ぱよ2 蛍石とぱよぱよ
四機常設されている重力推進連絡船の一つが、派手な機械音とともに固定される。通路の接続と内部エアの確保が終了するまでに五分ほどかかってから、ドーム内に久しぶりの賑やかしさが訪れた。観光客の大気降下は二週間ぶりとなる。とはいえ、それ以前のスパンに比べたら頻繁と言っても差し支えないような状況かもしれない。
「今回は六人だそうですよ。ずいぶんと下りてくる客が増えましたね」
隣で待機がてら着陸の見物としゃれ込んでいたニコが、若干眉根を寄せて言い放つ。彼としては、面倒な業務を増やしかねない観光客の来襲を望んでいないようだ。
「それだけ、ここも少しずつ認知されつつあるということだろう。喜ばしいことさ。少なくとも、生活の糧が必要な我々大人にとってはね」
「夢追い人の意見とは、とても思えませんな、センセ」
「私が獏であったなら、あるいは必要なかったのかもしれないが、あいにくと人間なのでね」
生活を維持するためにも、ぱよぱよの研究を続けるためにも、ある程度の収入は必要になる。私も研究者の端くれとして、それなりに公的な機関からの支援を受けてはいるものの、生活と研究を支えるに十分とは言い難い。そのため、別口の収入を得ることは極めて重要な必須事項でもあった。獣医としての仕事もそうだし、彼ら客人を案内する観光ガイドの仕事も、その一つだ。
「今はまだいいですけど、何十人という単位で押しかけられたらたまりませんね」
「まぁ、そうなったら業者も考えるだろうさ。儲けに繋がるのなら、投資もされるだろうしな」
無論、あまり観光化が進み過ぎるのは望んでいない。そもそも、こんな場所を見て楽しいと思うのは、相当な物好きと考えて間違いないだろう。少なくとも今のところ、リピーターは皆無だ。
「あのマスコミ、かなり胡散臭い連中でしたけど、それなりに宣伝効果はあったんですかね?」
「さてな。さすがにそこまではわからんよ」
ただ、観光客があれから、半年前の取材から確実に増えていることだけは疑いようがない。それが自然な流れなのか、それとも何かしら人為的な宣伝効果が働いているのか、確かめる術を持たない我々にとってはどうでも良い話だ。
「そんなことより、今夜の準備は進んでいるのか?」
「バギーは二台とも揃ってますよ。今すぐにでも出られます」
参加メンバーが六名なら、一台で十分だ。とはいえ、何があるかわからない以上、待機はさせておいて損はない。さすがにニコもその辺りがわかっているのだろう。仕事が早いばかりではない。良く気の回る男でもあった。
「なら、夕飯を済ませたらすぐにでも出発できるな。今回も通信室での待機任務、頼むぞ?」
「えー、また留守番なんすか?」
「そうボヤくな。夜の森なんて、いつだって見られるんだから」
ぱよぱよが本来の姿を見せる夜の森、それが観光の目玉でもある。私も何度となく見ているが、この役目を他人に譲りたいと思ったことはない。ニコには悪いが、今回も居残りは決定事項だ。まぁ、今度一杯奢ってやることにしよう。
「仕方ないか。僕が同行したところでガイドができるワケじゃないですからね。大人しく端末の前でゲームでもしてることにします」
「おいおい、ちゃんと通信には応答してくれよ?」
「わかってますって」
ニコの笑顔が心強い。彼がバックアップをしてくれているからこそ、私は安心してガイドに集中出来るのだ。その事実を、いずれ伝える必要があるのかもしれない。
「それじゃあ僕は、もう一度バギーを見てきます」
「あ、ニコ……」
「はい?」
「あー……いや、いいんだ。また後でな」
「ええ、それじゃ」
人間とは、時に不便だと思う。複雑な感情を有しているからこそ、言えないことや伝えられないことが生ずるものだ。人の繋がりが煩わしいと思えることもあったが、年齢を重ねて改めて、その繋がりを求めている自分に気付く。正直、いつも大きなコミュニティを形成しているぱよぱよが、羨ましいと思えることも少なからずあった。彼らに感情があるとして、個性と呼ばれるモノが存在するとして、どうやってあれだけのコミュニティを維持しているのだろうと不思議に思う。今まで、彼ら同士の争いやいざこざなど、見たことは一度としてなかった。
考えてみれば、それは奇妙にも映る。
「今度、その辺りも考慮に入れて観察してみるか」
顎の不精鬚を撫でながら、そんな呟きが漏れた。しかし、今すぐに考えるべきでないことを思い出し、大きく深呼吸をして意識を切り替える。研究は確かに第一だが、生活がままならなくては意味がない。それに、より多くの人に知ってもらうことは、結果的にぱよぱよのためにもなるだろう。
