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キミの笑う異世界へ

作者: Eit


奴隷仲間に新しく加わった男は妙な服を着ていた。今まで生きている中で一度だって見たことのないその服は、異国の象徴のようだった。


「男のくせに細くて肉体労働は役に立ちもしない。意思の疎通もできないし、仕方がないからここの手伝いをさせてやれ。」


散々殴られて男だか女だかも分からなくなったソイツを仕方なしにみんなで介抱した。意識を取り戻すまでに丸1日かかって、夜飯を作り終わったころにその男は起きた。


「ん……い゛っ、×××、××××××××××」

「まだ、大人しくしときなよ。マルクの奴に殴られたんだろ。お前みたいな細いのが敵うわけない。」

「××××××?」


意思疎通ができないとはこういうことか。何を話しているのかわからない。何か必死に話しかけようとしているが、言語がどうにも理解できなかった。これでは名前もわからない。呼び名もわからない。寝ておけという言葉すら通じなかった。


無理にベッドに寝せて、寝ろとジェスチャーするとそれは通じたようだった。


「……マルクのやつ、まためんどくさいのを押し付けやがった。」


ここは料理番の奴隷の住処で、私と随分歳の離れた少しボケたババアと、20くらいの小奇麗な女と見た目のいいハーフエルフの女と若作りしか脳のない40のおばさんがいる。他に、こうやって見張りにけがをさせられた奴なども押し付けられる。


見た目はこの屋敷のお嬢様達より綺麗だというのに、性格のきついハーフエルフが舌打ちをして死にかけの男のベッドを蹴った。料理番の奴隷の中にも威張る順番があって、見張りがいない日はババアと私だけで食事の用意をさせられる。


私は口が達者ではなかった。言い返すのもやり返すのも得意ではなかった。


「死んじまうよ。毛布かけてやりな。リフ。今助けてやったら一生こいつに恩着せられるよ。」

「……まぁ、」


男の分の毛布は当然だが準備されていなかった。マルクが放り投げて捨てて行ったのだ。あるわけがない。ババアは自分の毛布は貸さないくせに私に貸してやれといった。ここはよく冷えるのに。何故私がと、思ったが、言い返す前にみんなベッドの中に寝ていた。


男はひどい熱だった。今にも死んでしまいそうだった。死んでしまったら夢見が悪いと思って、しぶしぶ自分の毛布を掛けてやった。


「××××××」


男はさっぱり理解できない言葉をしゃべった。ため息が漏れる。次の日私は風邪を引いた。


「そんな鼻を啜って料理をして、ミハネ様に風邪がうつったらどうするんだ。恥を知れ。」


マルクに腹を蹴られて、地面にうずくまった。マルクはデブの真っ黒な男だ。私の二倍も三倍もありそうな巨体で容赦なしに蹴り上げてくる。機嫌が悪いとすぐに暴力を振るった。そして血を見ながら、首を絞めながらセックスをするのが趣味だった。


最悪で最低の男だ。


言葉のわからない男はまだ熱を出して寝ていた。私は毛布もベッドもなくて壁に寄りかかって寝た。1週間ほどたって男が少しだけ体力を回復した。言葉は相変わらずだったが、私に何度も頭を下げる姿を見るに恩は着せられたようだった。


どろどろの見たことのない服を捨てて、奴隷共通の服を渡した。それから順調に体力を回復していき、言葉は通じないが、料理の手伝いをするようになった。真似をしろと何とかジェスチャーで伝えたのだ。


言葉は話せないが、男は特段不器用ということもなかった。日常を過ごすうちにある日男は私の肩を叩いた。


「どうした?」

「……こ、とば、教える、ほしい、」

「は?」

「ぎゃははははっ、リフお前なつかれたのか?その赤ん坊に。」

「ウケる、教えてやれよ。何も通じなくてイライラする。」

「な、なんで私が、」

「実際この中じゃ、お前が一番なまりのない話し方をしてるんだから教えてやるには適任じゃろ。」


ババアのそんな一言にみんなそうだそうだと同意した。そして、仕事が終わって疲れているというのに私は教師の仕事までも受け持つようになった。人に教えたことなど到底なかったし、ここにはろくな本もないので、紙に書いて教える仕方なかった。


「私の名前は、リフ。貴方は?」

「お、俺の名前、レン」

「レンはなんでここに来た?」

「……気づいたら、ここに居た。」


たどたどしいながらも少しずつ話せるようになっていったレンと必然的によく話した。


「レンの歳はいくつ?」

「18歳。リフは?」

「私も18歳だ。」

「ずっとここにいる?」

「そうだね、長いよ。」


意思疎通がうまくいかないというのは歯がゆいもので、毎日毎日字を教えて、言葉を教えて居れば、多少はレンのことが気になった。何故ここにいるのか、以前は何をしていたのか、何が好きなのか、別に深い理由などない。娯楽のない世界だ。毎日朝早く起きて掃除をして料理をして、ババアや気ばかり強い女の話を聞くだけの毎日だ。太陽も何年も見ていない。


レンに言葉を教え、レンのことを知るのを1つの目標にした。


赤子を育てるように物をもってこれは何なのかを当てさせたり、子供の頃にやったような言葉のゲームをしてみたり、マルクに抱かれたときには本を強請ってレンに読ませた。そして3か月も経つと意思の疎通はだいぶできるようになっていた。


「リフは、なんでここに?」

「親殺しの罪で奴隷に落とされたのさ。」

「殺したのか?」

「さぁ、どうかな。」

「そんな、」

「これでも貴族の娘だったんだ。しかも正妻の最初の娘だった。愛情も多く貰って生きてきた。でも、母が病気にかかって死んでしまった後、妾の女が父を殺して、そして、」

「その罪を着せてられたと?」

「そう。酷い話だろ?」

「本当に、ひどい話だ、気分が悪い。ここは気分が悪いことばかりだ。」


そうなると私は気分のいい世界など奴隷になる前から知らないような気がした。


「貴族の世界で負けるとこうなるんだよ。」


レンはその日。それきり話さなかった。次の日レンが静かに私に毛布を渡してきた。


「体調はだいぶ良くなったし、返すよ。ずっとありがとう、」

「まぁ、もう夏も近いし。そんなのいらなくなる。私は自分の分を調達してくるさ」

「できるのか?」

「マルクに頼む」

「……身体を、使って?」


嫌な顔をするなよ。こっちが惨めになる。


「仕方ない、払える金を持ってない」

「こんなに働いているのに」

「そもそも奴隷はモノなんだよ、私もレンも主人の道具だ」

「だって、リフは貴族の娘で、無実なんだろ」

「……教えなきゃよかったって思うから、そういう意味のない話をしたくない」


そういうと、レンは悔しそうな顔で黙った。拳を握る鈍い音がした。こんなことを考える時点で、奴隷の生まれではないだろう。言葉も話せなかったくせに、計算はできるようだし、持っている常識が奴隷として生きてきたとは思えない。


