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15.落涙


 ココーナが用意してくれた宿は、この関所内の町トライブレンの中でも、少しグレードの良いもののようだった。


 そんな宿を、ラニカとアッシュで二部屋分も取ってくれたのだから、領長というのは本当に偉い存在なのだろう。


(さすが金持ちって感じと、わざわざありがとうって感じとが混ざってよく分かんなくなってくんな)


 案内された部屋のベッドに腰掛けながら、アッシュはそんなことを考える。


(金持ちや貴族はみんな敵だと思ってた。

 だが、ラニカや領長のココーナって人は何か違うんだよな……)


 スラム出身――いや、平民だと気づいたら見下し、唾を吐きかけてくるようなモノばかりの印象があった。


 だが、ラニカもココーナもそうではない。


(いい奴も悪い奴もいる。それは平民も貴族も違いはない……か)


 つまり、自分たちが認識している貴族というのは悪い奴が多かったということだろうか。


(……頭ン中ごちゃごちゃしてきたな……)


 アッシュはベッドから立ち上がると、身体をほぐす。


(ラニカなら色々と教えてくれたりしねぇかな)


 悪い貴族はともかく、そうではない貴族というのにほとんど会ってこなかったのだ。

 だからこそ、まともな貴族が普段何をやっているのかを知りたいと――そう思った。


(ま、そうでなくても、魔法について、もう少し知りてぇしな)


 何も知らないままでは、王都に戻るまでの間にラニカに多大な迷惑をかけてしまう気がするのだ。

 だからこそ、いまのうちにラニカに色々と聞いておきたい。


 アッシュは自分の部屋から出ると、隣のラニカの部屋のドアをあける。


「アッシュ君」


 すると、めちゃくちゃラニカに睨まれた。


「なんでそんな睨むんだよ……」

「鍵をかけ忘れてた私も悪いんですが……とりあえず入ってきてください」

「お、おう……」


 そうして椅子を示され、そこに腰をかけるとラニカは盛大に息を吐いてから告げる。


「他人の部屋に用がある時はまずノックをしてください。私が着替えていたりしたらどうするんですか?」

「ん? 別に着替えが見られたところで問題ねぇだろ?」


 スラムで生活していると、隠れて着替える余裕などない。そもそも着替え自体がほとんどないのだ。

 だからこそ、アッシュはラニカが何を言っているのかがイマイチ理解できなかった。


「……なるほど、価値観の違い……」


 アッシュが純粋な気持ちで首を傾げると、ラニカが何かに気づいたように眉間を押さえた。


「一般的な見解において、着替えや裸は他人に見せないものです。

 これは平民でもそうですが、富豪や貴族となると、他人の――しかも異性に素肌を見られるのは大変不名誉なコトであり、最悪の場合、結婚が出来なくなってしまう場合もあります」