首を巡らせると、窓の外は鮮やかなオレンジに染まっている。
何もかもが違う大地で、それは地球と変わらない、夕焼けの色だった。
このフローライトにおける観光には、二つのパターンがある。一つはメインでもある惑星外からの観察、もう一つが地上に降り立っての内側からの観察だ。どちらもそれぞれの味わいがあり、観光としての意義に優劣はない。ただ、観光客の絶対数には雲泥の開きがあった。それはもちろん、この惑星の特異性、すなわちフッ素の大気というハードルの高さが関係しているのは言うまでもないことだが、同時にもう一つ、外からの観察における優位性というのも無視のできない理由であろう。地球の放つ鮮やかな青さが、それだけで観光資源としての価値を持つように、この惑星の外観も十分な魅力を備えている。その原因が、今我々の目の前でも起こっている『燐光』という現象だ。
そもそもこの惑星の名前になっているフローライトというのは鉱石の名前であり、和名を蛍石という。この石は、その成分にも因るが蛍光や燐光という現象を有する鉱石としても有名であり、宝飾品としても珍重されてきた。ちなみに蛍光というのは特定の光、例えば紫外線などを浴びた際に発光する現象であり、燐光というのはそれが遅れて、あるいは長く発光する現象である。特に燐光は『光を溜めておく』ような現象にも見え、その輝きは人々の目を惹き付ける元となる。そしてその蛍石、フローライトが、この星にはゴロゴロと転がっているのだ。何しろ蛍石の主成分はフッ化カルシウム――すなわちフローコーラルの残骸が材料となるのだから、海以外の大地はほぼ全てがフローライトによって覆われていると言っても過言ではない。成分によっては光るかどうか、光るにしても何色に光るのかが決まるので、大地の全てが光る訳ではないものの、その光景は人の目を釘付けにするには十分過ぎるほどだ。もちろん、これほど大規模かつ広範囲に渡って光を放つ現象である。惑星の外からでも観測することができた。それどころか、むしろ趣のある景色として観光客を集めており、輝く夜景を背景にしたディナーやショーは盛況であると聞いている。その内の幾人かが、興味本位から下りてきているというのが実情であろう。大半は、外からの景色に満足して帰ってしまうのだ。
しかしもちろん、下りてこなければ見られないモノも存在する。それがぱよぱよだ。
「今、皆さんの足元にいる半透明の丸い物体が、ぱよぱよという生き物です。ぱよぱよが人間を襲うことはありませんので、まずは安心して観察を行ってください。ただ、ぱよぱよも生き物ですから、驚かせたり怖がらせたりすれば急激な反応を見せることもあります。特に今は『食事中』ですので、強く叩いたり持ち上げたりという行為は控えていただくようお願いします」
「食事って、何を食べているんですか?」
壮年の男性が聞いてくる。当然の疑問であり、適切な質問だ。正直私も、その部分がずっと謎だった。この生き物が何を糧として生きているのか、かなりの期間に渡ってまるでわからなかったのだ。
「まだ仮説の域を出ないのですが、このぱよぱよという生き物は『光』を食べているのではないかと考えられています。それもただの光ではなく、蛍石の燐光を食べているのではないかと思われます。良くご覧になっていただければわかるかと思いますが、点在するぱよぱよの下はどこも例外なく燐光を発しています。そこからエネルギーを吸収する何かしらの器官を備えているのではないかと、我々は考えているのです」
この説は三ヶ月ほど前に思い当たり、現状で最も有力な説として認定されている。もっとも、こんな生物のことを調べているのは私の他に何人もいないものだから、有力といったところでたかが知れている。正式な形での認定は、恐らく光を吸収する器官が解明されてからということになるだろう。ちなみに排泄も大きな謎であったのだが、ぱよぱよが明け方近くに見せる赤い発光現象が、おそらくは彼らの排泄なのではないかと睨んでいる。
改めて考えてみると、本当に我々地球上の生物とは違うと痛感させられる。事実、私の説明を聞く六人の態度は、表情の見えない現状においてさえ、唖然という言葉がピタリと当てはまるほどに見えた。確かに、外から眺めるフローライトほどの華は、このぱよぱよにはないかもしれない。だがそれと同じくらい、あるいはそれよりも遥かに高いレベルの驚愕が、この地表には転がっているのだ。ただ美しいだけの無機的な魅力ではない。どこか温かく、かつコミカルなこの風景は、きっと忘れられない記憶となって刷り込まれることと思う。少なくとも、私はそう信じたい。