「レンは気づいたら森にいたと言っていたけど、元はどんな暮らしをしてたんだ?」

「本当に普通で、どんなと言われても説明が難しい」

「難しいって、あるだろ貴族だったとか平民だったとか騎士だったとか」

「……貴族でも騎士でもなかったから、平民だとは思うけど、」


なんなんだその曖昧な答えは。貴族だったとはいっても、その暮らしをしていたのは子供の頃だから、他の国について詳しいわけじゃない。きっとレンは違う国の生まれなんだろう。


「学校には通っていたか?」

「え、あぁ、通ってたけど」

「じゃあ貴族だったんじゃないのか?」

「平民は学校に通わないのか?」

「普通は通わないよ」

「……じゃあ貴族だったのかもしれない、」

「記憶が曖昧なのか?」

「いや、……そういう、わけじゃないんだけど、ここに来るまでのほんの少しの記憶がないんだ。気づいたら森に居て、森の中をさまよっているうちに腹が減って倒れて、気づいたら鞭で打たれてここにいた」


本当は、どこかの王族か位の高い貴族の息子で、連れ去られてこんなこと頃に来たんじゃないかと、そんなことを少し考えたが、レンが嘘を話しているのか、本当に覚えていないのかなんてことは確かめようがなかった。


傲慢さはあまりないから、位の高い貴族ではないのかもしれない。


「……リフ、やっぱり毛布返すよ。他に比べたらひ弱かもしれないけど、リフはよりは丈夫だ」


その日の夜は温かくなってきたはずだというのになんだか寒い日で、レンのくしゃみと肌をさする音が聞こえた。自分は母親にでもなったつもりなんだか、変な気分だった。私と言えば、もう冬の間毛布なしで寝れる耐性まで付いたほど丈夫になっていた。


のそのそと起きて、自分の毛布をレンにかけてやり、ベッドに戻ろうとすると腕をつかまれた。


「リフ、」

「寒いんだろ?」

「……毛布があってもずっと寒くて死にそうだった、」

「お坊ちゃんには耐えられないだろうよ、良く死なないで生き抜いた」

「ずっとありがとう」

「昼間聞いたよ。同じ言葉」

「一緒に毛布を被るのはダメか?」


狭いベッドだ。2人で寝るなら抱き合わないといけない。


「寝ずらいだろ」

「気にしない」

「自分の寝相を把握していない」

「リフに蹴られたって怒らないよ」

「……人と寝るのは得意じゃない」

「マルクのせいか?」


図星で、黙った。


「リフは恩人で、大切な人だから、襲ったりしないよ」

「知ってるよ、レンはマルクのような猿じゃない。言葉の覚えも早いし、貴族より頭もいい」


腕を引かれ、ベッドに招かれた。レンの身体は毛布がなかったせいで冷え切っていた。


「リフは暖かいんだな」

「湯たんぽのようだろ?」

「うん……、暖かいだけで一気に眠くなってきた」


私を腕に抱いてレンは本当に数分で寝てしまった。レンの腕はベッドなんかよりずっと柔らかく優しかった。次の日からレンと同じベッドで寝るのが日課になった。


「レンと寝たのか」

「……寝てないよ」

「うっそ、もったいない。あんなにいい男なのに」

「いやー腫れがひいたらあんなに顔がいいとは想像もしなかった。」

「なにより、怪我が治ったらちゃんと体力もあって、なんでも手伝ってくれるし」

「最初に媚び売っといてラッキーだったなリフ」


そんなことを考えたこともなかった。煙たがっていたくせに言葉が話せるようになったら、皆ねこなで声で話すようになった。気分のいいもんじゃない。レンは笑顔で対応している。よくやると思う。言葉が通じないことをいいことに、最初なんてさっさと死ねって言ってたんだぞ。でも、人への対応についてとやかく言うのは違うだろうから何も言わなかった。


でもそれから一つ事件が起きた。朝。この部屋にいるはずのない男がいた。その日は腹を蹴られて起きた。


「せっかく、菓子をやろうと来てやったのに、お前それと寝たのか」

「ね、てません、」

「じゃあなぜベッドがあるのに一緒に寝ている、お前のために一つベッドを増やしてやった恩を忘れたのか!?」

「毛布が足りなくて、寒いからです」

「私に頼めば補給をやっただろ」


嘘をつくな。起き上がれないほどぐちゃぐちゃに抱かれないと何も与えてくれないだろ。


「すい、ません」

「男と見れば誰でもいいのか、本当に淫乱な女だな」


そう言って、マルクは、ババアもエルフもレンもいる部屋で私の服を破いた。殴られながら抱かれて、死にかけた。


「お前を着飾っていたドレスも魔法も純情も全部奪ってやったというのに、まだ懲りないのか」

「ッ……、」


そんな言葉に、昔は抱いていた反抗心を、少し思いだした。抵抗しなくなったのはいつだったか、うまくその場をやり過ごす媚びを覚えたのはいつだったか、バカにされる言葉に怒りを覚えなくなったのはいつだったか、全部思いだせなかった。


レンは脇で私を助けようと駆け寄ってきたが、ババアとエルフに必死に止められていた。妥当だ。今助けになんて入ったら、レンが殺される。せっかく、言葉を教えて世話をしたのに、私の時間が無駄になってしまう。たまにはババアとエルフも役に立つようだった。


「懲りて、いますよ、十分に、私を助けてくれるのはマルクしかいないと分かっているつもりです。優しいマルクが私を特別扱いしてくださる。それが私の生きがいです」

「本当か?」

「本当です、全てなくした私を貴方だけは忘れないでいてくれる」


そう言って自分からキスをした。情けない。情けない。何も持っていないくせに、こんな姿をレンに見られるのは何だか嫌だった。私も人間が残っているらしい。いくつ離れているのかもわからないほどのジジイに殴られながら媚びて命乞いをして、そこまでして私は生き残りたいのだろうか。


