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ぱよ1 私とぱよぱよ

普段の私の作品に比べると、かなり長めです。三倍くらいはありますか。

疲れたら遠慮せずにお休み下さい。

 森に住む彼らを、人は『ぱよぱよ』と名付けた。

 母なる星である地球から最も遠くに位置する開拓惑星フローライト、その名が示す通りフッ素を大気に有し蛍石ほたるいしを大量に含有する奇妙な惑星である。地表面の温度が年間平均でおよそ0℃であったため、当初は居住の可能性すら模索されていたのだが、大気成分を調査した隊員が肩を落として『毒の惑星だ』という呟きと共に帰還することになったという逸話は、かなり有名な話だ。それによってこの惑星の存在を知った者も少なくはないだろう。

 現在、極めて小規模のドーム施設に数十名の人間が滞在しているだけであり、もちろん町や公共施設など皆無に等しい。そのほとんどが私と同じく何かしらの研究者か技術者と言え、その専門知識を利用して足りない公共機関を補っているというのが実情だ。事実私も、このコミュニティに暮らしているペット達の医師としての顔も持ち合わせている。

 ちなみに私は獣医ではなく、あくまで生物学者である。とはいえ、誇れるような功績など持ち合わせていない。助手や共同研究者に名を連ねるのが関の山という、あまりにパッとしない男だ。もっともだからこそ、誰も好まないような『ぱよぱよ』の研究に一歩を踏み出せたと言えるのかもしれない。まだ開拓が始まって五年にも満たない新規惑星、しかも人間にとって生きにくく暮らしにくい環境に存在する謎の生き物である。生物学者として興味の湧く対象でこそあるものの、実際に研究対象とするには二の足を踏む相手だ。このような色物に手を出すのは、少なくとも利口な判断とは言えまい。よほど功を焦ったのだろうと揶揄されるのは必至だ。

「今日も外回りですか? 精が出ますね、先生」

 クリーム色の全身防護型シールドスーツに片足を突っ込んだまま首だけを巡らせると、見知った顔が呆れたような笑みを浮かべてこちらを窺っていた。金髪に大きな碧眼、文字通りの鷲鼻に大きな口と、インパクトの極めて高い顔立ちの男である。彼とは、ついこの間三十路を越えた祝杯を上げたばかりだ。その体躯は隆々としていて毛深く、雄々しいという表現がピッタリだ。本人曰く、もう若くはないとのことだが、すでに四十代に入った私より十歳以上も若い肉体の生気はまさしく眩しいほどに輝いて見える。いや、仮に同い歳であったとしても、私にあれほどの力強さはなかっただろうが。

「ニコ、先生はやめてくれ」

「お断りします。ウチのミカを助けてくれた恩人であり、かつ理想の先達ですからね。これからも先生と呼ばせていただきますよ、センセ」

「私を手本にしたところで、ろくな人生が待っていないと思うがね」

「こんな僻地で楽しそうに仕事ができるなんて、実に素晴らしいことじゃありませんか。ぜひ見習いたいものです」

 そう言いつつ彼――ニコ・グレイヤールもシールドスーツに足を突っ込む。ちなみに彼の言う『ミカ』というのはペットの愛犬である柴犬の名前だ。日系に属する私には意外に思えたが、ミカはオスの名前である。

「ニコも仕事かい?」

「もちろんです。僕は先生と違って、外回りがあまり好きではありませんので」

「よく言う」

 暇があると私に付いてくるニコの冗談に、口元が持ち上がった。

「先生のところは空調に問題ないですか?」

「特に気にならないが……何かあったのか?」

「息苦しいから調べてくれとか言われまして。何も異常はないと思うんですが、一応は調べないといけませんで。正直、エンジニアではなくドクターの領分だとは思うんですがね」