「では、しばし自由にこの幻想的な風景と、ぱよぱよの愛らしい姿をお楽しみ下さい」
一段落して、バギーの側面に背中を預ける。大きく息を吐き、そのまま星空へ目を向けると、そこに見知らぬ光が見えた。
地上にある光は、この惑星において珍しくはない。どこで何色に光っていようと、それは十分に有り得る話だ。しかし空は、この惑星の空に輝く物体は限られている。あるとすれば、この観光客が乗ってきたであろう民間定期船と静止衛星上にいるステーション、あとはそこから発進可能なグラビティシャトルだけだ。しかし、そのどれも私の正面、東の低い空に見える筈はない。何かトラブルでもあったのなら話は別だが。
私は一応の確認は必要だろう判断し、バギーに乗り込んで通信回路を開く。
「ニコ、聞こえるか?」
『はいはい、こちら感度良好。どうしました、センセ?』
「定期船がどこにいるか、そこから確認できるか?」
『ビーコンの位置という話なら、ステーションと被ってますけど?』
予想通りの返答だ。つまり、定期船は突然の予定変更など行っていない。稀に気象条件が悪いなどの理由から、地表の輝きが見える位置へ移動することもあるが、頭上が見事に晴れ渡った状態では考えられることではない。定期船とステーションは、間違いなく私達の直上にある。
となると、先ほどの光は――と、また光った。隕石にしては妙だ。それはまるで皆既日食に見られる紅炎のように、もしくは太陽が沈んだ後に残された残照のように、何かを隠しているが故の名残にも見える。
「すまんニコ、悪いんだが『上』に繋いで確認してくれないか。本部の東方に何か飛行物体がないかどうか」
『了解です。少々お待ち下さいね』
理由は察してくれているのだろう。相変わらず話の通じる男だ。とはいえ、上にいる奴も同様に話が通じるとは限らない。だが、ステーション待機のローテーションを記憶から掘り返して並べているところで、コール音が鳴った。
「わかったか?」
『ビンゴですよ、センセ。どうやらステルス性の高いシャトルが一機、コッソリと下りてきていたようです。光学観測で何とか追いかけて……あ、今着陸したようです。距離は本部から東に五十キロ、そこからだと――』
「今から向かう! ニコはお客さんを迎えに来てくれ!」
『え、今からっすか?』
「頼んだぞ!」
一方的に通信を切り、ドアを開ける。
「皆さん、申し訳ありませんが、急な用事が入りましたので、私はしばらく失礼させていただきます。ですがどうかご心配なく。今別の者がこちらに向かっておりますので、その者が到着するまで、ごゆるりとこの惑星を堪能なさって下さい」
返答はない。いや、それを待つ余裕すらなかった。
私はドアを閉め、アクセルを踏み込む。いかに悪路を想定して作られたとはいっても、道路の一本も通っていない辺境の惑星だ。しかも周囲は緑や青の輝きを放つ大小様々な瓦礫に覆われている。今から駆けつけて、どの程度の意味があるのかはわからなかったが、それでもこのまま放置しておくことはできなかった。
ハンドルを握る手に力がこもり、車体が大きく跳ねることも構わずにアクセルを踏み続ける。
連中が何をしに来たのか、その理由は明白だ。そもそも、この星にある資源は、さほど珍しいものではない。蛍石も人工的に作ることが出来る物質だ。そんな物を掻き集めたところで、何一つ旨味はないだろう。となれば、行き着く答えは一つしか思い当たらない。
ぱよぱよである。
連合法により、固有種の移動は固く禁止されている。故にだからこそ成立する商売も存在していた。すなわち密猟だ。地球時代から絶え間なく続くこの悪癖は、舞台を宇宙に移したところで大差はない。その技術と規模が大きくなり、むしろ悪化したと言えるのかもしれない。ぱよぱよは、見付かって数年しか経っていない珍しい生物だ。似た様な生き物というだけでも、探すのは難しい。つまり、それだけ希少な存在であるとも言える。そしてもちろん、希少であればあるだけ売る側にとっての旨味は増し、それが故に投資もされる。まさしく、自然とすら思えるほど淀みのない流れだ。
だが、問題がないとも思えない。ぱよぱよは見付かって間もない生物、すなわちその生態はまだまだわからないことの方が多い。まともにわかっていることと言えば、フッ素の大気で生きていることと大きな群を成すこと、そして燐光を食べるらしいという程度だ。私とて、単体で飼育してみようなどとはまだ思えないほど、何もわかっていないのである。この惑星から連れ出して、それでも生かし続けられるだけの自信は、私にはない。あるいは、死体でも構わないからという発想なのかもしれない。