一生ここから出られないというのに。


「愛しています。マルク、だからどうか私を信じて」


抱かれるのも殴られるのも、もう何も感じないのに。こんな自分の汚い部分を見られるのは、久しぶりに辛いと思える出来事だった。満足してマルクが出ていって、トイレで3時間吐き続けた。レンがずっと背中をさすってくれた。


「ごほっ……う゛っ、迷惑かけて、ごめん」

「迷惑って、俺が同じベッドで寝ようって言ったからこうなったんだろ、俺のせいじゃないか」

「……違う、レンのせいじゃない、」


吐き気が収まって、夜が近づいて少し肌寒かったが、このまま寝るのがどうしてもいやで、水浴びをした。さすがに寒いなと考えながら、部屋に戻ってくると、レンは私を泣きそうな顔で抱きしめてきた。逃げようとしたが、放してくれなかった。


「本当にレンのせいじゃないんだよ」

「だが、」

「……まだ、私が伯爵家の娘だったころ、男爵だったマルクに無理に婚姻を迫られたんだ。マルクはすでに妻もいて子供もいる身で、側室という話だ。しかもまだ10歳にもならない頃だ。貴族階級の話はしたことがなかったが、元の家が私のほうが位の高い家で、そんな婚姻はあり得ない話だった。受け入れられるはずもなく、破談すると、マルクは刃物を使って迫ってきて、父が怒ってマルクは貴族の位ははく奪になった。マルクは私を恨んでいるんだろうと思うよ。」

「すべて奪ってやったと言っていた」

「魔法とドレスと純情か?」


静かにうなずいたレンに服をまくって腹を見せた。


「奴隷につけられる文様にはいろんなものがあって、抵抗が強い奴隷には魔力を使えなくする文様を描くんだ。昔は魔法が得意だったんだが、」


手元で少しだけ火をつける。


「もう今はこれくらいしかできない。そもそも魔法は貴族しか使えないモノだから魔力制御の文様は需要が少なく珍しい。マルクがわざわざ主人に頼まれもしないのに金を溜めて呪術師に頼んで描かせた。気持ち悪い男だろ?だから、レンのせいじゃないよ。もともと恨まれていて、暴力と屈辱のはけ口にされているだけだ」

「……リフだって、何も悪くないじゃないか」

「もちろん。私もレンも悪くない、運が悪かった。もう殴られるのも手を出されるのもなれているから大丈夫だよ」


ぎゅうと抱きしめられて、レンは何にも話さなかった。


「今度はレンが湯たんぽみたいだな」


あんまり子供のように泣きそうな顔をするから頭をなでてやるとレンはとうとう泣いた。なんでレンが泣くんだよ。私は困った様に涙をぬぐうことしかできなかった。


マルクが毛布をくれたおかげで、久しぶりに1人のベッドで寝ることにした。いつも狭いと考えていたベッドが広く感じて、なんだか少し寒く感じた。


「リフ、寒くないか?」

「……まぁ少し、寒く感じるな。ちょっと前まで毛布なんてなくても平気だったのに慣れってのは怖いな」


額に触れられて、レンがベッドを抜け出したことに気がついた。部屋が暗くて様子はわからない。許可も取らないでベッドに入ってきていつものように抱きしめてくる。もう同じことでマルクを怒らせるのは勘弁んだと思うのにやめろと言えなかった。


レンの泣いた顔が思い浮かんで離れなかったからだ。


「リフ」

「ん……、」

「魔法ってのはどんなことができるんだ?」

「そりゃ、大抵のことはできるだろう?生活魔法から戦闘魔法まで……レンは魔法を知らないのか?」

「物語の世界でしか見たことがない」

「使えないとかではなく、知らないってことか」

「うん」


魔法が存在しない国があるのか、または別名で呼ばれているのか。わからないが。レンの腰を抱いた手を自分の手と重ねる。ほとんど使えなくなってしまった弱い魔力をレンの身体に流すとぴくりと身体が震えた。


「わかるか?」

「な、なんか身体に変なのが流れてきた」

「……私に同じのを流せるか?魔力の道を想像するんだ」

「身体を起こしていいか?」

「あぁ」


弱い光の魔法で周辺だけを照らすと、ぎゅっと手を握られた。10分20分。真剣そうなレンはやっと辛そうな顔をやめていて、それが少しだけ安心して眠くなった。うとうとしながら待っていると、ある時ぼうっと熱い濃い魔力が身体を流れた。


目を見開く。


「できてるか?」

「あぁ、上出来だ」

「じゃあ俺魔法使えるのか?」

「そうだな、私はもう使えなくなってしまったから、教えるのが難しいが、感覚は覚えているから少しずつ教えるよ」

「本当か!」

「嬉しそうだな」

「魔法なんて夢があるだろ」

「そういうものか?」

「すごく夢がある」

「暗いしあとは明日にしよう」

「そう、だな、寝ないと」


流れるように寝転んで、眠かったせいもあってそのまま眠ってしまった。朝。そばにいたら良くないだろうとはっと起きるとそばにレンは居なかった。近くを見ると隣のベッドに静かに寝ていた。


「ちゃんと考えていたんだな」

「そりゃまたリフが殴られるのは嫌だしね」

「そうか」

「そんなことより魔法を教えてよ」


レンはよっぽど魔法に興味があるようだった。少しずつ教えていけば、本当にレンは貴族の子なら誰でも知っているような基本の魔法まで何も知らなかった。だが魔力を持っている。自分の知識が正しければ、魔力とは神より王族が授かった力で、王族に直接使える貴族達が王のために使う力とされているはず。


記憶喪失ではないと言っていたし。まぁ書物もろくにないここで調べようなんて無理な話だ。レンが何者であれ、ここではどうでもいい話だと。自分の疑問に蓋をした。


「うわっ……あっ、」

「っ、」


水魔法の練習の途中、大量の水を2人して被った。びちゃびちゃになってババアとエルフに嫌味を言われた。魔法なんぞ覚えてどこで使うんだと。奴隷の仕事以外何にも娯楽がないのだから、自分の知識を誰かに授けられるというのは、私にとっては無意味ではないんだ。


