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修復士ジオラスと壁画の乙女  作者: 有沢真尋


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10/13

何者?

「……何者……って聞かれて、ジオラスお兄ちゃんは答えられる? 昨日は私に教えてくれなかったよな。だったらいま私がその質問に答えなくても、それはそういうもので。私だけが話さなきゃいけない理由って何かあるか?」


 一歩身を引き、シラルクの心を宿した乙女は警戒しきりの顔で言う。

 黙って聞いていたジオラスは、目を細め、乙女の顔を見つめながら答えた。


「君が教えてくれなければ俺にはわからない」

「どの口がそういうこと言うのかな? そっくり返すよ。なんで自分は言わないのに私には聞くんだ?」

「知りたいから。君は俺に興味が?」


 ぐっと、シラルクの頬が悔しげにひきつる。そこには、何一つ認めてなるものか、と書かれていた。興味がある、だなんて。

 一方のジオラスは落ち着き払った様子で「もしかして」と低い声で続ける。


「まだ記憶が混乱していて、うまく答えられないのか。自分で自分がわからない? 名前はシラルクと呼んで良いんだよな」

「そうだ、名前はシラルクで……、絵を描いていた。この街で……」


 たどたどしく答えながら、シラルクは両手で頭をおさえた。視線はたよりなく、虚空をさまよう。

 目をそらさずに一挙手一投足を追いながら、ジオラスはさらに問いかけた。


「いつから?」

「いつって」


 ゆっくりとだが、確実に核心に迫ろうとするジオラスの態度に、シラルクは苛立ちを隠すことなく顔を上げた。


「そうだよ、よく思い出せない。だけどこの状況って、ジオラスお兄ちゃんのせいだよな? 絵を引きずり出すって、それどんな魔法だよ? 具現化した絵を使役する存在として、私の精神がこの体に飲まれたんだとしたら、私のもとの体はどこへ行ってしまったんだ……?」


 切実な言葉とともに、シラルクは淡紅色の唇を噛みしめる。そのまま、ジオラスの次なる言葉を待った。

 しかしジオラスはその問いに答えない。

 しびれを切らしたシラルクは、身を引いたときに空いた距離を今一度詰める。ジオラスの胸元に迫り、表情らしい表情の無い顔を見上げた。


「なんで何も答えない?」

「考えていた。まだ答えが出ない」

「そういうときは、『考え中です』くらい言えよ……! 無視されてるみたいだろう、私が」

「すまない」


 怒りをぶつけたら、謝られた。

 状況としてはそれ以上でも以下でもなく、投げた言葉を打ち返されたのはシラルクで、返答待ちのターンはジオラスへ。忌々しいことこの上ないほど、行儀よく待っている。

 薄い水色の瞳に怒りを迸らせ、シラルクはジオラスを睨みつけた。


「ジオお兄ちゃんみたいなひとのことを朴念仁って言うんだろうね……! その年まで独り身で、顔が良くてもモテなかったのが、よくわかったよ。全部自分のペースで、会話にならない。それだけ奥手そうなら、女の子を楽しませることなんか何一つ考えないに違いない」


 そこまで言うと、不意に相好を崩してにやりと笑う。

 虹色の輝きを放つ銀の髪を翻し、くるり、とその場で軽やかに一回転してジオラスを上目遣いで見た。


「こんな美人と話すのは初めてか? 緊張しているんじゃないのか?」


 ジオラスの表情には変化がなく、返事もない。


(また考え中か、このやろう)


 魔が差した。

 どうあっても動揺する素振りもないジオラスに対し、からかってやろう、とシラルクは心に決めて腕を伸ばす。ジオラスの胸に手を置き、にこりと笑いかけた。


「キスでもしてあげようか。遠慮するな、どうせこの体はただの絵の具だ。絵なんだから……」


 シラルク自身、その肉体に現実感を覚えていたが、目的はただジオラスを焦らせること。至近距離に迫られればさすがに動じるであろうと、満面の笑みで顔を近づける。

 それまで、ほとんど反応のなかったジオラスが、そのとき微かに動いた。手を持ち上げて、シラルクのほっそりとした顎を掴む。

 驚いたシラルクに抵抗する間も与えず、目を伏せて唇を重ねた。


「……っ!!」


 されるがままになったシラルクは、声にならない悲鳴を上げてジオラスの手を逃れる。大きく目を見開き、唇を拭ってから舌をもつれさせつつ騒ぎ立てた。


「何をして……っ」


 相変わらずの表情のまま、ジオラスは生真面目な口調で答える。


「キスを。絵の具の味ではないようだ。もう一度試しても良いだろうか」

「だめに決まってる……! なんだいまの手慣れた動きは!! 怖いな!!」


 どう見ても女慣れなどしていなさそうに見えていたジオラスの、ためらいのなさすぎる反応。シラルクは自分の両肩を両腕で抱きながら、限りなく本音を叫んだ。

 ジオラスをはめるつもりではめられているのは自分の方では、と焦りが生まれた。弱みを見せてなるものかと、いらぬ虚勢を張って喚いてしまう。


「絵の具の味じゃないって……、じゃあなんの味だよ。あ、いや、具体的に答えなくて良い。何を言われても嫌だ。こんなただの絵に、なんてことするんだジオお兄ちゃんは……ド変態だな。この分だと、からかうつもりで添い寝でもしようものなら、本気で手を出してくるんじゃないか。私は絵なのに」


 とにかくいまの自分は「絵」なのだと強調しながら睨みつける。ジオラスは、ほとんどとぼけているとしか思えない泰然とした様子でさらりと言った。


「手を出した方が良いのか?」

「誰もそんなこと言ってないだろうがあほ! 馬鹿! ひとの話を聞けよ!!」


 話にならない、と地団駄を踏みかけたシラルクを見ながら、ジオラスは後手で背にしてたドアに手をかけた。

 平和そのものの態度で誘いかける。


「まずは朝食にしよう。それだけ騒げば、絵でもお腹は空くんじゃないか?」


 シラルクは急に空腹を覚えて、腹を手でさすった。何もかも納得いかない気持ちのまま「なんなんだよお前……」と呻きつつも、食事することに同意した。

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