いずれにしても、ぱよぱよにとって喜ばしい事態ではないだろう。あの生物が私の印象通りの存在であるとすれば、単にプルプル震えるだけのゼリー状生物ではない。もし仲間を奪われ、あるいは攻撃されるようなことになったら、人間という存在を敵と認識し、襲ってくるかもしれないのだ。ぱよぱよは相手を憶える。しかもその相手が危険か安全かすら判断している節がある。
観光客が、その証拠だ。
当初、取材と称して訪れたマスコミの関係者がぱよぱよの元を訪れた時、私の時と同じく手荒な歓迎を受けた。しかし何度か観光客を案内する内に、初対面の観光客に対しても大した反応を示さなくなってきたのだ。シールドスーツに身を包み、見た目にほとんど違いのない人間の違いを見分けるばかりか、どんな目的で訪れている人間なのかすら見極めて対処しているように思えて、最近は少し恐ろしいと思いつつある。ぱよぱよの利口さは、あるいは我々が思っているよりもずっと高いレベルにあるのではないか、そんな風に感じることも少なくなかった。あの見た目に惑わされるべきではないのだ。
待て。私は一体何の心配をしているんだ。ここで案ずるべきはぱよぱよであって密猟者ではない。そもそも、どうしてぱよぱよが反撃するかもしれないだなんて考える必要があるのだ。彼らには牙もなければ爪もない。たくさんのぱよぱよに覆われて押し倒された時だって、私には傷一つなかった。
私は勢いに任せてアクセルを踏み込み、その途端にバギーは飛ぶような勢いで空中に投げ出される。幸いにも横転するようなことはなかったが、着地の瞬間にハンドル操作がブレてしまい、激しいスピンに突入する。慌ててハンドルを戻してブレーキを踏み込むものの時すでに遅し、巨大なフローコーラルにフロントバンパーから思い切り突っ込んで、そのまま停止してしまった。前輪がおかしなハマり方でもしてしまったのか、後退しても動かない。何とかして発進できないものかとギヤを入れ替えるが、何かが引っ掛かって抜け出せなかった。
「くそっ!」
ハンドルを叩き、ドアを開けて外へと飛び出す。距離的にはずいぶん近付いている筈だ。あるいは走って行ける程度の距離かもしれない。そんな淡い期待を抱いて足を踏み出した瞬間、金属音を伴った銃声が響き渡る。あの特徴的な音は聞いたことがある。最近民間でも出回るようになったハンディコイルという複合銃だ。レールガンの原理を利用しているとか何とか聞いたが、さすがに詳しいことはわからない。いずれにしても、人間が武器を振るっていることだけは疑いようがない。そして、こんな場所に居る私以外の人間は、密猟者に他ならなかった。
「間に合うか?」
相手が武装していることに対する恐怖感は、驚くほどにない。この時の私は慌て過ぎていて、感覚がかなり麻痺していたのだろうと後の私は推測しているのだが、ともかく銃声を耳にした私の足は、鈍るどころか機敏さを増して動き始めていた。その先に待つ危険など、微塵も頭になかったのである。
いや、あるいは何かを予感していたのかもしれない。だからこそその光景は、驚愕ではなく不思議な納得感と共に脳裏へと焼き付いたのだろう。
森が開けた瞬間に、密猟者の物と思しきシャトルは発進しようとしていた。すでに仕事を終えたのか、それとも失敗しての退散であったのか、それはわからない。ただ、彼らは異様に慌てて発進しようとしていた。闇を照らす青や緑の輝きを浴びて、僅かな滑走の後に浮かび上がる。グラビティシャトルとは明らかに違う、ロケット系のシャトル艇だ。その速度は段違いであり、加速を始めれば瞬きする間にも見えなくなるほどの筈だった。
直進するかに見えたシャトルは、まるで弧を描くように右へと進路を変更する。それもその筈で、右翼には何かが絡み付き、その先は地面に繋ぎとめられていた。おそらく、鳥が首輪でもしていたらこんな風に見えたのだろうと思う。その鎖、あるいは数珠のようなモノが何であるのかは考えるまでもない。ぱよぱよ同士がくっついて、紐状になっているのだ。そして、加速度は維持したまま大きく回り込み、フローコーラルの巨木へと自ら突っ込んでいく。巨木は崩れ、シャトルは落下し、瓦礫に埋もれ、大きな山が出来上がる。
そして爆発した。
こうして、密猟に携わった五名全員の死をもって、この夜の惨事は終焉を迎えることとなったのである。