ブウォーと生暖かい熱風をかけられて、全身が乾くと、レンがポツリと呟いた。


「出力を抑えるのが難しい」

「魔力量が多いと、調節するのが難しいんだよ。そこも練習だよ、だがまぁ」


レンが魔法を練習する脇で、机の端を使って杖を作った。自分の弱い魔力を込めながら、どこにでもあるような安い木の端くれだが、初めの練習にはちょうどいいだろう。


「これを使ってみろ」

「杖?」

「そう。魔力調整になれるまで使ってみるといい」

「あ、すごい、弱く出力できる」

「多くするのも、少しずつ増やせるだろ?」

「うん、ありがとう」


簡単な生活魔法から、自分は使えなくなってしまった使用魔力の多い魔法まで時間をかけて少しずつレンに魔法を教えた。レンが楽しそうに魔法を使う姿は、私の少しの生きがいだった。


また一つ季節がまわって冬の季節が近づいた頃、レンは湯たんぽがわりの冷えない石を作ってエルフたちに配っていた。


「レンはそこのケチと違って優しいね」

「だから、制御のせいであんまり使えないんだって言ってるだろ」

「どうだか」


ホントムカつくババアどもだ。自意識過剰だったかもしれないが、てっきりレンは私の分もくれると思い込み、手を伸ばしてしまった。視線が合う。


「リフは俺と寝るからいらないだろ」

「……いや、」

「俺は石よりあったかい」

「そ、いうものか?」

「そうだよ」


有無を言わせない表情に言葉をうまく返せなくなる。言葉を教えて1年がたち、すでに達者じゃない私は、レンに言い負かされることばかりだった。レンは自分の魔法のレベルを知らないから、ここから出たいなんて考えないのかもしれないが、外の世界を知っている私は思うところがある。


レンなら、ここを逃げ出せるんじゃないだろうか。言葉も教えた。魔法も教えた。その他の常識なんて国を渡れば何処だって学べるだろう。きっとこれは考えてはいけないことだ。私達のような何も持っていない人間の傍ではなく。外に行けば何か思い出すかもしれない。


これだけ魔法の才能があるなら。


「レンは、これからのことを考えたことはあるか?」

「これからって?」

「例えば、外に出たらとか」

「外か……、正直少し外は怖い。右も左も本当に分からないし、今の生活になれてしまったからだろうけど」

「でも、一生ここに居たいとは思わないだろ?」

「リフは?」

「私か?」

「リフはここを出たい?」

「……出ても、行くところがない。家族は死んだし、たとえ無罪を証明したって、魔法が使えない貴族なんて生きる価値もない」

「俺だって行くところなんかないよ」

「でも、レンならどこでもやっていける。他を見ていないから分からないかもしれないが、とても魔法の才能がある。どこかで証明できれば、こんなところ出れる。養子に欲しいという家がきっと引く手あまただろう」

「養子か」

「一番優しい家を選べばいい」

「……家族には少し会いたい、」

「生きているのか?」

「生きてはいると思うけど、会える気がしない」

「外に出たら、探しに行ける」

「リフは俺を外に出したいのか?」

「ダメか?」

「リフは俺と離れるのは寂しくない?」


考えたこともなかった。


「レンに言葉を教えて、魔法を教えて、少しだけ生きていてよかったなと思った。できることなら、レンには外で幸せに暮らしてほしい。私は足の腱を切られたのと一緒だ。傍に居たら迷惑になるよ」

「そんなことないだろ」

「あるよ、魔法が使えないってのはそういうことだ」

「俺は、今まで、生きてきた18年間魔法がなくて困ったことなんかない……、リフは人に教える才がある、誰より優しい心を持っている、何も返せないのに俺を守ってくれた。リフがいなかった俺は死んでいただろ、それなのに、迷惑だなんてそんなこと言うなよ、」


もしここが外の世界で、レンも私もただの平民で、それなら魔法なんかなくたって、それなりに幸せに暮らせただろう。でも、奴隷が外に出て、それなりの生活を欲するなら、また話は変わってくる。


「レンは罪のない魔法の才のある人間だ。私は親を殺した魔法も使えない罪人だ」

「殺してないんだろッ……!!」

「誰が私の無実を証明してくれるんだ?家族も親戚も友人も恋人も、外の世界にいない。ましてや、自分の価値を示す能力もない。奴隷として生かしてもらえるだけありがたく思っている」

「ッ……、リフはっ、悔しいって思わないのかよ!!」

「そんなことを考えたのはもう何年も前だ」


ぎゅうっと拳を握った音が鈍く地下のこの部屋に響いた。


「でも、全部諦めていたのにレンに会えた。もう何も出来ないと思っていたのに、レンは言葉を覚えて魔法を覚えた。レンは私の生きた意味だ。証明だ。レンが外の世界で幸せに生きてくれたら、私の人生に価値があったと思える」

「っ……、ここから逃げろっていうのか?本当に右も左もわからない、……本当はこの世界に分かる場所なんてないんだ、あの日見た森しか分からない」

「何年も前になるが、立地は大きくは変わっていないはずだ。街までの地図を描く。教会の位置もきっとそこまで大きくは変わっていないだろう」

「リフと離れたくない」


そんな言葉をくれると思っていなかった。その言葉が自分をこんなにも揺るがすと思っていなかった。レンと過ごす毎日は白黒の私の世界の中で唯一色のついた景色だった。


「私は……レンにこの世界で誰よりも幸せになって欲しい。外を知らないなら、なおのこと、他の誰を見捨ててもいいから自分だけが幸せになるために生きてほしい。ここの生活を幸せだなんて勘違いしてはいけない。太陽のない世界が、変わらない景色が、鍵の開かない扉が、レンに何を教えてくれるというんだ。外の景色を覚えていないといったな。直ぐ近くにある街はそれはそれは言葉に表せない美しい街だ。観光が盛んで街中が真っ白なんだ。魔法を知らなかったレンは本物の妖精を見たことがあるのか?聖霊は?ハーフエルフは人間と大差がないが、本物のエルフは男も女もそれはそれは美人なんだぞ。人間以外の生物は見たことがあるか?獣人だって様々な種類がいてな、狼の獣人は本当に美しかった。」