「結婚ねぇ……しなきゃダメなのかよ?」


 スラムで主に暮らしている大人は、気がつくと男女がくっついてたり、男の陰がないのに、子供を生んでる女が多い。


 だからこそ、結婚という言葉と概念は分かっていても、結婚できないことががどうして問題になるのかアッシュには理解できなかった。


「ンッンン~~……! 価値観のッ、違いッ!!」


 難しい顔をしてラニカが天井を仰ぐ。


「これはどう説明するべきなんでしょうねぇ……」


 ぶつぶつと何かを呟きながら悩むラニカ。

 その姿に、アッシュは不思議と嬉しさを感じていた。


 どう説明しようか悩む――ということは、ラニカは、アッシュをバカにしたりする気はないということだ。

 アッシュとの感覚の違いを理解した上で、どうやってアッシュに説明しようか悩んでいる。


 ラニカはアッシュのことを人間として扱ってくれている。

 それが嬉しく感じる理由なのだが――まだ、アッシュはなぜ嬉しいのかを正しく把握できなかった。


「よし、アッシュ君。君の中に存在しない一般的な物事の考え方や、価値観の話をしましょう。お互いの価値観のすりあわせが必要だと思います」


 その言葉に、アッシュはうなずいた。


「頼む。

 スラムの人間は、迷い込んできた貴族の子供なんかを世間知らずのガキ扱いするコトはあるが……なんてコトはないな。スラムに住むオレたちだって十分に世間知らずだ」

「そりゃそうですよ。自分の生きている範囲の価値観こそが最初の常識であり世間の姿ですからね。

 その範囲から外にある常識や世間に触れたコトのない人は、アッシュ君みたいな考えにはなりません」


 あるいは軽く触れた程度では自分の価値観は揺るがないモノだ――と、ラニカは言う。


 だから迷い込んできた貴族の子供(世間知らずのガキ)と言葉を交わした程度では、何も変わらない。


 その子供とスラムの住民が、相互に互いの常識が違うのだというのを理解しないまま関わったところで、何も変わらないのだ。


 結果として、貴族の子供はスラムを獣の溜まり場と認識し、スラムの住民は、貴族はガキでもイケ好かないと認識する。


「アッシュ君もそうじゃありませんか?」

「否定できねぇな。その通りだ」

「そんなワケで、これから少しずつ認識のすり合わせをしていくとしましょうか」

「おう」


 ・

 ・

 ・


「……そりゃあスラムは獣の溜まり場扱いされるわな……」

「いえ、こちらこそ……そのように壮絶な生活をされているなど、つゆにも思っておりませんでしたから……」


 スラム――平民ですら当たり前に学べる常識が、学べない場所。

 言葉の上ではラニカも理解していたつもりだったが、こうしてそこの住民から話を聞くと、想像よりも酷いことが分かった。


「そのように生活をされていたのでしたら、常識など二の次でしょう。今日を生きるために必要なのは常識ではないでしょうから」

「……理解、してくれるんだな」

「はい。とはいえ私の貧困な想像力では想像しきれない生活をアッシュ君たちはしてきたのだとは思いますが」

「いいさ。同情ではなく、僅かでも理解してくれる貴族がいるっていうなら、それだけで救いになる」


 親を失ったり、親に捨てられたり。

 職を失ったり、無理矢理奪われたり。

 やむを得ず家を失った者もいれば、だまされて家を失った者もいる。

 そもそもゴミのように捨てられた赤子が、運良く拾われそこで育ったパターンもある。


 とにかく、平民の貧民街ですらまともに生活できないような人たちが、寄り添って生活している区画。


 掃き溜めとも言われているものの、その掃き溜めで生活をしなければならなくなった原因は様々だ。

 王侯貴族とて、そのすべてをすくい上げるのは難しい。


 貴族としては浄化したいが、その場所が行く当てのない者たちの受け皿になっているからこそのメリットも理解している。


「お父様や、旦那様と機会があれば話をしてみると約束しましょう。

 どのような形が、みなさんの救いになるかは分かりませんが……」

「そん時は相談にのる。むしろ乗らせてくれ」

「はい。お願いします」


 そこで、一度会話がとぎれる。


 ややして――ラニカが力を抜くように大きく息を吐いた。


「どうした? 疲れてるんなら、ここらで切り上げるぜ?」

「あー……えーっと、何といいますか……むしろアッシュ君と話をしてたら気が抜けてきたといいますか……」


 うーん……と唸りながら、ラニカは眉を顰める。


「オージャ村のダルゴさんもそうですし、領長のココーナ様もそうなんですけど……ちょっと私のコトを褒めすぎなんですよね」


 あはははは――と、どこか苦笑混じりの乾いた笑いを見せて、ラニカは続けた。


「確かに、ロジャーマン家の従者教育機関エクセレンスの最難関カリキュラムを突破しました。突破しましたけど、補欠合格なんですよ。ちゃんとした合格じゃないんです」

「それだってダルゴやココーナが褒めるくらいにはすごいコトなんだろ?」

「うーん……そうは言ってもですね……」


 アッシュの言葉に、ラニカは複雑な――それでいて少し哀しげな顔をする。


「私ってばドジなんですよ。一生懸命やってるつもりで、いっつもドジをやらかします。

 それも新人すらしないだろうドジや失敗も多いんです。職場のみんなは仕事はちゃんと出来てるって褒めてくれるんですけど、自分では出来ている気がしないといいますか……」


 ヘラヘラとした何かを誤魔化すような笑みをラニカが浮かべる。

 その顔を見た時、アッシュの中の何かが痛んだ気がした。


「ココーナ様とお話している時もすっごい気を張ってたんです。

 すごいすごいって褒めてくれる目上の人の前で、ドジとかやらかせないですからね」


 ラニカがそう告げた時に、ふとアッシュの中に疑問が生じた。

 それを、口にする。


「なぁ、いつから気を張ってた?」

「え? そりゃああの馬車で目が覚めてからずっとですよ?

 オージャ村では多少気を抜いてしまったせいで、転んだり階段から落ちたりしましたけど……それ以外はずっと気を張ってますもの」


 その言葉に、アッシュの中の何かがさらに痛む。


「だってそうでしょう?」


 にへら――と締まりのない、アッシュを不安にさせまいとする笑みを浮かべてラニカが告げる。


「いつものドジをしたら最後――それで自分が女神の元へ還るなら笑い話ですが、その笑い話に君を巻き込めないじゃないですか」


 ズキリ――と、アッシュの中の何かが大きく痛む。


 アッシュは、ラニカが今浮かべている笑みを過去に何度も見たことがある。そしてどこで見たのかを思い出した。

 妹分が――フランツィスカが、お腹は空いてないからと、アッシュへと食料を分け与えようとした時の顔だ。


 本当はおなかが減っているのに、アッシュの為に無理してパンを渡そうとする妹分。

 今、ラニカが浮かべている笑顔は、フランツィスカがたびたび浮かべるそれにそっくりなのだ。


「自分のドジが、横にいる他人の人生を左右しかねない状況なんですから。気を張って当然じゃないですか。貴族として、守る力を持つ者として、守らなければいけませんから」


 そう言って快活な笑みを浮かべるラニカだが、アッシュはその(まなじり)に滲んでいるものに気がついてしまった。


(……最悪だ。俺は本当に……バカだ……)


 ラニカが頼りになるからと、頼りにしすぎていたのかもしれない。

 だが……なら自分に何かできたかといえば――


(何も、出来ないんだよな……)


 クソ――と、胸中で毒づきながら、アッシュはイスから立ち上がる。


「アッシュ君?」

「かったるくなってきから部屋に戻る。見せたくねぇモンがあるならちゃんと隠しとけ」


 告げて、ラニカの部屋のドアを開けた時、その背中にラニカが声をかけてきた。


「そういうところが、君の美徳だって言われるところですよね」

「うるせぇなッ、少しは一人になってろッ!」


 照れ隠しにそう告げると、アッシュは乱暴に扉を閉めるのだった。



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