「まぁ、異常無しで安心するなら、安いものだろう」

「ですね。それで仕事が成り立つと思えば、楽でいいです」

 ニコはいつでもこんな調子だ。明るく、いつでも前を向いて歩いているイメージがある。私のような人生など歩ませたくはないし、歩むべきでもないだろう。まぁ、この辺境に長く留まれば、否応なく似たような人生を歩む結果となるだろうが。

「さて、私はそろそろ行くよ。ニコも頑張ってな」

「行ってらっしゃい。くれぐれもお気を付けて」

 慎重な送り言葉に苦笑いが浮かぶ。

 酔った勢いとはいえ、余計なことを話すべきではなかったのかもしれない。私の名はサクジ・スミス、生物学者でバツイチの独身者である。仕事にばかり没頭する内に、気付けばよわいは四十二を数えていた。すでに他界した信心深い母から、厄年には気を付けろと念を押されたものだ。

 もっとも、今以上に悪い状況というのが、私にはあまり想像できないのであるが。



 大気はどこか黄ばんで見える。

 錯覚と言える側面も含んではいるが、少なくとも空は青くない。緑ではないが、黄色みがかった空色をしている。そのため地上の大気も、知識の補正からかそんな風に映ることも珍しくはなかった。しかし成分の大半を窒素とフッ素に支配されているフローライトの大気であるのだから、時折そんな風に見えたとしても不思議ではない。そしてこの大気こそ、この奇妙な惑星を構築し、我々の侵入を拒んでいる元凶だ。

 フッ素は、我々人間にとって必要な存在であるが、同時に高いレベルの毒性を有する物質でもある。過去、フッ素の毒性に気付かなかった研究者の多くが、その身を犠牲にしたと聞いている。とはいえ、我々にとって必要不可欠な酸素とて、強い毒性を持つことが知られている。過ぎたるは及ばざるが如し、何でも過剰に摂取し過ぎれば毒となるのは自明の理である。フッ素が毒と呼ばれ、酸素がそう呼ばれないのは、人間にとってどれほどの重要性を有しているのか、その主観的な発想においてのみであろう。

 無論、そうは言っても私とて人間である。この地の大気が都合の悪い存在であることに変わりはない。今背負っている小型の簡易ボンベで四時間、予備を含めても六時間が活動の限界だ。施設に常備されているバギーに搭載された大型の高圧縮ボンベであれば、丸二日まで粘ることも可能だが、そこまでの無茶をする研究者はほとんど――いや、皆無と言っても良い。あのドームに住まう人間達ですら、この大気の中へと足を踏み出す輩など滅多に居ないというのが実情だった。

 私としては、そんな彼らを非難するつもりにはなれないものの、やや勿体無いのではないかと思ってはいる。ここはまさしく、人間という種にとっての異世界であり、十分に見る価値のある新世界でもあるからだ。手に触れられるほど近くに居ながら、それに接しようとしないなど、正直言って臆病としか感じられない。郷に入りては郷に従えという言葉にもあるように、せっかくこの惑星に滞在しているのだから、この風景くらいは存分に楽しんでもらいたいものだ。

 ジャリという硬い何かを踏み潰したような音を響かせて、私は立ち止まる。施設を出発して十五分、ようやく目的の場所へと到達したようだ。

 目の前に広がるのは青い森、くすんだ青銅や錆びた銅版のような色を中心とした巨木の立ち並ぶ深い森が彼方まで覆っていた。巨木と言ったが、それは厳密に言えば木とは言えず、更に言えば植物とも言い難い。形としては巨大なキノコ、具体的に挙げればエリンギのようであるが、触った感触は硬くザラザラとしており、植物ではなく鉱物という印象である。というのは当然の話で、その部分はすでに役目を終えたフッ化カルシウムの結晶でしかなく、生きているのは上層の表面だけなのだ。その生態は珊瑚に近く、懸命に深紅の葉のような物を伸ばして陽光を浴びる様は、さながらイソギンチャクか昆布の群でも見ているようだ。そしてどんどん上へ上へと成長し、陽光を浴びられなくなった部分は死滅して土台となる。更にそれが限界に達すると根元から折れ、この大地を形成していくのだ。この星には大きな地殻変動が見られないせいか高い山もなく、この擬似珊瑚――フローコーラルが大地のほとんどを覆っている。そして、このフローコーラルの森で最も頻繁に見られる生き物と言うのが、ぱよぱよと名付けられたゼリー状の生物だった。

