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綺麗な理想

 よく笑う青年だった。

 ジオラスには何が面白いかわからぬところでも、腹を抱えて笑い転げる。シラルク行きつけの店にて食事中、テーブルを蹴倒すのではないかとハラハラするほどだった。

 給仕の娘に愛想よく話しかけ、頬を赤らめさせてはニコニコとしている。口を挟むことなく、ジオラスが黙々と食べていると、からかいに満ちた横目を流してきさえする。


「修復士さんは、見た目は男前だ。背も高いし、よく鍛えた体をしている。女が放っておかないだろ。話した限り、性格は真面目で誠実。いささか堅物だとは思うけど、結婚するなら申し分ない。どうなの、そのへん」

「どうなのとは」

「とぼけないでよ。奥さんか恋人は? なんで旅をしているの? どうして壁画を探してまで修復しようと考えたの? この街に住む人間でさえ、忘れてしまった壁画なんて。美しく蘇らせても、誰も感謝も見向きもしないよ」


 ぽんぽんと飛び出す言葉。元来口数の多くないジオラスは、考えてから返事をするため、どうしてもテンポが合わない。恋人のことを聞かれていたはずが、壁画まで話題が飛んでいる、と頭の中でさらってようやく口を開いた。


「伴侶は居ない。子も。この街まで来たのは、壁画の修復のためで、きっかけは師匠。俺の修復には問題があって、修復士には向いていないと。この街の壁画の修復ができたら、見放さないでいてくれる」


(そこまでは言ってなかっただろうか。最後の機会と言っていただけ)


 蜂蜜を混ぜたワインをゴブレットで飲みながら、シラルクは「へぇ~」と相づちを打つ。


「問題のある修復っていうのは、つまり? 壁画を見つけても、修復に失敗するかもしれないってこと?」

「ありえる」


 言葉少なにジオラスが認めると、シラルクはごふっとワインをふきだしかけて、むせた。手で口を覆い、咳をし、息を整えて手を離す。ちらりとジオラスを見つめた目は、笑いを湛えているものの、直前に味わった息苦しさのせいか潤んでいた。


「技術が足りないの? それとも、良かれと思って筆を加えちゃうとか?」

「そんなだいそれたことはしない。ただ、俺には魔力がある。魔法を上書きしてしまう」


 タン、とゴブレットをテーブルに叩きつけ、シラルクは下の角度からジオラスの顔を窺い見た。


「上書きって、どういうこと?」

「本来ある魔法を消して、俺の魔法に塗り替えてしまう。修復士の仕事は、今まさに滅びの過程にある芸術品に、在りし日の光を取り戻すこと。俺は、作品より前に出ようと思ったことはない、作者になろうとも考えていない。壊そうだなんて考えていないのに、上書きによって、作品を破壊してしまう」


 シラルクは、落ち着かない様子のまま指先でテーブルの木の木目をなぞり、何かを描くような仕草をした。その表情には、少しの苛立ち。

 隙あらば諧謔(かいぎゃく)をもてあそぶようなシラルクのこと、その思考は速い。今も目まぐるしい速さで何かを考えているらしい、とジオラスは沈黙して次なる言葉を待つ。

 やがて、とん、とん、と指でテーブルを叩いたシラルクは「使えるかもしれない」と唸るように呟いた。


「この街の壁画に描かれたものは、本来自分の描かれた理由、なすべきことを忘れて、ひとを襲う魔物に成り果てた。上書きしてしまっても構わない。ジオラスの魔法で、いっそ」

「それはいけない」


 決然とした態度で、ジオラスはその提案を拒絶した。


「修復の目的は、第一に画家の気持ちに寄り添い、絵を繕い直して劣化を遅らせること。そこに宿るのが有害な魔法であっても、有害だからという理由で損なうのは修復の目的からずれる」

「自分でいま『有害』って言ったよな? 有害なものを生かしておいても、迷惑を被りこそすれ、誰も喜ばない。平和を脅かすんだ。排除されるべきだろう?」

「それは修復士の仕事ではない。俺は、芸術作品を破壊するために修復士を目指したのではない」

「綺麗事だ。この世界で何より優先されるのは、有用性の高いもの。有害なものは存在を許されず、綺麗なだけのものに価値はない。ジオラスの言葉はなんだ? お綺麗な理想はいったい何を救う?」


 言葉が次々と溢れ出す。そこに拙さはなく、圧倒するように正論をたたみかけてくる。何より、切実そのもののまなざし。

 その利発さを前に、なまじの言い訳では通用しない、とジオラスは唇を引き結んで考え込む。

 シラルクは、「お勘定だ」と懐から小さな袋を取り出し、テーブルに硬貨を積み重ねた。ジオラスを睨みつけながら、立ち上がる。食事を終えていたジオラスも遅れずに席を立ち、テーブルの間を早足で通り過ぎて木戸を押し開けて外に向かうシラルクを追った。


 店内は客が少なかったが、街路に出てみればもうほとんど人影が無い。

 暗い空の下、冷ややかな風に吹かれながらシラルクは歩き続ける。

 崩れた石柱の立ち並ぶ空き地まで来たところで、ようやく足を止めた。辺りには誰もいない。


「綺麗なことばかり言う修復士のお兄ちゃんには、絵の声は聞こえないの?」


 銀の髪でさっと軌跡を描き、振り返って、すぐそばの崩れた石の壁を手で示した。

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