ」
「その課題をこなせないと卒業できないのか?」
「基本的にはな。例外として彼女のような補欠合格もあるようだが……よほど、特殊課題以外の成績が良かったのだろうな」
つまり、その特殊課題というものをクリアできなかったから、ラニカは補欠だったのだろう。
「その特殊課題ってのは?」
「…………」
アッシュの顔を見て、ココーナは言い淀む。
「騎士や冒険者をやるなら必須だが、本来メイドや執事などの従者業にはあまり必要のないモノだ」
迂遠な言い方だったが、アッシュは漠然と理解した。
「殺しか」
「ああ」
人を殺す。
スラムではそう珍しいことではない。
昨日までのアッシュであれば、そんなことも出来ないのか――と、ラニカを笑ったことだろう。
だが。つい先ほど、常識のすりあわせということをしたのだ。
だからこそ、一般的には、人を殺すことは余りよろしくなく、忌避感のある行いなのだというのは理解できた。
「クソったれ」
思わず毒づく。
人を殺すという課題を突破できず補欠合格だったラニカが……オージャ村に着く前に、何をした?
「……最悪じゃねーかオレは。オレの為に、あいつは一番やりたくないコトを、一番にやらせちまった……ッ!」
「それは違うぞ、アッシュ。それを選んだのはラニカの選択だ。君のせいではない」
そう言われて納得できるば、どれだけ気がラクだっただろうか。
脳裏に過るのは、無理している時の妹分と同じ笑顔を浮かべるラニカだ。
妹分にもラニカにも、あんな顔をさせたくない。
なのにどうして自分は、あんな笑顔を浮かべさせてしまうのか。
「ココーナ……どうやったら強くなれる? オレはもう、ラニカの足を引っ張りたくない……あいつに無理をさせたくないッ! 何かを我慢してオレの為に浮かべる笑顔なんざッ、見たく……ないんだよッ!」
切実な、血を吐くような様子で口にされたその言葉に、ココーナは静かに思考してゆっくりと答えた。
「今の君が欲しているチカラは、単にケンカの腕っ節を上げるだけではダメなモノだぞ」
「……分かってる」
「ならば知恵を蓄えろ。未知を知り、既知を深掘りしろ。今の君が求めているチカラというのは、知識を得るコトでしか掴めないモノだ」
「知識を、得る……」
「そうだ。今ここで君が歩んでいる帰路の旅路において、ラニカを手助けするというコトは、スラムの外の知識や常識が必要だ。それが無ければ君はずっと足でまといのままだぞ」
「…………」
それはすぐに手に入るモノでは無い。
今日のように、ラニカやココーナなどと情報や知識をすりあわせることでしか手に入らないもだろう。
「その上で、ケンカの腕っ節も必要だ」
付け加えられた言葉に、アッシュは無意識に拳を握る。
その様子に、ココーナは小さく笑って告げた。
「魔法の制御が出来ないという話だったな。今日はもう私は非番だからな。少しばかり魔法の使い方をレクチャーできるが……どうする?」
無論、アッシュはためらうことなく、お願いするのだった。