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修復士ジオラスと壁画の乙女  作者: 有沢真尋


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8/13

戦乙女の具現

 静けさの中で、ジオラスはその壁を見つめた。


(暗い……)


 目を凝らすも、描かれた絵は劣化が激しく彩色も剥がれ落ちて判然としない。ジオラスは、シラルクの横を通り過ぎて壁へと歩み寄った。

 腕で距離を測る。人間の大人の腕の長さは、それほど大きな違いは無いとされている。腕を伸ばして立った距離は、画家が絵を描いたときの距離。その位置から、壁に手をかざす。

 それは、ジオラスが修復の際に用いる魔法。

 手のひらから淡い光が溢れ、風雨にさらされたボロボロの石の壁を優しく照らした。

 ジオラスの視線の先、手の動きに沿って光の中に絵の輪郭が浮かび上がる。

 在りし日の、色彩を帯びた絵。


 剣を振りかざした戦乙女の姿が、そこに現れた。


 鋼の硬質さを思わせる横顔をさらしており、凍て付くまなざしは遠くを見ていた。

 背景は黒っぽく、判然としない。

 乙女の他に、描かれた人間はいない。

 たったひとりで剣を振りかざしたまま立ち尽くしている。

 その研ぎ澄まされた横顔は美しいが、ひどく寂しげだった。

 見つめていたジオラスは、眉間に厳しい皺を寄せた。


(彼女が絵の中の魔物? 七百年前の絵だ、モデルがいても生きてはいないだろう。だがこの横顔はあまりにも、君に、似ている)


 振り返り、視線をすべらせて銀色の髪の青年を探す。

 その瞬間、あるか無きかの風が吹き、危機を察知する神経を撫でた。

 考えるより早く、体が反応する。壁画から向かってくるもの、空気の割れる感覚。風圧。

 飛び退って避け、腰を落とした姿勢で、地面に指で線を引く。

 魔法。第一世代相当と言われる、ジオラスの強い魔力が線に宿る。

 タン、と手のひらで叩くと、即席の剣が具現化してジオラスの手の中に収まった。


 澄んだ金属音。


 今まさに乙女によって振り下ろされた剣を、ジオラスの剣が危なげなく受ける。呼吸を整えるまでもなく、その剣を押し返す。

 そう見せかけて、不意に身体を引いた。

 予想外の動きに、乙女は目を見開く。

 身体は反応しきれなかったらしく、前のめりに均衡を崩す。


 そのまま、みるみる間に衣はやわらかさを帯び、石となっていた肌はなめらかな白さを取り戻し、引き結ばれた唇は赤みを得て。

 ついには絵から飛び出してきた。

 地面に白く染め上げられた革の長靴の先が触れたときも、乙女自身事態をよく把握していないようであった。緊張したように目を見開いたまま、身体だけは軽やかにその場に着地していた。


 風が吹きぬけ、銀糸の髪と白い衣を揺らした。


「ここは……」


 高くも低くもない声は、()()()によく似ている。

 ジオラスは、慎重に乙女の様子をうかがいながら尋ねた。


「シラルク?」

「シラルク?」


 乙女は、呆然とした様子でジオラスを見上げ、その名を繰り返す。まったく知らないもののように。

 念のため、乙女を警戒しつつジオラスは辺りを見回したが、青年の姿はこつ然と消えていた。後に残っているのは、何が起きたかまったくわかっていない顔をしている銀髪の乙女のみ。絵の中から、たった今その場に現れたばかりの。


「私はいったい……。つい先程までは、戦場に。剣を。あなたはどうして」

「戦場に? 君には記憶があるのか」

「記憶……」


 呟きながら乙女は手で自分の額に触れる。その手から剣が滑り落ちた。地面に触れて音を立てる前にかき消える。

 かすかに呻きながら乙女は体を揺らした。足が傾ぐ。

 倒れる、とジオラスは手を伸ばす。その腕の中に、目を閉ざした乙女の体が収まった。

 羽のように軽いとたとえるところであろうが、人としての柔らかさと重みがしっかりとある。完全に意識を失っている様子で、ジオラスは両腕で抱え直した。

 顔にかかった銀の髪を、指先でそっと払う。

 それはやはり、つい先程まで笑って話していた青年によく似ていた。


(壁画から夜な夜な現れるという魔物。壁画に描かれていたのは、銀髪の戦乙女。魔物がひとを襲うのを気にかけていたのは、乙女によく似た絵描きの青年で……)


 乙女がこの世に具現化すると同時に、姿を消してしまった。

 挑発めいた言葉を最後に。


 ――綺麗なことばかり言う修復士のお兄ちゃんには、絵の声は聞こえないの?


 ジオラスは、消える様子のない腕の中の乙女を見下ろす。

 やがて、そうしていても埒が明かないと、乙女を抱きかかえたまま夜の街へと歩き出した。

 ひとまず、宿に戻ろうと。


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