「そんな話、聞きたくない、知りたくない、知らなくて」

「嘘をつくなよ。レン。魔法にあんなに心を惹かれていたお前が興味がないなんて嘘をつくな。知りたいことがなんで悪いことのように言うんだ。私は、誰かのためにマルクと寝たことなんかないが、どうしても知りたいことがあってその本のためなら、寝たことがある。私がレンに知って欲しいと思うことはダメなことか?」

「……そんな言い方は、ズルいだろ、リフ」


ズルくてごめんと謝った。それでもと言葉続けた。きっとこんなに私が言葉を熱心に話すのはレンと出会ってから初めてであっただろう。マルクの給料日、浴びるほど酒を飲んで帰ってくるから、警備の当番を変わっても当分は起きない。その日を狙ってレンの背中を押した。


「私は、レンに言葉を教えてやった、魔法を教えてやった。一つくらい私の願いもかなえるべきだ。」

「そんなのはリフの願いとは言わないだろッ」

「じゃあ私は自分が一生お前をここに縛り付けているんだと思って生きて行かなきゃならないのか?」

「何でそんな考えになるんだよッ!!じゃあせめて一緒に」

「……何でおんなじ話をしなきゃならない。外に出て、私がいたらレンの未来の邪魔になる、私の未来を夢をレンに託すのは私のエゴか?」

「……エゴだよ、迷惑だ、」


レンはそう言って私を抱き寄せた。


「リフは俺にどうなって欲しい?」

「幸せになって欲しい」

「リフの傍にいるのは幸せだよ」

「大丈夫。外にはもっと楽しいことがある」

「他には?」

「夢を、……やりたいことを見つけて、知りたことをちゃんと学んで、気兼ねなく話せる同性の友人を作って、」

「何個あるのさ」

「何個でも、いくらでもあるよ」

「リフの傍が一番幸せだって示すよ」

「どうや……んっ」


触れるだけのキスを落とされた。


「……外に出て、綺麗な街を見て、本物のエルフを見て、綺麗な狼の獣人を見て、妖精も聖霊も見て、自分の知りたいことを学んで、信頼できる友人を作って、リフの傍が幸せだって示す」

「あぁっ……、あぁ、それでいいよ」


初めてレンを自分から抱きしめた。転移魔法は完璧に仕込んである。主人付きの優秀な奴隷以外はたいそうな見張りが常にいるなんてことはあり得ないから、私の見当が間違っているということはないだろう。


「リフ、」

「ん、」

「ありがとう、全部全部」


自分から言いだしたのに、無理に外に出させようとしているというのに、離れがたく涙がこぼれ、こんな時ばかり年相応であった。耳元に手を伸ばして、頭を撫でる。


「私の不幸が、どうかすべてレンの幸せのためでありますように。これから先の未来が華やかで素晴らしいものでありますように。出会えてよかった。レンは私の希望だ」


レンがここを逃げ出し、私はひどくマルクに罰を受けたが、マルクの監督不足を上に指摘されたらしく、マルクはここを首になった。マルクがいなくなったことで私の日常は平和そのものだった。


「レンを外に出すまで仕込んでお前この先何を考えてんだ?」


エルフに変なことを聞かれたが、久しぶりに笑えた。


「何も。育てたら存外愛おしくなって、外で自由にさせてやりたくなっただけだ」

「一緒に連れて行ってもらえばよかっただろ」

「……ダメだ」

「魔法が使えないからか?貴族しか使えない。使えないのが普通だ」

「違う、自由にさせてやりたかったのに、ここの人間が傍に居たらダメなんだよ」


新しい見張りは歳の行った爺さんで、奴隷差別をしない気のいい爺さんだった。それから1年も過ぎたころ、爺さんに名前を呼ばれた。


「リフ、ちょっと来い」


「え、あ、私ですか?」


実にこの階の外に出たのは7年ぶりのことだった。地下を出ると、階段の途中に窓が見えて、外が覗いた。


「あの、少し見ていいですか?」

「なんか珍しいのいたか?」

「いや、外の景色が久しぶりで」

「あぁ、……2,3分だぞ」


地下の空気と外の空気。淀みのない綺麗な空気は、自分が生きて時を進めているという、何かを感じるものだった。


「ありがとうごうざいます、」

「ん……、上手くいけば、景色なんてものを珍しがらなくてもすむかもしれんぞ」

「え?」

「何か頼みがあってきた風だったしな」


奴隷の住む階を上がり、入れと言われた部屋は、客間だった。それも主人が使う一番綺麗な部屋。その部屋には主人と、その頼みがあってきた風の、たぶん位の高い貴族がいた。


「キミがリフか?」

「は、はい、」


こんな位の高そうな人が何の用だ。何かやらかしたとかではないだろう。奴隷がやらかしたら殺されるだけのはずだ。


「コレを作ったのはキミかい?」

「え?」


目の前には安っぽい木の棒が一本。それは私がレンに渡した杖だった。


「触れてもよいですか?」

「あぁ、かまわないよ」


渡されて、頭を下げながら受け取る。自分の弱々しい魔力を感じる。


「私が作ったものに間違いありません、あの、これがなにか、」

「そんな怯えた顔をしなくていい。リフレイン・シャーロット。」

「っ……、」


何故その名前で呼ぶか、身構えてすぐ、男は笑うのだ。


「私の息子の家庭教師をしてくれないか?」

「え?……家庭、教師ですか、」

「そうだ」

「あの、私は、奴隷になった時に魔力制御の文様を描かれていてうまく魔法を使えません、お役に立てるとは、」

「この世界に転移したはずの一人の勇者が見つからず、ずっと国中を上げて探していた。他の勇者一行はやっと言葉を覚え、意思の疎通が可能になり、基礎の魔力の授業を始めたころだ。高位魔法まで完璧に使いこなす迷子の青年が教会で見つかったというんだ。初めは奴隷の服を着ていたし、言葉も流暢だし、誰も勇者なんて想像もしなかった。だが、詳しく話を聞けば、1年で魔法をすべて覚えたというじゃないか。なぁ、リフレイン・シャーロット。高位魔法が使える人間はこの国に何人いる?ましてや、奴隷の中に、それを指導できる人間など。」