「この辺りのヤツは緑系が多いな」

 呟きながら、データを入力していく。同時に音声と画像の記録も進めておいた。時間は限られているのだ。細かな検証は後回しにして、まずはデータの蓄積を優先させる。とはいえ、せっかくぱよぱよの間近にまで足を運んだのだから、それなりに好奇心は満たして帰りたいものだ。

 私はヘルメット周辺に集中している機材の稼動を確認すると、慎重に歩を進めてフローコーラルの陰に近付いていく。かつての経験にかんがみれば、そろそろ手荒い歓迎が飛んでこようという頃合だ。正直、初めての時は情けない悲鳴を上げるほどに驚いたものである。それこそ、食べられるのではないかと真剣に思ったほどだ。もちろん、現在では滑稽なエピソードの一つでしかない。ぱよぱよが相手に張り付くのは興味の印しであり、好奇の意思表示でしかなかった。

 そもそもぱよぱよには、口と呼ばれる器官が存在しない。形状は饅頭ソックリで、大きさは大人が一抱えできる程度、色は青やら緑やら黄色やらと様々だが、そのいずれもが半透明だ。残念ながら目は付いておらず、それが一部では不評だと聞いたことがある。まぁ、彼らは人間のために生まれた訳でも存在しているのでもないのだから、余計なお世話だと思っていることだろう。

 実際、そんな風に思っていたとしても私は驚かない。こんなことを口にすれば変人だと罵られるかもしれないが、ぱよぱよは見た目とは裏腹にとても利口な生き物である。一度目の手荒い歓迎は二度目にはなくなり、三度目には親愛を示すように擦り寄ってくるようになったのだ。つまり、ある程度の記憶力と学習能力を有していると思われるのである。見た目には大きな単細胞生物としか思えないが、何かしら考えたり憶えたりするような器官が備わっている可能性が高い。しかも、時折身体を細かく震わせて振動を仲間に送っているような素振りも有り、もしかすると意思の疎通も仲間内で行っているのではないかと予測している。実際、今日はそういった反応を確かめたいと思い、こうしていつもとは違う場所へと足を運んだのだ。初めての際は驚くばかりで、思考することも観察することもままならなかった。ある程度ぱよぱよの生態がわかってきた今なら、ジックリと観察できる筈だ。彼らが私を調べ、憶え、伝える様子が見られれば、これは誰もが驚くような発見となるであろう。

 しかし、ぱよぱよは飛びついてこなかった。それどころか、私の到来に対して関心がないかのようにすら見えた。ただ、近付いてくることには気付いたらしく、振動して仲間に何やら伝えている素振りはあった。正直拍子抜けだが、同時に新しい発見でもある。ぱよぱよの反応は地域により、あるいは固体によって違うのかもしれない。性格のような個性が、この丸いだけの物体に備わっているとしたら、それは驚くべきメカニズムと言えるだろう。

 私は恐る恐る手を伸ばし、鮮やかなエメラルドグリーンを内に宿すぱよぱよを撫でてみる。ピクリと少しだけ驚いたような反応を示したぱよぱよだったが、逃げたり暴れたりすることもなく、大人しく撫でられていた。あるいは、この行為の意味するところまで理解しているのではないかと、そんな風にすら思わせる反応だ。

 もちもちとして、同時にすべすべとした表面が心地良い。この時の私は、ぱよぱよという生き物の発するゆったりとした、穏やかで可愛げな気性がたくさんの人間達に伝われば良いと、ただ純粋に願っていた。


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