たった1分にも満たない話の中に、知らない情報が詰まっていた。レンが異世界の人間で勇者であったこと。そもそも勇者とはなにの目的で連れてこられたのか。なぜ奴隷になどなってしまったのか。でもその話を聞けば辻妻にあうのだ。魔法を知らなかった事実も。言葉を知らなかった事実も。外の景色を何も知らない事実も。


「レンが勇者であったことなど今知りました」

「まぁ、本人も知らなかったから当然だろう」

「そう、ですか、では、レンは無事なのですね」

「あぁ、今は魔王の殲滅と邪気に犯された各国を聖女とともに浄化して回っている」


また、それはそれは大層な。


「勇者の指導者となれば、それなりの功績を与えられる。陛下にもその許可をもらってきた。なにより、キミの尊属殺人の罪が冤罪であることも証明された。元の爵位を得ることも」

「それは、結構です」

「いいのか?」


腹のあたりをめくり、文様を見せる。


「根源を絶たれています。もう昔のように使える可能性もありません。もっと良い指導者がいると思いますが、私でよければ家庭教師を受け持つのは構いません」

「そうしたら、息子が立派に育った暁には、魔法の杖を売る店を立ててやろう」

「いいのですか……?」

「息子がこの杖をレンに貸してもらったときにいたく気に入ってな。でもレンはこれだけはダメだというから、これでも随分頑張ってキミを探したんだ。店を一軒建てるくらいたやすいほどな」

「それは、ご苦労をおかけして申し訳ありません」


いろいろな手続きが進んで、仕えていた主人に頭を下げると、やめてくれと困った顔をされた。よほど、位の高い貴族なんだろう。


「昔、パーティーで見たキミはそれは綺麗で話しかけるだけで勇気いる人だったが、随分雰囲気が変わったね」

「それは、痩せて惨めになったというお話ですか……?」


馬車の中、相手の男の顔の記憶がどう頑張っても思い出せなかった。


「いや、随分丸くなったなと思って。孤高な人だったろ?いつも素っ気なくて、私は話しかけても相手にもされなかった」

「すい、ません……あの頃は魔法にばかり夢中で、今思えば、もう少し人との関わりを持っていたら、助けてくれる人もいたのではないかと思っています」

「ははっ……まぁ、今思えば懐かしい記憶だよ。こんなところにいたなんて考えもしなかった」


きらりと光る海のような輝かしいブルー。どこにも存在しない宝石のような綺麗な目は、王族の証だと。ばっと立ち上がったせいで、馬車の天井に頭を打った。


「リアン殿下、ですか」

「一応今は跡を継いだからこの国の王になるね」

「陛下……お、久しぶりでございます、こんな、どんな礼を返して良いのやら」

「いいよ。何も。キミから奪うものなんて何もないだろう」


その通りだが黙り込んでしまう。


「それにこの杖が息子の初めての我儘なのだ。叶えてやりたいだろう」

「そんなに気に入られるほど、たいそうなものではないと思うのですが、木の机の端を切り取った安物です」

「触れて魔法を出力するとこの杖の良さがよくわかる。天才とはまさに自分のためにあるような言葉だったというのに、ひどいことをされたものだ。解術の方法はないのか?」

「心臓を焼かれたようなものです。もう戻りません。魔力を蓄える部分と魔法を練る部分をわざわざ壊されました」

「確かマルクと言ったか、何か罪に」

「いいですよ。もう。レンが逃げ出して、十分罰を受けたでしょう?」

「歩けぬようにされたと聞いた」

「じゃあ十分です。恨んだって殺したってなんにも返ってきません」

「そうか、随分寛容だな」

「外に出られると思っていませんでした。だから十分なのです」


控えめなドレスと化粧、小さな個室とベッド。寒くない部屋。暖かい食事。何もかもがキラキラして見えた。授業の初日。陛下の息子は、昔の陛下によく似ていて、なんだかやっと少しずつ記憶を取り戻すようだった。


「先生はレンに魔法を教えたんでしょ?」

「そうですね。私の教え子です」

「じゃあレンよりもすっごい魔法が使えるの?」

「できません。きっと殿下よりも魔力が少ないです」

「え?じゃあどうやってレンをあんなにすごくしたの?」

「殿下もレンに負けないぐらいすごくなりますよ」

「僕はダメだよ。いっつも魔法を暴走させてばかりで陰で落ちこぼれだって言われてるんだ。きっと父さんのようにはなれない」

「なれますよ、大丈夫。陛下のように、きっと陛下よりすごい王に、私はそのお手伝いができるのですね。とても光栄です」

「本当にそう思う?」

「えぇ。思います。きっと殿下の作る国は優しく温かい国でしょう。国民はきっと殿下が王になることを望むでしょう。我儘を言ったことがなかったそうですね。初めておっしゃった願いは、杖であると。今後一緒に杖に使う木を探しに行きましょう。」

「うん、」

「信じてくださりますか?」

「……少し、」

「十分です。結果がすべてだと思っていますから、少しの間信じてください」


殿下はレンにも負けない魔力量のコントロールに苦しんでいるようだった。今の私にすればうらやましい悩みだが、その手の指導はレンの時に随分なれたように感じる。1年の間指導を続ければ、教えることがないほどの成長スピードだった。


「もう杖はなくても大丈夫でしょう」

「すごいな、もうこんなにできるようになったのか?」

「父上……!」

「私は、高位の水魔法が得意でなくてな。その魔法は使えない、お前水属性ではなかっただろう」

「リフが使い方を教えてくれました。今はどの魔法も高位までできるようになりました」

「本当か?」

「一通り必要な基礎は教え切りました。派生の属性も少し本を見ればどれも直ぐに使えるはずです」

「ははっ……本当に、本当にリフレインなんだな、お前」


どういうことだ。


「昔は貴族同士の無駄な子供自慢のようなものがあっただろ?」

「あぁ、ありましたね」

「そこで皆攻撃魔法を使って自分のすごさを自慢する中、キミは国民の前で全属性の妖精を呼び出してミュージカルのようなものを披露して、両親にひどく怒られていて、それがすごく記憶に残っている。歓声がすごくて。なのにキミはみんなの前で信じられないほど怒られていて、いっつもすましたキミがすっごく不服そうな顔で私の前を歩いて行くんだよ。」

「よく覚えていますね、」


笑ってしまった。そんなこともあった。自分は大成功だったと喜んで両親の元へ行ったら本当に殴られるぐらい怒られたんだ。歴史とか風習を台無しにしたって。


「あれから少し雰囲気が変わって、キミのような魔法を使う子供たちが増えた。いつの時代も歴史を変えるのはキミのような人なんだろうなと思った。だからレンがキミに習ったと聞いた時、息子にはキミのような人に習ってほしいと思ったんだ」

「陛下も天才と呼ばれていたではありませんか」

「国民をまとめる才は持っていると思うよ。でも魔法は凡に毛が生えた程度だ。本当の天才は、魔法が使えなくとも、その才が分かる。キミのように」

「そんなことありませんよ」


ほめ過ぎだと思う。でも、うれしくないわけではなかった。


「そうだ。リフ。レンには会わなくていいのか?てっきり、もう会いに行ったのだと思っていたが」

「レンにですか、」

「随分見た目は変わったとは思うが、中身は変わっていないだろう。優しい青年だ」

「……会わないほうが良いでしょう」

「それはレンのためか?」

「いえ、……どうでしょうね、私のためでもあります。もちろんレンのためでもありますよ。お互い環境が変わりましたから、ただ懐かしめますかね」

「キミが牢の外にいるというだけでレンは喜ぶのではないか?」

「それは確かにそうですね、でも、……少し怖いのです。離れがたいと泣いてくれたレンが、何もかも変わってしまっていたら。人とつながりを持つと臆病になるものですね。元気にいてくれるなら十分です」

「そうか、」

「殿下が成長してしまったらまた寂しくなってしまうんですかね」


先日8歳になった殿下の頭をなでるとうっとおしそうに払われた。


「このまま止まったら困るよ」

「この寂しさに耐えられそうにない私はきっと指導には向いていません」

「リフより魔法の指導がうまい人はそういないよ、」

「そうですか?」

「僕はリフに習えてよかった。一生の師だと思うよ」


それはうれしいなと、抱きしめようと腕を伸ばすと、やはりうっとおしそうだった。それがどうにも可愛くてうれしくて、もどかしい心だった。


「指導が終われば魔法の杖を売る店を授けようと言っただろ」

「はい、覚えていてくださったんですね」

「もちろん、忘れないさ。店の外装が出来上がって、内装の完成も近い。それで最初の仕事なのだが、妻の杖を作ってやってくれないか?」

「奥さまですか?」

「あぁ、妻はあまり魔力量が多くなくてな、作れるだろう?少し魔力の無駄をそぎ落とせるものを」

「試行してみますね」

「頼む」


杖を売る店はそれなりに繁盛した。1本に作る時間を要するため、あまり安くは売れないが、陛下の評判を聞いた貴族や、成人のプレゼントにと平民も買いに来てくれるようになった。そんなある日だ。


噂を聞いた。魔法を倒した勇者一行がここ王都に帰ってくるのだと。勇者と聖女の恋の物語が劇場で披露されて、繁盛しているらしく、帰ってきたら国民は2人の結婚を祝福するのだと。


レンの元気な姿を、見たいと思わないわけじゃない。変化の多い日々ではない。毎日店を開いて客を待って、そんな日々。先日会った殿下はまた大きくなっていた。ぎゅうっとどこか胸が苦しくなる。


毎日考えるわけだ。言葉でも耳でも元気だと聞いた。それでもこの目に元気な姿を見たいと。聖女でも姫様でも。誰でも。レンを幸せにしてくれるならそれでいいのだ。ただ。キミの元気な姿を。


地味なワンピースを着て、勇者一行の帰りを祝うパレードを見に行った。わあっという大きな歓声、視界に映るレンと同じ黒い髪と瞳の少年少女たち。レンは馬に乗って先頭を歩いていた。やせこけたあの頃のような姿ではない、笑顔で国民の歓声に応えている。


無性に涙がこぼれるこれは何なんだろう。喜び寂しさ感動安心。全て言葉には代えがたい。ただ無事でよかったと。元気そうでよかったと。それだけは本心だった。手が届かないところでも、言葉が交わせない距離でも、それでも、よかったとそう思えた。


どこか、幸せに笑うレンを願っていながら、変わってしまっただろうレンを受け入れられない自分がいないかが心配だったんだ。


でも、今日、見に来てよかったとそう思った。あぁ、レン、キミはこんな風に笑えるようになったんだなと、キミはこんなにもたくさんの人を救ったんだなと。あの日、キミの話を、思いをすべて無視して外に出した決断は、間違っていなかったのだと。


「よかった……よかった、キミが幸せそうで、」


私の人生の不幸が、全てレンの幸せでありますように。あの日の願いをきっと神様はかなえてくれたんだ。キミは私の自慢だ。自慢する人などいなくても、私の人生の誇りだ。キミのおかげで、外に出られた、殿下に教えることを許された。


感謝してもしきれない。キミのおかげで無実を証明できた。どうか、これからも幸せで。


ぎゅうっと胸を押さえて、レンたちが通り過ぎるのを眺めた。それから1か月も経った頃の話だ。


カラン。


店の扉が開く音がする。


「いらっしゃいま、せ……、」

「リフ」

「っ……、」

「たくさん探したよ。奴隷の中にはいないし、陛下は教えてくれなっ……うおっ」


会わないほうがいいだろうと、今の私なんてレンの負担でしかないだろうと、冷たくする言葉が、出てこず、溢れた涙が留まることを知らず、無意識に動いた足の先、レンの厚くなった体を抱きしめた。


「この世界は綺麗だったろ?」

「うん、きっとリフよりいろいろな国を見た」

「妖精も聖霊も、エルフも、ちゃんと全部見たか?」

「あぁ、見たよ。あんなに綺麗な人は初めて見た」

「そうか、」

「魔法学に興味を持って、旅をしながらいろいろな国で新しい本を買って学んで、新しい魔法を作った」

「うん、」

「リフに話したいことと、見せたいものがたくさんできた」

「うん、」

「なぁ、リフ」

「ん……、」

「俺はちゃんと世界を学んだよ、もうきっとリフより多くのことを知っている」

「そうだな、」

「リフはあの日の言葉を覚えているか?」


私はきっと、キミよりずっと、キミとの記憶を大切に思っている。


「ずっとリフは俺の幸せを願っていたよな」

「今でも、願っているよ」

「どうやって、手に入れるかこの4年考えたんだ」


抱きしめた腕が少しだけ離れて、腰のあたりに回って、視線が合う。


「俺はリフに言葉と魔法を学んで生きる道を得たから貰った報奨金で誰もが自由に学ぶことのできる学校を作ろうと思う、共に戦った仲間の数人が協力してくれるって言うから数年で建てられると思う、そこで魔法学の研究も続けていこうと思ってる」


夢と、信頼できる仲間と、学びたいこと。


「俺の幸せはあと一つだけだ」

「そんな1つだなんて、レンは勇者なのだからもっと欲があったっていいはずだ」

「そんなことない、今まで頑張ったのは全部全部このためなんだよ」


触れるだけの優しいキス。


「リフが俺のものになるなら、俺は世界中の誰より幸せ者だ」

「ッ……、」


失った言葉にレンは笑った。嬉しそうに優しそうに。


「国民はレンと聖女さまの恋を」

「うん、でも、リフは全員を見捨てても俺だけの幸せを選んでいいって言っただろ?」

「そうだけど、」

「リフは口下手だから絶対俺に勝てないよ」

「っ……、」

「言葉も話せない、死にそうで、勇者でもない、力もない、1つの価値もない俺を、何の迷いもなく助けてくれた」

「ちがう、マルクがレンを連れてきて厄介だって、面倒だって思った」

「でも毛布をくれただろ、あんなに寒かったのに」

「そもそもレンは本当はあんなところにいるべき人間じゃなかった」

「リフだってそうだ」

「ッ……でも、私じゃ、レンには釣り合わないだろ、」

「リフは、魔法が使えない自分はそんなに価値がないと思う?」

「それは、」


思うよ。思うに決まっている。これでも小さい頃は神童だと天才だといわれに言われ続けてきた。それこそ陛下の目に留まり、フルネームを覚えられているくらいには、同年代の中では、自分の才能は揺るぎのないものだった。


でも、もう、私はなにもない。到底レンの傍に立てるはずもない。


「リフは、異世界に興味がある?」

「異世界?」

「俺は魔法のない国で生まれたんだ。魔法がなくてもこの世界のように困らないよ。奴隷なんていないし、そこじゃ俺はなんならちょっと落ちこぼれだったけど、ずっとずっとこの世界のほうが俺は輝いた生活を送れるだろうけど、」


レンは幸せそうに笑うんだ。


「リフが魔法の使えないこの世界を苦しく思うなら、俺の世界は生きやすいはずだ。俺の両親もその世界にいるし。今度は俺がリフに言葉を教えるよ。貴族も勇者も魔王もいないから、皆全員平民だけど。奴隷もいない、魔法もない世界だ。リフを縛るものは何もない。俺はリフと一緒に誰にも文句を言われず暮らせるなら何処だっていいよ。リフの幸せを願ってるんじゃない。俺の幸せに、リフが必要なんだ。リフがいるなら俺はどんな世界だって幸せだよ」


学校を建てる夢は?魔法学を学ぶのは?聞いても、全部、リフがいないならというんだ。どれだけ口論しても負けて、言い負かされて、ダメで。


「リフは4年俺の幸せを願い続けていたんだろ?」

「もちろん、レンの幸せを」

「俺はリフの幸せなんか願ってなかった。俺のいないところで幸せになんてならないで欲しいと思っていた。俺はこの4年、再開したとき、必ずリフを逃がさないために、どうリフを言い負かすかそんなことばっかり考えてたよ。ずっとちゃんとリフの言う通り、自分の幸せのことだけ、考えて生きてきたよ」


そんなことを言うから、必死だったのに、笑えて、どうにも笑いが止まらなくなってしまって。


「ふっ、あははっ、な、なんだそれ」

「絶対、リフは釣り合わないとか、私がいたら幸せになれないとか、言うって分かってたし」

「そうか、予想通りでごめん」

「本当だよ。期待していたよ。レン、会いたかったって、待っていたって、噂になっている聖女との話に嫉妬してくれる妄想まで何回もしたんだ」

「なんだそれは、」

「でもしないだろ、リフは、してくれないだろ、だから、これでも俺本当に頑張って頑張って考えたんだ。俺を幸せにしてよリフ、リフがいてくれたら、俺、本当にそれだけで幸せなんだ。あの牢での生活は今思い出したって不幸せなものじゃなかった。どれだけたくさんの景色を見たってリフの笑顔より欲しいものなんてなかった。魔法学をどれだけ学んだって、リフのことより知りたいとなんて思えない。学校を作ろうと思った、リフのように奴隷として苦しむ人を救いたいと思った、でも、リフがこの世界じゃ笑えないっていうなら、他の人なんてどうでもいい。リフが笑える世界に俺が連れてくよ。だからリフ、俺を幸せにして」


レンの国は日本というらしい。魔法の変わりに化学が発展していて、生活の不便はなく今の世界よりずっとずっと快適らしい。貴族という偉い位は存在しないが、平民は皆貴族より良い暮らしをしているらしい。魔法がないのに空を飛ぶことだって可能で、子供は皆学校に通う義務があるらしい。そんな世界は想像がつかなかった。


それでもレンは、勇者を捨てて落ちこぼれに戻ってもいいんだと笑った。結婚して暖かい家庭を作ろうと笑った。よく考えればきっとこの世界より安全に暮らせるから、私のように家族を殺されるなんてそうそうありえないと笑った。


こぼれた涙にレンは言うんだ。


「ずっとリフが好きだよ。ぶっきらぼうで口下手で、でもどこまでも優しくて、ずっと俺の幸せを願ってくれるリフが、誰より一番大好きだよ」

「っ……、私も、私も、レンが」


涙がこぼれすぎてうまく言葉にならなかった。それでもレンは笑って泣いて抱きしめてくれた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] リフの強さに魅かれました [一言] リフとレンの未来に幸あれかし!
[一言] 面白かったです。素敵なお話をありがとうございました。
[良い点] 俺はリフの幸せなんか願ってなかった。 ここのくだりが良いですね。リフの願いでもあり、それを受けてのレンの返しでもあり。 リフが再びレンを見た際に、嫉妬や恋慕の情ではなく、レンの幸せだけを思…
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